感情

 皆さんは「感情労働」という言葉を聞いたことがありますか?今週号の「AERA」のトップ記事が「感情労働時代の過酷」というタイトルです。この内容は、いま、毎日感じていることなので、共感を持って読むことができました。労働を内容で分けると、体を使う「肉体労働」、頭を悩ませる「頭脳労働」それに対して、感情を切り売りするが如き「感情労働」の時代が来たというのです。その記事のリードでは、「教育も医療もまるでサービス産業だ。時にクレーマーと化すひと相手の仕事に灰にならずに、やりがいを達成する道はあるのか。」と書かれています。教育、医療はサービスではないとは言いませんが、専門性が求められる仕事ですし、人間としての将来や命をつかさどっている仕事であるにもかかわらず、クレーマーに振り回されている現状があります。「感情労働」という言葉は、看護の領域で知られているそうです。「人間を相手にするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事」を指します。1980年代に、アメリカの社会学者が、当時の航空会社の客室乗務員の労働実態を、典型的な「感情労働」であり、「感情の搾取」に当たると指摘しました。まず、社会学の用語として広まります。簡単に言えば、「働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、本来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事」のことです。保育の仕事も教育同様、人間を相手にする仕事です。ときたま、感情を押し殺さなければならないときを感じます。記事の中に例が書かれています。「給食の準備で忙しい時間帯、担任教員に急ぎの電話を入れ、“うちの子、風邪気味だから薬をちゃんと飲ませてよね”と命令する母親。」「運動会前日、“明日の天気は雨のようだが、なぜ雨の確率の低い日に設定しなかったのか?”と電話で詰問する親。」「運動会の場所取りで前夜から門前に並び、近隣住民から注意を受けると“学校の対応が悪い”とキレる親。」など、「ありそう、ありそう」と思わず頷いてしまいます。先日もこんな話をある園長から聞きました。台風で運動会が延期になったときに「何で、台風の進路が読めなかったんですか!」と苦情を言われたそうです。この状況をどう見ているのでしょうか。大阪大学大学院人間科学研究科の小野田教授は、「学校に対する保護者や近隣住民の要求が刻々と“いちゃもん化”する底流にあるものは、現代ニッポンの“コンビニ・ファミレス文化”と考える。たとえばコンビ二では立ち読みだけして出て行く客にも、店員が「ありがとうございます」と言いますし、ファミレスでは小さい子どもが一人で来ても『いらっしゃいませ』『なにになさいますか』と声をかける。本来なら『立ち読みやめんかい』『キミ一人で来たらあかんで』でしょう。こういう奇怪なコミュニケーションの積み重ねが、消費者サイドに間違った権利意識を植え付けてしまっている」と言っています。この分析はわかりますし、頷くことが多いのですが、保育、教育と、ここに他の例で出されている航空会社とか、看護現場であったり、販売店店員などの仕事と大きく違うことに気が着かなければなりません。私たち保育、教育の現場で相手にしている「人間」とは誰でしょう。当然、子どもたちです。ここで例に出されている相手は、すべて保護者です。保護者の苦情に対しては感情を押し殺さなくてはならないかもしれません。しかし、それは本来の仕事ではありません。もう一度、私たちが相手にしなければならないのは子どもであることを再認識しないと、このような記事にただ共感するだけで、大切なことを忘れてしまいかねません。