教師

今日の午後、テレビで「機関車先生」という映画をやっていました。この映画を映画館で見ました。原作は、伊集院静の小説で、94年に第7回柴田錬三郎賞を受賞しています。そして、今日テレビ放映されている実写映画のほかに、同名のアニメ映画として公開され、伊集院自らが機関車先生の声を務めています。昭和30年代の瀬戸内海に浮かぶ葉名島の小学校に、北海道より臨時教師として赴任してきた先生は、子どもの頃の病気の影響で口をきく事が出来ません。そこで、「口をきかん先生」ということで、子どもたちは、「機関車先生」と呼びます。この先生が、初めて教壇に立った日、どのような出会いを子どもたちとしたのでしょうか。生徒の一人であるヨウという子が感想をこう言っています。「ヨウは機関車先生がひとりひとりの顔をたしかめるように見ているのに気づいて、はずかしくなってうつむいた。ゆっくりと顔を上げると、機関車先生の目がじっと自分を見つめていた。やさしそうな目だった。」子どもたちは、優しい言葉がけより、やさしく扱われるより、まず、優しいまなざしに気がつきます。そんなときには、たぶん言葉は邪魔なのかもしれません。というよりも、言葉に頼ってしまうことで、心を伝えることを後回しにしてしまいがちです。言葉のまだよくわからない子どもに対して、言い聞かせるよりも、怒りつけるよりも、優しいまなざしの方に説得力があります。また、歌が好きと言う先生に、「どうやって歌うんじゃ」との問いに対して、「機関車先生は指を胸に当て、胸から喉元の方へゆっくりと手をひろげるようにしてから自分の耳に手をそえて何かを聞く仕種をした。」声を出さなくても、心の中で歌うということ言います。そんな機関車先生と7人の子どもたちの交流の中から、子どもたちは、勇気を学び、少しずつ成長していきます。教師にとって、声とはどんな役割があるのでしょうか。
同じように、障害を持っていながら教師になった実話があります。全盲の普通中学教師河合純一です。彼が教育実習をしていたときの日記が、当時我が子が読んでいた中学生新聞に掲載されていました。彼は、生まれつき視力が弱く、一時は右目の視力を取り戻しますが、中学3年の時、右目の視力も失い全盲となってしまいます。彼は絶望の淵に沈みかけますが、恩師の支えもあって、東京の盲学校へ進学し、夢を設定し達成すべく邁進していきます。最初の夢は、パラリンピックに出場しメダルをとること。次は大学進学。そして地元で教師になることです。高等部入学後、トレーニングに励み、17歳の時、バルセロナ パラリンピック全盲部門出場し、銀2個、銅3個受賞、大学入学後、アトランタ で、金2個、銀1個、銅1個、大学卒業後、22歳で、母校の舞阪中学に社会科の教師として着任し、全盲では初めて1年生の副担任を担当します。その後の25歳のときにも生徒の支援を受けて、シドニー パラリンピック出場し、金2個、銀3個受賞します。この実話が「夢追いかけて」という単行本になっており、その半生が映画化されています。この映画も見に行きました。夢がないと言われて人を殺してしまった事件がありましたが、夢は自分で決めるものです。殺人を犯した彼の夢は、ないのではなく、人が決めた夢を押し付けられていたのかもしれません。「五体不満足」のベストセラーで知られる乙武洋匡さんも小学校教師に転身するそうです。「犯罪者になりたくて生まれてきた子供はいない。SOSを発している子供たちのために、大人が動けることはないか」と考えたといいます。その結果「1番の現場は学校」と小学校の教師を目指すようになったそうです。どんな教師になるのでしょうか。

教師” への4件のコメント

  1. 「言葉に頼ってしまうことで、心を伝えることを後回しにしてしまいがち」ということにドキッとしました。自分の心を伝える、相手の心を受け止める。人と人とが通じ合うためにはこれが一番大切なことかもしれません。言葉が必要なときもあると思いますが、邪魔なときもあるのでしょう。すぐに言葉に頼ってしまう私は、読んでいて恥ずかしくなってしまいました。声や言葉にどんな役割・意味があるか、ゆっくり考えてみようと思います。

  2. 学校だけに限らず、いろんな現場にもっと色んな人がいていいんじゃないか、とよく思います。
    障害のある教師など、まだまだ受け入れてもらえないのが現実ですね・・・。そんな中で、今回のブログのようなお話は、嬉しい気持ちになります。
    ちょうど、今、新年度の採用を行っているのですが、保育界では、まだまだ「健康でないといけない」「女でないといけない」「実家でないといけない」などなどの規制があるようですね。
    イチバン重要なのは、どれだけ子どものことを真剣に考えられるか、なんですが・・・。
    こういうことを言うと、青臭いと罵られそうですが・・・。
    言葉って、難しいですね。
    言い方にもよるし、受け取り方にもよるし。
    言葉では伝わらないものもたくさんありますし。
    もしかすると、人間がイチバン不器用な生き物なのかもしれませんね」~。

  3. かつてなりたくない職業が2つありました。ひとつは父がやっていた「大工」でした。いつも大変そうでした。好きでやっている仕事には見えませんでした。労多くして益少なし。祖母も母も父の仕事に否定的でした。大工にならないようにするため、一生懸命勉強して大学まで行こうと思いました。父もそのことを喜んでくれました。父自身は船乗りになりたかったのだそうです。どうりで楽しそうでないことの意味がわかりました。しかし、父の建てた家は私たちが今住んでいる家も含めて実に素晴らしい。父の後を継がなくて良かった、と別な意味で今思っています。もう一つが今日のブログの「教師」です。「教師」を意識できたのは小学校3年からです。その時の担任が男性の先生でノリが体育会系で、どちらかというとおとなしかった私はあまり評価してもらえませんでした。その後も、怒っていることが多く、仕事をしている姿が楽しそうではない教師たちを見ていて、こんな職業にはつくものじゃない、と思いました。大学に入学した時、同級生たちは教職の免許を取得するための授業を受けていましたが、そうした教師観を持つ私には全くその気がありませでした。親戚中がもったいない、と言っていました。小中高を通して学校の外に良い先生たちがたくさんいました。「教師」にはなりたくありませんでしたが、「先生」にはなりたいとその人たちを観て思いました。

  4. 最近読んだ本の中にこんな話がありました。ある先生の受け持ちの中学生が、何軒ものお店で万引きをしました。
    普通の教師なら厳しく注意するのでしょうが、この先生は違いました。何も言わず、その子を連れて、一軒一軒お店を
    あわびに回ったというんです。「あんたは何を教えているんだ!」と頭から罵倒する店の主人もいました。それでも
    先生はひたすら謝り続けたそうです。そして最後の店に来た時、初めはふてくされていたその生徒が、突然声を上げて泣き出したのです。「先生、ごめんな。今まで殴った先生はいても、自分のために頭を下げてくれた先生はおらんかった。先生、もうせえへんからな。」慈愛に溢れた先生の心が生徒に通じたんでしょう。教師こそ最大の教育環境ですね。
    余談ですが、機関車先生は私の住む町がロケの舞台になりました。瀬戸内海に面した風光明媚なところです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">