ひとやすみ

 今日、講演のために降り立った駅は、近鉄新田辺という駅です。その駅は、JRでいうと、京田辺という駅のそばです。その駅に降り立つと、バスロータリーの中心に橋を渡っている小僧の像があり、橋の欄干の片方には、「とんちばし」もう片方には「たなべいっきゅうばし」と書かれています。
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 それは、ここ京田辺市薪には、室町時代中ごろ、63才から88才で亡くなるまでの約25年間、とんちの一休さんが住んでいて、亡くなった一休寺の酬恩庵があるのです。一休さんのとんち話は、子どもにはとても人気がありますね。偉そうな大人をぎゃふんといわせる痛快さがあるからです。有名な逸話として、「評判の高い一休を困らせようと、自宅に招いた商人が、橋のたもとに「このはしわたるべからず」と書いた立て札をあげ、家に入れないようにした。ところが一休は、そしらぬ顔をして入ってきたので、商人は、札が目に入らなかったのかとなじったところ、一休は、「はい、見ましたから端をわたらず真ん中をわたってきましたよ」と答えたということです。」「和尚は、壷に入った水あめを自分だけ舐めていました。一休は自分たちも欲しいと言ったが、和尚は、これは大人が少し食べるだけなら薬になるが、子どもが食べると死んでしまうおそろしい毒だから、みんなにやるわけにはいかないと言います。しかし、小僧たちは、和尚の留守に、壷を取り出して、ほとんど舐めてしまいます。みんなは、和尚に怒られると青くなりますが、一休はあわてず、和尚が大切にしている硯を割って、泣きまねをさせます。そして和尚が帰ってくると、大事な硯を割ってしまったので死んでおわびをしようと思い、あの毒を舐めたと言います。」「和尚は自分だけ鯉汁を食べ、小僧には味噌汁しかやりません。そこで一休は池から大きな鯉をとらえ、料理しようとしたところ、和尚が「殺生はしてはならぬ!」と咎めます。すると一休は「毎日精進料理ばかりでは、お経にも力が入らないので、この鯉にちゃんと引導を渡しますから、大丈夫だ」と答えます。一休の生意気な言葉に「引導の渡し方など知っているのか」と問う和尚に、一休は「汝、元来生木の如し、水中にある時はよく捕うること難し、それよりは愚僧の腹に入って糞となれ、喝!」池でただの鯉として一生を終えるより、人の養分になって役に立て、という言葉で、形式だけの寺のあり方を皮肉ります。」
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 一休さんのアニメがありましたね。そのエンディングテーマが「ははうえさま?」と始まるのは、こんな経歴があるからです。一休は、後小松天皇を父として、天皇のそば近く宮仕えをしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれたといわれており、本来は、天皇の嫡子として世継ぎの地位にありました。しかし、照子姫をねたむ人たちの計略で、母親は宮中を出され、一休は洛西の民家で誕生するのです。そして、生母のもとで育てられますが、6歳の頃、母の考えで、臨済宗の安国寺で出家します。ここでの11年間での禅の修行中に、早くも12歳頃から詩文に才能をしめし、大人の僧侶でも理解するのが難しい清叟仁蔵主の維摩経の講義を熱心に受けて、周囲を驚かせたエピソードが残っています。ですから、「とんちの一休さん」としてのエピソードが数多く残っているのでしょう。また、アニメの中で、CMに入る前に、寝転んだ一休が、「ひとやすみ、ひとやすみ!」というせりふは、当時、しゃれかと思っていました。しかし、一休という号は、「有漏地から無漏地へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」という道歌からきています。一休というのは、煩悩の「有」の世界と、煩悩のない「無」の世界のはざまにあって、一休みするという意味です。子どものころの印象とは違って、深い意味がありますね。

ひとやすみ” への4件のコメント

  1. 今日のブログもありがたさいっぱいで教えられるところ大です。「維摩経」、懐かしいですね。「維摩の一黙、万雷の如し」と菩薩道の在家の維摩居士が仏のお弟子である声聞や1人でも悟りを開ける能力を有する縁覚をぎゃふん、と言わせる同経の有名なくだりです。一休宗純禅師の「一休」の由来を始めて知りました。ありがたい限りです。有漏と無漏の狭間にあって「ひとやすみ ひとやすみ」、これぞ「待つ」の極意。子育て、保育、に通じる内容です。「雨降らば降れ 風吹かば吹け」の境地、まさに、ヤラされることの多い現代の子どもたちにとってもっとも嘱望される大人の「ゆとり」ある姿勢を表している、と思います。本日も勉強になりました。学習居士の私としては今日も安心して眠られます。おやすみなさい。

  2. 一休の意味が、煩悩の「有」の世界と煩悩のない「無」の世界のはざまにあって一休みするというのは全く知りませんでした。小さい頃はよく見ていた一休さんですが、一休さんの生い立ちや名前の意味などを知ると、よく知っているとんち話も違った感じに聞こえます。よく知っていることや当たり前だと思っていることも、もう一度調べなおしてみると新たな発見がありそうですね。

  3. 一休さんの壷の話は思わず笑ってしまいました。確かに、こんなふうに言われてしまうと「むむっ!」と相手は腹も立つのでしょうが、橋の話にしても、壷や鯉の話にしても人の意地の悪さだったり、ずるさだったりに対しての一休さんの対応ということもあり、一休さんのトンチもさることながら、「大人よしっかりしなさいよ」なんて言葉も聞こえてきそうです。一休というと「ひとやすみ」というイメージが強いですが、煩悩の「有」の世界と、煩悩のない「無」の世界のはざまにあって、一休みするという意味があったのですね。一休さんには人のずるさという煩悩を浮き彫りにすることで、戒めるそんなメッセージも込められているのですかね。

  4. 一休さんとひとやすみ。こんなにも深い意味があったのですね。とんちを言うのは、頭が良くないと言えない印象があります。頭が良いというのは、物事の道理や真理を正しく理解しているといったイメージです。とんちも、相手の言葉に焦点を当てて、その言葉が一体どんな意味をもたらし、本来どうすることが良いのかといったことを把握していないと簡単には言えない技でもあるように思います。「大人の僧侶でも理解するのが難しい清叟仁蔵主の維摩経の講義を熱心に受けて、周囲を驚かせた」といったエピソードが残っているように、物事の本質を自ら求めて、知る事の楽しみをたくさん知っていた人であったのだなといった感想を持ちました。

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