中央分離帯

 車で道を走っていると、中央分離帯のある道路があります。この分離帯は、ガードレールや植込みなどの構造物である分離帯を指す場合と、右側車線の白線より中央側の路面部分である側帯も含めた中央帯を指す場合があります。それは、道路構造令第二条十項の中で「車線を往復の方向別に分離し、及び側方余裕を確保するために設けられる帯状の道路の部分をいう。」と定義されているからです。様々な分離帯の中でも、心が癒されるのは、中央分離帯が、植え込みなどで緑化されている場合です。この分離帯の緑化は、今後の高速道路のテーマのひとつであり、昨今、検討の必要性が急速に高まっています。既に緑化されているところは多くなってきたのですが、管理などの面では、非常に困難なので、どの様に取り組むべきかなど課題があるようです。そうした動きの中で、いろいろと、望ましい中央分離帯のあり方、アイディアなどが話し合われています。たとえば、「中央分林帯に可動式植裁を導入する」とか「一般に嫌われる植物の活用、タケやササ等の植裁をする」とか、「食べられる植物の導入をする」とか、いろいろと面白いですね。園庭のビオトープ作りと似ているところがあります。最初に園にビオトープを作ったときに、様々な意見が出されました。いま、修復の時期を迎え、今度は、食べられる水草を植えようと提案も出されています。定期的に水草を抜かないと、水がきれいにならないとかで、それなら、仕事として抜くよりも、食べるために抜くほうがいいのではないかという考えです。石原都知事が、都内の小学校の校庭をみな芝生にするという提案をしていますが、やはり、管理が大変なようです。
中央分離帯が緑化されていると、車を運転していてとても心が和みますね。緑を見るというだけでなく、そこに植えられている木が花をつけることによって、季節を感じることができるからです。近くの道の中央分離帯に植えられている桜は、まだつぼみは固いのですが、はなみずきは花をつけ始めています。そして、信号などで止まった車の窓からは、下草で、すずめやムクドリが、必死でえさをついばんでいる姿が見られます。そこに、もうすっかり春になった姿があります。と感傷にふける間もなく、がっかりすることがあります。それは、下草に、ごみが散乱していることです。
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多分、誰かが車の窓からごみを投げ捨て、そこにごみがあるから、次の人も投げ捨て、いつしか中央分離帯は、ごみ捨て場に変わろうとしています。たまに、前を走っている車の窓から、火がついたままのタバコが投げ捨てられたり、空き缶が投げ捨てられたり、ごみ袋を投げ捨てるのを見ると、このごみを、誰が片付けると思っているのだろうかと考えてしまいます。そんな姿から、簡単に「最近の若者は、道徳心が無くなった」と言うつもりはありませんが、何とかならないものかと思ってしまいます。各地では、美化行政の柱になる施策として「ポイ捨て防止条例」が制定されていますが、悲しいですが、やはり罰するしかないのでしょうか。2月にドイツに行った時に、機内で見た映画のタイトルは忘れましたが、道徳に反する行為をしたときの罰として、何日間かの労働を科せられるという内容でした。その労働が、芸術大学での掃除でした。掃除をしながら、貧しいながらも好きなダンスなどに励んでいる姿を見て、自分も大学に行くことを目指します。人は、自分の周りの人しか知りません。ですから、すぐに「みんな、そうしている」と思い込んでしまいます。そんなときに、罰として、違う世界の人と接する機会を与えたなら、何かを見つけるかもしれませんね。

中央分離帯” への4件のコメント

  1. いろんな場所で緑が増えていくのはうれしいことです。2007コクヨフェアの記事が以前紹介されていましたが、緑の持つ効果を生かす活動がもっと広がってくれば、少しずついい環境になっていくんではないかと思います。
    機内での映画を思い出しました。その映画を観たことをすっかり忘れていました。違う世界の人と接する機会を与えるのが目的の罰があれば、先につながっていくんでしょうね。狭い見方ではなく広い見方ができるようになれば、行動も変わってくるのでしょう。周りを見渡してみようと思います。

  2. 掲載写真が拡大できたら多分捨てられたゴミの様子がよくわかるかもしれません。拡大できないのは不快にならないでいいですね。今日のブログの中央分離帯にとどまらず、日本全国津々浦々幹線道路という道路にはゴミのポイ捨てが横行しています。嘆かわしい現実です。自分ひとりくらい、と思って捨てるのはまだかわいいほうなのだそうです。たいていはそうした意識を持つどころか、意識もせず、ましてや罪悪感など微塵もなくポイ捨て、というのが実態のようです。嘆かわしいことです。中央分離帯が植栽によって造られているのはいいですね。確かに車で走行していても心が和みます。そうした心を和ませる作用が分離帯の植栽にはありますから、そこにゴミが存在すると目だってしかたがありません。こまったものです。

  3. 道を歩いていたり、車で走っているとぽい捨てされたゴミを見かけます。ゴミを外に捨てる、道に捨てるという行為がどうしてできるのだろうといつも考えるのですが、なかなか理解ができません。自分の家の庭にはゴミを捨てたりはしないのでしょうか。地域も自分の庭の一部だと思えるような感覚があるとよかったりするのですかね。中央分離帯ですぐに浮かんできたのがオレンジ?と白の棒状のものでした。車がぶつかっても「ふにゃ」となって、また元に戻るそうですが、車にはそれなりの衝撃もあるそうです(ぶつかった人が言っていました)。ですが、やっぱり緑がある方がいいですね。本当にそれだけでなんだか落ち着いたいい気持ちになります。

  4. 『人は、自分の周りの人しか知りません。ですから、すぐに「みんな、そうしている」と思い込んでしまいます。』というのは、本当にその通りですね。見ている世界が全てであると思ってしまうのは、仕方がないことなのでしょうか。なんとかして、「違う世界の人と接する機会」を与えて、気づいてもらうしかないのですね。日常的にでも、意図的に違う世界の人と接する機会があるだけで、物の見方も変わってくるようにも感じます。また、中央分離帯の緑化はいいですね。なんといっても、「季節」を感じることができるのは魅力的です。車を運転していると、きっとその季節感や色とりどりの花や葉が目にやすらぎを与えてくれる効果もありそうですね。

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