ハルジオン

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 今の季節、あらゆる空き地や野原、土手などどこでも見られる花に「ハルジオン」があります。申し訳ありませんが、私はあまりこの花は好きではありません。それは、あまりにもそこかしこで見られるように、その繁殖力のたくましさというより、私から見るとずうずうしさを感じてしまうからです。この花は、その花の形から見てわかりますが、キク科の植物で、大正時代に日本に入ってきた北アメリカ原産の越年草です。私は、自然はその場所に自然とあるのがいいと思っています。そこの場所での風土、気候、土から生まれて自然は、とても自然だからです。ですから、帰化植物といわれているものは、少し抵抗があります。しかし、それは、本当は、花には申し訳ないことかもしれません。他の帰化植物と同様に、ある意味では、その花こそ犠牲者かもしれません。というのも、この花は、発芽率がよく繁殖力が強いので、野生化して厄介な雑草扱いされていますが、もともとは、観賞用として輸入したものが、野生化したものです。人間のエゴで勝手に持ってこられたのに、その後は迷惑がられるのも気の毒です。この花は白いですが、つぼみの時にピンク色をしています。そして、つぼみのころはうつむいており、次第に頭を持ち上げてくるのが特徴で、葉は茎を包み込むように付いています。茎の中にはずいがなく、管状になって穴があいています。この花は、4?6月に花を咲かせますが、もう少し遅く、6月?10月頃に花を咲かせ、この花によく似た花に「ヒメジョオン」があります。この花も、キク科で、明治時代に渡来したアメリカ原産の越年草です。茎はずいで詰まっていて、葉は薄く両面に毛があります。そして、つぼみのときから頭花は直立します。名前のハルジオン(春紫苑)は春咲く紫苑(シオン)から来ており、よくブログに登場した牧野富太郎博士の命名によります。紫苑とは、平安時代以前に中国から渡来し、源氏物語等にも登場する古くから愛でられたキク科の花で、秋に薄紫色の花をいっぱい付け、2m近くになる大柄な花ですが、ハルジオンは小さいながらも花がこの紫苑に似ているので、「春咲く紫苑」 ということで、「ハルジオン」という名がついたといわれています。一方、「ヒメジョオン」は、「姫女苑」と書くので、本当は、「ジオン」と「ジョオン」を分けることが正しいようです。しかし、「春女苑」と書いて、「ハルジョン」という場合も、植物図鑑によっては、ハルシオン、ハルジョオンと書いたりしていますが同じものです。これらの花は、キク科というだけあって、独特の素敵な甘い香りがします。そして、びっくりすることは、キク科の花は春菊が野菜として栽培されているように大半が食用になり、ヒメジオンもハルジオンも和え物等で食べられるそうです。しかも、よく食べる春菊と比べても、野生のキク科の花の中ではハルジオンが美味しいと言う記述が多いそうです。でも、実際に食べた経験はありませんし、食べた人を聞いたこともありません。あまりにも多くの場所、そして、道端などに咲くとそれだけであまりおいしくない気がしてしまいます。その花の美しさを含めて、そのものの正当な評価をするために、表面的に見える姿、刷り込み、その回りの環境に左右されずにきちんと見ないといけませんね。このブログで書き進めていくだけでも、そのものの姿を改めて見つめることができ、その印象は、次第に見直されてくるものですね。

製作

 子どもたちは、いろいろなものを作るが大好きです。回りにあるガラクタを使って、さまざまなものを作ります。そこで、そんな好奇心を満たすような番組が、テレビ放送の開始と同時に、もうすでに放映されています。1959年から、NHK教育テレビ放送開始と同時に、『できたできた』という子供向け造形指導番組が制作されたのです。それが、1967年4月 に『なにしてあそぼう』というタイトルでスタートしますが、そのときから、あの『ノッポさん』が登場しますが、相方は『ムウくん』という熊の子でした。その番組が1970年3月に最終回を迎え、次の月から『できるかな』の放送が開始しされます。しかし、そのときは、ノッポさんではなく、5人のお兄さん・お姉さんが登場したのですが、『ノッポさん』の復帰を願う子どもたちの声に応える形で1年後に、『ゴン太くん』の登場と共に、ノッポさんも再登場します。この番組「できるかな」は、1967年4月から1990年3月までずっと放送されていました。この番組は、パントマイマーの『ノッポさん』と、着ぐるみの『ゴン太くん』(表情の替わりに「ウゴウゴ」と言う)の無言劇(パントマイム)によって構成され、画面には一切姿を見せないナレーターの『おしゃべり』が彼らの行動の解説を行います。
いま、教育テレビ「つくってあそぼ」が、子どもたちに大人気です。この番組は、造詣の魅力を「ワクワクさん」と「ゴロリ」のユーモラスなやりとりを通して、優れたエンターテインメントとして子どもたちに提示しています。この番組を見て、同じように造りたいと思う子に対して、こう助言しています。「お子様がワクワクさんと一緒のものをつくりたいと思う気持ちは、当然起こるものと思います。しかし、一方で工夫をこらして自分だけのものを作りあげる喜びは、他に代えがたいものです。何かを発想し、それを実現させようと考え、実行するという過程は子どもの表現力の発達には不可欠です。ぜひ“自分だけのものを作る機会”をお子様に与えていただきたいと思います。」この人気番組「つくってあそぼ」とコラボレーションしたリサイクル工作教室『つくってあそぼ わくわくワークショップ』が、株式会社セガによって、東京都武蔵村山市にオープンした「ダイヤモンドシティ・ミュー」内に、オープンしています。
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 施設内では牛乳パックやペットボトルなど身近な素材を使って工作をし、その工作を遊びに発展させて楽しむことができます。「つくる」「あそぶ」を通して、ものを大切にする心とコミュニケーション力を育むことを目指した、今までにないワークショップ&パークというのがコンセプトです。ここを、見に行ってきました。ここは、3歳から小学生までの子どもが、1時間630円(延長10分までごとに105円)で利用できるようになっています。この空間は、園の3?6歳児用の「製作コーナー」と同じです。しかし、やはりセガは企業なので、プレゼンはとても上手です。ですから、園でもその言い方は、参考になります。製作コーナーの説明をこうしたらどうでしょうか。「製作コーナーは、身近な素材を使って工作を楽しみ、作品で遊ぶことを通して創造性とコミュニケーションを育むワークショップです。」また、利用に仕方の説明もこう変えれば、園でも使えます。「きょうは、どんなこうさくしようかな?まずはどうぐをじぶんでだしてこよう。」「そしたら、ざいりょうをえらぼう。しっぱいしたときもとりかえられるよ。」「できたら、それであそんだり、かざってみよう。」「おわったら、おかたつけしようね。どうぐをもとにかえそう。」どうでしょうか。

手塚の原点

 漫画家・手塚治虫が執筆した地球環境問題を取り上げた随筆集に、「ガラスの地球を救え」があります。この本の執筆途中の1989年2月9日に死去し、未完に終わっています。この随筆集で手塚治虫は、「なんとしてでも、地球を死の惑星にはしたくない。未来に向かって、地球上のすべての生物との共存をめざし、むしろこれからが、人類のほんとうの“あけぼの”なのかもしれないとも思うのです」といっています。この訴えは、朝日放送(ABC)が2000年の開局50周年記念事業としてスタートした、地球環境問題について考えるキャンペーン企画になっています。そのキャンペーンソングはTHE BOOMの「いつもと違う場所で」という歌です。現在も放送中のABCラジオの番組「Earth Dreaming?ガラスの地球を救え!のパーソナリティーは、治虫氏の長女で地球環境運動家でもある手塚るみ子さんが務めています。そして今、このメッセージにこめられた思いを伝えるために、九段下の「昭和館」で、「手塚治虫の漫画の原点?戦争体験と描かれた戦争?」と題し、特別企画展を開催しています。
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 手塚氏が新宿にゆかりがあることもあって、それを少し前の日曜日に見に行きました。この「昭和館」は、もともと戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていくために、厚生労働省が平成11年3月に開設した国立の施設です。その中での特別企画展は、「手塚修が生涯を通じて、子どもたち・大人たちに伝えたかったメッセージを知る機会にしていただくとともに、戦中・戦後という日本人が最も苦労した時代を、手塚治虫の直筆原稿や本人の写真を中心に振り返ります。」とあり、入場料が無料でとてもお得な展示です。
 手塚はいろいろなテーマで漫画を描きますが、1960年代に長編が生まれます。その中で、「ブラックジャック」を通してベトナム戦争や南米やヨーロッパなどの戦争を描き、「鉄腕アトム」や「ノーマン」「ビッグX」「火の鳥」の未来世界といったSF、近未来漫画でも、「どろろ」「火の鳥」の過去編といった過去の世界でも戦いと生命が失われていく様相を繰り返し描いてきました。その原画などを見ていたとき、今、実写映画でも製作された「どろろ」の漫画を懐かしく思い出しました。
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 「どろろ」は、1967年?1968年まで週刊少年サンデー(小学館)で連載され、一時中断しますが、1969年、冒険王(秋田書店)で連載再開され、ここで完結をします。この漫画を、毎回ただ読んでいたのですが、その主人公の思いに、とても意味があります。この展示から知りました。「48匹の魔物に体の部分をいくつも奪われて誕生した、百鬼丸。彼は自らの体を取り戻すため、魔物退治の旅に出た。自らの体が48箇所も足りないこと。そして、魔物に取り付かれていることにより、自分は「何もできない」と思い込む百鬼丸。ある日、百鬼丸は盲目の法師に出会う。法師は「見せたいものがある」と言う。百鬼丸が連れて行かれたのは、廃寺だった。そこには戦さで家を追われ、両親を亡くし、自らも傷を負った戦災孤児たちが身を寄せ合って暮らしていた。多くのものをなくしても尚、子ども達は一生懸命あきらめることなく暮らしていた。そんな子ども達の姿に、百鬼丸は今までの自分を恥じるのだった。」
 当時の妖怪ブームと重なり、そのころ面白く読んでいたのですが、全体にこんなメッセージがあったのですね。

休日

 明日から、ゴールデンウィークが始まります。各地では、いろいろなイベントが計画されています。また、美術館、博物館、動物園、遊園地など子どもたちが喜びそうな企画がたくさんあります。子どもたちはどこに連れて行ってもらえるでしょうか。数日もあるゴールデンウィークの中で、何日連れて行ってもらえるでしょうか。どのくらいお金がかかるでしょうか。また、さぞかし人気のある場所は混んでいて、親は疲れるでしょうね。このような休日は、意図したこととずいぶん違ってきています。その中の代表が学校の「週休二日」と、「ハッピーマンデー」と呼ばれる日です。学校の土曜日休日は、かなり最近いろいろなところで論議されていますが、それ以上に問題にして欲しいのが「ハッピーマンデー」です。この休日は、週休2日制が定着した今日、月曜日を休日とする事によって土曜日・日曜日と合わせた3連休にし、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で制定されています。平成10年に成人の日及び体育の日が、平成13年に海の日及び敬老の日がそれぞれ月曜日に移動しました。そのときの理由を見ると、例えば、「敬老の日」は、連休化することで、地域のお年より交流する機会が増えたり、故郷の両親を訪ねやすくなることが期待できるように、祝日の意義が、社会により広く浸透するのではないかと説明しています。日本中で、3連休になったので、故郷の両親を訪ねる人が何人いるのでしょうか。また、「余暇活動の機会が増えるとともに、新しい生活スタイルの実現がより容易となり、心身のリフレッシュ、自己実現、生活の楽しさ、豊かさを増すことにつながります。」とありますが、どうも、疲れきってしまうほうが多いような気がします。しかし、それ以上に大きな問題があります。どうも「ハッピー」でない月曜日が増えてきています。まず、休みの日は、子どもたちはそれぞれの家庭の責任ですごします。ということは、どこに行くかにしても、なにをするかにしても、それぞれの家庭によるので、非常な格差を生んでいるということです。これは、週休二日になったときの問題と同じです。しかし、月曜日にはそれにも増して問題があります。月曜日は、学校では、行事の関係で日曜日に出校日や休日出勤だった場合は、振替休業となります。最近、運動会、文化祭、父母参観などで土曜日が使われることが多くなりました。この土曜日の「振替」として区内の公立小中学校では月曜日に代休が割り当てられることが多いのです。しかし、ハッピーマンデーと違って、専業主婦の場合はまだいいのですが、その日は、両親の職場は休みではありません。そこで、子どもたちはどこかに連れて行ってもらえるわけでもなく、町の中をうろうろするのです。この状態を「マンデーチルドレン」といいます。区内の大型スーパーマーケットでは、午前中から子どもたちが遊んでいる姿を良く見かけるようです。最近、この月曜日に対して新しい問題がわかりました。この振り替え休日を使って、普段は、みんなが休日の日では混んでしまうような施設に子どもを連れて行ってあげようと思うと、ほとんどの施設が、月曜日休みなのです。博物館も、美術館も、動物園も、みんな月曜日休みです。これでは、「ハッピーマンデー」どころか、「ブラックマンデー」(ニューヨーク株式相場が大暴落した1987年10月19日は月曜日であったので、こう呼ばれている)とか、「ブルーマンデー」(月曜の朝に現れる憂鬱から身心に不調が現れるトラブルをブルーマンデー症候群と呼ぶ)になってしまいそうです。

早期教育その2

 早期教育について、私がまだ幼児教育に関わっていないころ、また、将来関わるであろうとも思っていなかったころ、少しの間小学校の教員をしていたころに考えたことがありました。それは、1年生を担任していたからです。入学式が終わって、初めての授業を始めたころに、いろいろと考えることがありました。最初にやったことは、朝、登校したら、ランドセルから教科書などの持ち物を出して机にしまうこと、帰りにそれらをランドセルにしまうことを何度も繰り返し教えます。こんなことは、今保育園をしているとなんだか3歳児でもできる気がします。しかし、そのころは、ずいぶんとできない子が何人もいて、「なにがない!」と泣いたり、ただ突っ込むだけで取り出すときに全部出してしまったりします。それを思い出して、もう一度園児を見てみると、6歳になっても、朝登園をしてきて、いろいろなものをしまうのに保護者が全部代わりにやってしまう家庭や、小さいうちに子どもの目の前でやって見せるというモデルを示さずに、先生にやることを要求したりする家庭が多いことに気がつきます。それから授業が始まるのですが、教科書を見てみると、確かに文字を少しずつ教えていきますが、意外と早いうちから文字がたくさん出てきます。国語の授業では、同時に漢字も出てきますので、新しい単元に入るたびに、その内容をよく読みとったり、考えたりするよりも、まず、新出漢字を覚えさせ、難しい言葉の意味調べをすることに費やしてしまいます。私は、1年生で教える漢字は決まっているので、それをすべて語源を載せた表をつくり、国語の授業の単元に関係なく、朝とか空いている時間にひとつずつ教え、それを葉の形に切り抜いた色画用紙に書き、後ろに大きくつくった木の枝にぶら下げていきました。そして、その葉の色は、その漢字を教えた時期の季節によって色を変え、子どもたちにいつごろ習った漢字かがわかるようにしました。そうすることで、国語の授業は、その単元の意図するところに集中することができます。そのときにまたひとつ幼児教育の疑問がおきました。私は、それまで幼児教育をしていませんでしたし、独身でしたので子どもはいませんでしたので、あまり絵本に触れることがありませんでした。ですから、教科書に出てくる話は、どれも感動してしまいます。「おおきなかぶ」の繰り返しの面白さと度肝を抜くほど大きく育ったこと、その大きくなりすぎたかぶをどう抜くかという知恵、どれもとても感動しました。また、「ふしぎなたけのこ」では、地域の交流のきっかけ、それぞれの地域に、その地域ならではの産物があることを知り、「かわいそうなぞう」や「かたあしダチョウのエルフ」では、読んでいる間に声を詰まらせて読み続けられなくなったこと、「かさこじぞう」では民話のふしぎな魅力、「スイミー」や「スーホの白い馬」では戦争の意味、それぞれ教科書に取り上げられている物語はとても感動します。しかし、ほとんどの子は、そんな話を感動しません。それは、それらの話は、ストーリーをみんな知っているからです。幼児期の絵本で読んでいるのです。しかも、まだその話に感動しない時期に読んでしまっていることが多いので、ただ先を教えようとします。私が感動していると、結末を教えようとします。とても授業がしにくかった思い出があります。確かに、本というのは、その時期、年齢によって感動する部分が違いますし、そのころの環境によっても違うでしょう。ですが、みんなストーリーを知っている話は、感動することを教えるよりも、その文章を分析することをしてしまい、なんだか子どもたちを本嫌いにしている気がしていました。

早期教育

 中国、韓国などでの過熱した早期養育、幼児教育を見るにつけて、ではどうあるべきかを考えてしまいます。たとえば、よく言われるように、「字を覚えるのは小学校に入学してからで大丈夫なので、それまでは、勉強などせずに、元気に遊んでいればよい」ということがあります。しかし、この言い方は少し違っている気がします。まず、「勉強」と「遊び」を並列して考えている点です。同じような考え方に、「勉強の時間」と「遊びの時間」と分けて考えることです。それは、勉強を教科として捉える場合はそういうこともありえるでしょう。また、勉強を「勉めることを強いる」とすればそういう分け方はあるかもしれません。しかし、勉強を「学び」としたときは、その考え方はおかしくなります。しかも、生きていく知恵を学びことが中心である幼児期では、遊びの時間=勉強の時間であり、生活の時間=勉強に時間になるのです。ですから、最初の文の「勉強などせずに、遊んでいればいい」ではなく、「遊んでいることから幼児は勉強をしている」ことになるのです。また、字を覚えるのは小学校に行ってからというのも、少しおかしいと思います。小学校では、まず、ひらがなを50音、濁点半濁点を入れると6?70字ほどあります。カタカナを入れるとその2倍、その上漢字を80字あまり。全部で、200文字以上覚えるのです。大体学校へは、年間200日通学します。その中で国語の授業となると何日あるでしょうか。そうでなくとも、子どもたちは、ほぼ毎日1文字ずつ覚えていくことになります。もし、私たちが、毎日1文字ずつアラビア語を覚えなさいとか、ハングル文字を覚えなさいといわれても無理のような気がします。それを、あの小さな1年生が成し遂げているのです。どうしてでしょう。それは、身の回りに文字がたくさんあり、文字に触れるのは、何も授業中だけ、国語の時間だけではないからです。テレビを見ても、町を歩いていても、電車に乗るときも、小さいうちから文字と触れ合っているからです。もし、一部屋の中だけで育てられているとしたら、いくら机に向かわされて、毎日覚えることを強いられても覚えられるものではありません。しかも、覚えなければならないものは、ほかにもたくさんあるのです。これだけを見ても、幼児にとっての勉強は、ある時間内だけのものではありませんし、教わることだけでもないのです。しかし、いくら遊びが大切であり、遊ぶことから学ぶといっても、たとえば、毎日テレビゲームで遊んでいるだけで学びがあるのでしょうか。ただ、走り回っているだけで学びがあるのでしょうか。それも違います。さまざまな経験が、さまざまな学びを支えているのです。生きていくということは、総合的な営みです。ですから、小学校で「総合的学習」の時間を創設したのでしょう。しかし、教科として総合的学習を位置づけてしまうと、「飛騨地方」がどこにあるかを考えないで、「さるぼぼ」がどんなものであるかだけを覚えることになってしまうのです。飛騨地方に伝わる伝説の人形の「さるぼぼ」から、その地方の歴史を知り、その背景の日本の歴史を調べ、その地方の地理的条件から、日本の地理に興味を持ち、地域ごとに伝わる文化から、自分の住んでいる地域の文化を大切にし、昔の人の暮らしを知ることによって、これからの生きていく知恵を学んでいくというようにどんどん興味関心が広がり、学ぶ意欲がわいてきてこそ、「総合的な学び」といえるのでしょう。今日から長崎で行われている研修の今年のテーマは、そんなことです。

軍師

 今、NHKテレビで大河ドラマ「風林火山」が放映されています。視聴率はどのくらいでしょうか。日本人は、武田信玄が好きなようで、過去何回か信玄を中心にした大河ドラマが放映され、いつも高視聴率を上げています。信玄を中心に、今回は、その軍師といわれた「山本勘助」を主人公にしています。軍師をおいたというのは、ずいぶん古くからあるようです。釣りをするときによく使われる「太公望」を、周の文王が師に立て、子の武王のときついに殷を滅ぼしたことが『史記』にみられます。しかし、なんといっても有名なのは、三国時代の「軍師祭酒」という官名ですが、劉備に出仕して「軍師中郎将」の官名を与えられ、のちに「軍師将軍」となった諸葛亮です。日本でも、江戸時代には戦国時代の合戦を取り上げる軍記物が数多く書かれて戦国大名に仕える名参謀たちが描かれています。また、明治以降にも、軍記物が講談や歴史小説の題材に取り上げられて、半ば偶像化するほどさまざまな軍師の働きが描かれるようになりました。その中で、豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛などの軍師のイメージが一般に広まりました。たとえば、秀吉が竹中半兵衛を迎えるために七度彼の庵に通ったという有名な物語が、劉備と諸葛亮の三顧の礼の逸話に基づくことが明らかであるように、日本の軍師のイメージは、多くは中国の歴史物語に範をとって江戸時代以降に作り出されたものであると言えるようです。今回のNHKドラマの山本勘助についても同様なことがいえると思います。しかし、その働きや主従のあり方には今の時代でも参考になることが多くあります。歴史作家の皆木和義氏が、今月はじめに出たPRESIDENTに面白いことを書いています。「信玄はいかに部下の心を掴んだのか」という記事です。「信玄は“自分が人を使うのは、その人の業を使うのだ”という言葉を残している。リーダーが人を使うとき、肩書きや見た目で人を判断せず、その人物がどのような能力を持っているのかに重点を置くべきということである。」この、人を見た目で判断せず、能力で評価する信玄の姿勢が、山本勘助の重用であるといいます。この勘助は、背が低く、色黒の醜い男で、隻眼のうえ片足も不自由だったといいます。そのために、長い間仕官をすることができませんでした。今川義元は、勘助の見た目の気味悪さから、寄せ付けなかったといいます。「ところが、信玄は違った。肢体が不自由なのは戦場でも経験が豊富なためだと考え、逆に勘助を重用した。信玄は見た目に惑わされず、本質で人を判断する。こうした行動は家臣の心を掴む。信玄の下で働いていれば、容姿やへつらいよりも能力や働きを評価してくれるとのうわさがたつ。信玄の評価方法は現代の“成果主義”であり、“加点主義”だった。」と、皆木さんは言っていますが、私は、成果主義と少し違う気がします。成果で判断するのではなく、その人となりである本質で判断したということのような気がします。私からすると、成果も目で見える表面的なことのような気がします。その成果の質が問題だと思います。それは、皆木さんの原稿の中で紹介されている武田家の家臣である高坂昌信が書いたといわれる「甲陽軍艦」でわかります。ここには、「武士の良し悪し、一夜限りの定め2か条」によってわかります。1か条は「真面目な人間は大きな働きをする」です。その理由を信玄はこう説いています。「真面目なものは恥を知るので常に心が明るい。心が明るければ諸事の行いは正しい。人にへつらうことがなく、軽率なことをせず、万事を知り尽くして慎重に物事を進める。」2条は、「不真面目な人間は大きな働きはできない」としています。その理由として「思慮不足である。あわて者である。人にへつらい、軽率である。うそをつく。物事を突き詰めて考えることをせず、武士道をわきまえない。立派な人物であっても、自分と肌が合わなければ、すぐに悪口を言う」といいます。

マラソン

 今年、2月18日に、冷たい雨と強風が吹く中、東京マラソンが開催されました。このイベントについては賛否両論ありますが、おおむね好評で、その成功が、石原さんが都知事に再選された一因ではないかとも言われています。その東京マラソンには、「車椅子の部」があるのですが、一般的なメディアでは、あまり話題になりませんでした。そのレースで優勝したのは、副島正純さんでした。彼は、家事手伝い中の事故により脊髄を損傷して車いす生活となりますが、翌年から車いすマラソンを始めています。その彼は、さまざまな大会で優秀な成績を上げていますが、今月16日に、快挙を成し遂げました。それは、米マサチューセッツ州ボストンで行われた、111回目を迎えた伝統のボストン・マラソンにおいて、車いすの部で優勝したのです。今年は、激しい風雨に見舞われた伝統のマラソンでしたが、副島さんは「こういうレースのほうが僕にはチャンスがある」と、優勝した東京マラソンと同じ悪天候を味方に付けたのです。体重差が下りのスピードに影響するため、欧米人との体重差を補うために坂道でも休まずこぎ続け、スピード練習を積み、時速にして4キロ増のペースで30分間走り続けるようになったそうです。また、この優勝が日本の人々を驚かせたのは、車いすの部では男女とも日本勢が制覇したからです。女子の土田さんは、アテネ・パラリンピックの陸上五千メートル金メダリストでしたが、出産のため昨年は競技から遠ざかっており、今回が復帰戦でした。彼女は、子育てに忙しい中、周囲のサポートを受けて石垣島で1か月半のキャンプを張り、トレーニングを積んだそうです。
 ボストン・マラソンではありませんが、昨日の読売新聞の日曜版の「人」の欄に「ゆっくりでいいじゃないか」ということで、エコマラソンの西一(にしはじめ)さんが紹介されていました。エコマラソンというのは、「競い合うのではなく、集い触れ合うことを楽しみ、自然を征服するのではなく、自然との調和を大切にし、独占するのではなく、分かち合いつつ、物質にとらわれず、質素を旨とする生き方」です。その目指すものは、「だれもが平等な機会と尊厳を持ち、十分な食物を得られ、心の安らぎと自然への感謝の念を持って暮らし、互いにビザもいらず国境もない、かけがえのない地球に全ての生命体が共生可能な平和調和社会の実現」です。彼が環境に配慮したマラソンを、エコロジーとの造語で「エコマラソン」と名づけ、エコマラソン・インターナショナルを創立したのは、奥さんの死がきっかけだったようです。30代で始めたビデオの輸入販売で大成功を収めます。そして日米を往復し、休日なしで連日18時間働き、貯金は億になっていきました。そんなころ、3人の幼い子どもを残して、奥さんは亡くなります。その寂しさから、空虚な日々を送る中、ホノルルマラソンで走り、充実感を味わい、立ち直ります。そして、「ただ生きるのではなく、自然と調和した生き方を心がけ、速さにこだわるのではなく、その生き方を始めること」が重要なのだと訴え続けることになるのです。人生は、マラソンです。子どもたちは、まだ、その長い道のりを前にスタートを切ったばかりです。それなのに、少しでも速く走ること、もうすでにそのマラソンに優勝することが期待されます。途中の道端で、花を見る余裕も、遠くの山を眺める余裕もなく、ひたすら前を向いて走らされる子どもたちが多い気がします。

地域に溶け込む

 国立新美術館の設計は、六本木という町の中の建物という感じがします。そのように、建物は、その地域の町、自然、気候にマッチしたものでなければなりません。また、そこで暮らす人々の生活にマッチしたものでなければなりません。また、新しい時代、生き方を提案するものでなければなりません。各地には、それぞれ県立美術館をはじめとして、さまざまな美術館があります。県立美術館は、どの地域も、その存在を誇示するかのように立派なものが多くあります。それに比べて、ある作家の作品を集めたり、個人の所蔵作品を展示したりする美術館は、とても個性的なものが多くあります。また、海や山の囲まれた美術館には、自然を取り入れたものも多くあります。私が昨年訪れた美術館にもそんな建物がありました。その中で、印象に残っている美術館を紹介します。
 瀬戸大橋の懐にある「東山魁夷せとうち美術館」(香川県)この喫茶ルームからは、前面のガラスごしに瀬戸内海が広がり、そこには、大きく瀬戸大橋がかかっています。瀬戸内海の青と、東山の青を基調とした絵画がとてもマッチしています。
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 館内から見える風景「絵本の森美術館」(軽井沢)軽井沢は、個人美術館のメッカ。それぞれにいろいろな工夫が見えます。その建物は、外観だけでなく、室内も、窓から見える景色も、美術館にいるという気持ちよりも、軽井沢らしく、別荘にいる気分にさせます。
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 津和野の町並みに合った漆喰の白壁に瓦を葺いた酒蔵のような外観の「安野光雅美術館」津和野は、町全体がひとつのコンセプトで統一されています。その町並みに違和感なく建っている美術館です。
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 原生林の残る大自然の中にある「ウッドワン美術館」(広島県)ここを訪れたときは、秋真っ盛りで山は燃えるような赤に染まり、それを強調するかのように夕日の赤で山が照り映えています。
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 こんな地域の溶け込んだ美術館を思い出したのは、昨日、散歩していて、地域に溶け込んだ建物を見つけたからです。この建物は、私からすると意表をついたのです。それは、武道館近くにある「築土神社」です。
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 入口の鳥居とビルのマッチング感と、ビルの上にそびえる剣の意味深さ、そして参道とビル下のコンクリートの一体感、その先に鎮座する社殿と隣接するビル壁、上を覗けば意外と開けている空間。ビルとマッチした社務所を含むビル全体の外観は壮麗で、非常に神威的な空間が巧みに織り込まれたこの神社は、1995年に千代田区の都市景観賞を受賞しています。このビルは、地上8階地下1階で、ビル名は、「アイレックスビル」といいます。アイレックスとは「モチの木」を意味し、かつての鎮座地であった田安のモチの木坂に因むといいます。参道入口の鳥居の左脇には、当社の神木としてモチの木を植栽されています。築土神社は、まさに神社信仰に都心部環境を同居化させた神社で、これほどの地域に溶け込み、近代的なバランス感は、不思議な癒しを与えます。
 それにしても、小中学校は、全国どこにいっても多くは同じ形なのでしょうね。もしかしたら、学校建築は、最も遅れている建築かもしれません。また、将来を担う子どもたちが過ごす場所であるのに、その入れ物は軽視されている気がします。

花咲かじいさん

 19日の新聞にこんな記事が掲載されていました。「植物に花を咲かせる「開花ホルモン」を、日本、ドイツの研究グループがイネとシロイヌナズナでそれぞれ特定することに成功した。開花ホルモンは、いわば“花咲かじいさんの灰”にあたる物質で、70年にわたって多くの研究者が探し求めてきた。ともに19日付の米科学誌サイエンス電子版に発表される。」というものです。花が咲く時期としては、日照時間が短くなると花をつけるものと、日照時間が長くなると花をつけるものがあります。これらの花を咲かせるたんぱく質は、見つかっているそうです。しかし、今までは、日光を受ける葉から、花芽ができる茎の先に実際にどんな物質が伝わっているのかわかっていませんでした。この開花ホルモンの特定は、開花を自由に調節できる夢の薬剤の開発につながるのではないかということで、「花咲かじいさんの灰」といわれているのです。「枯れ木に花を咲かせましょう」というわけです。この「花咲かじいさん」は、“五大昔話”(桃太郎・さるかに合戦・カチカチ山・舌きりすずめ・花さかじいさん)と言われている、昔話作品のひとつです。日本昔話の多くは、怨恨的要素が強く、暗いというイメージがありますが、この「花咲かじいさん」は、唯一、怨恨的な要素はなく、とても素直に人物が表現されています。この昔話は、日本民俗学者の柳田国男によると、舌きり雀、文福茶釜、こぶ取り爺さんなどと同じ「動物の援助」に分類されます。この話も、1901年(明治34年)につくられた唱歌(童謡)「花咲爺」は歌の歌詞を見ると、「うらのはたけで、ポチがなく」で始まりますが、ポプラ社の絵本(文/吉沢和夫)によると、その前があります。「昔ある所に、子どものいないじいさまとばあさまがおった。ある時、町へ子どもを貰いに行くことになった。町へ行く手前の松原の松の木の根元に白くて可愛い小さな犬がいて、二人に「何処へ行くのか」と話し掛けた。「二人の子どもにして欲しい」と言う子犬に「町に良い子どもがいなければ子どもにしてやろう」と約束する。結局町で子どもが見つけられず、帰りに同じ場所でいた その白い子犬を子どもにすることにした。子犬は、茶碗一杯で一杯だけ、二杯食べると二杯だけ、どんどん大きくなった。ある日のこと、犬はじいさまに 自分の背中に鞍をつけさせ、かますやくわもつけさせて無理矢理じいさまを背中に乗せて山道を登って行った。」ということで、そのあと「ここほれ!ワンワン!」となるわけです。この出だしは、福井県坂井郡の民話から取ったとの事で、作者は犬を『神の申し子』として登場させたいと考えたようです。日本の民話において白い動物は何らかの神の使いとみなされることが多く、夫婦の白犬は夫婦の心ただしい生活を祝福した神からの贈り物であったと思われています。この話に対して、「みんな違って みんないい」の作者として有名な童謡詩人の「金子みすゞ」が、こんな詩「灰」を書いています。「花さかじいさん、はいおくれ、ざるにのこったはいおくれ、わたしはいいことするんだよ。さくら、もくれん、なし、すもも、そんなものへはまきゃしない、どうせ春にはさくんだよ。一度もあかい花さかぬ、つまらなそうな、森の木に、はいのありたけまくんだよ。もしもみごとにさいたなら、どんなにその木はうれしかろ、どんなにわたしもうれしかろ。」今回、見つかった「開花ホルモン」が、こんな「花咲かじいさんの灰」であったらいいのですが。