今日12月9日は、「障害者の日」です。そして、「障害者の日」までの一週間の12月3日~9日が「障害者週間」で、「障害者の日」からの一週間の12月9日~12月15日が「身体障害者福祉週間」です。そして、「障害者の日」をはさんでの一週間の12月5日~12月11日が「社会福祉週間」です。障害者の日は、1975年12月9日国際連合の第30回総会において障害者の権利に関する決議「障害者の権利宣言」が採択された日にちなんで、1980年11月28日に厚生省国際障害者年推進本部が国際障害者年を記念して、障害者問題に対する理解と認識を深めるために定められました。障害者週間が始まる12月3日は、障害者基本法の公布日です。障害者基本法とは、障害者施策に関する基本的理念を定め、国・地方公共団体等の責務、施策の基本的事項を定めること等によって、障害者の自立とあらゆる分野の活動への参加を促進することを目的に、平成5年に策定されました。この法律では、障害者を身体障害者、知的障害者、精神障害者と定義しています。また、基本的理念として、「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する。」としています。そして、「すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられる」ことを宣言するとともに、「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」ことを明らかにしています。
最近、よく「ノーマライゼーション」とか、「バリアフリー」ということが言われますが、その言葉のもとを知らない人がまだ多い気がします。ノーマライゼーションとは、「障害をもつ人も、もたない人も、社会の一員として、お互いに尊重し支え合いながら、地域の中でともに生活する社会こそがあたりまえの社会である」という考え方ですが、ノーマライゼーションの父と呼ばれるデンマークのミケルセンは、次のように説明しています。「ノーマライズ」というのは、障害がある人を「ノーマルにすること」ではありません。彼らの生活の条件をノーマルにすることです。ノーマルな生活条件とは、その国の人々が生活している通常の生活条件ということです。」しかし、障害者が障害のない人と同じように日常生活や社会生活を営むには、社会には、まだいろいろな障壁(バリア)があります。こうしたバリアを取り除き、障害者が自由に社会参加できるような、平等で、障壁のない社会、すなわち「バリアフリー社会」の実現を目指していく必要があるのです。また、バリアフリーから一歩進んで、高齢者、障害者、子ども、妊産婦、病弱者等、だれもが使いやすいようにはじめから考えて、製品、建物、環境等をつくりだしていくことが提唱されていますが、それを「ユニバーサルデザイン」といいます。たとえば、シャンプー容器本体のギザギザマークにより、手触りでリンスとの区別ができます。ポンプタイプには、ポンプボタンの頭部分にもギザギザがついています。また、利用目的によってテレホンカード、乗り物カード、買い物サービスカードの3種類に分類し、切り欠き形態を変えて、手で触れただけで識別ができるようにしています。このように、何も障害者だけでなく、誰にとっても使いやすいようにした商品を「共用品」といいます。我が国が目指すべき社会として、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う「共生社会」です。人それぞれの価値を認め合うような社会を作ることが必要なのです。
障害者の日があっても、実際意味がないと思う。障害者自立支援法の改正で、障害者年金は減らされ、サービス利用料の負担が増えたり…結局社会的に弱い立場の人が犠牲になり、政治家ばかりが甘い汁を吸っている…そんな世の中での「障害者の日」なんてありがたくも何ともない!!藤森先生が言われた「共生社会」になるには、勿論私たち一人ひとりの思いやりや助け合いの気持ちも大切だが、国の代表である政治家たちが考え方を変えないといけないと思う。
以前藤森先生にバリアフリーの正しい意味を教えてもらいました。それまでバリアフリーとは建物の段差をなくすことだと思っていました。正しく理解していなかったことを恥ずかしく思います。今日は「ユニバーサルデザイン」の意味を間違って理解していたことも気づかせてもらいました。シャンプー容器本体のギザギザマークは、シャンプー中に目が開けられなくても判別できるように付いているものだと思っていました。もっと深い意味があったんですね。まだまだ勉強が必要です。間違った理解を正して「共生社会」を目指さなければいけません。
バスに備え付けのシャンプー、リンス、ボディソープのポンプボタン部分を見てみました。確かにありました。今日のブログがなければ、おそらく決して注意を向けることのない部分だと思います。「ノーマライゼーション」の真の意味を知ることができました。今日も勉強になりました。この「ノーマライゼーション」、意味を知らずに使っている人が多いように思います。ノーマルはその反対語にアブノーマルを持ち外来語として定着しています。そして、その意味は人格などを否定するものです。それゆえ、「ノーマライゼーション」を耳にする度に言いようのない嫌悪感を抱いていました。アブノーマルな人をノーマルにする、というとんでもなく間違った解釈が頭のどこかで自己主張をしています。今日正しい意味を確認できましたが、どーもカタカナ日本語としては使用にためらいを感じてしまいます。
障害者の日は、あってもいいとおもう。
自分は、何も出来ないけど、障害者にとっては嬉しいと思う