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2007年04月30日 [近頃思うこと]
ハルジオン

今の季節、あらゆる空き地や野原、土手などどこでも見られる花に「ハルジオン」があります。申し訳ありませんが、私はあまりこの花は好きではありません。それは、あまりにもそこかしこで見られるように、その繁殖力のたくましさというより、私から見るとずうずうしさを感じてしまうからです。この花は、その花の形から見てわかりますが、キク科の植物で、大正時代に日本に入ってきた北アメリカ原産の越年草です。私は、自然はその場所に自然とあるのがいいと思っています。そこの場所での風土、気候、土から生まれて自然は、とても自然だからです。ですから、帰化植物といわれているものは、少し抵抗があります。しかし、それは、本当は、花には申し訳ないことかもしれません。他の帰化植物と同様に、ある意味では、その花こそ犠牲者かもしれません。というのも、この花は、発芽率がよく繁殖力が強いので、野生化して厄介な雑草扱いされていますが、もともとは、観賞用として輸入したものが、野生化したものです。人間のエゴで勝手に持ってこられたのに、その後は迷惑がられるのも気の毒です。この花は白いですが、つぼみの時にピンク色をしています。そして、つぼみのころはうつむいており、次第に頭を持ち上げてくるのが特徴で、葉は茎を包み込むように付いています。茎の中にはずいがなく、管状になって穴があいています。この花は、4~6月に花を咲かせますが、もう少し遅く、6月~10月頃に花を咲かせ、この花によく似た花に「ヒメジョオン」があります。この花も、キク科で、明治時代に渡来したアメリカ原産の越年草です。茎はずいで詰まっていて、葉は薄く両面に毛があります。そして、つぼみのときから頭花は直立します。名前のハルジオン(春紫苑)は春咲く紫苑(シオン)から来ており、よくブログに登場した牧野富太郎博士の命名によります。紫苑とは、平安時代以前に中国から渡来し、源氏物語等にも登場する古くから愛でられたキク科の花で、秋に薄紫色の花をいっぱい付け、2m近くになる大柄な花ですが、ハルジオンは小さいながらも花がこの紫苑に似ているので、「春咲く紫苑」 ということで、「ハルジオン」という名がついたといわれています。一方、「ヒメジョオン」は、「姫女苑」と書くので、本当は、「ジオン」と「ジョオン」を分けることが正しいようです。しかし、「春女苑」と書いて、「ハルジョン」という場合も、植物図鑑によっては、ハルシオン、ハルジョオンと書いたりしていますが同じものです。これらの花は、キク科というだけあって、独特の素敵な甘い香りがします。そして、びっくりすることは、キク科の花は春菊が野菜として栽培されているように大半が食用になり、ヒメジオンもハルジオンも和え物等で食べられるそうです。しかも、よく食べる春菊と比べても、野生のキク科の花の中ではハルジオンが美味しいと言う記述が多いそうです。でも、実際に食べた経験はありませんし、食べた人を聞いたこともありません。あまりにも多くの場所、そして、道端などに咲くとそれだけであまりおいしくない気がしてしまいます。その花の美しさを含めて、そのものの正当な評価をするために、表面的に見える姿、刷り込み、その回りの環境に左右されずにきちんと見ないといけませんね。このブログで書き進めていくだけでも、そのものの姿を改めて見つめることができ、その印象は、次第に見直されてくるものですね。
投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (2)
2007年04月29日 [近頃思うこと]
製作
子どもたちは、いろいろなものを作るが大好きです。回りにあるガラクタを使って、さまざまなものを作ります。そこで、そんな好奇心を満たすような番組が、テレビ放送の開始と同時に、もうすでに放映されています。1959年から、NHK教育テレビ放送開始と同時に、『できたできた』という子供向け造形指導番組が制作されたのです。それが、1967年4月 に『なにしてあそぼう』というタイトルでスタートしますが、そのときから、あの『ノッポさん』が登場しますが、相方は『ムウくん』という熊の子でした。その番組が1970年3月に最終回を迎え、次の月から『できるかな』の放送が開始しされます。しかし、そのときは、ノッポさんではなく、5人のお兄さん・お姉さんが登場したのですが、『ノッポさん』の復帰を願う子どもたちの声に応える形で1年後に、『ゴン太くん』の登場と共に、ノッポさんも再登場します。この番組「できるかな」は、1967年4月から1990年3月までずっと放送されていました。この番組は、パントマイマーの『ノッポさん』と、着ぐるみの『ゴン太くん』(表情の替わりに「ウゴウゴ」と言う)の無言劇(パントマイム)によって構成され、画面には一切姿を見せないナレーターの『おしゃべり』が彼らの行動の解説を行います。
いま、教育テレビ「つくってあそぼ」が、子どもたちに大人気です。この番組は、造詣の魅力を「ワクワクさん」と「ゴロリ」のユーモラスなやりとりを通して、優れたエンターテインメントとして子どもたちに提示しています。この番組を見て、同じように造りたいと思う子に対して、こう助言しています。「お子様がワクワクさんと一緒のものをつくりたいと思う気持ちは、当然起こるものと思います。しかし、一方で工夫をこらして自分だけのものを作りあげる喜びは、他に代えがたいものです。何かを発想し、それを実現させようと考え、実行するという過程は子どもの表現力の発達には不可欠です。ぜひ“自分だけのものを作る機会”をお子様に与えていただきたいと思います。」この人気番組「つくってあそぼ」とコラボレーションしたリサイクル工作教室『つくってあそぼ わくわくワークショップ』が、株式会社セガによって、東京都武蔵村山市にオープンした「ダイヤモンドシティ・ミュー」内に、オープンしています。
施設内では牛乳パックやペットボトルなど身近な素材を使って工作をし、その工作を遊びに発展させて楽しむことができます。「つくる」「あそぶ」を通して、ものを大切にする心とコミュニケーション力を育むことを目指した、今までにないワークショップ&パークというのがコンセプトです。ここを、見に行ってきました。ここは、3歳から小学生までの子どもが、1時間630円(延長10分までごとに105円)で利用できるようになっています。この空間は、園の3~6歳児用の「製作コーナー」と同じです。しかし、やはりセガは企業なので、プレゼンはとても上手です。ですから、園でもその言い方は、参考になります。製作コーナーの説明をこうしたらどうでしょうか。「製作コーナーは、身近な素材を使って工作を楽しみ、作品で遊ぶことを通して創造性とコミュニケーションを育むワークショップです。」また、利用に仕方の説明もこう変えれば、園でも使えます。「きょうは、どんなこうさくしようかな?まずはどうぐをじぶんでだしてこよう。」「そしたら、ざいりょうをえらぼう。しっぱいしたときもとりかえられるよ。」「できたら、それであそんだり、かざってみよう。」「おわったら、おかたつけしようね。どうぐをもとにかえそう。」どうでしょうか。
投稿者 fujimori : 22:55 | コメント (4)
2007年04月28日 [近頃思うこと]
手塚の原点
漫画家・手塚治虫が執筆した地球環境問題を取り上げた随筆集に、「ガラスの地球を救え」があります。この本の執筆途中の1989年2月9日に死去し、未完に終わっています。この随筆集で手塚治虫は、「なんとしてでも、地球を死の惑星にはしたくない。未来に向かって、地球上のすべての生物との共存をめざし、むしろこれからが、人類のほんとうの“あけぼの”なのかもしれないとも思うのです」といっています。この訴えは、朝日放送(ABC)が2000年の開局50周年記念事業としてスタートした、地球環境問題について考えるキャンペーン企画になっています。そのキャンペーンソングはTHE BOOMの「いつもと違う場所で」という歌です。現在も放送中のABCラジオの番組「Earth Dreaming~ガラスの地球を救え!のパーソナリティーは、治虫氏の長女で地球環境運動家でもある手塚るみ子さんが務めています。そして今、このメッセージにこめられた思いを伝えるために、九段下の「昭和館」で、「手塚治虫の漫画の原点~戦争体験と描かれた戦争~」と題し、特別企画展を開催しています。

手塚氏が新宿にゆかりがあることもあって、それを少し前の日曜日に見に行きました。この「昭和館」は、もともと戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていくために、厚生労働省が平成11年3月に開設した国立の施設です。その中での特別企画展は、「手塚修が生涯を通じて、子どもたち・大人たちに伝えたかったメッセージを知る機会にしていただくとともに、戦中・戦後という日本人が最も苦労した時代を、手塚治虫の直筆原稿や本人の写真を中心に振り返ります。」とあり、入場料が無料でとてもお得な展示です。
手塚はいろいろなテーマで漫画を描きますが、1960年代に長編が生まれます。その中で、「ブラックジャック」を通してベトナム戦争や南米やヨーロッパなどの戦争を描き、「鉄腕アトム」や「ノーマン」「ビッグX」「火の鳥」の未来世界といったSF、近未来漫画でも、「どろろ」「火の鳥」の過去編といった過去の世界でも戦いと生命が失われていく様相を繰り返し描いてきました。その原画などを見ていたとき、今、実写映画でも製作された「どろろ」の漫画を懐かしく思い出しました。

「どろろ」は、1967年~1968年まで週刊少年サンデー(小学館)で連載され、一時中断しますが、1969年、冒険王(秋田書店)で連載再開され、ここで完結をします。この漫画を、毎回ただ読んでいたのですが、その主人公の思いに、とても意味があります。この展示から知りました。「48匹の魔物に体の部分をいくつも奪われて誕生した、百鬼丸。彼は自らの体を取り戻すため、魔物退治の旅に出た。自らの体が48箇所も足りないこと。そして、魔物に取り付かれていることにより、自分は「何もできない」と思い込む百鬼丸。ある日、百鬼丸は盲目の法師に出会う。法師は「見せたいものがある」と言う。百鬼丸が連れて行かれたのは、廃寺だった。そこには戦さで家を追われ、両親を亡くし、自らも傷を負った戦災孤児たちが身を寄せ合って暮らしていた。多くのものをなくしても尚、子ども達は一生懸命あきらめることなく暮らしていた。そんな子ども達の姿に、百鬼丸は今までの自分を恥じるのだった。」
当時の妖怪ブームと重なり、そのころ面白く読んでいたのですが、全体にこんなメッセージがあったのですね。
投稿者 fujimori : 18:00 | コメント (2)
2007年04月27日 [近頃思うこと]
休日
明日から、ゴールデンウィークが始まります。各地では、いろいろなイベントが計画されています。また、美術館、博物館、動物園、遊園地など子どもたちが喜びそうな企画がたくさんあります。子どもたちはどこに連れて行ってもらえるでしょうか。数日もあるゴールデンウィークの中で、何日連れて行ってもらえるでしょうか。どのくらいお金がかかるでしょうか。また、さぞかし人気のある場所は混んでいて、親は疲れるでしょうね。このような休日は、意図したこととずいぶん違ってきています。その中の代表が学校の「週休二日」と、「ハッピーマンデー」と呼ばれる日です。学校の土曜日休日は、かなり最近いろいろなところで論議されていますが、それ以上に問題にして欲しいのが「ハッピーマンデー」です。この休日は、週休2日制が定着した今日、月曜日を休日とする事によって土曜日・日曜日と合わせた3連休にし、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で制定されています。平成10年に成人の日及び体育の日が、平成13年に海の日及び敬老の日がそれぞれ月曜日に移動しました。そのときの理由を見ると、例えば、「敬老の日」は、連休化することで、地域のお年より交流する機会が増えたり、故郷の両親を訪ねやすくなることが期待できるように、祝日の意義が、社会により広く浸透するのではないかと説明しています。日本中で、3連休になったので、故郷の両親を訪ねる人が何人いるのでしょうか。また、「余暇活動の機会が増えるとともに、新しい生活スタイルの実現がより容易となり、心身のリフレッシュ、自己実現、生活の楽しさ、豊かさを増すことにつながります。」とありますが、どうも、疲れきってしまうほうが多いような気がします。しかし、それ以上に大きな問題があります。どうも「ハッピー」でない月曜日が増えてきています。まず、休みの日は、子どもたちはそれぞれの家庭の責任ですごします。ということは、どこに行くかにしても、なにをするかにしても、それぞれの家庭によるので、非常な格差を生んでいるということです。これは、週休二日になったときの問題と同じです。しかし、月曜日にはそれにも増して問題があります。月曜日は、学校では、行事の関係で日曜日に出校日や休日出勤だった場合は、振替休業となります。最近、運動会、文化祭、父母参観などで土曜日が使われることが多くなりました。この土曜日の「振替」として区内の公立小中学校では月曜日に代休が割り当てられることが多いのです。しかし、ハッピーマンデーと違って、専業主婦の場合はまだいいのですが、その日は、両親の職場は休みではありません。そこで、子どもたちはどこかに連れて行ってもらえるわけでもなく、町の中をうろうろするのです。この状態を「マンデーチルドレン」といいます。区内の大型スーパーマーケットでは、午前中から子どもたちが遊んでいる姿を良く見かけるようです。最近、この月曜日に対して新しい問題がわかりました。この振り替え休日を使って、普段は、みんなが休日の日では混んでしまうような施設に子どもを連れて行ってあげようと思うと、ほとんどの施設が、月曜日休みなのです。博物館も、美術館も、動物園も、みんな月曜日休みです。これでは、「ハッピーマンデー」どころか、「ブラックマンデー」(ニューヨーク株式相場が大暴落した1987年10月19日は月曜日であったので、こう呼ばれている)とか、「ブルーマンデー」(月曜の朝に現れる憂鬱から身心に不調が現れるトラブルをブルーマンデー症候群と呼ぶ)になってしまいそうです。
投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)
2007年04月26日 [教員の頃]
早期教育その2
早期教育について、私がまだ幼児教育に関わっていないころ、また、将来関わるであろうとも思っていなかったころ、少しの間小学校の教員をしていたころに考えたことがありました。それは、1年生を担任していたからです。入学式が終わって、初めての授業を始めたころに、いろいろと考えることがありました。最初にやったことは、朝、登校したら、ランドセルから教科書などの持ち物を出して机にしまうこと、帰りにそれらをランドセルにしまうことを何度も繰り返し教えます。こんなことは、今保育園をしているとなんだか3歳児でもできる気がします。しかし、そのころは、ずいぶんとできない子が何人もいて、「なにがない!」と泣いたり、ただ突っ込むだけで取り出すときに全部出してしまったりします。それを思い出して、もう一度園児を見てみると、6歳になっても、朝登園をしてきて、いろいろなものをしまうのに保護者が全部代わりにやってしまう家庭や、小さいうちに子どもの目の前でやって見せるというモデルを示さずに、先生にやることを要求したりする家庭が多いことに気がつきます。それから授業が始まるのですが、教科書を見てみると、確かに文字を少しずつ教えていきますが、意外と早いうちから文字がたくさん出てきます。国語の授業では、同時に漢字も出てきますので、新しい単元に入るたびに、その内容をよく読みとったり、考えたりするよりも、まず、新出漢字を覚えさせ、難しい言葉の意味調べをすることに費やしてしまいます。私は、1年生で教える漢字は決まっているので、それをすべて語源を載せた表をつくり、国語の授業の単元に関係なく、朝とか空いている時間にひとつずつ教え、それを葉の形に切り抜いた色画用紙に書き、後ろに大きくつくった木の枝にぶら下げていきました。そして、その葉の色は、その漢字を教えた時期の季節によって色を変え、子どもたちにいつごろ習った漢字かがわかるようにしました。そうすることで、国語の授業は、その単元の意図するところに集中することができます。そのときにまたひとつ幼児教育の疑問がおきました。私は、それまで幼児教育をしていませんでしたし、独身でしたので子どもはいませんでしたので、あまり絵本に触れることがありませんでした。ですから、教科書に出てくる話は、どれも感動してしまいます。「おおきなかぶ」の繰り返しの面白さと度肝を抜くほど大きく育ったこと、その大きくなりすぎたかぶをどう抜くかという知恵、どれもとても感動しました。また、「ふしぎなたけのこ」では、地域の交流のきっかけ、それぞれの地域に、その地域ならではの産物があることを知り、「かわいそうなぞう」や「かたあしダチョウのエルフ」では、読んでいる間に声を詰まらせて読み続けられなくなったこと、「かさこじぞう」では民話のふしぎな魅力、「スイミー」や「スーホの白い馬」では戦争の意味、それぞれ教科書に取り上げられている物語はとても感動します。しかし、ほとんどの子は、そんな話を感動しません。それは、それらの話は、ストーリーをみんな知っているからです。幼児期の絵本で読んでいるのです。しかも、まだその話に感動しない時期に読んでしまっていることが多いので、ただ先を教えようとします。私が感動していると、結末を教えようとします。とても授業がしにくかった思い出があります。確かに、本というのは、その時期、年齢によって感動する部分が違いますし、そのころの環境によっても違うでしょう。ですが、みんなストーリーを知っている話は、感動することを教えるよりも、その文章を分析することをしてしまい、なんだか子どもたちを本嫌いにしている気がしていました。
投稿者 fujimori : 21:51 | コメント (2)
2007年04月25日 [研修]
早期教育
中国、韓国などでの過熱した早期養育、幼児教育を見るにつけて、ではどうあるべきかを考えてしまいます。たとえば、よく言われるように、「字を覚えるのは小学校に入学してからで大丈夫なので、それまでは、勉強などせずに、元気に遊んでいればよい」ということがあります。しかし、この言い方は少し違っている気がします。まず、「勉強」と「遊び」を並列して考えている点です。同じような考え方に、「勉強の時間」と「遊びの時間」と分けて考えることです。それは、勉強を教科として捉える場合はそういうこともありえるでしょう。また、勉強を「勉めることを強いる」とすればそういう分け方はあるかもしれません。しかし、勉強を「学び」としたときは、その考え方はおかしくなります。しかも、生きていく知恵を学びことが中心である幼児期では、遊びの時間=勉強の時間であり、生活の時間=勉強に時間になるのです。ですから、最初の文の「勉強などせずに、遊んでいればいい」ではなく、「遊んでいることから幼児は勉強をしている」ことになるのです。また、字を覚えるのは小学校に行ってからというのも、少しおかしいと思います。小学校では、まず、ひらがなを50音、濁点半濁点を入れると6~70字ほどあります。カタカナを入れるとその2倍、その上漢字を80字あまり。全部で、200文字以上覚えるのです。大体学校へは、年間200日通学します。その中で国語の授業となると何日あるでしょうか。そうでなくとも、子どもたちは、ほぼ毎日1文字ずつ覚えていくことになります。もし、私たちが、毎日1文字ずつアラビア語を覚えなさいとか、ハングル文字を覚えなさいといわれても無理のような気がします。それを、あの小さな1年生が成し遂げているのです。どうしてでしょう。それは、身の回りに文字がたくさんあり、文字に触れるのは、何も授業中だけ、国語の時間だけではないからです。テレビを見ても、町を歩いていても、電車に乗るときも、小さいうちから文字と触れ合っているからです。もし、一部屋の中だけで育てられているとしたら、いくら机に向かわされて、毎日覚えることを強いられても覚えられるものではありません。しかも、覚えなければならないものは、ほかにもたくさんあるのです。これだけを見ても、幼児にとっての勉強は、ある時間内だけのものではありませんし、教わることだけでもないのです。しかし、いくら遊びが大切であり、遊ぶことから学ぶといっても、たとえば、毎日テレビゲームで遊んでいるだけで学びがあるのでしょうか。ただ、走り回っているだけで学びがあるのでしょうか。それも違います。さまざまな経験が、さまざまな学びを支えているのです。生きていくということは、総合的な営みです。ですから、小学校で「総合的学習」の時間を創設したのでしょう。しかし、教科として総合的学習を位置づけてしまうと、「飛騨地方」がどこにあるかを考えないで、「さるぼぼ」がどんなものであるかだけを覚えることになってしまうのです。飛騨地方に伝わる伝説の人形の「さるぼぼ」から、その地方の歴史を知り、その背景の日本の歴史を調べ、その地方の地理的条件から、日本の地理に興味を持ち、地域ごとに伝わる文化から、自分の住んでいる地域の文化を大切にし、昔の人の暮らしを知ることによって、これからの生きていく知恵を学んでいくというようにどんどん興味関心が広がり、学ぶ意欲がわいてきてこそ、「総合的な学び」といえるのでしょう。今日から長崎で行われている研修の今年のテーマは、そんなことです。
投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (2)
2007年04月24日 [近頃思うこと]
軍師
今、NHKテレビで大河ドラマ「風林火山」が放映されています。視聴率はどのくらいでしょうか。日本人は、武田信玄が好きなようで、過去何回か信玄を中心にした大河ドラマが放映され、いつも高視聴率を上げています。信玄を中心に、今回は、その軍師といわれた「山本勘助」を主人公にしています。軍師をおいたというのは、ずいぶん古くからあるようです。釣りをするときによく使われる「太公望」を、周の文王が師に立て、子の武王のときついに殷を滅ぼしたことが『史記』にみられます。しかし、なんといっても有名なのは、三国時代の「軍師祭酒」という官名ですが、劉備に出仕して「軍師中郎将」の官名を与えられ、のちに「軍師将軍」となった諸葛亮です。日本でも、江戸時代には戦国時代の合戦を取り上げる軍記物が数多く書かれて戦国大名に仕える名参謀たちが描かれています。また、明治以降にも、軍記物が講談や歴史小説の題材に取り上げられて、半ば偶像化するほどさまざまな軍師の働きが描かれるようになりました。その中で、豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛などの軍師のイメージが一般に広まりました。たとえば、秀吉が竹中半兵衛を迎えるために七度彼の庵に通ったという有名な物語が、劉備と諸葛亮の三顧の礼の逸話に基づくことが明らかであるように、日本の軍師のイメージは、多くは中国の歴史物語に範をとって江戸時代以降に作り出されたものであると言えるようです。今回のNHKドラマの山本勘助についても同様なことがいえると思います。しかし、その働きや主従のあり方には今の時代でも参考になることが多くあります。歴史作家の皆木和義氏が、今月はじめに出たPRESIDENTに面白いことを書いています。「信玄はいかに部下の心を掴んだのか」という記事です。「信玄は“自分が人を使うのは、その人の業を使うのだ”という言葉を残している。リーダーが人を使うとき、肩書きや見た目で人を判断せず、その人物がどのような能力を持っているのかに重点を置くべきということである。」この、人を見た目で判断せず、能力で評価する信玄の姿勢が、山本勘助の重用であるといいます。この勘助は、背が低く、色黒の醜い男で、隻眼のうえ片足も不自由だったといいます。そのために、長い間仕官をすることができませんでした。今川義元は、勘助の見た目の気味悪さから、寄せ付けなかったといいます。「ところが、信玄は違った。肢体が不自由なのは戦場でも経験が豊富なためだと考え、逆に勘助を重用した。信玄は見た目に惑わされず、本質で人を判断する。こうした行動は家臣の心を掴む。信玄の下で働いていれば、容姿やへつらいよりも能力や働きを評価してくれるとのうわさがたつ。信玄の評価方法は現代の“成果主義”であり、“加点主義”だった。」と、皆木さんは言っていますが、私は、成果主義と少し違う気がします。成果で判断するのではなく、その人となりである本質で判断したということのような気がします。私からすると、成果も目で見える表面的なことのような気がします。その成果の質が問題だと思います。それは、皆木さんの原稿の中で紹介されている武田家の家臣である高坂昌信が書いたといわれる「甲陽軍艦」でわかります。ここには、「武士の良し悪し、一夜限りの定め2か条」によってわかります。1か条は「真面目な人間は大きな働きをする」です。その理由を信玄はこう説いています。「真面目なものは恥を知るので常に心が明るい。心が明るければ諸事の行いは正しい。人にへつらうことがなく、軽率なことをせず、万事を知り尽くして慎重に物事を進める。」2条は、「不真面目な人間は大きな働きはできない」としています。その理由として「思慮不足である。あわて者である。人にへつらい、軽率である。うそをつく。物事を突き詰めて考えることをせず、武士道をわきまえない。立派な人物であっても、自分と肌が合わなければ、すぐに悪口を言う」といいます。
投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (3)
2007年04月23日 [新聞記事より]
マラソン
今年、2月18日に、冷たい雨と強風が吹く中、東京マラソンが開催されました。このイベントについては賛否両論ありますが、おおむね好評で、その成功が、石原さんが都知事に再選された一因ではないかとも言われています。その東京マラソンには、「車椅子の部」があるのですが、一般的なメディアでは、あまり話題になりませんでした。そのレースで優勝したのは、副島正純さんでした。彼は、家事手伝い中の事故により脊髄を損傷して車いす生活となりますが、翌年から車いすマラソンを始めています。その彼は、さまざまな大会で優秀な成績を上げていますが、今月16日に、快挙を成し遂げました。それは、米マサチューセッツ州ボストンで行われた、111回目を迎えた伝統のボストン・マラソンにおいて、車いすの部で優勝したのです。今年は、激しい風雨に見舞われた伝統のマラソンでしたが、副島さんは「こういうレースのほうが僕にはチャンスがある」と、優勝した東京マラソンと同じ悪天候を味方に付けたのです。体重差が下りのスピードに影響するため、欧米人との体重差を補うために坂道でも休まずこぎ続け、スピード練習を積み、時速にして4キロ増のペースで30分間走り続けるようになったそうです。また、この優勝が日本の人々を驚かせたのは、車いすの部では男女とも日本勢が制覇したからです。女子の土田さんは、アテネ・パラリンピックの陸上五千メートル金メダリストでしたが、出産のため昨年は競技から遠ざかっており、今回が復帰戦でした。彼女は、子育てに忙しい中、周囲のサポートを受けて石垣島で1か月半のキャンプを張り、トレーニングを積んだそうです。
ボストン・マラソンではありませんが、昨日の読売新聞の日曜版の「人」の欄に「ゆっくりでいいじゃないか」ということで、エコマラソンの西一(にしはじめ)さんが紹介されていました。エコマラソンというのは、「競い合うのではなく、集い触れ合うことを楽しみ、自然を征服するのではなく、自然との調和を大切にし、独占するのではなく、分かち合いつつ、物質にとらわれず、質素を旨とする生き方」です。その目指すものは、「だれもが平等な機会と尊厳を持ち、十分な食物を得られ、心の安らぎと自然への感謝の念を持って暮らし、互いにビザもいらず国境もない、かけがえのない地球に全ての生命体が共生可能な平和調和社会の実現」です。彼が環境に配慮したマラソンを、エコロジーとの造語で「エコマラソン」と名づけ、エコマラソン・インターナショナルを創立したのは、奥さんの死がきっかけだったようです。30代で始めたビデオの輸入販売で大成功を収めます。そして日米を往復し、休日なしで連日18時間働き、貯金は億になっていきました。そんなころ、3人の幼い子どもを残して、奥さんは亡くなります。その寂しさから、空虚な日々を送る中、ホノルルマラソンで走り、充実感を味わい、立ち直ります。そして、「ただ生きるのではなく、自然と調和した生き方を心がけ、速さにこだわるのではなく、その生き方を始めること」が重要なのだと訴え続けることになるのです。人生は、マラソンです。子どもたちは、まだ、その長い道のりを前にスタートを切ったばかりです。それなのに、少しでも速く走ること、もうすでにそのマラソンに優勝することが期待されます。途中の道端で、花を見る余裕も、遠くの山を眺める余裕もなく、ひたすら前を向いて走らされる子どもたちが多い気がします。
投稿者 fujimori : 20:40 | コメント (4)
2007年04月22日 [地域を知る]
地域に溶け込む
国立新美術館の設計は、六本木という町の中の建物という感じがします。そのように、建物は、その地域の町、自然、気候にマッチしたものでなければなりません。また、そこで暮らす人々の生活にマッチしたものでなければなりません。また、新しい時代、生き方を提案するものでなければなりません。各地には、それぞれ県立美術館をはじめとして、さまざまな美術館があります。県立美術館は、どの地域も、その存在を誇示するかのように立派なものが多くあります。それに比べて、ある作家の作品を集めたり、個人の所蔵作品を展示したりする美術館は、とても個性的なものが多くあります。また、海や山の囲まれた美術館には、自然を取り入れたものも多くあります。私が昨年訪れた美術館にもそんな建物がありました。その中で、印象に残っている美術館を紹介します。
瀬戸大橋の懐にある「東山魁夷せとうち美術館」(香川県)この喫茶ルームからは、前面のガラスごしに瀬戸内海が広がり、そこには、大きく瀬戸大橋がかかっています。瀬戸内海の青と、東山の青を基調とした絵画がとてもマッチしています。
館内から見える風景「絵本の森美術館」(軽井沢)軽井沢は、個人美術館のメッカ。それぞれにいろいろな工夫が見えます。その建物は、外観だけでなく、室内も、窓から見える景色も、美術館にいるという気持ちよりも、軽井沢らしく、別荘にいる気分にさせます。
津和野の町並みに合った漆喰の白壁に瓦を葺いた酒蔵のような外観の「安野光雅美術館」津和野は、町全体がひとつのコンセプトで統一されています。その町並みに違和感なく建っている美術館です。
原生林の残る大自然の中にある「ウッドワン美術館」(広島県)ここを訪れたときは、秋真っ盛りで山は燃えるような赤に染まり、それを強調するかのように夕日の赤で山が照り映えています。
こんな地域の溶け込んだ美術館を思い出したのは、昨日、散歩していて、地域に溶け込んだ建物を見つけたからです。この建物は、私からすると意表をついたのです。それは、武道館近くにある「築土神社」です。
入口の鳥居とビルのマッチング感と、ビルの上にそびえる剣の意味深さ、そして参道とビル下のコンクリートの一体感、その先に鎮座する社殿と隣接するビル壁、上を覗けば意外と開けている空間。ビルとマッチした社務所を含むビル全体の外観は壮麗で、非常に神威的な空間が巧みに織り込まれたこの神社は、1995年に千代田区の都市景観賞を受賞しています。このビルは、地上8階地下1階で、ビル名は、「アイレックスビル」といいます。アイレックスとは「モチの木」を意味し、かつての鎮座地であった田安のモチの木坂に因むといいます。参道入口の鳥居の左脇には、当社の神木としてモチの木を植栽されています。築土神社は、まさに神社信仰に都心部環境を同居化させた神社で、これほどの地域に溶け込み、近代的なバランス感は、不思議な癒しを与えます。
それにしても、小中学校は、全国どこにいっても多くは同じ形なのでしょうね。もしかしたら、学校建築は、最も遅れている建築かもしれません。また、将来を担う子どもたちが過ごす場所であるのに、その入れ物は軽視されている気がします。
投稿者 fujimori : 19:49 | コメント (3)
2007年04月21日 [新聞記事より]
花咲かじいさん
19日の新聞にこんな記事が掲載されていました。「植物に花を咲かせる「開花ホルモン」を、日本、ドイツの研究グループがイネとシロイヌナズナでそれぞれ特定することに成功した。開花ホルモンは、いわば“花咲かじいさんの灰”にあたる物質で、70年にわたって多くの研究者が探し求めてきた。ともに19日付の米科学誌サイエンス電子版に発表される。」というものです。花が咲く時期としては、日照時間が短くなると花をつけるものと、日照時間が長くなると花をつけるものがあります。これらの花を咲かせるたんぱく質は、見つかっているそうです。しかし、今までは、日光を受ける葉から、花芽ができる茎の先に実際にどんな物質が伝わっているのかわかっていませんでした。この開花ホルモンの特定は、開花を自由に調節できる夢の薬剤の開発につながるのではないかということで、「花咲かじいさんの灰」といわれているのです。「枯れ木に花を咲かせましょう」というわけです。この「花咲かじいさん」は、“五大昔話”(桃太郎・さるかに合戦・カチカチ山・舌きりすずめ・花さかじいさん)と言われている、昔話作品のひとつです。日本昔話の多くは、怨恨的要素が強く、暗いというイメージがありますが、この「花咲かじいさん」は、唯一、怨恨的な要素はなく、とても素直に人物が表現されています。この昔話は、日本民俗学者の柳田国男によると、舌きり雀、文福茶釜、こぶ取り爺さんなどと同じ「動物の援助」に分類されます。この話も、1901年(明治34年)につくられた唱歌(童謡)「花咲爺」は歌の歌詞を見ると、「うらのはたけで、ポチがなく」で始まりますが、ポプラ社の絵本(文/吉沢和夫)によると、その前があります。「昔ある所に、子どものいないじいさまとばあさまがおった。ある時、町へ子どもを貰いに行くことになった。町へ行く手前の松原の松の木の根元に白くて可愛い小さな犬がいて、二人に「何処へ行くのか」と話し掛けた。「二人の子どもにして欲しい」と言う子犬に「町に良い子どもがいなければ子どもにしてやろう」と約束する。結局町で子どもが見つけられず、帰りに同じ場所でいた その白い子犬を子どもにすることにした。子犬は、茶碗一杯で一杯だけ、二杯食べると二杯だけ、どんどん大きくなった。ある日のこと、犬はじいさまに 自分の背中に鞍をつけさせ、かますやくわもつけさせて無理矢理じいさまを背中に乗せて山道を登って行った。」ということで、そのあと「ここほれ!ワンワン!」となるわけです。この出だしは、福井県坂井郡の民話から取ったとの事で、作者は犬を『神の申し子』として登場させたいと考えたようです。日本の民話において白い動物は何らかの神の使いとみなされることが多く、夫婦の白犬は夫婦の心ただしい生活を祝福した神からの贈り物であったと思われています。この話に対して、「みんな違って みんないい」の作者として有名な童謡詩人の「金子みすゞ」が、こんな詩「灰」を書いています。「花さかじいさん、はいおくれ、ざるにのこったはいおくれ、わたしはいいことするんだよ。さくら、もくれん、なし、すもも、そんなものへはまきゃしない、どうせ春にはさくんだよ。一度もあかい花さかぬ、つまらなそうな、森の木に、はいのありたけまくんだよ。もしもみごとにさいたなら、どんなにその木はうれしかろ、どんなにわたしもうれしかろ。」今回、見つかった「開花ホルモン」が、こんな「花咲かじいさんの灰」であったらいいのですが。
投稿者 fujimori : 22:26 | コメント (4)
2007年04月20日 [近頃思うこと]
中国事情 その2
中国事情についての続編です。
中国では、幼稚園といっても、共働きが普通ですので、保育時間は、朝の7時半ぐらいから夕方5時過ぎまでで、子どもは朝食も園で食べるのが普通だそうです。そして、家庭では夕飯だけ準備すればいいのですが、それも無理なら全食お願いすることも特別ではなく、「子どもがかわいそう」などと人から後ろ指をさされるようなことでは決してないそうです。また、週末だけ迎えに行けばよいという全託の「託児クラス」が設けられている園も少なくありませんが、両親がそんなに多忙なのかといえば、そうでもなく、わが子を評判のいい教育機関に預けようとする、遠方の家庭である場合もままあるようです。そういえば、私が中国に行ったときに、全託の園の園長に「月から金まで親に会わないことは、親の愛情の面で、問題はないのですか?」と聞いたときに、怪訝な顔をされ、「だって、親は素人ですから」との答えから、愛情よりも教育を優先する姿勢がうかがえました。
また、中国でも核家族が増えてきてはいるものの、祖父母と同居している家庭が断然多いようです。ブログを書いている武田さんの暮らす深セン市は、中国で最も早く改革開放を実施したところで、経済躍進にともない、仕事を求めてたくさんの労働者が地方から集まっている場所です。「移民の街」という異名を持つ深セン市の平均年齢は、なんと29才だそうで、地方から出てきた若者がこの街で結婚し、子どもが生まれると、赤ん坊や働く親の面倒を見るために、田舎から祖父母が出てきて同居する、というケースが多いようです。そういうこともあって、1979年から始まった一人っ子政策により、家庭では自然と、一人の子どもにたくさんの保護者の注意が集まります。そして幼稚園には、「わが子にもっと漢字を教えてくれ」「もっと朗読の練習を」「英語にも力を入れて」といった、学習に重きをおいてほしいという強い要望が寄せられるといいます。中国では、なぜこんなに早期教育に熱心なのかというと、武田さんが園長先生に、「保護者が、教育熱心なことをどう思うか?」と聞いてみたところ、次のような答えが返ってきたようです。「深センに働きに出て来た両親は、内陸部の貧しい農村の暮らしがどんなものかを知っています。そして、そこから抜け出すためには教育が必要であると痛感しています。周りが皆始めており、次々と習得しているというのに、スタート地点からわが子を遅らせてはなるまいと、競争はどんどんヒートアップしていくのでしょう」。25年という短い間に、広東省を代表する大都市に成長した深セン市では、<そこで何を教えてくれるのか> が、幼稚園はじめ、あらゆる事柄の選択重要項目になっているようであると分析しています。中国では、国土が広く、人口が多い国ですので、確かに地域間格差は大きいでしょう。ですから、一口に「中国教育事情」といっても、ほんの一部の地域であることは確かです。しかし、その中で、大きく発展した市では、日本と同じような傾向が見られます。そして、そのような最近の流れを見て、「日本でもこれに勝つためにもっとそうするべきだ」と思う人もいるでしょうし、「なんだか一昔前の日本のようだ」と思う人もいるでしょう。反面、こうした流れの中での弊害やひずみも生まれてきています。ただ、良い、悪いではなく、そこから、今後の日本の教育のあるべき姿を考えるモデルであることには違いありません。
投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (5)
2007年04月19日 [近頃思うこと]
中国
昨日のテレビでも、中国の教育事情を放送していましたが、最近、北京オリンピックの開催が近いせいか、中国の話題が取り上げられることが多くなりました。一時期、韓国の教育事情が話題になっていましたが、最近は中国にも注目するようになっています。ひとつは、かつての東京オリンピックのときと同じように、国を挙げて伸びようという意欲に国民が燃えているからです。また、一人っ子政策において、親の子どもに対する期待や、国の次世代を担う子どもへの期待が高まってきているからです。その動きは、日本でも少子社会での子育てを振り返るのに参考になります。武田千夏さんは、中国留学中に知り合った韓国人の夫と、ソウル近郊で4年間過ごし、その後、年子の息子2人を連れ、一家で中国深セン市に移住し、その中国での暮らしのなかで感じた文化の違いなどについて、ブログ「住めば都。中国ほどオモシロイ国はない」を書いています。彼女が、幼稚園事情を書いている部分があります。参考になる部分を抜き出してみます。
「“やりたい子だけやったらいい、強要はしない”という日本の幼稚園とは違い、中国の幼稚園はどこも『現代化・国際化』をスローガンに掲げ、取りこぼしがないようきっちり管理されていました。 毎日ある英語のクラス、漢字の授業、そろばんを習う4歳児、全てのページを暗記している3歳児などに驚きました。子供に赤いクレヨン1本を渡し、印刷されたリンゴの絵をそれぞれが赤く塗りつぶすという「美術の時間」がありました。あらかじめ録音してある教科書の朗読テープを流しているだけの「読書の時間」を覗きました。「こっちにいらっしゃい」と呼びかけて、やって来た幼児に1からビリまで順番をつけた先生や、幼児に飴を与えて大人しくさせる様子に不満を覚えたりしました。」というように、息子を幼稚園に入れるためにいくつかの園を見学したときの感想です。結局、手で触って、耳で聞いて、興味を持たせることに重点を置いた教育をすると言う園長先生のいる、現地の幼稚園に決めています。そこには、男の先生が多いのも気に入った理由のひとつだったそうです。何年か前に中国に行ったときに、幼児施設を訪問した際、どの施設に行っても、男性の園長にびっくりされました。そのあと、一緒にいた中国の役人さんに、「中国では、女性の園長だから、子どもたちはひ弱になるのだ。やはり男性園長の方が、子どもがたくましくなっていい。」と言われたときに、「男性に園長だって、優しいのに」と思ったものでした。今は、男性の職員もいるのですね。幼稚園の先生にことを武田さんは、こう書いています。「いかにも幼稚園の先生らしい人と言えば、日本では大概、やさしそうな雰囲気の人を思い浮かべるに違いない。しかし中国の幼稚園の先生は、腕組みをし、少し離れたところから、まるで監視しているかのごとく立ちはだかり、厳しくてコワイという印象だ。手洗いしかり、お遊戯の時間しかり、幼稚園児なのだから、そんなにきっちり決着つけなくとも、もうちょっとなごやかに、あるいは適当にできないものかと感じることしばしばである。「開放日」と呼ばれる父兄参観の日、あれこれと指図して服従を強いる、常に眉間に皺を寄せている先生が私に言った。「子どもたちは家に帰ると、祖父母、両親、お手伝いさん、その他の大人に甘やかされ放題。だから幼稚園では厳しくする必要があるのです」と。」親の甘やかしの環境の中での保育の考え方ですが、日本では、甘やかす親は、園にも甘やかしを要求するので、その弊害は大きくなりますね。
投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (2)
2007年04月18日 [近頃思うこと]
共生と新陳代謝
先日の日曜日、今話題の「国立新美術館」に行ってきました。
そこは、ブログで書いたアートトライアングルのひとつです。この美術館は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館に引き続く、日本で5番目の国立美術館(独立行政法人)として設立されました。規模は大きく、地下1階・地上4階建てで、展示スペースは14,000㎡と国内最大級の美術館になります。(同じ六本木の森美術館の展示スペースである2,000㎡の約7倍の大きさです。)外観は、前面を覆うガラスカーテンウォールが、波のようにうねる美しい曲線を描き、このガラスカーテンウォール越しに、青山公園など周辺の緑地にとけこむように植栽された庭園の眺めが楽しめます。透明で大波のようにうねる外壁面は、日射熱・紫外線をカットする省エネ設計でありながら、周囲の森と共生するようにできています。
また、エントランスロビーのアトリウムは21.6mの天井高で、透明で大波のようにうねる外壁面が特徴です。
この美術館は、他の国立4館とは異なり、コレクションを持たないのが特徴です。作品を収集せず、国立新美術館の企画展や、新聞社などとの共催展を開催していくだけで、「常設展示」といったスペースはありません。高い所蔵品を持つよりは、いい企画展をしてもらったほうが私としてはいいと思います。
この建物の設計は、このたび知事選で強烈なキャラクターを都民に知らしめた「黒川紀章」氏です。名前だけは有名でしたが、あの独特のキャラクターは、岡本太郎につぐ存在としてマスコミに引っ張りだこだそうです。建築家としての彼は、作品の好みは別として、世界各地で、さまざまな賞を受賞しています。また、今回の「国立新美術館」の設計コンセプトにあるように、40年前から提唱している「共生」を提唱しており、時代のキーワードとして認知され、著書「新・共生の思想」の英語版とドイツ版は、海外でも大きな反響を呼んでいます。そんな彼が、最近、また違ったところで話題になっています。それは、1969〜1970年に設計された「中銀カプセルタワー」の建て替えです。
この中銀カプセルタワービルは、世界で初めて実用化されたカプセル型の(それぞれの部屋の独立性が著しく高く、技術的には部屋=カプセルごとに交換が可能な)建築(マンション)として有名で、東京の銀座に、1972年竣工しました。この建物は、黒川の初期の代表作であるとともに、メタボリズムにとっても代表的な作品であるといわれています。鳥の巣を積み重ねたようなその特異な外見は、ユニット性のカプセル住宅(マンションであるが、事務所としても利用可能)としての機能をダイレクトに表現したもので、その評価は高い建物です。
この建物が、竣工後30年が経過し,老朽化が問題になっているのです。黒川はカプセルの交換によって利用し続けることを求めていましったが、雨漏りの問題とか、アスベストの問題とかで、今年の4月15日に建て替えが正式に決定しました。本人は、コンセプトでもある「メタボリズム」ということで、新陳代謝、取換え、リサイクルを実現したサスティナブル建築の原型でもあることから、建て替えは望んでいないようです。この建物が、1996年Docomomo Internationalの国際委員会により、世界遺産にノミネートされています。建物は、確かに遺産としての価値もありますが、実用としての価値も重要です。この建物が良いか悪いかを別として、「共生」と「メタボリズム」の象徴しては、残してほしい気がします。
投稿者 fujimori : 18:44 | コメント (3)
2007年04月17日 [新聞記事より]
新聞記事
毎日の新聞には、さまざまな情報が満ち溢れています。時には、その情報が偏った見方をしていたり、一部しか伝えていないこともあるので気をつけなければなりませんが、それが正しいのかどうかですら確かめようがありません。事実を伝えてはいても、当然それを取材する記者の目を通して伝わりますので、その解釈はさまざまになることがあります。昨日、宮崎県の東国原英夫知事は定例記者会見で、「定例会見って必要ですかね。特筆すべき発表がない時は、会見を開かなくてもいいのではないか」と述べ、記者会見の定例実施に疑問を呈しました。他の都道府県知事は全員、定例記者会見を開いていますので、その発言に対し、記者側が「発表がなくても、知事の今の考えを確認する場は必要だ」と指摘したところ、知事は「統一地方選や米軍再編についても、ずっとしゃべっている。今さら何を聞きたいのかな」と反論。「内容を2ページぐらい割いて(新聞に)載せてくれますか」などとまくし立てました。まあ、情報公開ということもあり、当然、公務内容は、何を伝えるべきかどうかは自分が決めるだけでなく、公的行動と認識するべきだとは思いますが、発言内容を、言った本意と違うように伝えられるのに対しての危険も感じているのでしょう。そんな報道の中で、事実を伝えるというだけでなく、さまざまな人の意見や考えが掲載されることもあります。それが、違う分野の人や、違う論点でもずいぶんと参考になることが多くあります。3,4月の新聞から、印象に残った記事を見直してみてください。その部分を抜き出してみると、意外に参考になります。「結婚は他人と共生する高い能力を必要とします。でもピュアな自分らしさや自己実現を追いかけ、自分のペースで生きたい人は他者を生活圏に受け入れにくい。そう、子どもと同じですね。」(神戸女学院大教授 内田 樹氏)彼は、都会的な消費生活の中で他者と共生する能力を失っていったと指摘しています。それが原因で、結婚できない人が増えているのではないかといっています。そして、結婚とは「横にいつもいて、相手の話をうなずいて聞く。そして相手が自分を発見していくプロセスをリアルタイムで見守る証人になる。そういう共同作業なんです。」と語っています。この他者を受け入れるという、他と共生するという能力は、結婚という形態をとるときだけでなく、園の保護者を見ると、欠けている人が増えている気がします。自分の価値観だけから物事を見ようとする人が多い気がします。違う記事で、東京大学助教授の本田由紀さんはこう言っています。「教師や親たちは、自分たちの古い経験に基づく、「こうしておけば大丈夫なはずだ」という考えに、あなたを合わせようとするでしょう。」あなたのためだからと思わされて、疑問を持つことも許されず、言うとおりにしてきた結果、「いざ学校を離れる段階になったとき、突然「お前は何がやりたいのだ」という問いが、ぎりぎりと投げかけられるでしょう。それまでの「言うことに従え」というメッセージが、一転して「自分で決めろ」に変わるのです。そしてあなたが戸惑ってしまったら、「お前には人間力が欠けている」という非難が浴びせられます。失敗は、あなたの「意欲」や「コミュニケーション能力」が足りなかったせいにされるのです。」小さいうちから、自分の考えを言うことを制止され、伝える前に叶い、すべて与えられて育てられた結果、そういう力が育っていないのは、決して若者のせいではなく、育てられ方の結果です。快と不快のブログを思い起こさせる記事ですね。
投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (5)
2007年04月16日 [近頃思うこと]
早矢仕
今日の給食は、定番のカレーでした。最近、町の中を歩くと、カレーの店が目に付きます。もしかしたら、私が歩く商店街では、ラーメン屋より多いかもしれません。もちろん、日本人が好きなメニューですが、新宿のあたりは、インド大使館も近いために、本格的インド料理も多いようです。私の子どものころに住んでいた下町では、カレーをよく出前でとりました。重ねると、カレーがつぶれてしまうので、皿の周りに丸い枠をはめて重ねます。今でも、そういう出前はあるのでしょうか。また、私の家で頼んでいたのは洋風レストランですが、一般的にカレーと言えば、日本ソバ屋さんのメニューでした。今でも、日本ソバ屋でカレーのメニューや、カレーうどんがありますね。カレーのレトルトについては、以前にブログで書きましたが、カレー専門店も、青春とともに思い出があります。私の思い出は、やはり昭和48年に展開され始めた、エスビー食品株式会社100%出資の「カレーの王様」です。現在のメニューは、「ポークカレー」「ビーフカレー」のほかに売り上げナンバーワンの「ほうれん草カレー」などがありますが、私の思い出は、「ミートボールカレー」です。今は、そんなメニューはないようです。また、最近よく見る店は、昭和53年に名古屋市に1号店をオープンした「CoCo壱番屋」です。この店舗は、ハワイ、上海、台湾などにもあるようです。この会社が最近急成長しているのは、きちんとした企業理念があるからかもしれません。「壱番屋の企業マインドを形づくっているのは、3つの要素です。「社是」「ミッション」「経営目的」。言葉で表現するといかめしい感じがしますが、いっぽんの樹を想像してみてください。しっかりと大地に張り巡らされ、全体を支えている“根”が「社是」になります。私たちが行動するすべての源になる規範です。ぐんぐん成長していく“幹”は「ミッション」。日々これを実践し、より大きく確かなものをめざします。そして、天空に向けて青々と豊かな葉を茂らす“枝”が「経営目的」。到達を願ってやまないゴールです。壱番屋は、みなさんに心地よく感じてもらえる、いっぽんの樹でありたいと思います。」この理念の作り方は、どんな世界でも参考になりますね。そういえば、今年の3月に閉館になった「横濱カレーミュージアム」という博物館がありましたね。全国のカレー有名店と、レトルトカレー博物館がありました。その博物館には、さまざまなカレー店がありましたが、カレーは、誰にでも馴染みがあるので、その味はかなり好みがあるようです。今日の給食のカレーは、開園して初めての調理の味付けのためか、「ちょっと?」と思った人が多かったようです。かなり微妙ですが、慣れ親しんだ味と違うと、「あれっ?」と思うようです。ところで、話は変わりますが、「早矢仕有的」という人の名前は、どう読むかわかりますか?そのとおりに読めばいいのですが、「はやし ゆうてき」と言います。かれは、洋書などの販売で有名な「丸善」の創業者です。丸善は、明治2年福沢諭吉の門下生であった早矢仕が福沢の勧めで商社として創業したのが始まりです。横浜で創業した丸善は、翌年日本橋に移りますが、その日本橋店が、今年3月にリニュアルオープンをしました。その前に東京駅のオアゾの中に2004年秋にオープンした本店に行ったときに念願叶って食べてみたのが、「ハヤシライス」です。そうです。ハヤシライスの生みの親は、早矢仕氏です。ですから、「ハヤシ」なのです。子どものころに、カレーライス同様、ハヤシライスに凝ったことがありましたが、最近は、あまり食べなくなりましたね。
投稿者 fujimori : 23:03 | コメント (3)
2007年04月15日 [近頃思うこと]
快と不快
これからの時代に必要とされる力のひとつにコミュニケーション能力があります。それなのに、最近の若者に足りない力と言われています。たとえば、英語が話せるようになっても、コミュニケーション力がなければ、外国の人と会話はできません。それは、語彙の豊富さではなく、話そうという意欲と、自分の考えを伝える能力です。それが、最近欠けてきていると言われる原因のひとつに、「少子化」があると思います。赤ちゃんが生まれて、最初にコミュニケーションをとろうとする相手は、当然、養育者です。赤ちゃんは、まだ、自分で生きていく力がないために、代わりに自分の思いをかなえてくれる養育者に、気持ちを伝えようとするのです。人は、生まれてすぐの情緒は「興奮」しかありません。興奮から泣くことによって、息を大きく吸い込んだりします。そのうちに「快」と「不快」に情緒が分化します。そうなると、同じ泣くにしても泣き声が変わってきます。快のときと、不快のときとでは泣き声が変わるのです。特に、不快のときは、何とかその状況から脱しようとしますが、自分の力では無理なので、周りの人に頼む手段が「泣く」という行為なのです。「お腹がすいた」「どこかが痛い」「暑い」「気持ち悪い」などの不快を訴えているのです。それを周りが、気がつかないと、より大きな声で鳴きます。この行為は、いわば、コミュニケーションをとろうとする初めと言っていいかもしれません。その泣くという行為を、最近の親はかわいそうと思ってしまうのです。もちろん、不快の状況はかわいそうですので、早く快の状況にしてあげるべきでしょうが、だからといって、不快な状況を体験させない(オムツがぬれても気持ち悪さを感じないようなオムツを使う)とか、泣く前に解消してしまう(時間を決めてミルクを与えてしまう)ということは、情緒の分化を遅らせ、コミュニケーション能力が育たないことになってしまうのです。これは、何も赤ちゃんにだけに言えることではないようです。ウォーキングの小冊子に、東京学芸大の教授「池田克紀」氏がこんなことを書いています。「文明人は、自分を取り巻いている自然、自分を養っている生きた自然を荒廃させ、自らを生態学的に崩壊させる恐れがある。地球温暖化など地球環境の荒廃がすでに始まっている。さらに、快を求め、不快を避ける本能的な衝動であまりにも成功しすぎるのは決して良いことではない。不快をもたらすあらゆる刺激を避ければ、危険でしかもおそらくしばしば文化の衰退に通じる虚弱化が引き起こされるからである。」それは、どういうことかというと、「現代人は不快を解発するあらゆる刺激に敏感に、快を解発する刺激にますます鈍感になる方向にある。そしてその結果、後にならなければ快を得られそうもない仕事に励めなくなってきた。虚弱化と感性の衰退である。」と言うことのようです。今の若者が、今の快を求めすぎるあまりに、将来の快が得られなくなってしまうことが多いようです。将来の快のために、今の不快に耐えるということをしなくなってきているのです。また、こう言っています。「人間は豊かさや快適を求める知的な動物ゆえ、またそれを手に入れたことが理由で、豊かさや快適さを手放せない。真の豊かさや快適さを科学、工業や経済の発達に置き換えてはいないだろうか。巨額の富を築くことに豊かさを求めていないであろうか。正のフィードバックに慣れた人類は、豊かさの先に爆発的に増大する豊かさを求める飽くなき欲望を止められず、人類の滅亡そのものを迎えるかもしれない。」子どものことをかわいそうと思って、不快の状況をただ避けるということが人類の存続にもかかっているかもしれないと思うと、今こそ、幼児教育を本気で考えなければならないときかもしれませんね。
投稿者 fujimori : 22:51 | コメント (2)
2007年04月14日 [近頃思うこと]
山吹
園の前の通りをはさんで向かい側に落合第4小学校があります。この小学校の校歌の1番の歌詞は、「みのをからんというひとに はなをささげて ふみのみち はげましたりし えにしのち わがまなびやは たちにけり われらのこころ みがかんと」日本語は、難しいですね。音だけだとどういう意味か良くわかりません。これが、漢字かな混じり文で書いてあると良くわかるのですが。たぶん、こうなると思います。「蓑を借らんという人に、花を捧げて 文の道 励ましたりし 縁の地 我が学び舎は、建ちにけり われらの心 磨かんと」私なりに解釈すると、「急に雨が降ってきたので、蓑を借りようと思って訪ねた人に、歌を添えて花を差し出されたことをきっかけに、歌の道に精進をしたといわれている地に、私たちの学校は建てられています。私たちもそれに習って、心を磨かなければなりません。」というような意味かと思います。その校歌に歌われている逸話は、有名ですね。それは、こういうことです。「江戸城を築城した太田道灌は、ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきました。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。」実は、この太田道灌が鷹狩の際に俄雨にあったときの山吹伝説は、埼玉県越生の他、東京都豊島区高田、東京都荒川区町屋、神奈川県横浜市六浦などの伝承地がありますが、そのうちのひとつに、新宿のこのあたりがあります。都内ではもう数少なくなった路面電車のうちの一つ都電荒川線が走っているのですが、その荒川線の駅の終点「早稲田駅」から一つ目の駅が「面影橋」です。その駅のすぐ近くに「山吹の里」の碑が建っています。
この場所から、もっと東のほうに行ったところに新宿区山吹町があり、そこからこの辺りまでの一帯を通称「山吹の里」といったそうですが、それもやはりこの伝説にちなんだもので、近くには「山吹の里公園」もあります。「山吹の里」の碑の目の前にある川は神田川で、そこにかかっている橋が「面影橋(俤橋)」です。面影橋は別名「姿見の橋」ともいいます。この橋の名前の由来にも、様々な説があります。在原業平が、鏡のような川面に姿を映したからという説や、鷹狩りの鷹をこの辺りで見つけた徳川家光が名づけたとか、なかでも一番有名なのは、近くに住んでいた和田靭負の娘・於戸姫が、自分の美しさゆえに周りの男たちが争うのを嘆き、この橋から身を投げたという説です。山吹は、そろそろ花の盛りを迎えます。山の中に生え、花の色が蕗(ふき)に似て、金色で美しいことからこの名前になったといわれています。そして、しなやかな枝が風にゆれる様子から「山振」の字があてられ、じきに「山吹」になったともいわれています。その鮮やかな色から日本古来の色として「やまぶきいろ」と呼ばれる鮮やかな黄色があります。「山吹の色に酔うてもコップ酒」という歌もありましたね。
投稿者 fujimori : 21:27 | コメント (3)
2007年04月13日 [近頃思うこと]
数 その2
「東洋経済」に掲載されている畑村式の法則の第3は、「何でもパソコンで計算する」から「自分のアタマで計算する!」に発想を変えることです。「自分でまったく作業をせずに、出来上がった成果だけを聞いても覚えられないし身に付かない。物事を数量的にとらえるならば、安易にエクセルなどに頼らず、自分の頭と手を使って実際に計算をやってみるべきだ。」と提案をしています。先日、NHKのプロフェッショナルで、建築家隈研吾氏が、同じようなことを語っていました。パソコンなど使わないそうです。自分の中に「数」のモノサシを持つ必要がある。自分の身体感覚をベースのした「数感覚」を作ることだといいます。これは、数感覚だけではなく、いろいろなことにも言える気がします。物事を判断するときに、数値や情報などに振り回されることなく、自分の中に判断基準を持つことが必要です。「自分のアタマで判断する」ということでしょうか。法則第4は、「数は合計が大事」ということから「何でも一人当たりで見る!」と発想を変えることを提案します。この本に紹介されている事例はとても面白いです。「会社四季報」によると、ここには、トータルな数字が載っていますが、一人当たりの経常利益で比較すると、トヨタはソニーの4倍の稼ぎがあり、ヤフーはトヨタよりも5倍近く多くなります。逆に、平均年収では高い順にソニー、トヨタ、ヤフーとなります。一人当たりの数字に置き直すことで、全社ベースの数字だけではわからない、企業の違った側面が見えてくるといいます。これも、いろいろなところでも言えることです。よく、「みんなが思っている」と言うことがありますが、みんながどうということではなく、それぞれがどう思っているかが大切であり、そうしてみると、違った側面が見えてきます。最近、アンケートをとるにしても、多くのサンプルをとって集計するよりも、一人ひとりから事情を聞いたほうが参考になることが多いようです。最後の第5の法則は、「数は量で見る」ことから「数の質も見る」ということの大切さを提案します。畑村氏は、急激な数の変化が起きたときに「量的変化が質的変化をもたらしているのではないか」と意識することが重要だと指摘しています。真の経営者とは「数字の変化を表出させている条件はこれまでと同じなのか、それとも同じでないのか」をいつも徹底的に吟味できる人たちであるといいます。少子化をあらわす合計特殊出生率の数字にしても、量の変化だけを捉えるのではなく質の変化をきちんと見ていかなければなりません。単一のデータの変化だけを見ている人は、全体像が捉えられない。目先の数に一喜一憂していると、もっと大きな構造的変化を見落とす可能性があるのだといいます。こうした能力が傑出した経営者を例に出し、「彼らは、物事を数量的にとらえる力が圧倒的に強く、しかも数を静止したものとは見ていない。これまでの延長上に未来があるわけではないということを理解している。」と言っています。量的な変化ばかりを見て、数の後ろで起きている大きな質的変化を見逃した企業は競争から脱落してしまいます。「今までこれで来たのだから、これから先も同じだろうと考えたくなる。会社の経営がダメになるのは、こうした考え方を始めるときです。」という言葉は、どの世界でも当てはまることのような気がします。数字は、説得力がある反面、大切なものを見失わせる力があります。法則4,5は、そんなことをいっている気がします。
投稿者 fujimori : 20:27 | コメント (2)
2007年04月12日 [近頃思うこと]
ファジー
昨日のブログの法則2の内容「倍、半分は、誤差のうち」ということを考えてみました。というのは、最近の園の保護者を見ると、その言葉を実感として感じることが多いからです。何度か紹介しましたが、私が若いころに地域の園長仲間で毎年テーマを決めて「乳幼児の世界展」を開催していました。ある年のテーマが、「ファジー育児のすすめ」というのがありました。そのころ、ファジーという言葉がはやっていました。それは、ファジーやニューロを使った掃除機やエアコンなどの電気製品が、 一時ブームになったからでした。 しかし、「ファジーとは何か」「ニューロとは何か」と聞かれると、なかなかきちんと説明はできません。そこで、もう一度、そのファジー理論について考えてみます。まず、ファジー理論の特徴は、人間の情報処理で重要な意味を持つ「曖昧さ」を取り扱っているということです。なんだか学問的に言うと難しくなりますが、従来科学との違いを比較するとわかりやすくなります。基本的立場として従来は「必ず客観的である」ものが、「主観的でも良い」ということになります。すなわち「完全で正確」でなければならないものが「あいまいでも良い」という、なんともありがたい話です。理論的には、「数学的・理論的に厳密に扱わなければならない」ものを「必ずしも理論的には厳密でなくでもよい」ということになります。そのかわり、従来からの「経験」や「勘」が必要になってくるのです。私たちは、そのころ「育児」にもっとこのファジー理論を活用するべきだと考えたのです。体温計で熱を測るよりも、抱っこして、「なんだか熱っぽい」を大切にする必要があると思ったのです。最近、親は、目の前の子どもの細かい部分ばかりを気にして、特にデータとか、数値を見て、子どもの全体像を見ようとしないような気がします。数字の1や2の違いを気にして、一桁違うのに気がつかないということがあるのです。厳密にとか、正確にということにこだわりすぎて、相手のことを思いやったり、共感したりすることが後回しになることがあるのです。また、子どもに対しても、そんなことは将来には関係ないことでも、強く怒ったり、ムキになったりすることがあります。これは、「木を見て山を見ず」という言葉がありますが、子どもの育ちは、山を見ていかなければなりません。老子にこんな言葉があります。「小を見るを明といい 柔を守るを強という 其の光をもって 其の明に復帰せば 身の殃(わざわい)を残すこと無し 是を常の習いと為す」(その諸々の事象をありのままに見ることを明といい、柔軟である事を強という。その光のはたらきをもって、再び物事をありのままに見て知るところに戻れば、後々に身のわざわいをのこすような事もない。これを常の習いとする。)外国では、子育てで「タイムアウト」ということがあります。どんどん細かいところを見ていくと、その本質、真の姿を見失うことがあるので、一度ちょっと間をおいたり、離れてみたりして考えてみようというものです。もう一度、考えてみるとたいしたことでないことを気にして、本当に大切なことを見逃していたことに気がつくことがあります。もっと、気を楽にして、肩の力を抜いて、子育てをした方が結局は子どもとっても良い結果を生むことが多いと思うのですが、どうしても目の前のことが気になるようです。
投稿者 fujimori : 20:20 | コメント (3)
2007年04月11日 [近頃思うこと]
数
今、ちょっとした「数学ブーム」です。これは、映画にもなって話題になった、小川洋子の小説「博士の愛した数式」が影響しているかもしれません。4月2日(月)から毎週月曜にNHK教育で「マテマティカ2」という新番組が始まりました。この番組案内は、「図工のような感覚で楽しみながら学ぶ算数教育番組。割り算の概念や、面積・体積の計算など、抽象的でわかりにくいと思われがちな内容を、アニメーションや現実の生活の実写映像を通じて、明快に解き明かす。」というもので、対象は、算数でつまずきやすい小学校4年生から6年生です。カリキュラムを細分化することなく、算数の根底に一貫して流れる数学的な考え方に焦点をあてていますが、畑村洋太郎東京大学名誉教授のベストセラー「直観でわかる数学」の考え方を取り入れ、ものを考える上で最も大切な「直観力」を育てることを目指しています。この畑村式発想法が、今週の「東洋経済」で「畑村式 数の極意&超学習法」という特集が組まれています。最近の企業では、欲しい人材として「地アタマのよさ」を挙げることも珍しくなくなったようです。この「地アタマ」という言葉は、ビジネスの世界ではいつの間にか定着しつつあるようです。本来のアタマのよさ、とか、偏差値では測れない現場での応用が利く知力といった意味で使われることが多いようです。また、「地アタマ」は、問題解決型で、汎用性が高く、論理の構成力があり、反応が早いなどが言われています。畑村氏は、その「地アタマ」を磨く発想法を提案しています。それは、「常識に縛られずに本質を捉えている」といった意味では、異業種でも1流の人物は同じことを言っています。たとえば、「君は階段を何段上ってきた?」と聞かれたとき、1、数えてこなかったので、わかりませんと正直に答える。2、今から調べてきますと言って部屋の外に出ようとする。3、後から数えて返事をしますと答える。4、とりあえず、あてずっぽうで答えてみる。の答えはどれも不合格だそうです。日立製作所に入社した畑村氏は、「今、自分がいる部屋の天井までおおよそ3メートルほどあり、階段1段あたりの段差は20センチとすれば、階段は15段。」ということで、「大体15段です。」と答え、合格をもらったといわれています。必要なのは、法則1、「その場で、必要な数を自分でつくることができるかどうか」であるとしています。「自分では作業をせずに、出来上がった成果だけを聞いて覚えろと言われても人は覚えられないし、まったく身に付かない。ところが、自分で数を作るという動作をすれば、それが自分のものになるんです。」ということのようです。法則2として提案しているのは、「倍・半分の誤差は許される!」というものです。数字に弱い人ほど、「数字は正確でなくてはならない」という思い込みが強く、「数アレルギー」の原因のひとつになっているといいます。この法則は、そんな固定概念を瞬時に粉砕します。「数字を扱ううえでは正確でなければいけないと徹底的に教えられるから、数が大嫌いになってしまう。もっとアバウトでいい」そうです。倍は誤差の許される範囲といわれても「えっ?」と思ってしまいます。それは、こういうことのようです。「1トンだといわれた荷物が実際には2トンだったとしても、現場ではどうにかなってしまう。だけど10トンだったら、それは無理」というように、細かい数字に気をとられてケタが違うような大きなミスをしないということです。つまり、ケタ違いで大やけどをしないための心得でもあるのです。文系には、目からうろこといわれている所以です。
投稿者 fujimori : 22:35 | コメント (3)
2007年04月10日 [近頃思うこと]
桜湯
今日は、近くの公立幼稚園の入園式に参加しました。そんなところに出席するとは普通は考えられませんが、招待状をいただいたので参加することになったのです。参加をしてみて、やはり小学校の入学式同様、地域のイベントという感じがしました。ですから、私のような保育園園長が幼稚園入学式に出席しても、違和感がなくてすみました。同じ幼児教育をしている関係ではなく、地域の代表という感じです。そんな地域はいいですね。そして、出席して、招待客に対する心遣いを感じました。着いてから始まるまで待っている間に、控え室で、「桜湯」が出されました。この桜湯は、結納などの慶事には、地方によって異なりますが、「昆布茶」や「桜湯」でもてなされます。それは、「昆布茶」は「よろこぶ」に通じ、「桜湯」は「花が咲いた」という、めでたい意味が含まれるためのようです。反対に、おめでたい席には、「お茶を濁す」とか「茶々を入れる」という意味に通じるため、煎茶は用いられないそうです。もうすぐ、 桜が終わりますが、しばらくすると八重桜が咲きます。桜湯は、七分咲きの八重桜の花で作ります。手作りでも簡単ですし、買ったものより色がきれいに出ますので、つくってみてはどうでしょうか。水を溜めてその中で、摘んできた七分咲きの八重桜の花を洗います。そして、余分な水を切り、漬物容器に塩(花の重量の約20%)をふりかけておき、桜の花を入れながらまぶします。花の2倍の重さの重石をします。十分に水があがってきたら、花を軽く絞ります。(この絞り汁は残しておきます)桜の花をほぐし、花をつぼみの形にまとめて、漬物容器に並べ、漬け汁を注ぎます。重石をして、1週間漬け、そしてザルなどにとって余分な漬け汁を捨てます。この時、花を絞らない方が、風味が逃げないのでよいそうです。そして、湿り気が残る程度に陰干すると、桜の花の塩漬けのできあがりです。保存は、少量の塩を振かけて瓶等に詰めます。今日頂いた桜湯は、この塩漬けを水で塩を軽く洗い流し、熱湯を注ぐいだものです。桜の花びらはクマリンという成分を含み、こちらは二日酔いによいとされています。つまり、お花見で飲みすぎた後に飲むと、うれしい効果をもたらしてくれるというわけです。それよりももっと効果があるものに、「桜茶」というものがあります。これは、桜の花びらを使うのではなく、樹皮を煎じて飲むもので、食中毒や食あたりなどに効果 があるといわれています。さらに樹皮の抽出エキスは、咳をしずめ、タンをとる作用もあるため、市販のシロップ剤などに配合されています。また、湿疹や蕁麻疹などに、煎じ液で患部を洗うとよいとされています。これに使う桜は、主にヤマザクラで、この樹皮を剥いで、外面のコルク層を取り除いた内皮を天日で乾燥します。これを生薬の「桜皮(オウヒ)」といいます。江戸期の医者である「華岡青洲」が、創った十味敗毒散は、中国より伝わったある処方を改変したものとされており、この改変の際に桜皮を採用したそうです。なお、現在使われている十味敗毒湯には、桜の皮の代わりにボクソク(クヌギ又はその他近緑植物の樹皮)を用いることもあるようです。さらに、桜は、葉も利用できます。桜の葉を塩蔵すると、分解してクマリンという物質が生成され、独特な芳香がしますので、桜餅などに使われるほか、桜の葉を入浴剤として用いると、あせも等に効果があるといわれています。桜は見るだけでなく、花も、葉も、樹皮も利用価値のある植物ですね。
投稿者 fujimori : 19:39 | コメント (2)
2007年04月09日 [散歩]
散った桜
美術館が、今、東京では開館ラッシュです。六本木では、国立新美術館(2007年1月21日開館)に続いて、サントリー美術館(2007年3月30日開館)の相次ぐオープンにより、一大アートエリアとしてさらなる盛り上がりを見せています。これら2館に六本木ヒルズビルの中にある森美術館を加えた3館は、地図上で三角形を描く「六本木アート・トライアングル」として、新しいアートの拠点になっています。私もその3館に行ってみたいのですが、たぶん今の時期はとても混雑して、ゆっくり見るどころか入場もできるかどうか怪しいくらい混雑しているのではないかという気がします。そこで、昨日の日曜日は、山種美術館に行ってみました。山種美術館は故山﨑種二が蒐集した美術品の寄附により、昭和41(1966)年7月、日本橋兜町に日本画専門の美術館として開館した美術館です。その後、昭和51(1976)年、二代目理事長・館長の山﨑富治が旧安宅コレクションの速水御舟作品104点を一括して購入し、それまで所蔵していた作品と合わせて118点(うち79点は素描類)となり、国内外で最も優れた御舟コレクションと言われています。そして、30数年を経て設備の老朽化に伴い、平成10(1998)年に東京都千代田区三番町へ移転いたしました。この場所は、桜やボートが浮かぶ風光明媚な千鳥ヶ淵に隣接しており、また、この千鳥ヶ淵は、遺骨収集などにより海外などから持ち帰られた戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことのできない遺骨を納骨してある「千鳥ケ淵戦没者墓苑」があります。この「山種美術館」で、今開催されているのは、毎年春のお花見の時期に行われている「桜展」です。この開催趣旨には、「四季折々の風趣に恵まれ、自然にゆだねた生活を営んできた日本人にとって、草木花に寄せる想いはことのほか深いものがあり、特に桜は古来より親しまれてまいりました。絢爛と咲き、いさぎよく散る…桜ほど日本人の美意識に適う花はないのではないでしょうか。それゆえに絵画、文学をはじめとする芸術全般において多くの芸術家たちに好題材として選ばれてまいりました。本展覧会では、所蔵品の中から桜をテーマにした作品を中心に選び、お隣の千鳥ヶ淵の桜と共に華やかさを競い合おうという趣向でございます。今年は桜ばかりでなく、春を彩る美しい花々とともに春を満喫していただき、都会の喧騒を離れてお過ごしいただければ幸いに存じます。」ということで、「桜さくらサクラ・2007 ―花ひらく春―」と題して、横山大観の「春の水」、菱田春草の「桜下美人図」、上村松園の「桜可里」、奥村土牛の「吉野」、山口蓬春の「芍薬」、速水御舟の「夜桜」、伊東深水の「吉野太夫」、東山魁夷の「春静」、奥田元宋の「奥入瀬(春)」、石本正の「罌粟」、加山又造の「夜桜」など有名な作家、作品が約45点も並んでいます。必ずしも「桜」を題材にしているわけではありませんが、この描かれている景色、桜以外の花を見ても、その周りに桜が咲いているのを感じます。これらの絵を見て気がついたのですが、以前のブログではありませんが、満開の桜というよりも、夜桜とか、1本の桜とか、桜の華やかさというより、その華やかさの裏にある寂しさを描いたものが多くありました。館の外の桜は、盛りを過ぎ、葉桜に換わりつつあり反面、花びらで覆いつくされた公園、お堀などの表面は鮮やかであると同時に、はかなさを感じます。
桜は、咲いているときだけでなく、散っているとき、散り終わって地面を覆っているとき、すべてに日本人が好んだ「美」がある気がしました。
投稿者 fujimori : 19:55 | コメント (3)
2007年04月08日 [近頃思うこと]
階段
この4月に開園した私の園は、新宿区にあります。新宿区といっても、歌舞伎町をイメージする人が多いでしょうが、再三、ブログでも書いているようにとても閑静なところにあります。しかし、そうはいっても、やはり都会の真ん中ですので、土地を広く取ることはできません。ですから、園舎は、平面的に広く取れないために高い建物になってしまいます。地下1階、地上4階の建物です。もちろん、保育室は1~2階にありますが、そのほかの機能の部屋は地下とか、4階になります。昨日、保護者講演会を行いましたが、その会場のセミナー室は4階になります。もちろん、エレベーターはあるのですが、子どもが乗ってしまう恐れがあるために、エレベーター室への出入りのドアは常に鍵をかけていますし、エレベーターの電源も普段は切ってあります。参加の保護者には、1階から4階まで歩いて上ってもらいました。たぶん、始まる前は「エレベーターがあるのに」という不満をもたれた方もいたかもしれません。しかし、話が終わって帰るときは、みんなそれほど不満げではありませんでした。それは、講演内容に、「認知症にならないために」という話のなかで、「下半身を運動させると、前頭葉がおとろえず、認知症になりにくい!」ということを言ったからです。
厚生労働省が推奨する健康づくりの運動(身体活動)の1日所要量は8千~1万歩の歩行です。日常行動の中での歩数が2千~3千歩あるので、意識して約1時間歩けば、ほぼ1万歩に達します。園にいるときに万歩計をつけていたことがありましたが、やはり普段は、1日2~3千歩しか歩いていませんでした。そうは言っても、意識してそのほか1時間歩けといわれても、なかなかその時間をとることはできません。それが、今回は少しいいことがあります。それは、通勤に今までは車を使っていましたが、今回は電車での通勤です。車ですと、家を出て、職場に着くまでほとんど歩きません。電車ですと、駅まで歩き、ホームを歩き、駅から歩かなければならないからです。そのほかにいいことは、駅を利用すると、階段があるのです。階段昇降や坂道歩行は足に強い負担をかけるので、その運動強度は平地歩行の各2倍に相当するといわれています。つまり、階段や坂道を30分歩けば、平らな道を1時間歩いたのと同じになるというのです。朝日新聞「暮らしの風」によると、脚の筋肉や骨が強くなり、血液循環が円滑になるなどの健康効果が表れるそうです。脚の静脈血流は重力に逆らって流れるので、脚の運動が血液の働きを保つ重要な要素になります。脚を動かし、血流を円滑にすると、静脈中の疲労物質や老廃物の処理が進み、疲れがとれやすくなります。また、脚の筋肉を強化すれば、歩行が安定し、転倒のリスクが低下します。骨に負荷をかけると骨をつくる骨芽細胞が活性化して、骨量が増加し、骨粗鬆症の予防になります。また、筋肉量が増加すると基礎代謝がアップし、太りにくい体になるそうです。(これは、あるある大辞典ではありません)そのほか、筋肉の血流量が増加すると、細い動脈がしなやかになり、高血圧の改善も期待できるそうです。また、最近の研究で、運動が男性ホルモンの分泌によい影響をもたらし、筋肉の維持、疲労回復などに役立つこともわかってきました。あの日野原先生も、今でも階段を2段飛ばしで上っているそうです。私は、毎日園には、地下から入って4階の園長室まで行きます。そして、1日に何度も1階の職員室との間を行ったりきたりします。本当に急ぐとき以外は、エレベーターを使わないようにしたいものです。
投稿者 fujimori : 21:13 | コメント (5)
2007年04月07日 [地域を知る]
地域性
昨日、園の近くの落合第4小学校の入学式に参加してびっくりしたことがいくつかありました。ひとつは、来賓がたくさんいたのですが、その中で来賓席のトップが、PTA会長です。その次に区議会議員です。園の開園落成式のときに、保護者代表と区議を呼んだのは、この地域では大正解でした。来賓席の3番目が中学校長ですが、その次が、また、中学PTS会長代理です。その次が私でしたが、その後に続いたのは、第何十何代PTA会長、第何十何代PTA会長、同窓会会長、同窓会副会長と並びます。地域に住むOB,OGだらけでした。そういえば、朝、来賓控え室に行く前に校長室に立ち寄ったら、PTA会長だけがその部屋にいて、校長先生より先に出てきました。そして、自己紹介をすると、私を控え室に連れて行って、来賓が座っているテーブルごとに私を紹介して歩いてくれました。でも、それが、校長でも副校長でもなく、PTA会長というところがなんともいえません。もうひとつびっくりしたことは、最初にPTA会長と会ったときに「いつも、うちの子がお世話になっています。」と言われたので、「お子さんがうちの園児でしたっけ?」と聞いたら、「いえ、うちの子は幼稚園です。」と言われました。「あれ?」と思っていると、そのあと、地域の人に紹介されたときも、どの人も「うちの子がお世話になっています。」と挨拶します。PTA、同窓生、地域の人にとって、地域の子どもはみんな「うちの子」なんですね。その来賓室でも、ほかにもびっくりしたことがありました。式が終わって部屋に戻ってきて、私はそそくさと帰ろうとしたら、なんと、机の上には、それぞれの席の前に、立派なケーキが並んでいて、席に着こうとすると、「コーヒーにしますか?紅茶にしますか?」と、飛行機内のように聞かれます。多くの来賓分、どうやって会計をやりくりするのでしょうか。お付き合いで立派なケーキを食べたのですが、私は、ケーキは好きなほうですが、さすがに午前中からの立派なケーキには参りました。そのケーキを食べながら、周りの人との会話も、今までのニュータウンの小学校では決して出ない話題でした。それは、「私は、この小学校を卒業したのよ。」「あの人もそうよ。」私の席の中で一人だけ、「私はここに嫁に来たので違うわ。」と言った人がいただけでした。ニュータウンの小学校では、誰一人その学校の卒業生はいませんでした。当然ですよね。平成9年開校ですから。その地元出身の年配の女性たちは、着物を着て、品はあるのですが、話し方は、「ちゃきちゃきの江戸っ子」です。キップが良くて、小気味良いリズムで、はっきりとものを言います。私も下町育ちなので、なんだかその話しぶりは、懐かしいものがありました。新宿も、下町風情が残っているのですね。それはさておき、入学式ですが、開式の言葉の後が、「敬礼」です。1年生は、きょとんとしていました。入学式は、地域によってさまざまな形があるようですね。テレビで放映していましたが、1年生のほとんどが、羽織袴で参加しているところがありました。教室が、七五三の参拝のようですこういう映像や、それぞれの入学式に参加してその違いを知るにつけて、それぞれに地域性があると思うと同時に、その地域性というのは、たぶん、誰かが、いつのころにか作ったものではないかと考えます。どう見ても、大昔から、伝えられてきたものとは思えませんから。それを、さも、その地域の伝承されてきた文化のように受け継いでいくのは、変な気がします。
投稿者 fujimori : 20:21 | コメント (2)
2007年04月06日 [新聞記事より]
ポスト
1960年代後半から1970年代にかけて、「ポストの数ほど保育園を!」の合言葉のもと日本の保育園数を倍増しました。それはちょうど第二次ベビーブーム,核家族化の進行などにより保育ニーズが増大した時期にあたります。それまでは保育園が福祉施設であることから,子どもにはかわいそうだけれど仕方ないとか、利用するのが恥ずべきことという考え方が根強く,需要量自体が少なかったのですが、積極的に女性の社会進出や、保育所を利用することが前向きに生きる象徴のような考え方が出てきたために、保育所の需要が増大したのです。そして、この時期の整備により,とりあえず保育園定員の数的不足は全国的には、ほぼ解消されたと思われました。それが、少子社会の進行から、子育て支援の観点だけでなく、子どもの育ちにとって必要な施設として、都市部では、入園したくても入れない状態が起きています。そんな状態を見ると、「ポストの数」ほどというスローガンは、どういう意味だったのか考えてしまいます。何で、ポストの数と同じことが目標なのでしょうね。今、ポストの数はほぼ18万あると思います。保育所は2万ちょっとですから、まったく比較にならないくらいですね。それよりも今は、小学校の数とほぼ同じです。あのころ、「小学校の数ほど保育園を」のほうがよかったのにと思います。しかし、今はそれでも足りないので、どんなものほど作ればいいのでしょうか。本当は、「必要な子どもすべてのために」でなければならないはずです。
こんなことを思ったのは、昨日の新聞で、「ポスト」という言葉と「乳児」という言葉に出会ったからです。それは。「赤ちゃんポスト誕生へ」というもので、「親が育てられない新生児を匿名でも受け入れる「赤ちゃんポスト」の設置を熊本市の慈恵病院が計画している問題で、厚生労働省は22日、熊本市に対し、「直ちに違法とは言い切れない」との見解を示した。」という記事が掲載されていました。これを受けて、病院から施設の構造変更許可を求められていた市は、近く変更を許可するとみられ、全国初の赤ちゃんポストが誕生する見込みだそうです。最初に。「赤ちゃんポスト」が提案されたときに、「育児放棄を助長する」「命を救うためやむを得ない」など賛否両論があり、さまざまな論議を呼びました。しかし、そんな議論をよそに、この病院には県外の複数の病院から照会があるといい、今後、同様のポスト設置が全国に拡大する可能性がありそうです。この「赤ちゃんポスト」は、ドイツのキリスト教系社団法人がえい児の遺棄事件が多発したハンブルクで2000年に設置し、現在80カ所以上に広がっています。もちろん、「法解釈以前に、親が子供を捨てることが起きないためにどうしたらいいのか考えることが大事だ」ということは簡単ですし、「安易に育児放棄する若者を増やすだけ」、「赤ちゃんをもののように扱うべきではない」など、捨て子を助長するだけとの厳しい批判もわかります。また、それを実施し、この施設の数が増えているドイツ国内での新生児遺棄や殺害などの事件がなくなっているわけではありません。これが良いか悪いかだけでは、どうも解決できる話ではなさそうです。また、「そんな時代になったとは情けない話だ。」とか「今の若者はわが子がかわいく思わないのだろうか。」と嘆く人がいますが、私は、「育児は、昔も今も基本的に変わっていないな。」という感想を持ちます。ディケンズの「オリバー・ツウィスト」にしても、映画「汚れなきいたずら」の「マルセリーノ」にしても修道院の前に捨てられていましたし、山内一豊の長男にしても、門前に捨てられていました。きっと、今より昔のほうが多かった気がします。
投稿者 fujimori : 23:03 | コメント (3)
迷路のトイレ
コメントにあった、ドイツの迷路になったトイレ
「迷路を抜けてやっとたどり着いたら、人が入っていた!」というときは、間に合いませんね。
投稿者 fujimori : 22:57 | コメント (2)
2007年04月05日 [近頃思うこと]
トイレ その2
昨日の産経新聞に「子どもたちの意見を取り入れたトイレを作ろうという動きが広まっている。」という記事が掲載されていました。子どもたちの意見を取り入れることによって、使い勝手がいいだけでなく、自分たちがかかわって愛着があるため、丁寧に使い、掃除もしっかりするようになったほか、トイレを我慢する子どもが減って健康にも好影響があるといいます。この記事は、埼玉県戸田市立笹目小での活動で、平成17年度に5、6年生の32人がトイレ改修にあたっての話し合いに参加したそうです。市教委の担当者は「必ず使うトイレをきれいにすると印象がよくなるし、明るくなると人が集まってきて、いじめの巣になりやすい欠点もなくなる」と狙いを話しています。まず実施したアンケートでは、「大便器は汚れが落ちやすい縁なしに」「自動で水が流れるようにしてほしい」「背の高さに合わせて洗面所の高さを変えて」「荷物やランドセルを置ける棚を」「座って待てるようにベンチがあるといい」などが出されました。設備だけでなく「床は掃除しやすいように」「白は汚れが目立つから黄色がいい」「落ち着くように壁は木がいい」などメンテナンスや材料に目配りした意見も挙がり、意外と変なものは出すに、参考になる意見が多かったようです。その結果、話し合いで完成した図面を基に設計図が描かれ、昨年の夏休みに工事が行われました。そうした経緯でできあがった男子トイレは、中央の六角柱を囲んで高さの違う洗面台とベンチが交互に置かれています。女子用は、洗面台とは別に、背中合わせに高さの違う鏡と棚を張った台が2台置かれて、おしゃれに敏感な子どもたちに対応しています。コストは通常のトイレとそれほど変わらず、「トイレに愛着が生まれて、大事に使おうという機運ができてきた。」「メンテナンスも考慮してあるため、掃除が楽になった。」「それまでトイレを我慢して体調をくずす子がいたが、きれいになってからは少なくなった」「トイレのベンチに座って話をするなど子どもたちが集まる場所にもなった」と数多くのメリットが生まれたようです。ですから、この戸田市では市ぐるみで児童参加のトイレ作りに取り組みことにし、18年度も2校で実施されています。1997年1月10日の毎日新聞に「トイレ恐怖症」と題してこんな記事が掲載されていました。「子どもたちが不登校になる原因は様々です。Bくんは、トイレに行くことに恐怖心を持つようになったのが原因で、小学校四年生の十月から不登校になりました。学校の休み時間、大便用のトイレで用を足したところ、同級生に見つかり、「汚い」「不潔」などの冷やかしを受けました。それからしばらくは、近くに寄って来てにおいをかぐなどの嫌がらせをされるようになり、トイレに行くこと自体がBくんにとって「恐怖」となってしまい、やがて登校しようとすると腹痛に襲われ、学校に行けなくなりました。昔から、子どもの好きなギャグのネタのひとつは、「うんこ」です。しかし、このギャグがこの頃、陽気な健康さを失って、神経症的な陰質さに変質してきているような気がします。つまり、子どもたちは「不潔恐怖症」になり、友達に「汚い」とか「臭い」とか言われるのが死ぬほどつらい、と感じはじめたのです。子どもたちにとって「不潔」であることは、いじめの対象になる危険に身をさらすことにほかならないのです。」このようなことから現在全国の小中学校の子どもたちの間でトイレに行けない症候群が全体の8割にもなっています。それに対する戸田市の試みは、ひとつの方向ですね。
投稿者 fujimori : 22:18 | コメント (3)
2007年04月04日 [近頃思うこと]
トイレ
東京都府中市では、平成19年度から2年間で約5億円を投じて、市立小中学校のトイレの過半数を洋式化すると発表しました。こういうところは今後多くなると思いますが、それは、子どもたちの要望に応えたもので、温水洗浄便座、便座クリーナー、便座暖め機能のついたトイレも設置する予定だそうです。また、蛍光灯を増設し、悪臭を取り除く特殊洗浄も実施する方針で、「暗い、汚い、臭い」が定番だった学校トイレの一変を目指すようです。現在、同市の市立小中学校の便器は、約8割が和式ですが、家庭ではほとんどが洋式であるため、近年は和式を使いこなせない子どもも増えているといいます。そのため、子どもや保護者から、洋式化を求める声が高まっていました。しかし、反面、女子中学生を中心に、「誰が座ったか分からない洋式は嫌」との意見が根強い点も考慮し、すべてを洋式にはせず、6、7割を洋式にし、残りは和式とする方針で改修作業を進めていくそうです。そのための同市のトイレの改修工事関連予算は、19年度、小学校約1億7000万円、中学校約8900万円の計約2億5900万円を計上しています。そして、20年度にもほぼ同額の予算を計上する方針だそうです。ずいぶんかかりますね。しかし、改修費用は便器1基あたり約20万円かかるといいます。以前は、園でも、小学校がみな和式トイレのために、和式トイレを残していました。そのうちに、一部洋式トイレができたために、家庭と同じ洋式トイレにしました。しかし、駅など公共の場では、まだまだ和式トイレが多くあります。それは、直接肌に触れる部分が、不特定多数の人と共有することが嫌な場合です。家庭は、ほぼわかっている同士が使うのでいいのですが、そうでない場合はどうでしょう。皆さんは、駅やデパートなどのトイレを使用するときは、洋式か和式のどちらを使いますか?また、そのときは洋式を使う人でも、キャンプ場や山などでするときは、座り込む便器は基本的にはありません。ただ、普段使い慣れているからといって、それだけを使用していたら、そうでない場所に行ったときに困ります。見学会のときに、トイレを見た今年の進入園児の保護者に、担任が突然怒鳴られました。「こんな小さなトイレなんか、子どもが怖がって使わないから、トイレを大きいものにすぐに改修して!」と言われたのです。それは、園に設置してある子ども用の便器を見てのことです。「その大きさは普通ですが」と答えたそうですが、「いや、小さすぎる。」と言い張ります。よく聞いてみると、たしかに、家で子どもが使っているトイレは大人用です。「では、一番奥に、先生用に大人の便器がありますので、それを使ってもらってかまいませんよ。」と答えると、「ひとつしかないと、混雑するので、みんな改修をしてほしい!」といいます。ほかの子も、みんな大きいトイレでするのだと思っているようです。怒鳴らなくてもいいと思いますが、言われてみれば、子ども用の小さな便器は、家庭はもちろん、公共の場にもほとんどありませんね。どうなのでしょう。「すべての洋式トイレに便座クリーナー」を設置したり、「温水洗浄便座」「便座暖め機能」を設置することはどうなのでしょう。今の子どもたちの世界は、ストレスをかかえ、不安感から、いじめ、不登校などさまざまな問題を引き起こしています。子どもの世界の中で、トイレは、特殊な場だけに、そういう問題が現れやすい、象徴するような空間でもあるのです。排泄は人間の健康の基本であるにもかかわらず、長年タブーだったことも手伝って重要視されてきませんでした。もう一度考えてみる必要があるでしょう。
投稿者 fujimori : 19:55 | コメント (5)
2007年04月03日 [講演先にて]
花ざかりの森
ブログに書いたもうひとつの作品、三島由紀夫の「花ざかりの森」について書いてみようと思います。この作品は、私のブログではとても意味があります。私のブログに登場した「三島由紀夫」は、2005年12月16日です。そのときに取り上げた作品は、「豊饒の海」の中の「春の雪」でした。三島は、昭和16年「花ざかりの森」が「文芸文化」に連載されてから、昭和40年代に「豊饒の海」四部作(昭和40~45年)まで、さまざまな作品を発表しつつ、劇的な人生を送るのです。
昭和16年5月、学習院中等科五年生の平岡公威(16歳)は、国語教師の清水文雄に「花ざかりの森」の原稿を見せます。感銘を受けた清水は、自分も同人であった雑誌『文芸文化』の編集会議にかけ、全員の賛同を得て、「三島由紀夫」のペンネームで、同年9月号から4回にわたって連載しました。私がこの作品とであったのは、昭和46年に講談社から刊行された「三島由紀夫短編全集」です。その中で私が特に読みたかったのは、やはり初期の短編である「煙草」でした。この作品は、三島が、昭和21年、鎌倉に在住している川端康成の元を尋ね、「中世」「煙草」を渡したところ、「鎌倉文庫」の幹部であった川端は、雑誌「人間」に「煙草」の掲載を推薦し、これが文壇への足がかりとなった作品です。もうひとつ、この全集を購入した理由は、豊饒の海のときの動機に似ているところがあります。それは、本の装丁が、非常に「三島」のイメージに合っていたからです。豊饒の海シリーズは、表紙が絹の布でしたが、こちらの本は、銀で覆われています。
そのなかで、「花ざかりの森」はブログにも書いたとおり、特に桜の花には関係がありませんが、私には、満開の桜のイメージがあります。まず、書き出しである「序の巻」の前にはこう書かれています。「かの女は森の花ざかりに死んで行つた かの女は余所にもつと青い森のある事を知っていた シヤルル・クロス散人」三島は、「序の巻」でこういっています。「この土地へきてからといふもの、わたしの気持には隠遁ともなづけたいような、そんな、ふしぎに老いづいた心がほのみえてきた。もともとこの土地はわたし自身とも、またわたしの血すじのうえにも、なんのゆかりもない土地にすぎないのに、いつかはわたし自身、そうしてわたし以後の血すじに、なにか深い連関をもたぬものでもあるまい。」この書き出しは、16歳の高校生が書いたと思われないほど成熟しています。しかし、逆に、花ざかりの年齢ゆえに、追憶に対して盛りを過ぎたものとして捕らえています。「いくたびもわたしは、追憶などはつまらぬものだとおもいかえしていた。それはほんの一、二年まえまでのことである。わたしはある偏見からこんなふうに考へていた。追憶はありし日の生活のぬけがらにすぎぬではないか、よしそれが未来への果実のやくめをする場合があったにせよ、それはもう現在をうしなったおとろえた人のためのものではないか、なぞと。熱病のような若さは、ああした考えに、むやみと肯定をみいだしたりしがちである。」しかし、この花盛りを終え、現在をその中から見出したときに、こう思えてくるのです。「追憶は「現在」のもっとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるような感情は、追憶なしにそれを占ったり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。」三島の最後が予感されますね。
投稿者 fujimori : 23:56 | コメント (3)
2007年04月02日 [近頃思うこと]
満開の桜 その2
満開の桜の花を死に結びつけるという観念は、昔からあったようですが、明治以降、特に昭和の前半までは強かったようです。それは言うまでもなく、桜が幕末の頃から武と結び付けられたからでしょう。咲くときはパッと咲き、満開になったと思ったら、その盛りの時期も短く、あっという間に潔く散ってしまう桜の花びら。そこに武に必要な潔さを読み取ってきたからです。「同期の桜」という歌も、「咲いた花なら、散るのは覚悟。見事散りましょう。」という歌詞を見ると解ります。また、この歌のように、明治以降は、学校の庭などに桜の木を植えていくようになったために、同窓生のことを「同期の桜」などというのです。それはつまりは日本人に桜の美(開花の美より散る美学)と共に桜の観念を植え付ける狙いがあったようです。それは、特攻隊のシンボルとしての桜のイメージを活用し、「桜花」という名の人間爆弾でもあった特攻機もあったくらいです
満開の桜からは、死のイメージだけでなく、さまざまな人間の心を映し出すものを感じていたようで、そんな小説が多く描かれました。昨日のブログで書いた坂口安吾「桜の森の満開の下」の最初のほうに「山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖しくなって気が変になりました。そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中では呟いていました。花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。自分の姿と足音ばかりで、それがひっそり冷めたいそして動かない風の中につつまれていました。花びらがぽそぽそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにも行きませんから、一そう気違いになるのでした。」確かに、桜の花の下は、多くの人が騒ぎ、ぞろぞろ歩いていると華やかですが、頭上には満開の桜がある下に、ひっそりと一人でたたずんでいると、無限の虚空が満ち溢れる気がします。そこに、ひらひらと花びらが散ってきて肩にかかると、その孤独感は増長されます。本書では、ある山賊と、彼がさらってきた美しい女の話ですが、この女は都の住人で、つれてこられた山奥の家に着くなり、以前にこの男にさらわれてきた女たちをことごとく殺せと命じます。女が都を恋しがるために、山賊は都で暮すようにしたところ、やがて女は“首遊び"を始めます。姫の首、公卿の首、坊主の首。首と首は愛しあい、悲しみ、怒り、泣き、女はそれを楽しむのです。山賊は、何か変だと思いながらも、その女のもつ狂気になかなか目を向けようとはしません。それは、その女のあまりの美しさにすっかり魅了されてしまっているからです。これをこう感じています。「桜の森の満開の下です。あの下を通るときに似ていました。どこが、何が、どんな風に似ているのだか分かりません。けれども、何か、似ていることは、たしかでした。」桜の下にある、その美しく、しかし狂気を含んでいるものは、あるいは「孤独」というものであったかも知れません。冷たい虚空がはりつめ、人を狂わせてしまう「桜の森の満開の下」には、安吾のいう「生存それ自体が含んでいる絶対の孤独」があるといいたかったのかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (3)
2007年04月01日 [近頃思うこと]
満開の桜
今日の昼間はとても天気がよく、気温も高い日和でした。私も、そんな気候に誘われて、少し風邪気味でしたが、近くの土手に散歩に出てみました。そこでは、満開の桜の花の下で、町会による花見大会が催されていました。花の下にはシートを広げ、ビールや持ってきたお弁当を思い思いに広げています。その周りには、おそろいの浴衣を着た年配の女性たちが、盆踊りを踊っています。
この光景は、昨年行った新宿御苑や、市谷の土手とは違って、いかにも地域の花見という感じでしたが、それでも、いわゆる「ドンちゃん騒ぎ」です。アメリカのポトマック川岸の桜も満開だそうですが、アメリカでは、公共の場でのアルコールは禁止だそうで、眺めて歩くだけだそうです。しかし、あの心浮かれるような花見は、桜の下に限るようですね。どうしてでしょう。
私は、桜の花の満開を見ると、華やかさの裏に、なんだかその美しさゆえに心狂わせるものがあるような気がして仕方ありません。それは、たぶん、3作の短編小説の影響でしょう。そのひとつは、梶井基次郎の短編小説「櫻の樹の下には」です。この内容は、主人公が、桜の樹が美しいのは下に死体が埋まっているからであるという空想に駆られ、死体に象徴される惨劇(死?)への期待を深める物語です。この作品は全編に渡り主人公のモノローグという手法で以って描かれ、主人公は一般的に満開の桜の樹に代表されるように心の澄まされる美しい情景の直視に堪えられず、それらに負、即ち死のイメージを重ね合わせる事で初めて心の均衡を得ることが出来ると語ります。あの美しすぎる華やかさは、自分の醜さを感じざるを得ません。そのために、その劣等感から逃れるためには、その美しさの裏には、こうした不快があるのだと敢えて自分の中に言い聞かせようとするのです。
2作目は、坂口安吾の「桜の森の満開の下」です。この作品も、桜の木についての、独特な想念それとも妄念が前提としてある作品です。どうも、桜の木には死の臭いが漂っているような気がするようです。この「桜の森の満開の下」の書き出しはこう始まります。「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげた団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまうという話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。」
もう1作、思う出す作品は、三島由紀夫が十六歳で、少年の倦怠を描いた作品「花ざかりの森」です。この作品は、何も桜の花ではありませんが、三島の生き方と、桜の咲き方と、「花ざかり」という響きが、なんとなく満開の桜を連想させます。満開の桜を見て、これら青春のころに読んだ作品を引っ張り出して読んでみました。どれも、短中篇ですので、すぐに読めましたが、今になって感じるところが違っていました。続編を書いてみます。