子どもたちが園で遊ぶもののひとつに「伝承おもちゃ」があります。その中で、人気のあるものに「カルタ」があります。昔は、カルタといえば正月の遊びでした。今は、いろいろなカルタがあり、子どもたちは1年中よく遊んでいます。日本の伝承おもちゃには、もともと農耕民族ということもあって、子どもがある程度大きくなると、複数で遊ばなくてはならないものが多くあります。日本の凧は、一人で揚げることができる外国の「ゲイラカイト」と違って、もち手が必要です。これは、歩き始めた男の子が、二人で協力をすることを学んだとも言われています。同様に「カルタ」も少なくとも、読み手と、捕り手が最低二人、みんなで3人以上がいないと遊べません。また、カルタの取り札は、読み札の文章の一番頭の音が、絵とともに書かれています。これも、この先、子どもたちが文字を習い始めてときに必要になります。日本のひらがなは、一音に一文字を当てはめます。ですから、まず、単語を音節に分解することが必要になります。小学校1年生の国語の教科書の一番初めのページに書かれているのは、この音節分解です。カルタは、文章の最初の音節が書かれている札を取る遊びなのです。同様に、子どもたちがよくする音節分解を学んでいる遊びに「しりとり」があります。この遊びも、片方の子が言った単語の最後の音が最初につく言葉をもう一方が捜すというものです。また、カルタには、重要な役目があります。それは、読み札の文章を覚えるためにカルタをするというものです。最初の音を言っただけで、その文章を思い出し、その札を拾うというものです。百人一首などはそういう意味がありますね。このようなものとして、古くから言い伝えや、人生を子どもに教えていたものに「いろはかるた」があります。たとえば、皆さんは、その最初の札の「い」は何を浮かべるでしょうか。多くの人は、「犬も歩けば棒にあたる」というものでしょう。この言葉はカルタで覚えた人が多いと思います。というのは、カルタの問題点は、その文章はすらすら出てくるのに、その意味は解説しないので、かなりあいまいで覚えています。勘違いしていることわざの多くは、私は、カルタから勝手に解釈をしていることも大きいのではないかと持っています。この「犬も…」も、意味は、棒はワルガキが犬を叩くのに使った棒.ということで,お散歩に出た無実の犬が,訳もなく災難に会う事を指しています.出しゃばって災難に逢うの意味です。それが、最近は、少し変化していて,むしろ幸運に行き当たる意味で、何もしないで,じっとしていてはいけないという意味に使われます。しかし、この「犬も…」も江戸の「いろはかるた」に使われるのであって、尾張では、「一を聞いて十を知る」ということわざですし、上方では、「石の上にも三年」とか「 一寸先闇の夜」とかが使われたり、大人には、「いやいや三杯」などというものもあります。この「いろはかるた」は、天明の頃(1780~) 上方で成立し、文化の頃には江戸でも作られ、1850年頃、尾張いろはかるたが作られました。そして、その採用されたことわざは、上方,江戸と同じ札もありますが,独自のものもあります。「いろはかるた」から学んだことわざは,かつては、子どもたちの中に無意識に日常の行動規範を形作っていっていたのでしょう。いろいろな意味のある、奥深い日本文化かもしれません。
カルタの持つ意味をこんなに考えたのは初めてかもしれません。カルタに限らず昔からあった遊びには、子どもの成長に大切な意味があるんでしょうね。そう考えると、今子どもたちが夢中になっているゲームなどには、同じような意味があるんだろうかと疑問に思ってしまいます。脳の発達によくないというだけでなく、昔からある遊びにはこんな意味があるということをもっとアピールできたらいいのにと思います。昔からある遊びがもっている意味をもっと知りたくなりました。
わが子は「カルタ」が好きです。一人っ子なのものですから、家族の者はそのカルタの相手になります。プレゼントも「トランプ」と「カルタ」の要望が多いですね。「にほんごであそぼ」のカルタからディズニィーやアンパンマンのカルタまでいろいろとあって大人でも結構楽しめます。文字の習得にとっては格好な教材です。遊びながら学べます。楽勉です。「犬も歩けば棒にあたる」は「訳もなく災難に会う」という意味で理解していたので、ホッとしました。いろいろと確かめておかないと子どもに嘘を教えかねません。まぁ、私が間違えていたら、息子が教えてくれるでしょうから、その時は素直に彼の説明を拝聴いたします。