豊聡耳

 最近の小学生の傾向を、ベテランの1年生の担任に聞いたことがあります。お帰りの会のときに、「明日の持ち物は何々です。」といった後、さよならをすると、昔の子どもたちは急いでわれ先にと教室から飛び出していった。ところが最近、何人かの子どもたちは急いで教卓のところに走りよってきて、「ねえ、ねえ先生、明日何を持って来るの?」と聞くといいます。どうもみんなに言ってもダメなようで、自分だけに言って欲しがるそうです。少子社会では、家庭で親はわが子一人を相手にいつも指示しているからのようです。同じように子どもが話すときも、それぞれ一人ひとりが教師と話したがります。人と話をしていても、「聞いて!聞いて!」とせがみます。これでは、いくつ耳があっても足りません。教師は、「豊聡耳」を持っていないといけないのかもしれません。この耳は、こんな耳です。厩戸皇子がある時、人々の請願を聞く機会がありました。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上りましたが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したと言います。この皇子の聡明さを讃えて、これ以降、皇子は豊聡耳(とよとみみ)とも呼ばれるようになりました。一度に何人もの人から発せられた言葉を理解するようなゲームがあったり、何人も同時に発せられた言葉を理解しようとすると脳のトレーニングになると言われていますが、この豊聡耳はそうではなく、10人が太子に順番に相談し、10人全ての話を聞いた後それぞれに的確な助言を残した、つまり記憶力が優れていた、という説が有力なようです。厩戸皇子とは、もちろん「聖徳太子」のことです。
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桜井 平等寺 聖徳太子立像
「聖徳太子」は太子の死後に贈られた諡号で,生前は廐戸皇子あるいは上宮太子とよばれていました。この聖徳太子にまつわる伝説はさまざまあります。特に出生の伝説は、宗教的な意図も加わって興味深いものが多いですね。厩戸皇子という名前にしても「厩の前で生まれた」という説もありますし、「母の間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身籠もった」などは、どこかで聞いたような話ですね。「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教(キリスト教のネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」との可能性を唱える研究者もいるくらいです。もっと空想をたくましくして言われているのは、古代イスラエル民族と直接に関連するという日ユ同祖論を唱える極端な仮説も存在しています。しかし一般的には、当時の国際色豊かな中国の思想・文化が流入した影響と見なす説が主流です。ちなみに出生の西暦574年の干支は甲午(きのえうま)でいわゆる午年であるし、また古代中国にも観音や神仙により受胎するというモチーフが成立し得たと考えられています(イエスよりさらに昔の釈迦出生の際の逸話にも似ています)。太子生誕の地であるとされる橘寺に行ってみました。
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生まれたときに、片手に小豆ほどの仏舎利(ブッタの遺骨)が握られていたとか、2歳のときに東に向かって「南無仏」と唱えた(興福寺のその2歳児のころの立像があります)と言うのも、なんだかどこかで聞いたような逸話ですね。聖徳太子は実は実在しなかったと言うような極端な説まであります。これらの逸話が生まれたのには、それだけ聖徳太子の影響力が大きかったからでしょう。飛鳥を歩いていると、歴史とは、覚えるものではなく、ミステリアスなドキドキするものだということを再認識します。

豊聡耳” への5件のコメント

  1. ●本園でも、ここ数年「せんせい、きて!、きて!」と先生を呼ぶ子どもをチラホラ見かけるようになりました。(私が呼ばれたときは行きません。「用事があるんなら、あんたが、こいや」と言って返します」)。

  2. 今日のブログの最後の「歴史とは、覚えるものではなく、ミステリアスなドキドキするもの」には同感です。文献主義の呪縛から解き放たれると、実はいろいろなことが見えてきます。「日ユ同祖論」は私もよくわかりませんが、一説にはユダヤ12部族のある部族が海路日本に到達したというものもあります。「八坂神社」がユダヤの神を祭っている、という説まであります。聖徳太子が10人の人の話を聴いた、という逸話の解釈の一つとして、太子は実はマルティリンガルで、つまり10ヶ国語を駆使できた、というのです。かつてはいろいろな言語(方言?)が当たり前のようにわが国でも使われていたと思います。私としては聖徳太子マルティリガル説をとりたいですね。いずれにせよ「歴史とは・・・ミステリアスなドキドキするもの」です。

  3. 「ドキドキわくわく」は伝わるものだと思うので、歴史は考古学者に教えてもらったほうがいいですね。今大学に行ったら、楽しく学べる講義がたくさんありそうです。年号や出来事を間違えずに完璧に覚えるより、背景やそれを研究する人の熱い思い、いろんな説を知ってわくわくしている方が意味があると思います。でも多分受験には関係ないんですよね。

  4. 学生の頃、数人から話しかけらえたりした時などに「聖徳太子じゃないぞ」なんて返しをしていましたが、10人の話を同時に聞いたというより、10人の話を順番に聞いた後に、それぞれに的確な助言をしたという説もあるのですね。前者の方が聞いた時のインパクトが強いですが、後者の方が聖徳太子の存在の大きさを感じるようでもあります。他にも様々な宗教とのつながりを唱える研究者もいるのですね。辿っていけば、世界はどこかでつながっているようなそんな気もしてしまいます。はっきりと分からないことが多いからこそ、ロマンがあり、おもしろいですね。事実とそうではないちょっとばやけた余白のような部分があるからぞくぞくするのかもしれません。

  5. 先日の新人歓迎会にて、あるベテラン保育士が「園長先生は一人しかいないから、みんな取り合わないように。」と言っていたのを思い出しました。それを聞いた時、大人も子どもも一緒なんだなと思いました。人間であれば、誰でも自分の話を聞いてもらいたいし、自分が感動したことはみんなに伝えたいですからね。そんな時、心に余裕がなければいけませんし、ひとり一人に寄り添う気持ちがないといけません。聖徳太子には、それがあったのかもしれません。多くの人の悩みを覚えていたというよりも、そのひとり一人の疑問に、的確な答えを返していったという点がすごいですね。そういった伝説を残すことで、偉人としての基準が確立していきますね。

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