転勤

 今年度が終わろうとしています。今日、近くの小学校で学校評議委員会があり、出席しましたが、今後の話や、これからの取り組みの話を聞いても、いまひとつ身が入らないのは、もしかしたら、校長や教員の移動があるかもしれないと思うからです。その小学校の保護者アンケートの中に、「校長が交代するたびに、学校色が変わりすぎる」というのがありました。以前、ブログでも書きましたが、アメリカに行った時に思ったのですが、公立でも、小学校の校長は、本人の申し出がない限り異動はないそうです。それは、ドイツでも同じだと言っていました。それは、きちんと管理職が、自分のコンセプトを打ち出し、それに賛同し、実現する職員集団をきちんと養成していくからです。また、地域に対しても、きちんと責任を取っていくからです。今回、新宿区で園を開園するに当たって、今までの園から職員を何人か異動してもらいました。誰に異動してもらうかを考える観点の第一は、昨日のブログではありませんが、職住近接ということで、今の園よりも、新宿の園のほうが、住んでいるところから近いか、下宿をしていて、近くに越せる人を優先しました。そのメンバーで、最低の人数だけ(4人)を確保しました。その人数だけでは少しきついと思ったのですが、そのメンバーだけでも核にしてやるしかないと覚悟していたら、そのメンバーを見て、何人か自ら、行って手伝いたい、いっしょに勉強をしたいと申し出た職員がいました。そのメンバーが、結局異動することになったメンバーです。決して、私からの職務命令で異動を言いませんでしたので、みんな積極的に準備に取り組んでくれています。
昨日のブログで紹介した冷泉彰彦氏が、こんなことも言っています。(一部途中省略)「アメリカの雇用慣行の中で、もっと日本との違いが大きいのは「転勤」という考え方でしょう。終身雇用が薄れ、専門職のキャリアパスが主流ということもありますが、とにかく企業が従業員に勤務地移動を命じるということがあまりないのです。企業が発展して全く別の州なり、国に新しい事業所を設置するというような場合は、基本的にはその土地の労働市場で人材を調達するというのが主です。例えば銀行が新しい町に支店を出すというような場合は、支店長以下の全ての要員をそのローカルな労働市場で採用します。非常に簡単に言うと、アメリカでは労働力が土地に根付いているということがあり、逆に企業の方が人材のある場所に移ってくるということがあります。いわゆる一般職というべき「ノン・エグゼンプト」の人たちは動きません。その土地に家庭があり、近隣社会や子供の学校、教会や地域のスポーツ団体などの「コミュニティ」に属することが人生設計の重要な部分になっているので、職を求めて大きく移動することはありませんし、まして雇用主が転勤を命じることは不可能です。そう言うとアメリカの人は引っ越しをしないようなイメージがありますが、必ずしもそうではありません。人生の転機に当たって大きな決断をして西海岸から東海岸へ移動するというようなことは結構平気でします。ただ、それは全部自発的な移動です。そこには「会社都合」の「苦役」としての転勤という概念はありません。といいますか、全くないのです。明らかに本人の意志に反して「苦しい」転勤を強いるという社会的慣行は全くないと言えるでしょう。以上を要約しますと、アメリカの場合は「人間が半強制的な住居移動を伴う転勤を命令されることはない」ということと、「チャンスを求めての移動は本人が自分のコストで胸を張って行う」という発想が確立していると言って構わないと思います。もうすぐ4月、人事異動の季節ですが、それぞれの会社で行われる「転勤を伴う人事異動」が本当に将来の会社に必要な人材に必要なスキルを学ばせるような、つまり本当に生産性向上に結びつくような異動なのか、考え直してみてはどうでしょう。その中で「会社都合の転勤」という文化を、つまり個人や家庭を不幸にし、更に「イヤイヤ行っている人」と「自発的に行った人」を区別する文化そのものを見直してみることも必要なのではないでしょうか。」
 今回の新宿での開園に向けて私がしたのは、異動する職員だけではなく、しない職員を含めて、本当に、園児にとって、本人にとっての保育のスキルを発揮し、向上につながる場はどこか、また、異動をする、しないかの決定が、本人からの自発的な行動であるのかを考慮することでした。