国際化

 ここ数日間、来年度開園する園の保護者説明会を開催しています。今度開園する園は新宿という地にあり、よく人からは、さぞかし多国籍の子が多く、夜までにぎやかで、にぎやかな町にあるだろうと思われますが、意外に、夕方から夜にかけては今のニュータウンよりは静かなくらいです。しかし、説明会に参加する保護者は、やはり多国籍の保護者が多いようです。説明会に参加する家庭は熱心な家庭とか、子どものことが心配な家庭が多いためか参加者の2?3割は多国籍の家庭でした。これは、何も新宿に限らないことですが、外国籍の保護者が最近多くなりました。そうなると、今まで無神経に行っていたことにも、今後気をつけなければならなくなるでしょう。妻から言われましたが、アメリカなどでは、クリスマスにやたらと「メリークリスマス!」と声をかけないで「ハッピーホリデイ!」と言うそうです。それは、他宗教の人への配慮だそうです。そんなことを含めて、「保育の国際化」を考える必要があるでしょう。当然、まず、外国人の保育に対する保育者養成、保育現場での対処の仕方を見直さなければなりません。日本は、周りを海で囲まれ、他国と国境を陸続きでは持たず、また、他国から特に侵略を受けることなく、無理やりに他国文化を強制されたことはありませんでした。また、周囲から孤立(鎖国)する政策を徳川幕府300年ものあいだ行われていました。その中で、日本独特の文化を築いてきました。そのために、明治期、二次大戦終戦期において外国文化に驚きを感じ、差を感じ、憧れ、文明の進歩の遅れを認識し、その遅れを取り戻すために、軽薄な追いつけ・追い越せ主義で急速な西欧化への道を歩みだしたのです。この方針は、幼稚園、保育園制度にも影響しています。その傾向は、日本人特有の国民性に根ざすこともありますが、既成宗教に強いこだわりがないことも影響しています。ですから、イスラム教のように戒律も厳しく、またそれを厳守している人々への理解が薄く、また、生活様式や習慣とくに儀礼、接待の様式や程度、対人関係などの考え方の理解の教育がなされていません。習慣や形式が異なるだけでなく、親の育児観、教育観についても、家庭保育への認識度、保育施設についての認識と価値観などの違いについての理解も必要でしょう。また、日本や日本人に対する感情も、必ずしも友好的に感じているわけではなく、反目的、嫌悪の情があることに対しての歴史的背景も理解をしておく必要があります。私たちは、単純に、外国の子どもたちを受け入れることに対して「語学」の問題として捉えようとしますが、これからの課題は、それだけでないことを学ぶべきでしょう。
外国の子どもたちを受け入れるにあたって気をつけなければならないのは、保育者だけではなく、子どもたちや、その保護者へも、多国籍の子どもたちへの理解をしてもらうような働きかけが必要になります。昨年、ドイツのミュンヘンで行われた保育世界大会でのテーマであった「インクルージョン」という考え方の保育が必要になります。その考え方は、来年度から始まる障害児に対する特別支援の考え方や、学習の困難な子や不登校の子どもたちに対する支援の考え方と同様です。今まで、単一民族の中で、統一とか、一斉とか、みんなそろってという考え方から、一人ひとりを大切にし、その一人ひとりが他と関係を持ち、他と共生していく行き方をしていかなければならないのです。真の国際化とはそういうことのような気がします。

国際化” への5件のコメント

  1. 外国籍の保護者がいなくてもこういった考え方はもっておかなくてはいけないと思いました。様々な違いを理解し認め合う姿勢がなければ日本人同士でもいい関係が築けないでしょう。
    特別支援の考え方から学ぶことは多いです。近くの養護学校の先生から来年度からの特別支援の考え方について教えてもらっているのですが、そのたびに気づかされることがたくさんあります。インクルージョンという考え方はいいですね。この考え方をきちんと自分のものにして実践できるようにしたいです。

  2. 今日のブログで扱われていた「保育園の国際化」に関する藤森先生の見解には全く同意です。「先生」と呼ばれる日本人に兎角偏在する観念は「自己中心」「中華思想」「ぼくのあとに道はできる」です。よって、一斉、統一、です。それが徹底されていたのが第2次世界大戦敗戦以前の日本の教育です。戦後は「一斉、統一」教育形態を不徹底に温存させながら、その一方でこれまた不徹底な「個の重視」ですから、何が何だか意味が全くわからず、意味不明の教育現場の狭間から「いじめ」「不登校」「ニート」が産み出されているとしかいいようがありません。よく家庭教育が問題にされますが、それはお門違いです。「国際化」の本来の意味を真剣に考えてこなかった社会の犠牲になってきたのが家庭教育です。学校の先生たちと話をすればするほど、わが国のインクルージョンは実現の道、いまだ遠しの感を否めません。

  3. 藤森先生のブログを拝読しております「せいがの森」の一父兄です。生徒側として、「国際化」について感じることは、「隣にいる隣人が日本人ではないかも知れないが、日本に住んでいる人だ」ということに慣れることのように感じます。新宿の保育園が色々な国籍の人の居る場になるとのこと。子供はきっと(親が先入観を与えない限り)国籍に関係なく自分に友達として合う合わないを感じとって行くことでしょう。その時期に色々な国籍の人がいるのが自然であれば、世界には色々な国があり、色々な考え方の人がいることを自然と感じるようになるのではないかと思います。そして、そうなればそうなるほど日本の文化、歴史を子供の伝えていく必要性が重大になってくるように思えます。
    先生は、毎日お忙しいと存じますが、どうぞお体ご自愛してお過ごしくださいませ。又来年もよろしくお願い申し上げます。先生と直接お話しする機会がございませんので、この場をおかりして申し上げたいと存じます。

  4. 「軽薄な追いつけ、追い越せ主義で急速な西洋化への道を歩みだしたのです」とありました。それまでの日本における最少単位が家だったものから個へと変わっていたという話を聞きます。個であることに慣れている私たちではありますが、大きな中での私という存在から、私を中心としたその周りという考え方にはかなりの違いがあるように思います。今は私を中心とした…という捉え方が大きくなっているのかもしれません。うまく言葉にできませんが、様々な人がいて、国によって、宗教によって、人によって考え方は異なる、そんな人々の中で私は暮らしているという大きな中での私という捉え方が大切なのかもしれないなと思いました。様々な人の考え方を受け入れ、それを踏まえて共に過ごしていくという保育の上で大切な考え方は国際化にもつながっていきますね。英語が話せればいいというようなものではありませんね。

  5. 「国際化」に対する対応策を、「語学」の問題として捉えようとするのではなく、「一人ひとりを大切にし、その一人ひとりが他と関係を持ち、他と共生していく行き方をしていかなければならない」という、“人の生き方”そのものを新たに提案していくことが望ましいといった感じがします。よく「外国人」という言葉を使いますが、他国に行けば自分が外国人になるわけであったり、ドイツに関しても移民が非常に多いことから、その言葉は今後使われなくなるようにも感じます。国籍に壁を作らないような環境、考え方、生き方の提案が、今後の乳幼児期でも必要になるということですね。

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