倫理2

 新聞記事の「漂流する倫理」とある「倫理」というと、まず思い出すのが、高校時代の教科の「倫理・社会」です。略して「倫社」といっていました。一時はなくなったようですが、今は、公民という教科の中のひとつです。高校の社会は大きく分けて、「地理・歴史」と「公民」に分かれます。そして公民は、「政治・経済」「倫理」「現代社会」の3科目です。学習指導要領には、「公民」の目標として、「広い視野に立って,現代の社会について主体的に考察させ,理解を深めさせるとともに,人間としての在り方生き方についての自覚を育て,民主的,平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。」とあります。そして「倫理」は、「人間尊重の精神に基づいて,青年期における自己形成と人間としての在り方生き方について理解と思索を深めさせるとともに,人格の形成に努める実践的意欲を高め,生きる主体としての自己の確立を促し,良識ある公民として必要な能力と態度を育てる。」とあります。今は、未履修問題がありますが、私のころは、大学入試にその教科があろうがなかろうがすべて履修したものでした。ですから、「倫理」も学びました。しかし、申し訳ありませんが、どのような教科であったか、どんなことを習ったのか、何も印象に残っていません。ずいぶんと不真面目な学生だった気がします。今になって、もう一度学んでみたいと思う教科のひとつです。漢字の「倫」も「理」も、ともに「すじ道」を表す漢字です。そして、「倫」の字の方は特に「人の生きるべき道」を表しています。ですから「倫」と「理」で人の生きるべき道を意味しています。人がどのように生きてゆくべきか、という問いは「人生とは何か」ということになります。最近、道徳教育が話題になりますが、「倫理」や「道徳」という語は中国古典に由来する言葉です。「道徳」は、「人のふみ行なうべき正しい道。道義」という意味を持つ言葉です。
不真面目な高校生時代の私の倫理の恩師は、とても穏やかな人柄で、誰も聞いていないかのような授業でも、怒ることもせず、誠意を持って授業をしていた気がします。何年か前になくなりましたが、その穏やかな恩師が、激しい心情を秘めていたことは在学中になんとなくうわさで知りました。その恩師とは、「原爆許すまじ」の作曲をされた木下航二先生です。「ふるさとの街焼かれ 身よりの骨埋めし焼土に 今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を われらの街に」という歌が作られたのは、1954年アメリカのビキニ環礁での水爆実験によって第五福竜丸が死の灰をかぶり、無線長が亡くなった事件をきっかけに原水禁運動が盛んになりました。この中で生まれたのが、この歌でした。東京・南部工業地帯で働いていた二人の青年労働者、浅田石二が作詞し、木下航二が作曲しました。この歌は、原水禁の集会だけではなく、「うたごえ運動」が始まった時期で、「歌声喫茶」が各地でできたこともあって、流行歌並みにヒットし、多くの人に歌われました。木下先生の作曲したものは、ほかにも「しあわせのうた」も有名です。この歌も、歌声喫茶などでよく歌われました。「しあわせは俺(おい)らの願(ねが)い 仕事はとっても苦しいが 流れる汗(あせ)に未来をこめて 明るい社会をつくること 皆(みんな)で歌おうしあわせの歌を 響(ひび)くこだまを追って行こう」木下先生は、これらの歌の作曲で倫理の授業をしていたのかもしれません。