早期教育その2

 早期教育について、私がまだ幼児教育に関わっていないころ、また、将来関わるであろうとも思っていなかったころ、少しの間小学校の教員をしていたころに考えたことがありました。それは、1年生を担任していたからです。入学式が終わって、初めての授業を始めたころに、いろいろと考えることがありました。最初にやったことは、朝、登校したら、ランドセルから教科書などの持ち物を出して机にしまうこと、帰りにそれらをランドセルにしまうことを何度も繰り返し教えます。こんなことは、今保育園をしているとなんだか3歳児でもできる気がします。しかし、そのころは、ずいぶんとできない子が何人もいて、「なにがない!」と泣いたり、ただ突っ込むだけで取り出すときに全部出してしまったりします。それを思い出して、もう一度園児を見てみると、6歳になっても、朝登園をしてきて、いろいろなものをしまうのに保護者が全部代わりにやってしまう家庭や、小さいうちに子どもの目の前でやって見せるというモデルを示さずに、先生にやることを要求したりする家庭が多いことに気がつきます。それから授業が始まるのですが、教科書を見てみると、確かに文字を少しずつ教えていきますが、意外と早いうちから文字がたくさん出てきます。国語の授業では、同時に漢字も出てきますので、新しい単元に入るたびに、その内容をよく読みとったり、考えたりするよりも、まず、新出漢字を覚えさせ、難しい言葉の意味調べをすることに費やしてしまいます。私は、1年生で教える漢字は決まっているので、それをすべて語源を載せた表をつくり、国語の授業の単元に関係なく、朝とか空いている時間にひとつずつ教え、それを葉の形に切り抜いた色画用紙に書き、後ろに大きくつくった木の枝にぶら下げていきました。そして、その葉の色は、その漢字を教えた時期の季節によって色を変え、子どもたちにいつごろ習った漢字かがわかるようにしました。そうすることで、国語の授業は、その単元の意図するところに集中することができます。そのときにまたひとつ幼児教育の疑問がおきました。私は、それまで幼児教育をしていませんでしたし、独身でしたので子どもはいませんでしたので、あまり絵本に触れることがありませんでした。ですから、教科書に出てくる話は、どれも感動してしまいます。「おおきなかぶ」の繰り返しの面白さと度肝を抜くほど大きく育ったこと、その大きくなりすぎたかぶをどう抜くかという知恵、どれもとても感動しました。また、「ふしぎなたけのこ」では、地域の交流のきっかけ、それぞれの地域に、その地域ならではの産物があることを知り、「かわいそうなぞう」や「かたあしダチョウのエルフ」では、読んでいる間に声を詰まらせて読み続けられなくなったこと、「かさこじぞう」では民話のふしぎな魅力、「スイミー」や「スーホの白い馬」では戦争の意味、それぞれ教科書に取り上げられている物語はとても感動します。しかし、ほとんどの子は、そんな話を感動しません。それは、それらの話は、ストーリーをみんな知っているからです。幼児期の絵本で読んでいるのです。しかも、まだその話に感動しない時期に読んでしまっていることが多いので、ただ先を教えようとします。私が感動していると、結末を教えようとします。とても授業がしにくかった思い出があります。確かに、本というのは、その時期、年齢によって感動する部分が違いますし、そのころの環境によっても違うでしょう。ですが、みんなストーリーを知っている話は、感動することを教えるよりも、その文章を分析することをしてしまい、なんだか子どもたちを本嫌いにしている気がしていました。

早期教育その2” への4件のコメント

  1. 3,4歳になると「習いごと」にわが子を通わせる親御さんが多いような気がします。今日のブログの「早期教育」のひとつ、と言えるでしょう。スポーツや文化で活躍してテレビやラジオに登場する人々がインタビューを受けて「3歳から始めました」とか「4歳から始めました」と答えることを時々耳にします。早くやらせていると将来大活躍すると思ってしまうのでしょう。私はかつて横浜で学習塾を経営していました。その時、ある中学1年生の子の親が「うちの子は幼稚園の頃から英会話に通っています。」と話してくれました。ところが当の1年生子は英会話を極力避けようとしていました。英語は小さい頃からやっていると耳が慣れて英語が上手になる、ということもよく聞きます。本当でしょうか?「やらせ」は子どもが嫌いになる最大の行為だと思います。やらせられてうまくいっているケースを寡聞にして知りません。

  2. 子どもの成長は連続しています。子どもが歩んでいく道も連続していなければいけません。私は目の前の子どもの今に必死になっていますが、同時にこの先の子どもの姿にも思いを向けなければいけないのだろうと思っています。どこまで行っても終わりの見えないスケールの大きさに迷ってしまうこともありますが、今回のブログのような内容に出会い「あーでもない、こーでもない」と思いをめぐらせる時間を過ごしていると、この仕事でよかったと思えます。

  3. ただ知っていることと、それを楽しむこと、学ぶことは違いますね。知っている量が多い、いろいろなことを早いうちから知っていることがいいことであったり、すごいことと思ってしまいますが、ただ知ることばかりだとそのおもしろさには気がつけなかったり、そのおもしろさを伝えることを忘れてしまいそうですね。それは大人も同じかもしれません。その時期の子どもの発達を理解して関わり、環境を用意することを大切にしていれば、ただ知っていればいい、やらせればいいという考え方にはならないのかなとも思いました。大人としても知らなかったことを知った時に素直に喜んだり、感動したりできる存在でありたいなと思います。

  4. “感動する時期に、感動する本を”という、ひとつのキャッチコピーができそうですね。確かに、「あ、それ知ってる」と言われてしまえば、いくらその話に“実はこんな意味もあったのだよ”と伝えたとしても、感動が半減してしまうと感じます。これと同じように、私たち職員においても、子どもからの「みてみて」や同じように見えてしまう遊びなどの中に、実はものすごく感動する内容のものが含まれているなんてことがあるのかもしれません。文章や内容を分析する遊びよりも、その遊びのどんな所に感動しているのかといった目線で見ると、普段とは違った子どもの見方ができるのかもしれませんね。

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