商人道

以前、ブログで書いた「江戸しぐさ」が注目されていますが、これはもともと商人道と呼ばれていたものです。武士に武士の道があり、商人には商人の道があり、知恵があります。昨年から「武士道」を注目されていますが、私は、どんな職業でもその職業なりに「道」があり、それは知恵というよりもあるべき姿であったり、生き方であったり、心得であったりするものだと思っています。ですから、特に人を相手にする職業は、私は常々考えているように、人格を高め、自らよい人格者になろうと努力し、常に精進していかなければならないでしょう。ということを考えると、私は、保育の仕事は、そのような仕事であると思っていますので、保育は「保育学」というよりも「保育道」といったほうがよいのではないかと思っています。「保育を学ぶ」のではなく、「保育者としての道を究める」というイメージです。いつか、そんな本でも書いてみたいと思っています。しかし、すぐにそんな堅い話をすると、一般の人にはなじみがないので、手始めにちょっと楽しんでみたいと思います。それは、「商人道」ということを書いた越川禮子さんの著(講談社+α新書)から、少し保育の仕事を考えてみたいと思います。
1.忙しい、忙しいと言うな(忙しいとは心を亡くすこと、決して自慢できることではない )保育者が忙しがっていると、子どもたちの情緒が安定しなくなり、自発的にいろいろなことをしようとしなくなります。また、大変だ、大変だといって子育てをされていると、子ども心にと子育てというものは大変だという刷り込みができてしまい、大きくなったときに子どもを持とうとしなくなる可能性があります。子どもと過ごすことは、生活に潤いを与え、精神的に豊かになるということを見直してみましょう。
2.知ったかぶりをするな、見てわかる事を聞くな(知らないなら知らないと言った方が良い)子どもといっても一人の人間としての人格を持っています。いわゆる「子供だまし」は、子どもには通じません。子どもにも、本物を与え、人間としての対応をするようにしましょう。
3.人の意見を無視する言葉を使うな(話している人は真剣だ)「愛」の反対語は、「無視」だといわれています。子どもは一生懸命に何かを伝えようとしています。それは、必ずしも「言葉」だけでなく、「表情」や「行動」や「態度」であることもあります。それは、ときに困った行動であることがありますが、それを通して何かを訴えようとしていることがあります。子どもの気持ちを理解してあげることが、耳を傾けることなのです。
4.打てば響く心意気を持て(説明しなければわからない輩とは付き合うな)子どもの発達を援助し、発達を助長しようとするときには、まず、その子の発達を理解しなければなりません。 それには、子どもをよく見ることであり、感じることなのです。
5.三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる(江戸の稚児の段階的養育法。三歳までに人間の心の糸をしっかり張らせる。六歳までに躾を手取り足取りまねさせる。九歳までに人前でお世辞のひとつも言えるくらいの挨拶が出来るようにする。十二歳には一家の主の代書が出来るようにする。十五歳で森羅万象が実感として理解できるようにする。)商人道のほんの一部ですが、これに照らしてみると、通じるものがありますね。

商人道” への4件のコメント

  1. 藤森先生の言われるように、人と向き合わなければいけない職業では、常に「人格を高め、自らよい人格者になろうと努力し」なければいけないですね。厳しいようですが、まずはここからだと思います。
    どんな世界でも「道」の域まで究めたものは、他のどの世界でも通用するものだと思います。今回は「商人道」に保育を照らし合わせてありますが、「保育」を「道」の域まで究めれば他の業界からも参考にされるような時がくるのではと思っています。

  2. 本来、全ての分野に道、または道的なものがあって、その道または道的なものの究極が真・善・美であろうと思います。教育であれ発達援助であれ、子どもという存在に関わる仕事は総じて道または道的でなければならない、そう思います。その道の「心」を形成するためにまず「かたち」が必要となります。その「かたち」が実は「環境」ということであると了解しています。その「かたち」=「環境」形成の土台になっているのが「悟り」、平たく言えば子どもの現実直視とその理解、です。それゆえ、子どもに携わる仕事は仏道と同様です。「忙」については高校時代、合唱の恩師から学びました。しかし、ダメですねぇ、すぐに「忙しい」と使ってしまいます。ところが藤森先生からこの「忙しい」という言葉を聞いたことが私はありません。心を亡くしていないから言わないんだ、とず?っと思っていました。

  3. 商人道の内容まさに通じるものがありますね。私は剣道を少しかじった身ではありますが、この「道」ということをあまり意識できずに練習していましたし、また解釈も間違ったものだったように思います。というより、よく分かっていませんでした。ただ、どこか漂っていた「強い者は何をしてもいい」というあの雰囲気だけはどうも受け入れることができませんでした。「道」といいながら結構、乱暴な所があるのが今の現状なのかもしれません。この「道」の大切さを感じながら稽古していたら、もっと違った気持ちの持ち方で日々を過ごせたかもしれません。
    忙しいというキーワードもありました。「忙しい、忙しい」と言うことで、充実感や達成感などを感じようとしている部分もあるのでしょうか。忙しくないとサボっていると思われるような雰囲気があるならば変えていかなければいけませんね。養老先生の言葉に「忙しいというのは気分であって、必ずしも事実ではない。結論を急ぎ過ぎて経過を楽しまない。それが忙しいということである」というものがあります。この言葉を知った時に物事をもっと余裕を持って楽しもうと思いました。「忙しい」よりも「楽しい」という感情、言葉に変えていけるような人間になりたいです。

  4. 藤森先生の「保育道」という本。実に読んでみたいです。保育を志す人だけでなく、森羅万象という世の中全てに通じる“人生の教科書”的な存在になるのではないでしょうか。また、江戸の段階的養育法である「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」という言葉の中から、将来必要になる力を、逆算してその時期時期にあったやり方で身に付けていく事が望ましいといった感じに読み取りました。心の糸を三歳までに張らせるとあったように、乳児の時期は自分でできることは少ないが、心を発達されることはできる、心を通して環境と触れ合う時間が他の時期よりも多いということかもしれないと思いました。

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