中国事情についての続編です。
中国では、幼稚園といっても、共働きが普通ですので、保育時間は、朝の7時半ぐらいから夕方5時過ぎまでで、子どもは朝食も園で食べるのが普通だそうです。そして、家庭では夕飯だけ準備すればいいのですが、それも無理なら全食お願いすることも特別ではなく、「子どもがかわいそう」などと人から後ろ指をさされるようなことでは決してないそうです。また、週末だけ迎えに行けばよいという全託の「託児クラス」が設けられている園も少なくありませんが、両親がそんなに多忙なのかといえば、そうでもなく、わが子を評判のいい教育機関に預けようとする、遠方の家庭である場合もままあるようです。そういえば、私が中国に行ったときに、全託の園の園長に「月から金まで親に会わないことは、親の愛情の面で、問題はないのですか?」と聞いたときに、怪訝な顔をされ、「だって、親は素人ですから」との答えから、愛情よりも教育を優先する姿勢がうかがえました。
また、中国でも核家族が増えてきてはいるものの、祖父母と同居している家庭が断然多いようです。ブログを書いている武田さんの暮らす深セン市は、中国で最も早く改革開放を実施したところで、経済躍進にともない、仕事を求めてたくさんの労働者が地方から集まっている場所です。「移民の街」という異名を持つ深セン市の平均年齢は、なんと29才だそうで、地方から出てきた若者がこの街で結婚し、子どもが生まれると、赤ん坊や働く親の面倒を見るために、田舎から祖父母が出てきて同居する、というケースが多いようです。そういうこともあって、1979年から始まった一人っ子政策により、家庭では自然と、一人の子どもにたくさんの保護者の注意が集まります。そして幼稚園には、「わが子にもっと漢字を教えてくれ」「もっと朗読の練習を」「英語にも力を入れて」といった、学習に重きをおいてほしいという強い要望が寄せられるといいます。中国では、なぜこんなに早期教育に熱心なのかというと、武田さんが園長先生に、「保護者が、教育熱心なことをどう思うか?」と聞いてみたところ、次のような答えが返ってきたようです。「深センに働きに出て来た両親は、内陸部の貧しい農村の暮らしがどんなものかを知っています。そして、そこから抜け出すためには教育が必要であると痛感しています。周りが皆始めており、次々と習得しているというのに、スタート地点からわが子を遅らせてはなるまいと、競争はどんどんヒートアップしていくのでしょう」。25年という短い間に、広東省を代表する大都市に成長した深セン市では、<そこで何を教えてくれるのか> が、幼稚園はじめ、あらゆる事柄の選択重要項目になっているようであると分析しています。中国では、国土が広く、人口が多い国ですので、確かに地域間格差は大きいでしょう。ですから、一口に「中国教育事情」といっても、ほんの一部の地域であることは確かです。しかし、その中で、大きく発展した市では、日本と同じような傾向が見られます。そして、そのような最近の流れを見て、「日本でもこれに勝つためにもっとそうするべきだ」と思う人もいるでしょうし、「なんだか一昔前の日本のようだ」と思う人もいるでしょう。反面、こうした流れの中での弊害やひずみも生まれてきています。ただ、良い、悪いではなく、そこから、今後の日本の教育のあるべき姿を考えるモデルであることには違いありません。
両親、祖父母まで子どもに干渉し、その子どもが、あっぷあっぷになっている状況を目の当たりにしています。「ほどほど」とか「良い加減」は人により程度が違うので、家庭環境や人生観が大きく影響している関係上とらえ方も様々なようです。私から見れば過干渉に思える方々に遭遇した時、「この方々は、自分がこの子どもの立場だったら、有難いとか嬉しいとか思うのかしら」と疑問に思います。でもこのように数値化できない感覚や、長期的な将来の見通しを理解していただくのは、とても難解で苦戦しています。
中国の全託の例からも、幼稚園が仕方なく預けるのではなく子どものためという位置づけにあるように感じます。子どものための施設、子どものためのプログラムという考えで運営されている点は学ぶところが多くあるように思います。
中国とか韓国とかニュージーランドとかドイツとかフィンランドとか、今までは知らなかったいろんな国のいろんな教育の話を聞く機会が増えてきました。これを何に生かしていけばいいのか分からなくなるときもありますが、批評をするのが目的ではないと言い聞かせるようにしています。あるべき姿をきちんと議論して考えていきたいと思います。
日本にいると見えないことがたくさんあります。その一つが日本以外のアジア各国民の「教育」に対する熱い厚い篤い思いです。「教育」を受けることが即将来の生活の保障になると信じて疑わない人々が圧倒的多数を占めている、というのが実情です。中国は経済大国への道をひたすら歩み続けています。第1段階で経済的に成功した人々は第2段階としてわが子にしっかりとした教育を受けさせます。そしてそのことによって子の将来を経済的に安定化しようとするのです。今日のブログは中国の教育熱を紹介しています。とても興味深く読むことができました。話は逸れますが、お隣韓国での教育熱も相当なものと聞いています。特殊なケースですが、将来英語が堪能になるように、と幼児の舌を矯正?したというニュース記事を読んだことがあります。舌を手術して英語舌?にする。これは特殊ですが、そうした現象を引き起こすほどの「教育熱」が隣国に存在する、ということを私たちはよく理解してわが国の教育を考えなければなりません。断っておきますが、中国や韓国をマネしろ、と言っているのではありません。熟した教育文化を持つ国として「教育再生」ではなく100年後を見通した教育創造をしなければならない、ということです。思わずコメントに熱が入ってしまいました。
久々のコメントです。
「子どものため」というのも、国や地域によって様々ですね。
日本では、教育を受けることが当たり前で、当たり前だからこそ、軽視されがちなのかもしれません。
教育を受けたくても受けることができない子ども達が世界中にいること、そして、そういった子どもたちにとっての教育の有り難さや有り様など、その背景や現状を踏まえながら、日本でももう一度、なんのための教育なのかを見直さないといけないですね。
日本と中国の公立幼稚園では、保育者や親の教育観が違うと思います。日中の保育者ともに幼児期の子供にとって、遊びが重要で、幼児期は遊びからさまざまなことを遊びから学ぶことは早期教育よりはるかに大切であることは認識していると思います。しかし、親による圧力で日中の幼稚園の実際の教育状況が違ってきているではないか?また、日本も少し幼児教育に自由を与えすぎだという感じがします。具体的にいえば、そもそも年長組になれば、少しは小学校の授業に慣れる必要があると思います。そうすると、小学校へ行ったら、うまくついていけるではないでしょうか?
日本と中国の公立幼稚園では、保育者や親の教育観が違うと思います。日中の保育者ともに幼児期の子供にとって、遊びが重要で、幼児期は遊びからさまざまなことを遊びから学ぶことは早期教育よりはるかに大切であることは認識していると思います。しかし、親による圧力で日中の幼稚園の実際の教育状況が違ってきているではないか?また、日本も少し幼児教育に自由を与えすぎだという感じがします。具体的にいえば、そもそも年長組になれば、少しは小学校の授業に慣れる必要があると思います。そうすると、小学校へ行ったら、うまくついていけるではないでしょうか?