山吹

 園の前の通りをはさんで向かい側に落合第4小学校があります。この小学校の校歌の1番の歌詞は、「みのをからんというひとに はなをささげて ふみのみち はげましたりし えにしのち わがまなびやは たちにけり われらのこころ みがかんと」日本語は、難しいですね。音だけだとどういう意味か良くわかりません。これが、漢字かな混じり文で書いてあると良くわかるのですが。たぶん、こうなると思います。「蓑を借らんという人に、花を捧げて 文の道 励ましたりし 縁の地 我が学び舎は、建ちにけり われらの心 磨かんと」私なりに解釈すると、「急に雨が降ってきたので、蓑を借りようと思って訪ねた人に、歌を添えて花を差し出されたことをきっかけに、歌の道に精進をしたといわれている地に、私たちの学校は建てられています。私たちもそれに習って、心を磨かなければなりません。」というような意味かと思います。その校歌に歌われている逸話は、有名ですね。それは、こういうことです。「江戸城を築城した太田道灌は、ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきました。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。」実は、この太田道灌が鷹狩の際に俄雨にあったときの山吹伝説は、埼玉県越生の他、東京都豊島区高田、東京都荒川区町屋、神奈川県横浜市六浦などの伝承地がありますが、そのうちのひとつに、新宿のこのあたりがあります。都内ではもう数少なくなった路面電車のうちの一つ都電荒川線が走っているのですが、その荒川線の駅の終点「早稲田駅」から一つ目の駅が「面影橋」です。その駅のすぐ近くに「山吹の里」の碑が建っています。
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この場所から、もっと東のほうに行ったところに新宿区山吹町があり、そこからこの辺りまでの一帯を通称「山吹の里」といったそうですが、それもやはりこの伝説にちなんだもので、近くには「山吹の里公園」もあります。「山吹の里」の碑の目の前にある川は神田川で、そこにかかっている橋が「面影橋(俤橋)」です。面影橋は別名「姿見の橋」ともいいます。この橋の名前の由来にも、様々な説があります。在原業平が、鏡のような川面に姿を映したからという説や、鷹狩りの鷹をこの辺りで見つけた徳川家光が名づけたとか、なかでも一番有名なのは、近くに住んでいた和田靭負の娘・於戸姫が、自分の美しさゆえに周りの男たちが争うのを嘆き、この橋から身を投げたという説です。山吹は、そろそろ花の盛りを迎えます。山の中に生え、花の色が蕗(ふき)に似て、金色で美しいことからこの名前になったといわれています。そして、しなやかな枝が風にゆれる様子から「山振」の字があてられ、じきに「山吹」になったともいわれています。その鮮やかな色から日本古来の色として「やまぶきいろ」と呼ばれる鮮やかな黄色があります。「山吹の色に酔うてもコップ酒」という歌もありましたね。