マラソン

 今年、2月18日に、冷たい雨と強風が吹く中、東京マラソンが開催されました。このイベントについては賛否両論ありますが、おおむね好評で、その成功が、石原さんが都知事に再選された一因ではないかとも言われています。その東京マラソンには、「車椅子の部」があるのですが、一般的なメディアでは、あまり話題になりませんでした。そのレースで優勝したのは、副島正純さんでした。彼は、家事手伝い中の事故により脊髄を損傷して車いす生活となりますが、翌年から車いすマラソンを始めています。その彼は、さまざまな大会で優秀な成績を上げていますが、今月16日に、快挙を成し遂げました。それは、米マサチューセッツ州ボストンで行われた、111回目を迎えた伝統のボストン・マラソンにおいて、車いすの部で優勝したのです。今年は、激しい風雨に見舞われた伝統のマラソンでしたが、副島さんは「こういうレースのほうが僕にはチャンスがある」と、優勝した東京マラソンと同じ悪天候を味方に付けたのです。体重差が下りのスピードに影響するため、欧米人との体重差を補うために坂道でも休まずこぎ続け、スピード練習を積み、時速にして4キロ増のペースで30分間走り続けるようになったそうです。また、この優勝が日本の人々を驚かせたのは、車いすの部では男女とも日本勢が制覇したからです。女子の土田さんは、アテネ・パラリンピックの陸上五千メートル金メダリストでしたが、出産のため昨年は競技から遠ざかっており、今回が復帰戦でした。彼女は、子育てに忙しい中、周囲のサポートを受けて石垣島で1か月半のキャンプを張り、トレーニングを積んだそうです。
 ボストン・マラソンではありませんが、昨日の読売新聞の日曜版の「人」の欄に「ゆっくりでいいじゃないか」ということで、エコマラソンの西一(にしはじめ)さんが紹介されていました。エコマラソンというのは、「競い合うのではなく、集い触れ合うことを楽しみ、自然を征服するのではなく、自然との調和を大切にし、独占するのではなく、分かち合いつつ、物質にとらわれず、質素を旨とする生き方」です。その目指すものは、「だれもが平等な機会と尊厳を持ち、十分な食物を得られ、心の安らぎと自然への感謝の念を持って暮らし、互いにビザもいらず国境もない、かけがえのない地球に全ての生命体が共生可能な平和調和社会の実現」です。彼が環境に配慮したマラソンを、エコロジーとの造語で「エコマラソン」と名づけ、エコマラソン・インターナショナルを創立したのは、奥さんの死がきっかけだったようです。30代で始めたビデオの輸入販売で大成功を収めます。そして日米を往復し、休日なしで連日18時間働き、貯金は億になっていきました。そんなころ、3人の幼い子どもを残して、奥さんは亡くなります。その寂しさから、空虚な日々を送る中、ホノルルマラソンで走り、充実感を味わい、立ち直ります。そして、「ただ生きるのではなく、自然と調和した生き方を心がけ、速さにこだわるのではなく、その生き方を始めること」が重要なのだと訴え続けることになるのです。人生は、マラソンです。子どもたちは、まだ、その長い道のりを前にスタートを切ったばかりです。それなのに、少しでも速く走ること、もうすでにそのマラソンに優勝することが期待されます。途中の道端で、花を見る余裕も、遠くの山を眺める余裕もなく、ひたすら前を向いて走らされる子どもたちが多い気がします。

マラソン” への6件のコメント

  1. 子どものためとは何かを考えていると必ず共生というところに行き着きます。多くの人や自然との共生を考えることが子どものためになるのではないか、と分かったような分からないようなことをここ数日考えたり話したりしています。そうやって考えていたことが今日教えてもらったエコマラソンの考え方とつながったりします。いろんなことがいろんなところでつながって、それがある時またどこかで何かとつながって・・・。そんなことを大切にしながら生きていきたいと思っています。整理できなかった漠然とした思いをそのまま書かせてもらいました。

  2. わが子が人に比べて成長や発達が早いと、親としては嬉しくもあり、誇らしくもある気持ちは十分に理解できます。
    ですが、その裏側に、長い目で見ての子ども自身発達や育ちに、何かしらの弊害が潜んでいることも考慮しないといけませんよね。
    何事も先取り先取りでは、子どもたちは、息が詰まってしまうんじゃないかと思ってしまいます。特に、幼児期はいろんなことを吸収しますし、また、おとなに誉められることをとても喜びます。だから、教えられれば一生懸命それに応えようとしますよね・・・。
    マラソンでも、最初から最後まで全力疾走で走りきれる人はいないと思います。
    自分なりのペースで、どこかに余裕をもちながら、時に余裕がなくなりながら、人との競争ではなく、自分のために、そして、共に走る人の邪魔にならないよう、楽しんで走ることが大切なことだと思います。
    子どもたちには、(もちろん、おとな(私も)もですが)もっとゆっくり、時にはスピードアップすることも必要だと思いますが、自分なりのペースで人生を歩んでほしいと思います。
    寄り道でしか得られないこともたくさんあるはずです。それが先々、何かしらの形で実を結ぶことにつながるのだと思います。それをゆるすだけの世の中になってほしいとも思います。ただ、願うだけでなく、こんな自分でもその実現のためにできる働き方ができるのでは・・・と思います。それがどういうことなのか、ははっきりと答えをみつけることがまだできていませんが、今がんばっていることを続けることで、何らかの形でそれらにつながっていくのでは、と信じています。

  3. マラソンに挑戦する人たちはいつも凄いなと感心します。車椅子でマラソンをする。なかなかできることではありません。毎日10?走る人を知っていますが、本当に凄いなと思います。一朝一夕でできるようになるものではないでしょう。マラソンを可能にする何かをそれまでやってきたに違いありません。私自身、どうも走ることが苦手です。短距離なら、なんとかなっていましたが、長距離を走るのは不得手ですね。実は仕事も勉強も「走る」ようなやり方はできません。歩き又は早足程度ならなんとかなります。生き方自体がスローなので、せかされたり、急がねばならない、は正直ダメです。どちらかと言うと、細く長く、が性に合っています。

  4. 西一さんが奥さんを亡くしたことがキッカケでホノルルを走ったとか・・・。私も園の事故(3歳男児が境内の池に転落、回復見込みのない障害を負い、6年間裁判実施)が片付いたのをきっかけにホノルルを走りました。事故の反省と自分に向き合うために。42。195キロは想像をはるかに超えた距離でした。でも、苦しみの後には快感がありました。大きな達成感がありました。自信につながりました。本当に人生は何があるかわかりません。でも、苦労を乗り越えた時に得るものは大きいものがあることを実感しています。それ以来病みつきになり、12年がたつ今も1日がジョギングで始まる毎日ですが、健康であることの感謝、当たり前の生活ができることに感謝できるようになりました。

  5. 東京マラソンは何度でも走りたい大会です。それは東京という街を走れるということもありますが、もう一つ、途切れることのない沿道からの応援があるからかもしれません。マラソンは一人で走るものでもあるのかもしれませんが、そんな応援は一人で走っているんじゃないということを感じさせてくれるようでもあります。私はフルマラソンは何度か走ったことがありますが、タイムはよくありません。そんなタイムを縮めようと練習した時期もありました。意志が弱いから、気持ちが弱いからと言われたらきっとそうなんだと思いますが、最近では普段のランニングの回数も以前よりは減ってきましたし、走ったとしてもタイムは気にせず、のんびり走るようになりました。タイムを縮めるのではなく、運動をした後の爽快感を感じたくて今は走っているという感じです。そして、走りたいなと思った時に走るようにしています。そんなのんびりなランニングだと今日は体が重たいからこのくらいでやめようと思ったり、立ち止まって花や虫、川を見たりすることが多くなりました。私もそんな感じで走ることを楽しんでいけたらなと思います。

  6. 数年前、職場の仲間と共に山梨の「桃源郷マラソン」の参加しました。そこではマラソンだけでなく、運動公園には地域名産の食材による試食会のようなもの、また、名産品の販売などが非常に賑わっていました。そして、マラソンコースには、何千本と連なっているきれいな桃の花を見ながら走ることができました。マラソンは、個人個人に合わせた楽しみ方ができるところがいいですね。しかし、そんな素晴らしいマラソン大会であるなか、私にとっては少々苦い記憶となっている理由に、帰りの車内で軽い脱水症状のような状態になってしまったからです。マラソンという人生を、楽しく最後まで乗り切るためには、コミュニケーションとか主体性や自発性など、社会で必要な知識というものを伝えなくてはいけないということですね。

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