園に対してよく出る質問に「給食」があります。その悩みの多くは、「好き嫌いのある子にどう対応するのですか?」というものです。そこには、子どもにはいろいろなものを食べてほしいというかつての悩みから、最近は、嫌いなものを無理やりに食べさせないで欲しいと思う保護者が増えてきた気がします。しかし、そのどちらも栄養からの問題で、楽しく食べさせて欲しいとか、食べたいと思う意欲をつけてほしいということは少ない気がします。食べることに関して豊かになった今では、食べることの意味は変わってきています。特に、給食の役割も変わってきています。よく、私もブログに書きますが、食を文化として捕らえ、生きるための手段だけでなく、豊かに生きるための食事として見直さないといけないと思っています。最近、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で司会をしている脳科学者の茂木健一郎さんが、脳科学の最先端研究の視点から、様々な「食」のエッセイをまとめた『食のクオリア』(青土社刊)を出版したそうですが、日経の記事の中で、人間にとって本質的な「食」の現象学について脳との関係について、第2回「味覚とは脳内文化」では、こんなことを言っています。「海外のいわゆる三ツ星レストランのシェフには、漁村や農村出身の人が多いそうです。「食」は常に官能的なもので、自分の身体の成り立ちに関わっているものですね。そういう秘儀にかかわっているシェフが、農村や漁村出身だということに、不思議なつながりを感じます。昔で言えば、王侯貴族のような高い身分の人たちも、自分の官能を満たすときには、文化文明で統治してきたはずの自然が恵んでくれる素材に頼らざるを得ない。そこが「食」の面白いところですね。」食が文化であるということがこの話からもわかりますね。ですから、そこにはこだわりがあるのです。「生命を維持するだけでしたら、本当は何を食べてもいいわけです。イギリス人はそういう感覚を持っている人が多いですね。でも、「食」を芸術として極めていく人々もいます。生命維持を目的にするだけなら、ホワイトアスパラはどこの産地がいいとか、利尻の昆布じゃなきゃだめだとか、とりたてて突き詰める必要はない。官能を突き詰める姿勢が人間にはあるんですね。」食は、栄養を満たすだけではないはずですが、最近はサプリメントで済ます人が多くなりました。そこには、もう人間としての営みがなくなってきた気がします。しかし、人間にとって必要な栄養は、体にとってだけでなく、心の栄養もあるはずですし、心の栄養というのは、脳の栄養ということで、食が脳にどのような影響を及ぼすのかという考察も必要になるはずです。その観点から、こんなことを言っています。「味覚とは、脳内文化なんです。例えば、寿司なんておいしいのに、生魚はかたくなに食べない民族がいるわけです。逆に日本人は、牛とか豚の内臓を口にするのは遠慮しがちだった。フランス人はよく食べますが。これは文化の差なんですよね。文化とは、幼少期から脳の中に蓄積されていく記憶の連なりによって成り立っているので、何が自分の食欲をかき立てるのかは、記憶によるところが大きいわけです。」「味覚って、単においしいとか、食べているときに感じるクオリアだけじゃなくて、時間の流れの中で今まで自分がどういうものを食べてきたかっていう歴史が形づくっていくものなんですね。」子どもたちに、味覚の歴史を作って行ってあげたいですね。
日本には「知育」「徳育」「体育」と並んで「食育」があります。まぁ、つい最近喧伝されるようになりましたが、この「食育」、日本以外の国々では保育教育の現場の「食」ということをマトモに取り上げているのでしょうか。私は保育所に勤めていますが、保育所の「給食」の栄養コンシャスといったら、もうそれはそれは驚くばかりです。世界広しといえども、日本ほど子どもたちの食事に気を配っている施設はあまりないように思います。栄養士や管理栄養士がいて食事の管理をします。おそるべし、日本の乳幼児給食及び学校給食です。それから、日本のような経済大国で「味覚」を国民こぞって問題にしている国がはたしてあるのだろうか、と思います。その意味で「味覚」を大切にするわが国の文化・習慣は子どもの成長発達を問題にする場合諸外国で大いに参考にすべきこと、と思います。
「味覚とは脳内文化」「味覚の歴史」という考え方はいいですね。ただ単に食べるという行為から、もっと深いところへ意識が向いていきます。なるほどと思いました。
食はやはり文化だと思います。国によって食材も違うし調理方法も違います。そして食べ方まで違います。地域によって個人によって様々な違いやこだわりがあるほうが食も豊かになると思います。決してサプリメントが代わりになるようなものではないと思います。