マイブーム去る

 私の中で、なんとなく最近マイブームが去ったのが、ラーメンです。特に、年をとったせいか、「とんこつラーメン」は遠ざかっています。一時期は、よく食べました。今は、各地に「ご当地ラーメン」がありますが、ラーメンといえば、東京、札幌、博多が日本三大ラーメンと言っても過言ではありませんでした。私が子どものころは、もちろん、東京ラーメンが中心でした。いわゆる「支那そば」とか「中華そば」とか言われていたものです。しょうゆ味のあっさり系です。そして、中学生のころに「タンメン」という塩味のラーメンを知りました。そして、大学生のころから「八王子ラーメン」を知りました。このラーメンは、しょうゆ味ですが、ねぎに「長ネギ」を使わずに、「たまねぎ」のみじん切りをいれます。たまねぎの甘さがよく出て意外とおいしくなります。そして、九州ラーメンを知ったのです。その中で、博多ラーメンは、熊本と並んで、九州とんこつラーメンの知名度を全国的に上げた功労者です。スープは、とんこつをグラグラと長時間炊き出し、髄のエキスを絞り出して脂を乳化させたこってりです。麺はで、茹で上がりの早い、低加水の細麺を使っていますが、伸びやすかった為に早く食べきれる少量におさまり、そのかわり麺のみをお代わりする「替え玉」システムがあります。具はチャーシューに白ごまと紅ショウガ。ネギは緑色で細い博多万能ネギ。辛子高菜を置いてある店もあります。東京で有名な博多ラーメン店は、「なんでんかんでん」「一風堂」「ふくちゃん」などです。
 昨日「赤のれん」という博多ラーメン店で食べました。その店内に、その由来が書かれてありました。昭和16年(1941)ごろから昭和55年(1980)ごろまで、森堅太郎さんという人が玉屋百貨店横の屋台「三馬路」で澄んだスープの支那そばを売っていたといわれ、これが博多における最初のラーメン屋だといわれています。そして、津田茂さんが、戦時中、中国・奉天(今の瀋陽)に兵役でいたときに食べた「十銭そば」という支那そばが忘れられませんでした。その時食べた白濁した豚骨スープは、アイヌ料理のソップであると聞いていました。その支那そばを作っていた中国人は、以前住んでいたことのある北海道でアイヌの人から教わったと言っていたそうです。このソップの味が忘れられなかった津田さんは、そのときの記憶を頼りに研究を重ね、豚骨を煮込んだ白濁スープを完成させました。そして、戦後まもない昭和21年頃「白濁豚骨スープの博多ラーメン」として、屋台を引き始めました。そして、昭和23年、福岡市箱崎に屋台ラーメン「赤のれん」という店を出したのです。これが、博多ラーメンの発祥です。屋台を始めた頃、当時アセチレンガスを灯して明かりにしていたためにのれんも顔もすすだらけになってしまったので、のれんを赤く染めたのが屋号の由来です。同じ福岡市で、昭和30年に長浜に魚市場が移転しました。そのとき、近くに並んだ屋台が「長浜ラーメン」の発祥で、忙しい魚市場の客を相手にしていたために、短時間で湯で上がるよう、麺がどんどん細くなっていき、これがストレートの細麺を生み出し、替え玉のシステムを考え出したのも長浜ラーメンが発祥です。この「博多」、「長浜」2つのラーメンが互いに良い所を取りあって、それぞれのラーメンを発展させてき手、九州ラーメンを日本中に広げていったのです。今では両者の区別はあまりなく、総称して博多ラーメンと呼ばれることもあります。若い人には、ずいぶんと人気があるようですね。