相撲

今、大相撲が終盤を迎えています。最近は、モンゴル力士が強いですね。相撲は日本の国技といわれ、強さだけでなく、品格も問われています。しかし、どうしても格闘技の要素が強いだけに、勝つ力士が重んじられていきます。人は戦いをいつからし始めたかというと、人間が半ば本能的に行っていた戦いから自然発生的に生まれてと思います。ですから、モンゴルを始め、アジアのみならず全世界で、大昔から現在まで、相撲と同じような格闘技が行われていたのは当たり前の話でしょう。しかし、一応、相撲の発祥についてはいわれがあります。それは、GWに行った奈良県「桜井市」と、週末訪れた出雲に関係があります。それは、日本書紀の中にはじめて相撲がとられたときの話です。「その昔、垂仁天皇の時代のことです。大臣の一人が「当麻に当麻蹴速(たいまのけはや)という、ものすごく強いものがいるようです。命がけで力比べしたいものだ、と言っております。」と言いました。するとまた、別の大臣が「出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)というすごい力持ちがおります。」と言いました。そこで、天皇の前(今でいう天覧試合)で、当麻蹴速と野見宿禰に力比べをさせようということになりました。」これが、相撲の始まりだといわれていますが、その戦い方はどう見ても「キックボクシング」とか「K1」とか「プライド」に近いものだったようです。というのも、日本書記によると、「二人はお互い足をあげて蹴り合った末に、宿禰は蹶速の脇骨を蹴り折り、腰を踏み砕いて殺してしまった。天皇は蹶速の領地をことごとく宿禰に与え、その地は後に「腰折田」と呼ばれることになった。その後宿禰は天皇に仕えた」とあります。なんだか死まで天覧試合として戦わせるのは、ローマなどで、皇帝の前で一方が死ぬかで戦わせたのと似ていますね。この宿禰はいまでも「相撲の祖」「相撲の神様」として遇され、東京都墨田区亀沢にある宿禰神社では、年三回の東京場所ごとに、日本相撲協会関係者らが出席して例祭が営まれているそうです。そして、始めてこの相撲を取った場所が、桜井市三輪の相撲神社で、この境内には、勝った宿禰を祀る祠や、土俵などがひっそりとたたずんでいます。また、出雲地区には、野見宿禰の墓といわれる塚や、ゆかりの地の十二柱神社があります。この相撲は、戦国の時代がおわってからさかんになりましたが、興業になった相撲で、力士が命にかかわることはありませんでした。しかし、闘争心発露の場としての相撲は、庶民に人気があり、武芸の道をとざされた力自慢の浪人が力士とりの仲間入りをすることもあったようです。そして、その人気が、見物人同士の乱闘をまねくこともありました。その狼藉の被害が周辺の町におよんで、幕府が相撲興業の水をさした時期もあったようです。最近、ヨーロッパでサッカーのサポーターが乱闘騒ぎをしたというニュースをやっていましたが、同じようなものですね。もともと「すもう」の語は、「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞化したものが語源であり、「すまふ」の意味が「あらそうこと」や「あらがうこと」であることからわかるように、本来闘争や格闘一般を指した語ですから、当たり前と言ったら当たり前ですね。その言葉に当てられた漢字の「相撲」も、そもそもは力くらべ、格闘を意味した漢語であるようです。考えてみれば、こうした歴史を持つ「相撲」が、国技になり、心技一体としたスポーツに昇格したのはふしぎですね。これからは、どうなるでしょう。