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2007年03月13日 近頃思うこと

教育論議2

 まだまだWEDGEでは、教育論議が交わされています。藤原繁士氏は「首相のリーダーシップなくして教育再生は不可能」という記事を感懐という連載の中で書いています。そこでは、これまでの教育現場の崩れと、議論の混迷に決着をつけようとすれば、二つの条件があると言います。ひとつは、不規則、無原則に飛び交う議論を一定の整合的な道筋に整理し、具体的実行案までに仕上げる、強力的なコーディネーターの存在であると言います。これはわかるのですが、これが首相の断固たるリーダーシップとなるとちょっと心配なところもありますね。もうひとつは、今まで議論の対立する多くのポイントについて、先送りをしてきたが、時間をかけて徹底して決着をつけるための時間の覚悟であると言っています。確かに、性急な改革は危険でしょうが、決着つけるというと、その決着は、いつまで有効なものかが不安です。子どもの環境は日々変わっています。確かに、子どもの育ちにはいつの時代でも普遍性があります。しかし、それが何であるかを論議するのではなく、それを守るためには、今、どんな教育が必要なのかを話し合わなければならないでしょう。小タイトルの「教育問題は、国家百年の計。うやむやな方針はゆるされない」ということは、本当にそう思います。きちんと議論をしてもらいたいものですね。
また、「子どもは変わる大人も変わる」という連載記事の中で、夢街道・国際交流子ども館理事長である比嘉昇氏が「“落伍者はダメ”を変えれば、イジメだらけの社会は変わる」ということを言っています。イジメは、イジメっ子の家庭教育にのみ原因があるのではない。今大事なのは、「点数主義」「拝金主義」を肯定する社会構造そのものに、一人ひとりが本気で異議申し立ての声を上げることだといいます。親も教師も、今は画一化された価値観にがんじがらめになっているので、同居のかつて、子どもの貴重な話し相手になっていた祖父母のような役割を、地域社会が果たせないものかと提案しています。それには、今年から団塊の世代の定年退職が始まるので、企業から地域に戻るその世代に、地域の子どもたちのために立ち上がってほしいと要望しています。確かに、地域に戻ってくる団塊の世代には、何か役割があるかもしれません。これからは、新しい生き方、新しい社会を作っていかなければならないでしょう。拝啓オヤジという連載の中で、相米周二氏は「場の空気は無用。しっかり自己主張。これが俺の生きる道」ということを言っています。中学・高校時代のクラス討議や、大学でのゼミ・合コンや、バイト先で、自分の主張や考えをズバッと言おうとしたり、相手の意見や主張に異議を申し立てようとすると、必ず出てくるのが「場の空気を読めよ」だそうです。「場を恣意的に支配している人間がいて、その人間が場の空気を左右する。それを敏感に周りの人間たちが察知し、さらに場の空気に染まらざるを得なくなり、自分の意見、反論、異論なんかできなくなる。こんな縛りが日本中に蔓延して行ったらどうなるのか」こんなことでは、世界から置いてきぼりを食ってしまうと心配します。3年間外国を放浪してきた相米氏が、外国では、「場の空気」はなかったそうです。「シンドいけれど、相手が誰であろうが、主張し続けていかないと自分たちの立場が脅かされるし、存在も認められない。それが民主主義だ」と言います。これからは、グローバルな時代になります。世界でも通用するような人材を育てる教育が必要になるでしょうね。

投稿者 fujimori : 2007年03月13日 21:33

コメント

保身のために本来の目的を見失って議論を進めたり先送りしたりする話題をよく耳にします。リーダーにきちんと道を定めてもらいたいと思うのですが、無理なことなのでしょうか。
企業が求める「実行力」「主体性」などの能力が若手社員に不足しているという記事をよく見るようになりました。今の教育と社会が求めるもののズレが目立つようになってきているように思います。多くの価値観の中で自分の主張がきちんとできるような社会のほうが暮らしやすいと思います。

投稿者 あいやま9 : 2007年03月13日 23:25

「首相」にリーダーシップをとってもらうより、教育現場ひとつひとつが自分たちで問題を解決できる仕組み、制度、システム、が欲しいところです。本来自治体の「教育委員会」がその役割を果たすべきなのでしょうが、全体の仕組みがねじれたりよじれたりしているので、その役割、機能もフルには発揮できません。後は、お役人特有のなるだけ「ことなかれ」主義方向へ流れます。今日のブログで紹介された「場の空気無用」論はおもしろいですね。しかし、どうでしょう?最近は「場の空気」を読めない人たちがかつてに比べて増えてきているような気がします。「読めない」というより「わからない」といった方が的確かもしれません。読めなければ、「場の空気を読めよ」が成り立ちますが、わからないと多分「場の空気をわかれよ」と言ってもらっても言われていること自体がわからないでしょう。せめて、コミュニケーションが成立するような「教育」をしてほしいと思います。

投稿者 toshi123 : 2007年03月14日 19:10

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