はじめて物語2

 歴史は真実とはだいぶ異なります。「誰が見たのか?」ではありませんが、誰も見たことがないものを、残っている資料や遺跡から推測するしかないのです。ですから、考古学はよく天文学に似ていると言われることがあります。それは、どちらも「ロマン」だからです。ですから、ただ年号だけを覚えることは余り意味がないのです。その歴史の中で、原始時代は、さまざま遺跡から推測しますが、古代時代と呼ばれる時代は、主に日本書記や古事記から推測します。その後の時代も、残されているさまざまな書物や絵巻から知ることができます。しかし、これらは、多分に伝説的なこと、信仰的な要素が含まれるので、見方が偏りますし、ある意図を強く持ったものが多いので真実から遠ざかることがあります。しかし、逆に、その説話や言い伝えを知ることによって、その時代が伝えたかったこと、人間の心理に近づいた事柄などを知ることができます。このGWの間に訪れた飛鳥地方は、そういう意味で、とても面白く見学できました。昨日のブログで書きましたが、日本に初めて仏教が伝来したのは、奈良県桜井市であることを知ったのですが、この桜井市には、ほかにも「日本に初めて」の足跡が数多く残されています。JR・近鉄桜井駅から南へ、約700~800mほどにある桜井小学校の西側にある小高い丘は「土舞台」と呼ばれています。
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 そこが、日本最初の国立劇場があった場所として、日本芸能発祥の地になっています。「土舞台」については「日本書紀」に書かれています。当時、推古天皇のもとで摂政として政治の中枢にいた聖徳太子に、百済人味摩之が我が国に帰化して、「呉に学びて、伎楽の舞を得ました」と申し上げました。聖徳太子は、仏教の厚い信奉者としても有名ですが、彼はその仏教を国内に広めるためには音楽が必要であると考えます。そこで太子はこの伎楽を仏寺の祭楽にしようと考え、ここ大和の桜井というところで、少年たちにこの音楽を習わせました。この少年たちは、日本で初めて音楽を職業とした人たちだと言われています。
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 聖徳太子の奨励などによって伎楽は寺院楽としてその地位を高めていきます。伎楽の教習者には課税免除の措置がとられるなど、官の保護もありました。『延喜式』によると法隆寺をはじめ、大安寺、東大寺、西大寺などに伎楽を上演する一団がおかれていたようです。伎楽とはインド、チベットの仮面劇のことで、面をつけた踊りとともに野外で演じられる舞踊の音楽のことです。伎楽は、呉楽(クレノウタマイ)とも呼ばれ、西域をへて中国に伝わり、「散楽」と言われました。それまで日本には「神楽」がありましたがこの時以来、宮廷に伎楽が加わって日本の芸能はバラエティ豊かなものになりました。主に仏教行事に演じられましたが、外国の使節におもてなしをするときにも演じられていました。伎楽で使われた面や衣装などは今でも正倉院に保存されています。その後、衰えながらも江戸時代までは残っていたようです。呉に学んで伎楽を舞ったということで「呉楽」と言われてきましたが、これが「娯楽」の語源です。これを舞うこと、見ることが、当時の「楽しみ」だったのでしょう。聖徳太子が住んでいた上之宮から「土舞台」へ、伎楽の伝習を見るために通った石橋をうたった旋頭歌が『万葉集』に出ています。「はしだての椋橋川の石の橋はも栄えたる君が渡しし石の橋はも」聖徳太子は、免税措置までして、少年たちに習わせ、心配で見に行っていたというのは、ずいぶんと力の入れようが強いことがわかります。

はじめて物語2” への3件のコメント

  1. 「娯楽」の語源が「呉楽」とは・・・今日もまた一つ賢くなりました。また奈良には「土舞台」という芸能発祥の地もあるのですね。「石舞台」古墳なら名前くらいは知っていましたが・・・。正倉院の伎楽面はとても有名です。チベットや西域で行われている仮面まつりに通じます。チベットの寺院の仮面祭りは僧侶が行います。子どもの頃から親元を離れて寺に預けられ、経典読みの練習や祭りの準備、長じて舞踏に参加します。寺に残され、去り行く親の姿に号泣する姿はなんとも痛ましいものがあります。その点、保育園に通う子どもたちはいいですね。夕方にはお父さんやお母さんがお迎えに来てくれるのですから。寺に預けられ仏門に入った子どもたちはやがて立派なお坊さんになり人々から尊敬される存在となります。

  2. 娯楽の語源につながる話を楽しく読ませてもらいました。いろんな書物からこういったことを長い時間をかけて調べていくことは私にはできそうにありません。でも、大きな夢をもって取り組んでいるんだろうと想像するのはなかなか楽しいものがあります。こういった調査をしている人のお話をゆっくり聞かせてもらうと面白いでしょうね。関係はありませんが、大好きなマンガ「マスターキートン」を思い出しながらこのブログを読ませてもらいました。

  3. ●つまり、「神楽(かぐら)」が日本古来のもので、「伎楽(ぎがく)」が中国から渡ってきたもので、「雅楽(ががく)」が、両者がミックスされたものということですね●太子が「仏教を国内に広めるためには音楽が必要である」と考えられたのも、深遠な計らいですね●私の縁者から聞いた話ですが、孔子も音楽を重要なものと考えていたそうです●私自身、『寺院で、なぜ宮中で行なっている雅楽のようなものをしているのだろう?』と常々疑問に思っていたのでねその理由も分かりました●今回のブログは、関心のある方には、大変興味深い内容でしたね。まるで“歴史”に接する各人の態度のように。

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