どんな教育論議でも、また、昔から伝えられてきた「心得」でも、哲学書でも宗教書でも教育書でもそれなりの真理が含まれています。しかし、その伝えたいことは、本当はそのすべてを理解しないと、つまみ食いではその伝えたいことは理解できないかもしれませんが、人は理解するときに、その人なりの取捨選択をしているのでしょうね。たとえば、教育勅語の中にはとても人として大切なことが書かれています。今の行き方にも十分通じることがあり、現代人が忘れていることが書かれています。だからといって、今、「教育勅語を復活しよう」というのはおかしな話です。というのは、それが作られた意図や背景が今の時代と違うからです。同じように「武士道」が見直されています。確かにそこには、とても大切なことが書かれていますし、今の行き方でもう一度見直さなければならないことが書かれています。だからといって、今武士でもない私たちがそのまま受け継いでもへんなことになります。私たちは、もう一度、それらの過去の文化、教えの中で、今の時代に必要なものとして見直し、新しい時代の生き方を探っていかなければならないでしょう。「武士道」の中で、私が気に入っているフレーズは、「慈愛」「正義や勇気」「名誉や卑怯を憎む心」であり、「惻隠の情」という「弱者、覇者、虐げられた者への思いやり、共感と涙」を持ちたいと思います。またいつかきちんと解説見たい気がしますが、今日は、先日せっかく佐賀に行ったので、佐賀鍋島藩に伝わる心を少し考えてみたいと思います。それは、「葉隠」といって、江戸時代中期に出された肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得について見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基が筆録した記録です。(全11巻)「我が身を主君に奉り、すみやかに死に切って幽霊となりて二六時中主君の御事を嘆き」とか「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言はとても有名ですね。常に死を意識して自省する態度を説いています。この考え方は、当時の儒学の思想とは大きく離れていたため、最初は、藩内でも禁書の扱いをうけましたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれました。これが、明治中期以降、新渡戸稲造によりアメリカ合衆国で出版された英語の書「武士道」として逆輸入紹介され、最近、また話題になっています。しかし、有名なフレーズだけでは、その時代に都合のように使われてしまいます。たとえば、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」は、曲解解釈された物が軍隊教育に利用され、太平洋戦争中の玉砕や自決を推奨する理由にもなった事実もあり、戦後は軍国主義を推奨した悪書として理解されていました。また、いかにも三島由紀夫が好きそうなフレーズですので、「葉隠れ入門」という本を書いていますが、本来は、「葉隠れ」は死を美化したり自決を推奨する書物では無く、意外と生活に密着したことや、現代のビジネス書や礼法マニュアルに近い内容の記述が殆どです。「大慈悲を起し人のためになるべき事」などは、今に通じます。また、こんなことを書いてある部分もあります。「最近の若者はなっていない。修行もせずに流行を追いかけチャラチャラしてだらしが無い」と嘆いています。「武士道」同様、親子、兄弟、会社、その他、過去、現在、未来においての生き方の真理を説いているのですから、あらゆる国で翻訳されて読まれ、支持されているのも当然でしょう。
『葉隠れ』は読もう読もう、と思いつつ、ついに読まずじまいで今日に到る書籍のひとつです。今日のブログに背中をポンと押され、読んでみようという気持ちになりました。「惻隠の情」は論語の心です。人間関係において必要不可欠な心情です。今日もいろいろな気づきを頂戴致しました。ありがとうございます。
道の域まで究めたものは全てのことに通じるという話が以前もあったように思います。全ての道がどの時代にもそのまま通用するものではないでしょうが、やはりじっくり学んでみたいと思います。そこから何を見つけ何を生み出せるか、試してみたいという思いが湧いてきました。
パソコン上のブログが停止していたので心配していました。
復活にほっとしています。
あと1日復活が遅かったら、ブログ禁断症状が出て大変なことになっていたかもしれません。私以上に、コメントを日課とされているコメンテーターのお二人の方が、初日から禁断症状で苦しんでらっしゃったことと思います。
さて、これからの子ども達が生き残れるように、残すべきところは残し、削るべきところは削る。
その見極めが重要で、かつ難しいものだと最近特に感じます。
現代の時代背景や傾向、日本というもの、世界というもの。
先のことは誰にもわかりませんが、ある程度の予測や危機感を持ちながら、いろんなことを踏まえて、何事もしっかりとみつめなければならないと思ってます。
日本では、生きることも食べることも当たり前になりすぎて、生きることそのものに対して向き合う時間が少ないように感じます。
今の子ども達には、生き方の前に、生きるということを教えないといけないのかもしれませんね・・・。
そう考えると、少し悲しいですが・・・。