ほぼ1年前の12月26日のブログに、幕末の越後・長岡藩家老で、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公、河井継之助のことを書きました。それは、今年の正月特別時代劇で放映されたからです。先月28日の 読売新聞によると、その継之助の市立記念館が昨日の12月27日に、新潟県長岡市の生家跡地にオープンする予定と書いてありましたが、オープンしたでしょうか。すでに、継之助の終焉の地である福島県只見町には、「河井継之助記念館」があります。今回開館する記念館は、市制百周年記念事業の一環として、中心部にある生家跡の民家を土地ごと購入し、建物の改修を進め、展示品として、江戸から備中松山藩までの旅の記録をつづり、河井の唯一の著書とされる「塵壺」の原本をはじめ、道中に身につけた蓑や生前の写真など、ゆかりの品約40点を展示されるそうです。彼は、地元では藩政改革に尽力した「郷土の偉人」、「幕末の戊辰戦争で戦禍に巻き込んだ張本人」と今もって評価が分かれています。そこで、戦火に焼かれた長岡では、記念館構想が持ち上がるたびに賛否両論が上がり、まとまりませんでしたが、市は「河井の評価は分かれるかもしれないが、足跡を後世に伝えることが重要」ということで記念館を作ることにしたそうです。私も司馬遼太郎の「峠」を読んで大ファンというか、いろいろと考えさせられたところがありました。それは、多分に司馬遼太郎の継之助の言葉を借りて語らせている考えであるかもしれません。その「峠」の直筆原稿などもこの記念館に展示されるそうです。
 その中の印象に残った言葉のいくつかを挙げてみます。「人の一生は短いものだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」私は、一度重い病気になり、人生を考えたことがありました。そのときに、同じようなことを考えたのです。人生の長さは決まっているので、自分の納得いく、自分でなければできないこと(天命)をやろうと思ったのです。そして、自分の好きなことをしよう(志)と思いました。また、継之助に、こう言わせています。「志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯事の自己規律にある、という。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言いかた、人とのつきあいかた、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが、継之助の考えかたであった。」志を持つことは容易にできても、それを持ち続けることは容易ではありません。常に自分に、今やっていることがその志に向かっているのかを問い直す必要があります。それが、私の考える「省我」です。ほかのところでも、「志」について語っています。「世は、絵でいえば、一幅の画布である。そこに筆をあげて絵をかく。なにを描くか、志をもってかく。それが志だ。継之助の志とは、男子それぞれがもっている人生の主題(テーマ)というべきものであろう。どういう絵をかく、ということになれば主題があらねばならない。その主題をどのように描くということになれば工夫(モチーフ)が必要であろう。主題と工夫(テーマとモチーフ)というのが、継之助のいう志という意味であるらしい。」人は、志を持って生きるべきです。

” への6件のコメント

  1. 「人は、志を持って生きるべきです。」、了解しました。河井継之助氏は越後長岡藩14万石のご譜代の牧野家のご家老です。職責と己の本分が合致してその生き様が形成されてたと私は理解しています。司馬遼太郎さんの『峠』は私の好きな作品の一つです。昨晩放映の「河井継之助?駆け抜けた蒼龍?」は都合により観ることができませんでした。かれこれ30年になりますかNHK大河ドラマ「花神」に登場した高橋英樹さん演ずる「河井継之助」は印象に残っています。ガトリング砲をぐるぐる回して薩長軍に挑む姿は印象的でした。このドラマは司馬さんの『花神』と『峠』の合体した大河ドラマだったと記憶しています。越後長岡藩を日本の「スイス」にしたい、と河井継之助に語らせる司馬良太郎さんにエラク感動したことを思い出しました。

  2. 「心に決めた思いをできるだけ強くできるだけ深く思い続けなさい。どういう未来に向かうかのはその人の思い方次第で決まる。」ということを毎日言い続けてくれた人がいました。その考え方の大切さを今頃になってようやく実感できるようになってきました。「志」と「思い」は違うかもしれませんが、ブログを読みながらこの言葉を急に思い出しました。
    全ては「志」を持つことから始まるんじゃないかと思っています。志を持ち、自分なりに楽しみながらやっていければいいなと思っています。

  3. 「志」は、若い頃持っていたような気がしますが、最近はその日その日に身を任せているような気がします。誕生会の時に「大きくなったら何になりたいですか?」と司会が聞きますが、あれも「志」の一種なのでしょうね。当園ではダントツに多い答えは、男は「サッカーの選手」、女の子は「ケーキ屋さん」「花屋さん」です。まずは身近なところから思い浮かぶようです。私は平成15年に「見守る保育」に出会ってから「子どものための保育を行なう」ことが私の「志」になったような気がします。特に今年は藤森先生やギビングツリーのメンバーの皆さんに助けられて自分の「思い」を発表できました。志は単に頭の中で考えているだけでなく、行動に現すことで深まっていくのではないでしょうか。いつまでも志を持ち生きて行きたいと思います。今年1年、本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

  4. 先日は大切なお時間をいただき本当にありがとうございました。
    いつも人生の節目に於いて大事なことを教わっています。
    今は少しだけ開眼できたような心持です。
    やりたいことが無数にある中で優先順位を決めこの世に於いて
    「自分にしかできないことをやる」
    ここでこの言葉に出会えたのも見守るほいくの御蔭です。
    一人ひとりが本当に自らの命を活き活きと輝かせこの世で使う。
    そのような世の中にしたいという高い志を持ち続け、また初心に帰って社業に邁進していく決意です。
    これからもご指導のほど、宜しくお願いします。

  5. 私は先のことをあまりよくない風に考えてしまい、妙な不安感を抱いてしまうことがあります。ですので、先のことはあまり考えないようにして、その日、その日、目の前のことに集中して生きていきたいなと思っていましたが、「志」を持つという将来を考えながら生きる楽しさもあるということを教えていただきました。それは夢でもあるのかもしれません。あまり、そういうことを考えないようにしてきたのですが、それを持つべき志が明確で、自分の今をしっかり律するものでなかったからかもしれません。そのような志を持つことができればいいのですよね。なんだかちょっと明るくなってきたような気がします。志を持ち、それを保つための自己規律が丁寧にできる人間になればきっと、またより楽しい日々が待っているのかもしれないと想像すると、もう少し今の自分のあり方、考え方を修正していきたいなと思います。

  6. 「人生の主題」というものを、まだ真剣に考えたことがありません。そこがガチっと決まれば、物事に迷わずに取り組めそうですね。人を引きつける魅力とは、「志」の力なのかもしれません。何となくあの人に憧れるというのは、その人が「志」という自分のテーマとモチーフに楽しそうに取り組んでいることで感じるものなのでしょうね。また、その「志」というのは、自分でも気がつかないところにある場合もある気がします。他の人の力で、その自分の魅力に気がつき、自分という一人の人間が確立する瞬間というのもあるのではと思います。最終的には自分の“テーマ”になるわけですが、それまでのモチーフは多様であり、人それぞれ異なるところに良さを感じます。

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