1960年代後半から1970年代にかけて、「ポストの数ほど保育園を!」の合言葉のもと日本の保育園数を倍増しました。それはちょうど第二次ベビーブーム,核家族化の進行などにより保育ニーズが増大した時期にあたります。それまでは保育園が福祉施設であることから,子どもにはかわいそうだけれど仕方ないとか、利用するのが恥ずべきことという考え方が根強く,需要量自体が少なかったのですが、積極的に女性の社会進出や、保育所を利用することが前向きに生きる象徴のような考え方が出てきたために、保育所の需要が増大したのです。そして、この時期の整備により,とりあえず保育園定員の数的不足は全国的には、ほぼ解消されたと思われました。それが、少子社会の進行から、子育て支援の観点だけでなく、子どもの育ちにとって必要な施設として、都市部では、入園したくても入れない状態が起きています。そんな状態を見ると、「ポストの数」ほどというスローガンは、どういう意味だったのか考えてしまいます。何で、ポストの数と同じことが目標なのでしょうね。今、ポストの数はほぼ18万あると思います。保育所は2万ちょっとですから、まったく比較にならないくらいですね。それよりも今は、小学校の数とほぼ同じです。あのころ、「小学校の数ほど保育園を」のほうがよかったのにと思います。しかし、今はそれでも足りないので、どんなものほど作ればいいのでしょうか。本当は、「必要な子どもすべてのために」でなければならないはずです。
こんなことを思ったのは、昨日の新聞で、「ポスト」という言葉と「乳児」という言葉に出会ったからです。それは。「赤ちゃんポスト誕生へ」というもので、「親が育てられない新生児を匿名でも受け入れる「赤ちゃんポスト」の設置を熊本市の慈恵病院が計画している問題で、厚生労働省は22日、熊本市に対し、「直ちに違法とは言い切れない」との見解を示した。」という記事が掲載されていました。これを受けて、病院から施設の構造変更許可を求められていた市は、近く変更を許可するとみられ、全国初の赤ちゃんポストが誕生する見込みだそうです。最初に。「赤ちゃんポスト」が提案されたときに、「育児放棄を助長する」「命を救うためやむを得ない」など賛否両論があり、さまざまな論議を呼びました。しかし、そんな議論をよそに、この病院には県外の複数の病院から照会があるといい、今後、同様のポスト設置が全国に拡大する可能性がありそうです。この「赤ちゃんポスト」は、ドイツのキリスト教系社団法人がえい児の遺棄事件が多発したハンブルクで2000年に設置し、現在80カ所以上に広がっています。もちろん、「法解釈以前に、親が子供を捨てることが起きないためにどうしたらいいのか考えることが大事だ」ということは簡単ですし、「安易に育児放棄する若者を増やすだけ」、「赤ちゃんをもののように扱うべきではない」など、捨て子を助長するだけとの厳しい批判もわかります。また、それを実施し、この施設の数が増えているドイツ国内での新生児遺棄や殺害などの事件がなくなっているわけではありません。これが良いか悪いかだけでは、どうも解決できる話ではなさそうです。また、「そんな時代になったとは情けない話だ。」とか「今の若者はわが子がかわいく思わないのだろうか。」と嘆く人がいますが、私は、「育児は、昔も今も基本的に変わっていないな。」という感想を持ちます。ディケンズの「オリバー・ツウィスト」にしても、映画「汚れなきいたずら」の「マルセリーノ」にしても修道院の前に捨てられていましたし、山内一豊の長男にしても、門前に捨てられていました。きっと、今より昔のほうが多かった気がします。
赤ちゃんポスト設置に対して不快感を示す人の記事がありました。でも「美しい国づくり」よりは思いが伝わってきます。現在起きている問題に対して行動を起こしたことを簡単に批判してはいけないと思っています。命ということを考えるといいか悪いかはわかりませんが、今後の展開は注目しようと思います。
この「赤ちゃんポスト」のことは、大きくメディアで採り上げられています。私は、第一号となる親子はメディアに追いかけ回され、2ちゃんねるでは、氏名やら家庭環境やら暴露されるのは必至だと思い、心を痛めています。4月4日現在で、慈恵病院には20人が「赤ちゃんを預けたい」と電話をかけてきているそうです。切羽詰ってのことでしょう。そんな妊婦の悩みの相談に、保育園がのってあげられれば、「赤ちゃんポスト」の何百倍もの人の命を救えるような気がします。
折角生んだ子を別なところに預けなければならない。如何なる事情があるにせよ、そうした方の心情に思いを馳せると心苦しいものがあります。カップルの中には子どもがほしくても持てない人たちもいます。そうした諸々を考えるとまたまた胸が苦しくなります。今日のブログにもあったように、昔は門前や修道院前に置いていかれた子どもたちがいました。今は違います。置いていく場がないので親の手で命が絶たれることもあるようです。なんとも痛ましい限りです。そうした命を救うという意味では「赤ちゃんポスト」の設置も必要なのかもしれません。子どもは天文学的確立で生まれてきます。神業という表現がぴったりです。なんであれ、生まれてきた子は育てていかなければならない、と思っています。