軍師

 今、NHKテレビで大河ドラマ「風林火山」が放映されています。視聴率はどのくらいでしょうか。日本人は、武田信玄が好きなようで、過去何回か信玄を中心にした大河ドラマが放映され、いつも高視聴率を上げています。信玄を中心に、今回は、その軍師といわれた「山本勘助」を主人公にしています。軍師をおいたというのは、ずいぶん古くからあるようです。釣りをするときによく使われる「太公望」を、周の文王が師に立て、子の武王のときついに殷を滅ぼしたことが『史記』にみられます。しかし、なんといっても有名なのは、三国時代の「軍師祭酒」という官名ですが、劉備に出仕して「軍師中郎将」の官名を与えられ、のちに「軍師将軍」となった諸葛亮です。日本でも、江戸時代には戦国時代の合戦を取り上げる軍記物が数多く書かれて戦国大名に仕える名参謀たちが描かれています。また、明治以降にも、軍記物が講談や歴史小説の題材に取り上げられて、半ば偶像化するほどさまざまな軍師の働きが描かれるようになりました。その中で、豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛などの軍師のイメージが一般に広まりました。たとえば、秀吉が竹中半兵衛を迎えるために七度彼の庵に通ったという有名な物語が、劉備と諸葛亮の三顧の礼の逸話に基づくことが明らかであるように、日本の軍師のイメージは、多くは中国の歴史物語に範をとって江戸時代以降に作り出されたものであると言えるようです。今回のNHKドラマの山本勘助についても同様なことがいえると思います。しかし、その働きや主従のあり方には今の時代でも参考になることが多くあります。歴史作家の皆木和義氏が、今月はじめに出たPRESIDENTに面白いことを書いています。「信玄はいかに部下の心を掴んだのか」という記事です。「信玄は“自分が人を使うのは、その人の業を使うのだ”という言葉を残している。リーダーが人を使うとき、肩書きや見た目で人を判断せず、その人物がどのような能力を持っているのかに重点を置くべきということである。」この、人を見た目で判断せず、能力で評価する信玄の姿勢が、山本勘助の重用であるといいます。この勘助は、背が低く、色黒の醜い男で、隻眼のうえ片足も不自由だったといいます。そのために、長い間仕官をすることができませんでした。今川義元は、勘助の見た目の気味悪さから、寄せ付けなかったといいます。「ところが、信玄は違った。肢体が不自由なのは戦場でも経験が豊富なためだと考え、逆に勘助を重用した。信玄は見た目に惑わされず、本質で人を判断する。こうした行動は家臣の心を掴む。信玄の下で働いていれば、容姿やへつらいよりも能力や働きを評価してくれるとのうわさがたつ。信玄の評価方法は現代の“成果主義”であり、“加点主義”だった。」と、皆木さんは言っていますが、私は、成果主義と少し違う気がします。成果で判断するのではなく、その人となりである本質で判断したということのような気がします。私からすると、成果も目で見える表面的なことのような気がします。その成果の質が問題だと思います。それは、皆木さんの原稿の中で紹介されている武田家の家臣である高坂昌信が書いたといわれる「甲陽軍艦」でわかります。ここには、「武士の良し悪し、一夜限りの定め2か条」によってわかります。1か条は「真面目な人間は大きな働きをする」です。その理由を信玄はこう説いています。「真面目なものは恥を知るので常に心が明るい。心が明るければ諸事の行いは正しい。人にへつらうことがなく、軽率なことをせず、万事を知り尽くして慎重に物事を進める。」2条は、「不真面目な人間は大きな働きはできない」としています。その理由として「思慮不足である。あわて者である。人にへつらい、軽率である。うそをつく。物事を突き詰めて考えることをせず、武士道をわきまえない。立派な人物であっても、自分と肌が合わなければ、すぐに悪口を言う」といいます。