快と不快

 これからの時代に必要とされる力のひとつにコミュニケーション能力があります。それなのに、最近の若者に足りない力と言われています。たとえば、英語が話せるようになっても、コミュニケーション力がなければ、外国の人と会話はできません。それは、語彙の豊富さではなく、話そうという意欲と、自分の考えを伝える能力です。それが、最近欠けてきていると言われる原因のひとつに、「少子化」があると思います。赤ちゃんが生まれて、最初にコミュニケーションをとろうとする相手は、当然、養育者です。赤ちゃんは、まだ、自分で生きていく力がないために、代わりに自分の思いをかなえてくれる養育者に、気持ちを伝えようとするのです。人は、生まれてすぐの情緒は「興奮」しかありません。興奮から泣くことによって、息を大きく吸い込んだりします。そのうちに「快」と「不快」に情緒が分化します。そうなると、同じ泣くにしても泣き声が変わってきます。快のときと、不快のときとでは泣き声が変わるのです。特に、不快のときは、何とかその状況から脱しようとしますが、自分の力では無理なので、周りの人に頼む手段が「泣く」という行為なのです。「お腹がすいた」「どこかが痛い」「暑い」「気持ち悪い」などの不快を訴えているのです。それを周りが、気がつかないと、より大きな声で鳴きます。この行為は、いわば、コミュニケーションをとろうとする初めと言っていいかもしれません。その泣くという行為を、最近の親はかわいそうと思ってしまうのです。もちろん、不快の状況はかわいそうですので、早く快の状況にしてあげるべきでしょうが、だからといって、不快な状況を体験させない(オムツがぬれても気持ち悪さを感じないようなオムツを使う)とか、泣く前に解消してしまう(時間を決めてミルクを与えてしまう)ということは、情緒の分化を遅らせ、コミュニケーション能力が育たないことになってしまうのです。これは、何も赤ちゃんにだけに言えることではないようです。ウォーキングの小冊子に、東京学芸大の教授「池田克紀」氏がこんなことを書いています。「文明人は、自分を取り巻いている自然、自分を養っている生きた自然を荒廃させ、自らを生態学的に崩壊させる恐れがある。地球温暖化など地球環境の荒廃がすでに始まっている。さらに、快を求め、不快を避ける本能的な衝動であまりにも成功しすぎるのは決して良いことではない。不快をもたらすあらゆる刺激を避ければ、危険でしかもおそらくしばしば文化の衰退に通じる虚弱化が引き起こされるからである。」それは、どういうことかというと、「現代人は不快を解発するあらゆる刺激に敏感に、快を解発する刺激にますます鈍感になる方向にある。そしてその結果、後にならなければ快を得られそうもない仕事に励めなくなってきた。虚弱化と感性の衰退である。」と言うことのようです。今の若者が、今の快を求めすぎるあまりに、将来の快が得られなくなってしまうことが多いようです。将来の快のために、今の不快に耐えるということをしなくなってきているのです。また、こう言っています。「人間は豊かさや快適を求める知的な動物ゆえ、またそれを手に入れたことが理由で、豊かさや快適さを手放せない。真の豊かさや快適さを科学、工業や経済の発達に置き換えてはいないだろうか。巨額の富を築くことに豊かさを求めていないであろうか。正のフィードバックに慣れた人類は、豊かさの先に爆発的に増大する豊かさを求める飽くなき欲望を止められず、人類の滅亡そのものを迎えるかもしれない。」子どものことをかわいそうと思って、不快の状況をただ避けるということが人類の存続にもかかっているかもしれないと思うと、今こそ、幼児教育を本気で考えなければならないときかもしれませんね。

快と不快” への2件のコメント

  1. 「豊かさの先に爆発的に増大する豊かさを求める飽くなき欲望を止められず、人類の滅亡そのものを迎えるかもしれない」という部分に怖さを感じました。考え方を変えなければいけない時期がまさに今なんだろうと思います。快と不快のバランスも大切だとあらためて感じます。不快ではあるけどその不快さも人間には必要なんですね。 何事もバランスが大切です。バランスを欠くと何かがおかしくなります。

  2. 今日のブログの冒頭は「コミュニケーション能力」ということです。この能力は相手の言い分を聞き、そして自分の思っていることを相手に伝えることができる、ということでしょう。新年度が始まりました。子ども相手の仕事をしています。当然その子どもさんには親御さんがついています。新年度のみならず新しく始めた事業です。私たちスタッフも慣れないことだらけですが、子どもさんのみならず親御さんも慣れなくて、そのためいろいろなことを仰います。取り様によっては「苦情」となり「不快」なことの一つとなりますが、考えようによってはその親御さんと親しくなり、コミュニケーションを持つきっかけにもなります。そう思えば「不快」が「快」となりますね。不思議です。私たちの思いとは実にいい加減なものです。赤ちゃんの泣き声もそうですね。大人とコミュニケーションを取る手段と考えると気にもならなくなりますが、何だかわからないけれどウルサク泣いている、となると虐待につながります。残念なことに昨日だか一昨日だかの新聞にも実の母親の虐待で生後数ヶ月の子が意識不明の重体だということを報じていました。何でも泣き止まないことが原因だそうです。「泣き声」がコミュニケーション手段だとわかると腹もたたなくなると思うのですが・・・。

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