教育論議

 いつの時代も、教育論議はよくされますが、最近は特に多いような気がします。それは、価値観が多様化し、人それぞれの考え方を持っているからでしょう。また、最近の事件は、青少年が起こすことが多くなり、その原因が教育にあるとする意見が多いこともあるでしょう。また、地域ごとの学力調査、世界での学力調査などが行われ、地域間格差とか、時代による比較をすることが多くなったこともあるでしょう。また、いろいろなメディアから発信することが可能になったおかげで、いろいろな意見を知ることができるようになったこともあるでしょう。それだけいろいろな意見があると、どれかは自分の意見と同じものを見つけて「やはり、そうだ!」と納得することが多くなります。駅の売店や新幹線のグリーン車内においてある「WEDGE」という、主に経済のことが書かれている雑誌の今月号を見ただけでも様々な教育論議がされています。まず、最初のほうで大きく特集されているのは、あの「国家の品格」を書いた藤原正彦氏の「子どもにおもねった初等教育 こうすれば改革できる」というものです。学力低下、学級崩壊、いじめなど、初等教育の現場で噴出している様々な問題の原因は、戦後60年間、国民すべてが子どもにおもねってきたからだとする意見です。戦前への反動から、子どもの尊厳や個性を尊重しようという風潮が社会に広がリ、宿題をしないのも、1日6時間テレビを見るのも個性とされたからと言います。最後に、「子ども中心主義から脱却した教育を与えれば、彼らが親になるころに、次の世代を真剣に育ててくれるだろう。」と結んでいます。最近の目を覆うばかりの道徳観の欠如に対して、このように憂える人たちはいるでしょうね。本当は、戦後の青少年犯罪のほうが、今の事件数の何倍もあったのにと思ってしまいますが。小さい記事ですが、「一人っ子政策の影響で中国に結婚難民が増加」というものがありました。中国では2020年までに結婚適齢期男性の約3000万人が結婚危機に直面する可能性があることが指摘されています。中国では、人口の増加に対して、一人っ子政策という子どもは一人しかもってはいけないという政策を採ったことは知られています。しかし、どうしても跡継ぎがほしいために、男児優先の風潮があり、結果男女比の不均衡が生まれ、結局は多く生まれた男性で結婚ができない人がふえ、跡継ぎがいなくなるという現象が起きます。また、以前、韓国では男児に教育を与えようと、母子が父親を置いてアメリカなどに留学する家庭が増えてきたというニュースをやっていましたが、そのように教育されたわが子が、教育された女性と結婚できたとしても、その女性は、また夫をおいて母子だけでアメリカに行ってしまい、幸せを願って息子を教育したのに、結局は不幸になってしまうと思うのですが。子どものためと思っても、大人の一方的な、利己的な育児、教育は、その子が親になって、人のためになるようなことをするようになるのでしょうか。他の所の記事「相手を知り自分を語らなければ人はついてこない」という亜細亜大学陸上部監督の岡田正裕氏が、記事の最初でこう言っています。「教える立場の人が、教わる人の心情を察していません。点取り教育だけを受けてきた人が、上司になり、先生になり、親になっているからです。痛みのわかる人間を育てる社会にならなければいけないと思います。」上司と部下、先生と生徒、親と子。指導される側は、常に弱い。しかし今、上に立つ人間が、教わる人間がどのような気持ちでいるのか、教わろうと思っているのか、少しずつ変わろうとしているのか、その心情を量れなくなってくると、「こうやれ」と一方的に言うばかりで、伝わったかどうかを考えないと言います。

教育論議” への2件のコメント

  1. ちょっと油断すると何が正しくて何が間違っているか分からなくなるくらい様々な情報が飛び交っている時代です。教育に対しての見方も本当にいろいろあります。それは違うだろうという記事に出会うたびに、自分が事実の捉え方は本当に間違っていないかと考えてしまいます。いろんな意見に流されてしまわないように、正しく情報を捉える力を鍛えていかなければと思っています。

  2. 確かに今日のブログで指摘されていたように、戦後すぐの青少年犯罪のほうが数は多かったようです。それまで抑えつけられてきたものが敗戦とその後の貧しさ等々によって一挙に噴出したのでしょう。現在の青少年犯罪問題の背景には経済的勝利と親の過干渉が厳然として存在しています。「道徳」を持ち出すのなら、子どもに対する「道徳」ではなく、まず大人がいちから「道徳」とは一体何なのか、そのことをしっかりと認識し自分たちの生き方に反映してから初めて子どもたちに「道徳」云々すべきです。「子ども中心主義から脱却した・・・」とベストセラー作家は仰いますが、「子ども中心主義」は本当に存在したのでしょうか。私はむしろ「子ども中心主義」不在、相変わらずの大人の教師中心主義が現在の教育状況を創りあげてきたのでは、と思っております。つまり、教わる側がどんな気持ちで学んでいるか、本当に理解して教育してきたのでしょうか?教わる側の達成度合いを理解したうえで、的確な援助ができているのでしょうか?教える側を避難するつもりはありません。むしろ「教える側」が「教わる側」の理解度に応じた支援援助ができる環境を国や自治体は用意してあげられたか、ということを大いに問題にしたい、と今日のブログを読みながら熱く思ってしまいました。「人」は「環境」の賜物です。そしてその「環境」を作るのもまた「人」です。「環境」を拵えることができる「人」を育てることが「教育」の役割、と強く主張したい今日この頃です。

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