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2006年12月31日 行事

大晦日

 今日は、大晦日です。1年の最後の日です。毎月の最終日を晦日といい、晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月の晦日を大晦日といいます。しかし、言葉の意味からすると、「みそ」とは「三十」なので、「みそか」とは30日の意味のような気がしますので、昨日が大晦日ではないのですかね。といっても、どうということのない年末年始ですが、なぜか特別な意味を持つ気がするのはどうしてでしょう。子どものころ、大晦日だけは遅くまで起きていてよいことになっていました。それは、年越しの夜のことを除夜といい、大晦日には、様々な年越しの行事が行われたからです。昔から、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信があったほどです。そして、この大晦日、正月を挟んで、12月29日(御用納めの翌日)~翌年の1月3日(正月三が日、御用始め=1月4日の前日)の期間の総称を年末年始といいます。この間も、特殊な職業だけでなく、店を開けたり、仕事をする人が増えました。官公庁では、行政機関の休日に関する法律(昭和63年12月13日、法律第91号)により、12月29日から1月3日までを休日として定めており、12月28日を御用納めとして、その年の最後の業務日となっています。思い切って、みんな休みにしたら、年末年始における日本の伝統的行事が見直せるのにと思います。年末につく餅つきの意味、おせち料理の意味、大掃除の意味など、この年末年始休みに関係があるのです。
 今、町の大きな会社の前などには門松が飾られていますが、正月に、それぞれ門に立てる松は、年神様が訪れ、一年の幸福を授けてくれるといわれ、神様が最初に降りてくるのが、門松とされてきました。また、しめ飾りとはしめ縄で作ったお飾りのことで、神をまつる神聖な場所であることを示すものとして飾られます。新しいわらには、神様を迎えて祭る清浄な場所であり、占標(シメ)といいます。裏白を飾るのは「後ろ暗いところのないように」との願いで、長寿、橙は、「家が代々繁栄しますように」との願いで、昆布は「よろこんぶ」とのことで、このようにしめ飾り全体で一家の幸せを願ったのです。しめ飾りは玄関の軒下に飾るのが普通ですが、昨日、思いもかけないところで正月飾りを見ました。なんと、電車の中吊り広告でした。
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 もちろん、飲料商品の宣伝ですが、布でできた暖簾のつくりに、ちゃんと本物のわらと、よくできた橙が飾られています。この飾りは、いつ飾ったのでしょうか。まさか、一昨日ではないでしょうね。あんなによく伝統を守っていながら29日には飾らないでしょう。29日は「苦の日」,「二重苦」,「苦立て」などと解釈して苦に通じるし、31日だと一夜飾りといい、お正月のお飾りは28日までにするとされています。一夜飾りがよくないのは、ひとつは神様に失礼だからということ。もうひとつはお葬式の飾りは一夜のみ飾るので、それと同じになって縁起がよくないということだそうです。本来、門口にしめなわを飾るのは、外から災いが内に入らないようにとの願いが込められています。
 次第に、年末年始の大イベントが消えつつあります。同時に、1年の振り返りと、1年の抱負を語ることも少なくなっています。「気持ちを新たに」ということを、何かの区切りですることも必要だと思います。私も、明日からまた気持ちを新たに「ブログ」を書いていきたいと思います。

投稿者 fujimori : 16:19 | コメント (2)

2006年12月30日 近頃思うこと

北欧

 今年4月、千葉県船橋市のららぽーとスキードーム跡地にオープンして話題になった「イケア船橋」に続いて、9月に「イケア港北」が、神奈川県横浜市のヤナセ横浜デポー跡地にオープンしました。ミュンヘンにも大きなイケアがありましたが、今日は、イケア港北に行ってみました。
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 イケア(IKEA)は、スウェーデンの大手家具店です。ですから、家具にはスウェーデン語の名前がついているのが特徴です。カタログやインターネットによる販売もしていますが、特徴は、郊外に「イケアストア」と呼ばれる大規模な店舗を構える方法で展開していることです。IKEA、とは創業者のイングヴァル(I)・カンプラード(K)のイニシャルに、彼が育ったエルムタリッド農場(E)があるアグナリッド(A)の町の頭文字をつなげ合わせたものです。創業は、1943年17歳だったイングヴァルが設立した安売り雑貨店が元になっています。今後も、大阪府や兵庫県や埼玉県などにオープンする予定のようです。また、最近ナンバーポータビリティー制度とソフトバンク参入で話題の携帯電話の世界では、さまざまな機種が発売されていますが、世界では「ノキア」というフィンランドの電気通信メーカーが有名で、携帯電話の世界シェアでは、1位で、29.3%です。ちなみに2位の米モトローラ社は16.6%、3位の韓国サムスン電子社は13.1%、4位が独シーメンス社、5位が英ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズ社で、日本の会社は影も見えません。このスウェーデンのイケア、フィンランドの「ノキア」のような北欧の会社が最近元気です。しかし、日本人にとって、北欧諸国は理解しにくい社会のようです。日本人認識では、高福祉であるが税や社会保険料が重く、国民負担率が高いというイメージです。そして、自殺が多いと聞かされてきました。ところが、北欧諸国は世界最上位の所得水準や生活満足度を維持するだけでなく、短めの労働時間と充実した家庭生活・余暇活動、先進国としては高い出生率など、「豊かな社会」を実現しており、自殺者も世界で一番多いロシアについで2番は日本です。また、最近のピサの学力調査でも北欧はかなり高く注目されています。最近ラジオで言っていましたが、北欧をはじめ経済、教育が高い水準の国では、共通点が三つあるといわれています。一つ目は、そこの国もIT先進国であるということです。インターネットは人の付き合いを薄くするなどといまだに言っている国はおいていかれます。もっと、積極的な活用を考えていかなければならないでしょう。二つ目の共通点は、女性や障がい者の社会進出が積極的だということです。北欧においては、議員の半数近くが女性であるのに対して日本では数%しかいません。もうひとつの共通点は、政治の清廉さだそうです。そして、北欧では、無理が利かない人には仕事量や勤務時間を減らしたり、一時休職を認めるなど、個々人の事情に応じた労働環境を提供することで、誰もが働き続けることを可能にしています。みんなが働くから、一人当たりの労働負荷は減り、長時間労働や過労死とは無縁で、充実した家庭生活が可能になり、男女とも育児に十分な時間が割け、少子化も進みにくいのです。そして、教育にお金を注ぎ込み、独創的な想像力を培うような教育を行い、経済成長を促進させることに成功しています。日本は、どんな方向に進もうとしているのでしょうか。経済成長を促進するために、お金を注ぎ込むところが違う気がします。

投稿者 fujimori : 21:09 | コメント (3)

2006年12月29日 近頃思うこと

手帳

 年末の個人的イベントは、来年の手帳を購入することです。手帳は手帖とも書くことがありますが、どちらも「手」という字があるように、手の中に納まるような小さな記録本のことをさします。今は、いろいろな種類のものが出ていて、その用途も様々になりました。メモ的な記録だけではなく、予定管理や行動の記録、路線図などの資料、身分関係記録、身分証明書を兼ねるものもあります。園では、お便り帳というものを使いますが、それも手帳の一種でしょう。毎日の出欠席や園からの報告、保護者からの連絡、中には、身長、体重の記録など健康手帳を兼ねているものもあります。先日、ある保育業者からこのお便り帳に関する意見を求められました。今、様々な工夫された手帳が出ている割には、お便り帳は、縦か横の形か、絵柄が違う程度の工夫しか見られません。私は、帰りに文具店の手帳売り場にでも寄って、いろいろな手帳を参考にしたらどうかと助言をしました。私は、今日、手帳売り場に行ってみました。すると、最近の傾向は、手帳の形を提案している人の名前のついたものが多く出ていて、びっくりしました。今まで、手帳というと、「能率手帳」が有名ですが、もともと、日本能率協会のコンサルタントが使っていた手帳を会員向けに配布したのが起源です。 タイムマネジメントの行える手帳としては、わが国の先駆と言われています。最近の主流は、私も使っている「システム手帳」です。これは、本体がバインダーでリフィルと呼ばれる用紙部分が交換可能なものをいいます。イギリスで1921年に発売され、本来は牧師や副官がいない尉官クラスの将校が、自分の教区や率いる部隊に関する記録を収めておく為の物でした。日本では1980年代より次第に流行するようになりました。リフィルには、無地や罫線のみの入ったメモ帳、日付の入っているダイアリー(日記や予定表)、住所と電話番号欄の並ぶ住所録などを基本として、地図(都市図、鉄道路線図など)、分類のための各種インデックスシートなど挟み込むもので個性が出せます。最近は、電卓や物差し、様々な紙片を入れて保存するためのプラスチック袋や、磁気カード入れ、プリクラ台紙なども販売されています。少し前にはやったものでは、「電子手帳」がありましたが、現在では児童向け玩具としてやパソコンとの連携として使われることが多くなりました。他にも「生徒手帳」「母子手帳」「 年金手帳」「プリクラ手帳」など様々あります。今年12月4日に「カンブリア宮殿」で放送されたものに「仕事の達人たちの手帳術 手帳でビジネスに勝て!」がありました。ゲストは、『「超」整理法』で有名な野口悠紀雄さんでした。彼は、最近、『超手帳法』の著者です。番組の中で、言っています。「スケジューリングというのは難しい作業です。人間はもともと農業をやって生活してきました。農業はスケジューリングが簡単。春に種まきをして秋に刈り取る、という年単位で考えればよいわけですから。たぶん本来の人間の能力はそこまでです。今のように複雑なことをやるようになったのは古いことではないのですね。たとえば、締め切り期限の違う仕事を平行して進めている。それらをうまく秩序づけるのは難しい。多くの手帳は見開きで1週間単位になっています。次の週はページを繰らないと見られない。予定を入れるときに、次の週を考えずに入れてしまうのはそのためです。」彼の提案する手帳は、2ページで2週間分、長い1枚のシートを蛇腹状に折り込んであり、A4の短辺どうしを2枚貼り合わせたサイズで8週間分のスケジュールが書き込めます。必要な分だけ差し込んで持ち歩く方式になっているこの手帳を、来年は使ってみようと思います。

投稿者 fujimori : 21:46 | コメント (2)

2006年12月28日 近頃思うこと

 ほぼ1年前の12月26日のブログに、幕末の越後・長岡藩家老で、司馬遼太郎の小説「峠」の主人公、河井継之助のことを書きました。それは、今年の正月特別時代劇で放映されたからです。先月28日の 読売新聞によると、その継之助の市立記念館が昨日の12月27日に、新潟県長岡市の生家跡地にオープンする予定と書いてありましたが、オープンしたでしょうか。すでに、継之助の終焉の地である福島県只見町には、「河井継之助記念館」があります。今回開館する記念館は、市制百周年記念事業の一環として、中心部にある生家跡の民家を土地ごと購入し、建物の改修を進め、展示品として、江戸から備中松山藩までの旅の記録をつづり、河井の唯一の著書とされる「塵壺」の原本をはじめ、道中に身につけた蓑や生前の写真など、ゆかりの品約40点を展示されるそうです。彼は、地元では藩政改革に尽力した「郷土の偉人」、「幕末の戊辰戦争で戦禍に巻き込んだ張本人」と今もって評価が分かれています。そこで、戦火に焼かれた長岡では、記念館構想が持ち上がるたびに賛否両論が上がり、まとまりませんでしたが、市は「河井の評価は分かれるかもしれないが、足跡を後世に伝えることが重要」ということで記念館を作ることにしたそうです。私も司馬遼太郎の「峠」を読んで大ファンというか、いろいろと考えさせられたところがありました。それは、多分に司馬遼太郎の継之助の言葉を借りて語らせている考えであるかもしれません。その「峠」の直筆原稿などもこの記念館に展示されるそうです。
 その中の印象に残った言葉のいくつかを挙げてみます。「人の一生は短いものだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」私は、一度重い病気になり、人生を考えたことがありました。そのときに、同じようなことを考えたのです。人生の長さは決まっているので、自分の納得いく、自分でなければできないこと(天命)をやろうと思ったのです。そして、自分の好きなことをしよう(志)と思いました。また、継之助に、こう言わせています。「志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯事の自己規律にある、という。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言いかた、人とのつきあいかた、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが、継之助の考えかたであった。」志を持つことは容易にできても、それを持ち続けることは容易ではありません。常に自分に、今やっていることがその志に向かっているのかを問い直す必要があります。それが、私の考える「省我」です。ほかのところでも、「志」について語っています。「世は、絵でいえば、一幅の画布である。そこに筆をあげて絵をかく。なにを描くか、志をもってかく。それが志だ。継之助の志とは、男子それぞれがもっている人生の主題(テーマ)というべきものであろう。どういう絵をかく、ということになれば主題があらねばならない。その主題をどのように描くということになれば工夫(モチーフ)が必要であろう。主題と工夫(テーマとモチーフ)というのが、継之助のいう志という意味であるらしい。」人は、志を持って生きるべきです。

投稿者 fujimori : 19:36 | コメント (4)

2006年12月27日 近頃思うこと

国際化

 ここ数日間、来年度開園する園の保護者説明会を開催しています。今度開園する園は新宿という地にあり、よく人からは、さぞかし多国籍の子が多く、夜までにぎやかで、にぎやかな町にあるだろうと思われますが、意外に、夕方から夜にかけては今のニュータウンよりは静かなくらいです。しかし、説明会に参加する保護者は、やはり多国籍の保護者が多いようです。説明会に参加する家庭は熱心な家庭とか、子どものことが心配な家庭が多いためか参加者の2~3割は多国籍の家庭でした。これは、何も新宿に限らないことですが、外国籍の保護者が最近多くなりました。そうなると、今まで無神経に行っていたことにも、今後気をつけなければならなくなるでしょう。妻から言われましたが、アメリカなどでは、クリスマスにやたらと「メリークリスマス!」と声をかけないで「ハッピーホリデイ!」と言うそうです。それは、他宗教の人への配慮だそうです。そんなことを含めて、「保育の国際化」を考える必要があるでしょう。当然、まず、外国人の保育に対する保育者養成、保育現場での対処の仕方を見直さなければなりません。日本は、周りを海で囲まれ、他国と国境を陸続きでは持たず、また、他国から特に侵略を受けることなく、無理やりに他国文化を強制されたことはありませんでした。また、周囲から孤立(鎖国)する政策を徳川幕府300年ものあいだ行われていました。その中で、日本独特の文化を築いてきました。そのために、明治期、二次大戦終戦期において外国文化に驚きを感じ、差を感じ、憧れ、文明の進歩の遅れを認識し、その遅れを取り戻すために、軽薄な追いつけ・追い越せ主義で急速な西欧化への道を歩みだしたのです。この方針は、幼稚園、保育園制度にも影響しています。その傾向は、日本人特有の国民性に根ざすこともありますが、既成宗教に強いこだわりがないことも影響しています。ですから、イスラム教のように戒律も厳しく、またそれを厳守している人々への理解が薄く、また、生活様式や習慣とくに儀礼、接待の様式や程度、対人関係などの考え方の理解の教育がなされていません。習慣や形式が異なるだけでなく、親の育児観、教育観についても、家庭保育への認識度、保育施設についての認識と価値観などの違いについての理解も必要でしょう。また、日本や日本人に対する感情も、必ずしも友好的に感じているわけではなく、反目的、嫌悪の情があることに対しての歴史的背景も理解をしておく必要があります。私たちは、単純に、外国の子どもたちを受け入れることに対して「語学」の問題として捉えようとしますが、これからの課題は、それだけでないことを学ぶべきでしょう。
外国の子どもたちを受け入れるにあたって気をつけなければならないのは、保育者だけではなく、子どもたちや、その保護者へも、多国籍の子どもたちへの理解をしてもらうような働きかけが必要になります。昨年、ドイツのミュンヘンで行われた保育世界大会でのテーマであった「インクルージョン」という考え方の保育が必要になります。その考え方は、来年度から始まる障害児に対する特別支援の考え方や、学習の困難な子や不登校の子どもたちに対する支援の考え方と同様です。今まで、単一民族の中で、統一とか、一斉とか、みんなそろってという考え方から、一人ひとりを大切にし、その一人ひとりが他と関係を持ち、他と共生していく行き方をしていかなければならないのです。真の国際化とはそういうことのような気がします。

投稿者 fujimori : 22:55 | コメント (3)

2006年12月26日 近頃思うこと

なれあい

 私が教員だったころ、子どもたちといろいろなことをしました。いっしょにハイキングに行ったり、キャンプに行ったり、映画に行ったりとさまざまなところにもクラスで出かけました。しかし、そのころの私のことを子どもたちはどう思っていたのでしょうか。30年近く前、1年生のときに担任し、今は、よく食べに行くお蕎麦屋さんをやっている教え子に聞いてみると、「こわい先生」と答えました。また、そのころ一人で住んでいた私のところによく遊びに来たり、泊まっていったりしていた中学生に聞いても同じことを言うだろうと思います。私は、中学生のいわゆる「ワル」の子に対しても、決して偏見を持たず、一人の人格を持った人間として接していました。ですから、私の家では、たとえば決してタバコを吸うことを許しませんでした。そのころの私は、かなりのヘビースモーカーでしたので、よくタバコを買ってきてもらい、子どもの前でも吸っていたのに、子どもたちには決して勧めませんでした。それは当然のことのようですが、その子たちはタバコを吸っていたので、中学校では、喫煙室を設けたり、本音で話し合おうと教師からタバコを勧めるようなことも多かったようです。そのころ、私はそのような対応は、逆に差別だと思っていました。いくら悪い子でも、いけないことはいけないと言うべきでしょうし、その子の体を本気で心配するのであれば、成人になるまでは吸わせるべきではないと思っていました。都留文科大学の河村茂雄教授(心理学)が学級崩壊についての調査研究をしました。それによると、学級崩壊は平均で10校に1校の割合で起きており、そのプロセスは2種類の形があります。ひとつは、管理重視で、指導好きの教師に一部の子どもが反発、それが広がっていく「反抗型」です。もうひとつは、優しい教師による友達感覚の学級運営が、瓦解を招く「なれ合い型」という形です。16年の大規模調査では、なれ合い型のケースが特に小学校で急増しているそうです。首都圏の小学校で崩壊した学級の60~70%がなれ合い型だったほか、地方でも、県庁所在地や人口密度が高い新興ベッドタウンなどの学校で増えているといいます。なれ合い型の学級崩壊は、こんなプロセスをたどります。年度当初、保護者は「自分の子どもは受けいれられている」と感じ、教師との信頼関係が築かれます。しかし、内実は先生と個々の子どもの関係ばかりが大切にされ、集団としてのまとまりに欠けているのです。教師は友達口調で子どもに接し、子どもに善悪を理解させず、曖昧な態度を取ることが多くあります。そして、学級のルールが守れなくても「今日は仕方がない」などと特例を設けたり、私語を許すなどルール作りがおろそかになり、子ども側には「ルールは先生の気分次第」という空気が生まれます。やがて教室内には、教師の気を引く言動が無秩序に生まれ、「あの子がほめられて面白くない」「先生は私と仲良くしてくれない」などの不満が噴出してきます。告げ口が横行し、学級の統制が取れなくなり、学級崩壊になるというものです。教授は、「最近の学校は個性重視が説かれ、個に寄り添える教師が増えた。その半面で教師も子どもも集団形成や統制が苦手で、学級は集団というより群衆に近い状態になっている」と語っています。「フレンドリー」と「なれあい」はちがいます。教師が子どもに対して「毅然」としているのは、決して権威を笠に着たり、権力を行使することではありません。行き方のモデルを示すことです。

投稿者 fujimori : 23:01 | コメント (3)

2006年12月25日 近頃思うこと

火の用心

 年末が近づいて思い出すものに「火の用心」の夜回りがあります。寒々とした冴えた冬の夜に、鋭く響く拍子木の音とともに思い出します。私の子どものころは、下町ではこの音を聞きながら寝入ったものでした。そのころは、誰が回っているのかなどは気にしていませんでした。今住んでいる地域では、地元の消防団の若者が、地域で持っている消防自動車に乗って、鐘を打ち鳴らしながら回ります。年末年始は、寒さが本格化し空気が乾燥するのに加え、火気を使用する機会が多くなり火災発生の危険性が高くなる時季のために夜回りをするので、年末というイメージなのでしょう。火事の四分の一が、この時季に発生している地域もあるそうです。この夜回りをしながら、注意を促す呼びかけを行います。私の覚えているのは、「火の用心。マッチ1本、火事のもと」というものです。最近でも年末に回っている自治体があるようですが、どんな呼びかけを行っているのでしょうね。今度開園する新宿の園では、オール電化なので、マッチはもちろん、火はまったく使いません。そんなときの呼びかけはどうなるのでしょうか。戦前から戦中にかけては、「米英撃滅火の用心 撃ちてし止まん火の用心 マッチ1 本火事の元 戸締まり用心火の用心 タバコの吸い殻火事の元 泥棒の用心願います カマドの不始末火事の元 ついでに戸締まり気をつけて」と言っていたように 火事のもとは爆撃されたときの火の手であり、かまどの火だったようです。そして、火事場の泥棒と言われたように、火事のときは、火だけでなく、泥棒にも気をつけなければならなかったようです。それが、昭和20年代になると、「火の用心 タバコの吸い殻火事の元 火事や盗難ないように 火の用心 カマドの不始末火事の元」とか、「火の用心 マッチ1本火事の元 おイモ焼いても家焼くな」のように、タバコの火が火事の原因に躍り出て、家庭では冬に焼き芋をして食べていたことがわかります。昭和50年代になると、「火の用心 マッチ1本火事の元 火事は国家の大損害」とか、「火の用心 マッチ1本火事の元 サンマ焼いても家焼くな」となると、聞いてもらうために語呂あわせを楽しんでいる様子が伺えます。「マッチ一本 火事のもと」という標語は、昭和28年に東京消防庁によって選ばれたものだそうですが、最近のものは、「あなたです 火のあるくらしの 見はり役」(H.17)「消さないで あなたの心 注意の日」(H.18)だそうです。
また、いっしょに打ち鳴らす拍子木は、「拍子」を取るための木の音具です。手に持って打ち合わせると、「チョーン、チョーン」と高い澄んだ音が出るために、この夜回り、夜警だけでなく、日本では古来様々な用途に用いられてきました。たとえば、相撲では、「呼び出し」が拍子木を打って、力士の名を呼びます。また、子どものころの思い出は、この拍子木が午後に聞こえると急いで跳んで行ったものです。それは、昭和初期から30年代にかけて下町で人気のあった街頭紙芝居屋が、自転車で町々を回って、拍子木を鳴らして子どもを集めて紙芝居を見せ、飴などを売ったのです。あと、人形劇や歌舞伎では、開幕、幕切れ、役者の登場などに拍子木が重要な役割を持っています。お祭りのときにも、みこしや山車の運行に、拍子木の音によって、止まれ、ススメ、回れ、などの合図をしました。
 私が子ども会の顧問をやっていたころ、子どもたちを父親たちが付いて夜に「火の用心」をして歩きました。異年齢の付き合いが大切であるイベントでした。

投稿者 fujimori : 22:28 | コメント (4)

2006年12月24日 近頃思うこと

味覚

 テレビ番組や本の特集で人気のあるテーマは、「温泉」と「美味しい食べ物」です。この特番も多いですね。私も、たとえばラーメンを食べに行くときには、「美味しいラーメン店」のような本を参考にします。しかし、そのような店は、誰でもよく知っていて、長い列を成していることが多く、そこまでして食べる必要がないかと思ってあきらめてしまうことが多いです。それでも、いつかは食べてみたいと思い、行く時間などを調整して挑戦します。やはり、推薦されたり、また、並んでいる店は美味しいことが多く、あまり外れはありません。しかし、ラーメンなどは味の好みは人によってずいぶん違うもののような気がします。また、年齢によっても違ってきます。他の食べ物でもそうですが、今の私は、ふきのとうとか、菜の花とか、「苦味」や「臭み」「渋み」に味の好みを感じますが、子どものころは、「甘さ」とか「味の濃さ」が好きでした。これら味覚は、動物の五感の一つで、口にする物の化学的特性に応じで認識される感覚ですが、人間は、その味覚をおもに舌で感じます。この生理学的な味覚を、他の感覚の嗅覚や視覚や記憶などが加味され、心理学的な感覚として味わうこととなり、「風味」と呼ばれます。普通、基本味というと、「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」「うま味」の5つです。そのほかの味としては、辛味、渋味、刺激味、無味、脂身味、アルカリ味、金属味などがあります。中国で五種の味を意味する五味というのは。酸、苦、甘、辛、鹹(しおからい)をさします。それぞれ五行思想で、酸は五行の木 、苦は五行の火、甘は五行の土、辛は五行の金、鹹は五行の水に割り当てられています。インドでは、6つのラサ(6つの味覚)というものがあります。マドゥー(甘味)、アムラ(酸味)、ラヴァナ(塩味)、カトゥ(辛味)、テクタ(苦味)、ケシャイ(渋味)です。同じ味でも、年齢、国によって好みや感じ方は違うでしょうね。
先日の12月22日の朝日新聞に、東京都小平市の中学生に実施した給食内容についてのアンケート結果が載っていました。その結果、「おいしい」13%「どちらかといえばおいしい」39%「どちらかといえばおいしくない」23%「おいしくない」12%「その他」12%でした。そして、ひじきや切り干し大根などの和食で残食が多く、1日に出る約500キロの残飯は畜産業者に引き取ってもらっているといいます。一方、試食会に参加した保護者にアンケートしたところ、「おいしい」64%「普通」34%「おいしくない」2%だったそうです。その結果について、センター所長は「栄養や衛生を第一に考えているため、薄味になったり生野菜を出せなかったりする。センターで大量に作るため調理にも制約がある」と話しています。また、アンケートでは給食時間が足りないと答える生徒が全体の4割近くおり、「短い食事時間も味の回答に影響しているのかも」と言っています。ほぼ毎日出す牛乳を毎回飲んでいる女子生徒は、1年65%、2年59%、3年51%と、高学年になるほど牛乳を飲まない傾向が見らます。都の「学校給食の栄養摂取標準」では、カルシウム摂取のため約200グラムとるよう定めていますが、栄養価の高い牛乳は「太る」と思いこむ生徒が多く、ダイエットに敏感な高学年の女子が牛乳を敬遠しているとみられています。必ずしも子どもの嗜好に迎合する必要はありませんが、給食を通して、子どもたちになにを伝えるかをきちんと考える必要があるかもしれません。

投稿者 fujimori : 22:16 | コメント (2)

2006年12月23日 近頃思うこと

ヒイラギ

 園では、どこでもクリスマス会は済ませたでしょうね。そして、学校では冬休みに入ります。今は、天皇誕生日が12月23日なので、年末は学校ではなんとなく休みに入ってしまうという感じですね。ですから、学校でクリスマスプレゼントを自慢しあう機会もありませんが、子どもたちは、どんなクリスマスプレゼントをもらうでしょう。私の子どもは大きくなったので、もう何年もプレゼントをあげる楽しみはありません。つくづくプレゼントは、もらうほうよりも、あげるほうが楽しみなのだということを実感します。また、以前に紹介したように、最近は家庭や町はクリスマスイルミネーションで華やかですので、終わってからその片づけが大変だろうと思ってしまいます。まだ、クリスマスを迎えてもいないのに、もう終わってからのことを考えるのは、日本人の特徴かもしれません。というのは、私のように多くの日本人は、クリスマスに特別な宗教意識がない不謹慎ものだからでしょうね。私の園では、毎年子どもたちへのクリスマスプレゼントは、職員がひとつひとつに絵を描いて、園の窯で焼いたお皿です。今年の絵柄は、今年のテーマの「楽器」にちなんで、ヒイラギの葉とリボンで結ばれたベルでした。この組み合わせは、リースにすることが多いのですが、ヒイラギのグリーン、リボンの赤、ベルの黄色という華やかかつ温かみのある配色は、まさにクリスマスカラーです。
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ヒイラギの木は、北欧では森の中のすべての木の中で、最も高貴な木とされています。そして、ヒイラギの棘は、イエスが十字架につけられた時にかぶせられた、いばらの冠の象徴、即ち受難を表し、また、そのヒイラギの赤い実は、イエスが十字架上で亡くなられた時、流された血を表すという意味で、クリスマスと言えば、いつも赤と緑が使われるようになったのです。クリスマスに教会で飾られたヒイラギを家に飾ると、その部屋は翌年中幸せになるといわれています。日本では、ヒイラギの葉というと、「まめまき」のときに、鬼が入ってこないように玄関の戸の外に飾る葉をイメージしますが、クリスマスのヒイラギとは種類が違います。クリスマスの飾りでよく使うのは、いわゆる「柊」ではなく、柊黐(ひいらぎもち)で、柊が白い花をつけるのに対して、これは、赤い実がなり、葉っぱのとげの形も違います。しかし、どちらも葉は固くて、ふちはギザギザしています。ですから、さわると痛いということで、さわると「ひいらぐ(疼く。ひりひり痛む)」ということから、「ひいらぎぎ(疼木)」となり、次第に「ひいらぎ」になりました。古くからその鋭いトゲによって邪気を払う木とされ、庭に植える習慣がありました。また、鬼が目を突かれて退散したという伝説(別名「鬼の目突(おにのめつき)」)から、2月の節分には、イワシの頭を柊の枝葉に刺して戸口に立て、魔除けにする、という厄除けの習慣が現在も残っています。
 葉のふちのギザギザを見て、なにを連想するかは、国によって違って面白いですね。私が連想するヒイラギの葉というと、この葉のギザギザを親指と中指で挟んで、葉の面に息を吹きかけて、くるくる回して遊んだ思い出があります。この時期、玄関に飾るものとして、最近頻繁に目にするにリースがありますが、私の子どものころは、年末になると鳶の人が家々を回り、飾り立てていく門松の方を思い出します。クリスマスリースのあとに、しめ縄のリースを飾るのも、日本人らしいですね。

投稿者 fujimori : 22:42 | コメント (2)

2006年12月22日 近頃思うこと

支援

 テレビのプロフェッショナルの番組の中に、保育・教育のあり方のヒントとなる言葉が多くありました。生きている木などの生き物を相手にした関係は、生きている人間にも通じることや、学ぶべきことがたくさんあります。同じように参考になる言葉がちりばめられている本があります。『親と離れて「ひと」となる』(足立倫行著 NHK出版)という、不登校や引きこもりの青少年の共同生活を紹介した本です。この本の中の言葉は、今の教育・保育の問題点と共通します。「僕自身も含めて、トンネルの入り口や出口のあり方を性急に求めてしまうひとに問おう。いま、我々が立ちすくんでいる暗闇の深さはどのくらいなのか、トンネルの中のどの位置にいるのか、手を伸ばせば壁に届くのか届かないのか、足元はぬかるんでいるのかいないのか……まずはそこをしっかりと確かめなければ、出口に進むことも入り口に立ち戻ることもできないのではないか?長年、自立支援組織を運営してきた一人は言う。我々現場の実践者は、生きて変化する人間を毎日相手にしている。理論通りに行かないことなんてしょっちゅうなんだ。それでも言えることは何か。我々の言葉が大ざっぱだったり矛盾したりするのは、ある意味でしかたないんだよ。」
 今日、来年4月に開園する園の施設見学会がありました。まだ、家具などはそろっていませんが、とりあえず建物ができたので、入園希望の保護者と、今の仮園舎で保育をしている公立の職員に対して見学説明会をしたのです。まだ何もない環境の中で、こう説明をしました。それは、今の園を作ったときのコンセプトでもあります。「建物とか、壁とかを“ハード”といいます。それに対して、内容を“ソフト”といいます。建物をハードというのは動かないものだからです。その動かない空間にあわせて、保育内容を決めることになります。たとえば、教室という広さも形も変えられない空間に合わせてクラス集団の大きさを決め、教師が前にいて、一斉にその子どもたちに向かって、どんな内容のときも話をします。しかし、その子どもたちは生きています。生きて変化する人間を相手にしています。それを無理やりにある形に当てはめ、どんなときでも同じ集団で活動するのは無理があります。ですから、その生きている子どもたちや保育内容というソフトに対して、どれだけハードである空間を変化できるかが私たちの課題です。ですから、4月になって子どもたちが入園してから、その子どもをよく見て、地域を感じ、子どもたち個々の発達を理解し、その発達を援助するためには、助長するためにはどのような環境が必要であるかを考えたいと思います。ですから、今は、何もない空間のように見えますが、ここで子どもが活動し始めることによって、この空間も生きてくるのです。」また、壁というハードについては、こう考えています。「壁という動かないもので子どもを区切ることで、活動、音、視線をさえぎろうとします。しかし、子どもにとっての壁は、心の中に持つべきです。それは、規範であったり、決まりであったり、約束かもしれません。それらは、活動を制限するものではなく、お互いに共生し、より自由に活動するためのものであり、その自律していく力をつけていく環境を用意することで、その発達を支援することになるのです。」
重松清さんは最初に紹介した本の批評の中でこの本の内容をこう言っています。『この現場での実践は、「矯正」でも「治療」でもない「支援」で本質を示している。』

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2006年12月21日 近頃思うこと

いろはかるた

 子どもたちが園で遊ぶもののひとつに「伝承おもちゃ」があります。その中で、人気のあるものに「カルタ」があります。昔は、カルタといえば正月の遊びでした。今は、いろいろなカルタがあり、子どもたちは1年中よく遊んでいます。日本の伝承おもちゃには、もともと農耕民族ということもあって、子どもがある程度大きくなると、複数で遊ばなくてはならないものが多くあります。日本の凧は、一人で揚げることができる外国の「ゲイラカイト」と違って、もち手が必要です。これは、歩き始めた男の子が、二人で協力をすることを学んだとも言われています。同様に「カルタ」も少なくとも、読み手と、捕り手が最低二人、みんなで3人以上がいないと遊べません。また、カルタの取り札は、読み札の文章の一番頭の音が、絵とともに書かれています。これも、この先、子どもたちが文字を習い始めてときに必要になります。日本のひらがなは、一音に一文字を当てはめます。ですから、まず、単語を音節に分解することが必要になります。小学校1年生の国語の教科書の一番初めのページに書かれているのは、この音節分解です。カルタは、文章の最初の音節が書かれている札を取る遊びなのです。同様に、子どもたちがよくする音節分解を学んでいる遊びに「しりとり」があります。この遊びも、片方の子が言った単語の最後の音が最初につく言葉をもう一方が捜すというものです。また、カルタには、重要な役目があります。それは、読み札の文章を覚えるためにカルタをするというものです。最初の音を言っただけで、その文章を思い出し、その札を拾うというものです。百人一首などはそういう意味がありますね。このようなものとして、古くから言い伝えや、人生を子どもに教えていたものに「いろはかるた」があります。たとえば、皆さんは、その最初の札の「い」は何を浮かべるでしょうか。多くの人は、「犬も歩けば棒にあたる」というものでしょう。この言葉はカルタで覚えた人が多いと思います。というのは、カルタの問題点は、その文章はすらすら出てくるのに、その意味は解説しないので、かなりあいまいで覚えています。勘違いしていることわざの多くは、私は、カルタから勝手に解釈をしていることも大きいのではないかと持っています。この「犬も…」も、意味は、棒はワルガキが犬を叩くのに使った棒.ということで,お散歩に出た無実の犬が,訳もなく災難に会う事を指しています.出しゃばって災難に逢うの意味です。それが、最近は、少し変化していて,むしろ幸運に行き当たる意味で、何もしないで,じっとしていてはいけないという意味に使われます。しかし、この「犬も…」も江戸の「いろはかるた」に使われるのであって、尾張では、「一を聞いて十を知る」ということわざですし、上方では、「石の上にも三年」とか「 一寸先闇の夜」とかが使われたり、大人には、「いやいや三杯」などというものもあります。この「いろはかるた」は、天明の頃(1780~) 上方で成立し、文化の頃には江戸でも作られ、1850年頃、尾張いろはかるたが作られました。そして、その採用されたことわざは、上方,江戸と同じ札もありますが,独自のものもあります。「いろはかるた」から学んだことわざは,かつては、子どもたちの中に無意識に日常の行動規範を形作っていっていたのでしょう。いろいろな意味のある、奥深い日本文化かもしれません。

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2006年12月20日 近頃思うこと

プロ

 私たちは、よく、「専門性」とか「プロ」という言葉を使います。園や学校を経営しているときに、よく、「最近の保護者はうるさい」ということを聞きます。しかし、保護者が子どもを思う気持ちを持つのは当然ですし、心配するのも当然ですし、何とかよくしたいと思うのも当然です。この子どもを一生懸命に思う気持ちは、とても望ましいことなので、それが「うるさい」と表現するのは抵抗があります。これが、教育や保育の「プロ」の言う言葉かと思ってしまいます。プロであれば、その思いを受け止め、専門性から将来を見据え、きちんと助言をしていくべきでしょう。
今、NHKで、「プロフェッショナル」という番組を放映しています。この番組は、かつての「プロジェクトX」に続くものですが、「プロジェクトX」は過去の業績に光をあてていましたが、この「プロフェッショナル」は、今と未来を描くドキュメンタリーです。この番組に登場するのは、誰もが認める、その道のプロです。斬新な試みに挑戦し、新しい時代を切り開こうと格闘中の挑戦者であり、数々の修羅場をくぐり、自分の仕事と生き方に確固とした「流儀」を持っている仕事人たちということが、この番組のテーマです。「時代の最前線にいる彼らはどのように発想し、斬新な仕事を切り開いているのか。これまでどんな試行錯誤を経て、成功をつかんだのか。そして、混とんとした今の時代をどのように見つめ、次に進んでいこうとしているのか。し烈な競争や成果主義、ニートの急増など、日本人の仕事をめぐる状況が大きく変わりつつある今だからこそ、プロフェッショナルな人々の姿を通して、仕事の奥深さ、働くことのだいご味を伝えたいと思います。」
 この番組の12月7日放送の「りんごは愛で育てる」が反響を呼んでいます。青森のりんご農家の木村秋則さんの話です。化学的に合成された農薬や肥料を一切使わない不可能と言われたりんごの栽培を紹介しています。彼の畑では、あえて雑草を伸び放題にし、畑をできるだけ自然の状態に近づけることで、そこに豊かな生態系が生まれ、害虫を食べる益虫も繁殖することで、害虫の被害は大きくならない。さらに、葉の表面にもさまざまな菌が生息することで、病気の発生も抑えられる。彼は、人工的にりんごを育てるのではなく、りんごが本来持っている生命力を引き出し、育ちやすい環境を整えること。そして、こう言います。「育てない。手助けするだけ。」この言葉には、育児、保育に通じるものがあります。なかなかうまくいかず、6年目の夏、絶望した木村は死を決意します。そこでふと目にしたドングリの木を見て、「なぜ山の木に害虫も病気も少ないのだろう?」と疑問に思い、早速、山の環境を畑で再現します。そして、8年目の春、木村さんの畑に奇跡が起きます。畑一面をりんごの花が覆い尽くすのです。それは豊かな実りを約束する、希望の花なのです。彼の言葉には、このりんご育てた自信と、確かな実践に裏づけされた深みがあります。「主人公は、りんご」という言葉にしても、あたりまえのように聞こえますが、この言葉を実践するのは難しいでしょう。また、なかなかうまくいかない弟子に向かって、「答えは、りんごに聞け」といいます。なかなか落ち着かない子どもに対して、どうしたらよいかをよく聞かれます。そのときに「答えを、子どもに聞け」といえるかもしれませんね。最後にプロフェッショナルとはと聞かれて、「技術も心も一緒に伴った人が、プロじゃないでしょうか。」本当のプロの言葉は、どの世界にも通じますね。

投稿者 fujimori : 23:28 | コメント (3)

2006年12月19日 近頃思うこと

チキン

日本ではあまりなじみがありませんが、絵本などに出てくるクリスマスの食卓には必ずといっていいほど七面鳥の丸焼きが描かれています。私が子どものころは、クリスマスが近づくと、年の瀬が迫った夜の町では、寒い中机を路上に出して七面鳥を売っている姿が見られました。もちろん、町といっても、銀座などにぎやかな町ですが。そのころ、日本では七面鳥を食べる習慣がないというだけでなく、あまりその姿を見ることがなかったので、何で七面鳥を食べるのか不思議でしたが、クリスマスのひとつの風物詩であったことは確かです。クリスマスに七面鳥を食べる習慣はアメリカからヨーロッパへ逆輸入されたものだそうです。コロンブスがヨーロッパ人としてはじめて西インド諸島を発見した後、ヨーロッパからアメリカ大陸への移住が始まりました。しかし住み慣れない土地では、それまで食用としていた豚を簡単に飼育することができませんでした。そこでヨーロッパの人々はアメリカ大陸に生息する野生の七面鳥に目をつけたのです。その後、アメリカに移り住んだピューリタン(清教徒)が、初めての収穫祭に、野生の七面鳥を食べたことがヨーロッパへ伝わり、クリスマスのメニューとして定着していったといわれています。現在、アメリカでは、感謝祭や結婚式、クリスマスに七面鳥をよく食べるそうです。七面鳥の肉は脂肪が少なくて淡白ですが、冬季は脂がのって身が締まり絶品です。
 この「クリスマスには七面鳥」という習慣が、日本では「クリスマスにはチキン」になったのです。今は、もしかしたら、「ケンタッキーフライドチキン(KFC)」かもしれませんね。カーネル・サンダースは、ケンタッキー州のコービンで経営していたガソリンスタンドに併設して小さな食堂「サンダース・カフェ」を開業し、それがKFCの原点となります。ちなみに、「ケンタッキー」とは、先住の人達の言葉では「明日の大地」という意味だそうです。ちょっと、「うんちく」です。あの売っているピースは、1羽から、手羽(ウイング=wing)、あばら(リブ=rib)、腰(サイ=thigh)、脚(ドラム=drum)の部位がそれぞれ2ピースずつで、胸(キール=keel)が1ピース。あわせて9ピースです。試行錯誤の末、充分納得できる味のフライドチキンの調理法を完成させたのが1939年でした。日本にKFCができたのは1970年、大阪で開催された万国博覧会に出店した実験店は大盛況だったため、この年に日本ケンタッキーフライドチキン株式会社が誕生しました。そして、名古屋に日本の1号店(名西店)がオープンしました。しかし、商いに堅実な土地柄の名古屋でしたので、容易には認知されず、大変だったようです。翌年、神戸に4号店、東京1号店である 5号店を青山に出店し、若者を中心に一気に、人気のお店となっていきます。この東京の青山店で、「サンタクロースの格好をしてフライドチキンをデリバリーしてくれ」という外国人のオーダーを受けたのが、「クリスマスにフライドチキンを!」というようになったのです。このケンタッキー フライドチキンは、店舗数でいうとマクドナルドの1/3の規模ですが、ハンバーガーチェーンは、数多くあるのに比べて、フライドチキンを主体とした全国チェーンは、ケンタッキー フライドチキンしかありません。また、マクドナルドは、藤田田という強力なカリスマ起業家に支えられていたのに対し、ケンタッキーフライドチキンは、三菱商事という強力な後ろ盾がありました。どちらもマーケティング戦略を立案し、それが成功し、日本全土に広まっています。広げるための戦略は、どの分野でも必要かもしれませんね。
 今日、新宿に行ってみたら大きな人だかりがありました。なんだろうと思ったら、なんと、New YorkやSeoulでしか食べることができなかったクリスピークリームドーナツの日本第1号店が今日開店でした。みんなよく知っていますね。
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2006年12月18日 近頃思うこと

外食

 いまや外食産業が時代の先端を走っている感があります。この「外食」とは、もちろん「外で食べること」ですが、なんとなく、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどのイメージから、「外国の食べる文化」と思うほど、もともとがどこの国かわからないほど世界中で展開されています。しかし、もともとは、日本の「屋台」も外食かもしれませんし、「酒屋でつまみながらいっぱい」とか、「定食屋」「お好み焼きや」などというのも外食かもしれませんね。しかし、日本にファミリーレストランの歴史を作ってき、この「ファミリーレストラン」のフォーマットを開発したのは、日本の「すかいらーく」であり、創業者である横川4兄弟は、現在も、東京、そして、日本の外食界に大きな影響力を誇る外食界のカリスマなのです。1970年に「すかいらーく」、そして、ファミレスが始まりました。横川4兄弟(横川端氏 茅野亮氏、横川竟氏 横川紀夫氏)は、すかいらーく開業以前には、東京郊外で乾物商店「ことぶき食品」をオペレーションしていました。顧客思考が生んだ小分けパッケージなどのサービスが好評で、事業は成長していったのです。しかし、大型チェーンストア化の波が、1960年代に到来し、4兄弟は今後について思案します。そして、兄弟がターゲットを合わせたのが、「ファミリーレストラン」(いわゆる、ファミレス)だったのです。しかし、当時、「ファミリーレストラン」という概念はありませんでしたから、そういう言い方はしませんでした。今は一般名詞となったファミレスの根源は、すかいらーくが開発した業態にありますが、この業態のモデルは、アメリカのロードサイドのコーヒーショップにあるといわれています。ロードサイドコーヒーショップは、アメリカで発展した、車で移動する人向けにコーヒーとハンバーガーなどの軽食を出す業態です。これに、すかいらーくは、「ファミリーで楽しめる+充実したフード」という要素を追加し、「ファミリーレストラン」という今の形を完成させたのです。このときに開発したフォーマットとは、「駐車場(駐輪場)を完備」「立地は大規模幹線道路の脇」「気軽に入れる」という、アメリカのロードサイドショップが持つ特色に加え、「ファミリーで気軽に入れる」「誰でもなじみがあるハンバーグ、エビフライなどの洋食をリーズナブルで提供する」というスタイルです。ですから、ファミレスには、メニューに「ハンバーグ」があるのですね。もちろん、子どもが好きなメニューということもあるのでしょうが。このファミリーレストランというフォーマットは、すかいらーくが最初にオープンした東京・国立から、日本中に広まっていきます。また、すかいらーくの出店戦略も、不動産をはじめ多くの業界で使われていますが、外食業界ではあまり行われていない「リースバック方式」という方法をとっています。リースバック方式とは、地主にレストランを構築してもらい、それをある一定の期間、一定金額で借りる契約をし、多くの場合、地主は、土地を担保に建物を建設する資金を調達し、それを賃料で回収するという方式です。地主側のリスクも大きくなりますが、リターンも大きくなるこの方式は、すかいらーくが初めて大々的に行いました。これらフォーマットや戦略の成功は、日本人が伝統的に好きな横川四兄弟の「兄弟力合わせて」という結果で、「毛利3兄弟の矢」に続いて、東京で語り継がれている話だそうです。しかし、なんと言っても成功の秘訣は、時代を捉え、時代を読み取る力でしょう。

投稿者 fujimori : 22:34 | コメント (2)

2006年12月17日 読書

人の器量

 先週で、NHKの今年の大河ドラマ「功名が辻」が最終回を迎えました。私は、妻と休みの日にいろいろな場所を歩くのですが、少し遠出をするときにどこに行こうかと迷います。今年は、特に目的がないときには、この「功名が辻」に関連のある地を訪れてみました。そんなわけで、今年の最後に訪れる地として「高知」に来ました。高知は、山内一豊が最後に任された地で、「高知城」を築城しています。
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高知城
そのあと、戦国武士にしては子孫までその地を治めるのですが、司馬遼太郎の原作の「功名が辻」を読んだとき、最後の施政が気になりました。どんどん功名を立て、えらくなっていくのですが、それに伴って物事を進めることを急ぎ、強引になり、周りが見えなくなり、人の気持ちを推し量ることが軽んじられていく気がします。地位や名誉を得るにつれて謙虚になり、人の気持ちが判ってくるというのは、その人の器量によるのでしょうね。器量のない人に地位や名誉を与えると、ろくなことをしません。また、降って湧いたような地位や名誉も、金銭と同じで、それをすぐ失ってしまうような使い方をすることが多いようですね。そんなことを、今年の「功名が辻」で思いました。それを司馬は、原作の中で、妻の千代の口から一豊(伊右衛門)の印象を述べさせています。
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   一豊と千代
 「自分を勝者だと思っている。なるほど勝者にはちがいないが、勝者になりうる能力、器量のもちぬしだ、と思いはじめているようであった。土佐一国、という思いもよらぬ僥倖をひきあててから、どうも伊右衛門は、それ以前の伊右衛門にくらべてすこしかわったようである。(以前はこうではなかった。以前、この人は、自分が凡庸だと思いこんでいたし、それなりに功名をたててそれなりの加増があるとひどくよろこび、自分は運がいい、それほどの分際ではないのだが、というような謙虚さがあった。いまはそうではない。自分の力でかちえた、と思いはじめている)男に、出世とはこわい。分不相応の位置につくと、つい思いあがって人変わりのする例が多い。」
 また、器量のないものが周りを推し量ることができなくなると同時に、先を見ることができず、目先のことだけを見てしまうことも多くなるようです。もちろん、家来として、人と使われる身としては、今の実績が大切かもしれません。しかし、城主になって、その地を治めるようになったら、もっと先を見ていかなければならないと思います。仕事の面でも、少なくとも管理職になったら、目の先のことにとらわれずに、広く、様々な視点から物事を見、きちんと将来を見据えていく力が必要でしょう。他人の考え、意見に耳を傾ける必要があると思います。やはり、他人の意見に耳を傾けることのできる人は、器量のある人なのでしょう。一豊が目の先の安定を急ぐあまりに虐殺をしたときに、一豊と妻の千代との会話です。
「すくなくともこの国の人間どもにはわなが要るのだ。残忍かもしれぬが、もはやそういうわなを設けて虐殺する以外に治めてゆく方法がない」「人には子や孫がありまするぞ」「けものにもある」「しかしけものには言語がありませぬ。わなをつくって人を殺せばそのことが伝説になり子々孫々にまで伝わるでしょう。一時はおさまっても、いずれか時がきたときにその伝説で育てられた子孫たちがきっと山内家に復讐をくわだてるでしょう。政事というのはあなた様ご一代きりのものでございませぬ。杉苗を大木にするように百年千年ののちまで考えるべきものです」
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   一豊の墓

投稿者 fujimori : 01:57 | コメント (4)

2006年12月16日 近頃思うこと

りんご

 今日、久しぶりに懐かしい歌を聴きました。少し前にCDから携帯電話にダウンロードしておいたものを聞いたのです。その曲は、泉谷しげるが歌っている「白雪姫の毒りんご」です。私は、学生時代にコンサートにも追っかけで行ったことがあるほど泉谷の歌が好きでした。この歌は、大学時代になんだかむなしい思いをしたときに、ふと口ずさんでいました。そして、気を取り直したものです。泉谷は、今は俳優として活躍していますが、あのしわがれ声と、あまり上手でないギターでうたう姿は、一見しての印象と違って、シャイに自分の心の中を見つめ、照れながら自分を励ましています。この歌の歌詞は、門谷憲二 が作詞しています。彼は、エレックレコード勤務を経て、作詞家として活動しましたが、他にも布施明の「君は薔薇より美しい」や西武ライオンズ応援歌の「若き獅子たち~We are the Lions」など1000曲以上も作詞しています。学生時代に気を取り戻した歌詞とは下記のようなものです。(1番だけ)「むなしいむなしいとつぶやいても また明日もむなしいだけ 空に浮かんでる白い雲も いまではなにもこたえてくれない 強く弱く 弱く強く ひざをたたいてみれば あー なんだか生きてる証のような むなしい痛みを感じるよ おお ぼくたちに今一番必要なものは あつい恋や 夢でなく まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ」
 りんごといえば、今から約330年位前、ニュートンがウルスソープの家の庭で、りんごが落ちるのを見て、「万有引力の法則」のヒントを得たといわれています。このオリジナルの木は1814年に枯れてしまったそうですが、そのりんごの木が枯れる前に、接木で子孫を残すことが出来たそうです。そして、今、その二代目のりんごの木は記念樹として現地で大事に保存され、この偉大な物理学者を偲ぶ記念樹となっています。また、このニュートンのりんごの木の分身は世界各地で見ることが出来ます。そして日本にも「ニュートンのりんごの木」(分身)は、小石川植物園(東大理学部附属植物園)に植えられてます。そして、その苗木が移植されて高知の「牧野植物園」にありました。
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 もうひとつ、りんごといえば、私が主宰している「ギビングツリー」という名前は、「一人の人間に限りない愛を捧げる与える木」という意味で、「りんごの木」なのです。日本の題名である「大きな木」シェル・シルヴァスタイン著の絵本は、「昔、1本のりんごの木がありました。この木には、小さな男の子の友達がいました。男の子は毎日やってきて、木の幹を登り、枝にぶら下がって揺らし、りんごを食べて遊びました。疲れると、木の陰で眠りました。男の子は木が大好きでした。木は幸せでした。」と、始まります。
 もうすぐクリスマスです。クリスマスツリーによく飾るオーナメントとして「りんご」があります。それは、昔の人にとってりんごは貯蔵が可能な数少ない食べ物で、まさに自然からの贈り物だったため、幸福や生きる喜びをもたらす果物として尊ばれてきたのです。ですから、ドイツでは聖なる木に貴重なリンゴを吊るして神の愛を讃えたり、北欧の冬の祭りでは常緑樹に吊るして神への捧げ物としていました。
 どんなりんごを子どもたちに与えることができるか、そんな課題をみんなと考えていきたいと思い、その集まりを「ギビングツリー」という名称にしました。

投稿者 fujimori : 22:31 | コメント (3)

2006年12月15日 講演先にて

 最近、ブログで書いたように「狸」に縁があるようです。最近、園の周りでも狸の交通事故が多く、ずいぶんとかわいそうに思います。それよりも、どうも狸というと伝説が多いですね。それは、幻術を操り、幻覚を見せる事によって人を騙すと言われて、日本古来、狸霊として伝わり、悪戯好きが多く、人を化かしてからかうというイメージです。また、伝説として多い理由のもうひとつは、勢力争いをして、同種同士で合戦を行う事もあるために、「○○狸合戦」として人間にダブらせて語ったのでしょう。同じように人を化かす霊として狐がいますが、狸は、人などを操ったりするのではなく、幻術を用いて様々な状況を人に見せたりする些細な悪戯がほとんどなので、実際に退治されるような事は少ないようです。突然、こんな話をするのは、今日も狸に縁のあるところに来ているからです。今年、よく愛媛の松山の話題が多いのですが、それは、隔月松山で勉強会を開いているからです。この松山は、意外にも「日本三大狸伝説」のひとつになっています。以前訪れた「證誠寺・狸ばやし」それから、「群馬県館林市茂林寺・分福茶釜」そして、「愛媛県松山市・八百八狸物語」なのです。「八百八狸物語」というのは、享保年間の大飢饉の際に起こったお家騒動「松山騒動」をモチーフにした物語に、狸や妖怪を登場させて怪談仕立てにした講談です。享保17年(1732)、かつてない大飢饉に襲われ、窮した松山藩は、幕府から多額の救済金を借り受けます。この金に目がくらんだ家老・奥田久兵衛が松山藩横領の大望をも企てたのが、「松山藩お家験動」の始まりです。その悪巧みを阻止しようとしたのが、天智天皇の時代以来、この地に住み着き、松山城主から刑部の位を授かり、家中から深く信仰され、八百八家の眷属を従える狸の総大将として君臨していた古狸の「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)狸」です。そんな刑部狸は、得意の幻術で久兵衛を陥れようとしたが失敗します。そこに至って江戸の忠臣組が国元の異変に気付き、奥平一派を成敗しました。そして、この時にお家騒動を起こしたという理由で、刑部狸は神通力を封じ込められ、久万山の洞窟に閉じこめられます。それ以来、八百八狸の力は衰えましたが、土地の人と仲良く、幸せに暮らしたといわれています。いま、松山市久谷町の山口霊神社前に「松山騒動伊予八百八狸の碑」が建っています。
 この松山の八百八狸の一人である本陣狸の男狸と、千葉・木更津の萩乃狸一族からでた上総御前の女狸の二人は証誠寺の大和尚の仲立ちと、札幌市長の媒酌で夫婦となりました。昭和48年夏のことです。昭和51年、この夫婦狸に「鶴の宮藻里豊姫」という娘狸が生まれました。娘は登別 市の新和デパートに嫁ぎ、登別本陣大明神社が誕生します。平成13年、札幌市狸小路商店街と銀天街商店街振興組合連合会は、狸が取り持つ縁で姉妹縁組を結びました。松山市ではそれを記念したモニュメントを制作し、同時に伊予の狸の復権活動を推進して、「八百八狸トッポ話(滑稽話)」を核に大人にも子どもにも親しまれる文学のまちづくりを実現しようとしています。どこからが今の話で、どこからが本当の話かわからないような話は、あまりに現実だけを突きつけられている今日の話題からすると、息が抜くことができますね。また、なんども同じ場所を訪れると、ブログのおかげでいろいろなものが見えてきます。「習う」という漢字は、「自ら羽を何度も動かす」という字からできているといわれています。

投稿者 fujimori : 23:25 | コメント (3)

2006年12月14日 近頃思うこと

ホトトギス

 今日、園に着いたときに、ふと門柱の脇の目立たないところに面白い花を見つけました。その花が何か少し調べたのですが、はっきりとはわかりませんでしたが、なんとなく「タイワンホトトギス」の気がします。
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 「ホトトギス(杜鵑)」という花は、今年の10月22日に高知の「牧野植物園」の庭で見つけました。この花は、ユリ科ホトトギス属多年草で、別名を時鳥草、杜鵑草、鶏脚草などといいます。夏から晩秋にかけて紫紅色の斑点のある花を咲かせますが、この斑点が鳥のホトトギスの胸から腹にかけてある斑点と似ているので名付けられました。鳥の名前そのものがついているのはこの植物だけです。別名を「油点草」ともいいますが、これは花がまるで油が注がれたような斑点がいっぱいあるからです。6枚の花びらはそれぞれ離れたところから出ていて花の季節が終わると1枚ずつハラハラと散ります。夏から秋までの長い期間ただひたむきに咲き続けることから「永遠にあなたのもの」という健気な花言葉が生まれたようです。
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  牧野植物園で 
 園で今咲いている花は、これに似ているのですが、やや小型の花が茎の頂部に枝分かれしてついていますし、今咲いているので、「ホトトギス」よりは開花の遅い「タイワンホトトギス」か、その交配種の気がします。しかし、なかなか素人の私では、正確に花の名前を言い当てることは難しいので、もし違っていたら、申し訳ありません。ただ、ついでに、「ホトトギス」について思い出したことがあります。ホトトギスを漢字で書くといろいろとあります。不如帰、杜鵑、時鳥、霍公、霍公鳥、郭公、子規などがあります。まず、ひどい鳥だと思ったのは、カッコウなどと同様に、自分で子育てをせず、ウグイス等の巣に卵を産みつけ、かえった雛がもともとの卵を巣から突き落とし、すまして自分が子どもの顔をして育てさせるという習性です。鳴き声も特徴的です。オスの鳴き声はけたたましいような声で、「キョッキョッ キョキョキョキョ!」と聞こえ、この鳴き声の聞きなしとして「特許許可局」や「テッペンカケタカ」が知られています。日本では、激情的ともいえるさえずりのために、古今ホトトギスの和歌が数多く詠まれ、万葉集では153首にも登場します。その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を初音といい、これも珍重しました。枕草子ではホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれています。
 また、鳴かないホトトギスを三人の天下人がどうするのかで性格を言い表した有名な川柳がありますが、もちろん本人が実際に詠んだ句ではありません。これらの川柳は江戸後期の平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話』に見えます。「夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、「なかぬなら殺してしまへ時鳥」織田右府、「鳴かずともなかして見せふ杜鵑」豊太閤、「なかぬなら鳴まで待よ郭公」大權現様。このあとに二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、固より仮托のことなれば、作家を記せず。「なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす」「なかぬなら貰て置けよほとゝぎす」とあります。織田信長の短気さと気難しさを、豊臣秀吉の好奇心旺盛なひとたらしぶりを、徳川家康の忍耐強さを表しています。その川柳の本歌取りとして、種田山頭火が「鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす」と詠んでいます。どれが皆さんの人生観でしょうか。

投稿者 fujimori : 19:21 | コメント (3)

2006年12月13日 記念日

すすはらい

今日12月13日は、「正月事始めの日」「正月迎え」といいます。正月などずいぶん早い気がしますが、「こと」とは祭り、つまり正月を意味し、12月13日は正月を迎える準備をはじめる日というわけです。では、どんな準備からするのでしょうか。それは、「煤払い(すすはらい)」といって、13日に家の中の大掃除をするのです。この恒例は、単に大掃除というより、神聖な御紋の行事でした。年神さま(歳徳神としとくじんともいわれ、新しい年の五穀の豊作を約束してくれる神さま)をまつる準備のための、宗教的な行事でした。その年神さまを迎えるために、屋内外の煤ほこりを払い清めるのです。すすはらいを煤掃きともいいますが、その日を「煤取節句」「煤掃節句」とよぶ地方があることからも神祭りのはじまりであったことがわかります。すすはらいの日には、仕事を休み、家じゅうが総出で大掃除をし、それがすむと、神様に「煤取り団子」を供えたり、「煤掃き餅」や「煤掃き粥」「煤雑炊」といって、一家で餅や雑炊、粥などを食べる習慣がありました。また、すすはらいのあとで入る風呂を「煤湯」といいますが、身も心も、住まいも、できる限り清潔にして年の神を迎えようとしたのです。この習慣は、この日江戸城の御煤納めが行われたこともあって、江戸時代には一般家庭にも定着し、大正時代までつづきましたが、13日のように早い時期に大掃除をすると、また汚れてしまうので、しだいに年末近くに繰り下げて行ったようです。今では、すすはらいは寺院が年末の行事として行うくらいで、一般家庭は昔ほど大々的な掃除はやらなくなりました。昔は、かまどで薪を焚いたので、煤がたまりやすく、掃除には新しく切り出した笹竹のほうきが使われました。そのすすはらいに使われた竹を正月の終わりの1月14日に,門松や古いお札などと一緒に持ち寄って焼く日が、「どんど焼き」です。(ちなみに、私の育った近くの鳥越神社では、どんど焼きは、1月8日に行われていました。)神さまはこのけむりにのって天へ帰られます。子どもたちの「書きぞめ」もこのとき燃やし,それが高くまい上がるのを見てよろこんでいました。
ところで、掃除といって思い出すのが、学校で掃除をしたことです。子どもに掃除をさせ、掃除に教育的意味を持つのは儒教の国だけであると聞いたことがありますが、私の園では、必ずしも教育的効果だけでなく、運動能力をつけるために子どもたちが、雑巾がけをしています。また、自分で製作をした後の紙くずは、次にやりやすいように自分で掃除をします。ダスキンが平成13年にしたアンケートによると、学校での掃除用具といえば、ぞうきん(96.4%)が最も多く、ジザイボーキ(78.2%)、座敷ぼうき(74.6%)の3種です。私が子どものころにあった「はたき」は、今はなさそうです。次に外用ほうき(65.5%)、デッキブラシ(53.0%)と外まわりの道具が続きます。そして4~50%台というのが掃除機、スポンジ、ブラシです。また、掃除さぼりに関しては、小学校では48.4%、中学校では24.3%で約半分となっています。また、「一部の人で、さぼるのは男子に多い」というのが、小学校(18.5%)と中学校(17.1%)と大差ありませんが、「男女を問わず、一部がさぼる」は小学校(31.8%)に比べて、中学校(47.0%)でかなり開きが出ます。女子生徒のさぼりの度合いが年齢に左右されているようです。これからは、次第に子どもに掃除をさせることは少なくなるような気がします。やる意味は、ないのでしょうか。

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2006年12月12日 近頃思うこと

夜昼

 今日は、夕方に小雨も降り、とても寒い日でした。12月ですからあたりまえかもしれませんね。今日、新宿に行って、園に戻った5時頃は、もうあたりはすでに真っ暗です。日本では、季節を感じるものに、寒暖、植物、星空などがあり、私のブログのネタによくなりますが、もうひとつ、季節を感じるものに、夜昼の長さがあります。だんだんと昼が短くなってくると、冬が近づいたことを感じます。しかし、それは、身に感じる冬の到来とは少しずれますが、逆に訪れを先立って感じることができます。北半球では、一年中で最も昼が短い日は冬至で、今年は12月22日です。一日の長さを24時間と決めています。これは、太陽が真南を通ってから次の日に真南にくるまでの時間をもとにしたもので、平均太陽日といいます。そして地球が1日に1回自転するときに自分の住んでいる場所が太陽に照らされる方にあるときは昼、反対側にくると夜です。なんだか当たり前ですが、子どもたちに説明するときは、このように言います。また、地球は自転しながら太陽のまわりを一年間で一周するのですが、この時、地球の自転軸が、公転面に対して垂直より23.4度傾いているために、太陽の高さが変わったり、日の出や日の入りの位置が変わったりもします。日本では、夏至の日に昼が最も長く冬至の日に最も短くなり、春分・秋分の日が、昼と夜の長さがほぼ等しいのですが、実は、春分・秋分の日は昼の方が夜より約18分長いのです。その原因はおもにふたつあります。ひとつは日の出と日の入りの太陽の位置のきめ方にあります。太陽の中心ではなく上のはしが水平線上に出た瞬間を日の出、水平線に沈んだ瞬間を日の入りとします。このために太陽の直径分を太陽が動く時間だけ(約2.6分)昼の長さが増えます。考えると、なるほどと思います。さらに、大気による光の屈折のため、太陽は実際の位置より浮き上がったように見えます。このために日の出入りで約5.8分昼の時間が長くなります。あわせて8~9分だけ昼が長くなります。その分、夜が短くなるのですから昼と夜の長さのちがいは18分ほどになります。なんだか、今日も算数の計算になりました。正確に昼と夜の長さが同じになるのは3月17日と9月27日だそうです。
 冬至に話は戻しますが、この日は冬至かぼちゃを食べて金運を祈り、冬至風呂(ゆず湯)に入って無病息災を祈る行事を各家庭で行います。ゆず湯に入ると肌がスベスベになる美肌効果があり、冷え性やリュウマチにも効き、体が温まってカゼをひかないとも言われています。また、何故、冬至に風呂かというと、冬至の読みは「とうじ」といいますが、この言葉と湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけています。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いが込められているのです。また、冬至かぼちゃを食べるのは、西洋野菜が日本に入るまでこの時期に取れる野菜は少なく、保存できる野菜も少なかった中で、かぼちゃは保存がきき、保存中の栄養素の損失が他の野菜に比べて少ないので、冬至の時期の貴重な栄養源でもあったのです。「かぼちゃ」の名は、16世紀中頃ポルトガル船によってカンボジアからもたらされ、このときの伝来先に由来しています。かぼちゃの栄養成分のカロチンは、体内でビタミンAにかわって肌や粘膜を丈夫にし、感染症などに対する抵抗力をつけてくれます。ですから、「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれているのです。こんな寒い夜は、冬至に限らず、ゆず湯に入って、かぼちゃでも食べて、冬を乗り切りましょう。

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2006年12月11日 近頃思うこと

ふしぎなたね

 最近、夕張市をはじめとして、各地でバブルの頃に造った建物、施設の維持費がかかり、財政的に破綻する自治体が問題になっています。人は、お金が手に入ったときにそれを何に使うかでその人がわかります。また、一生懸命に稼いだお金だと大切にしますが、降って湧いたようなお金だと、すぐに使い切ってしまうことが多いとも言われています。最近、また景気がよいといわれていますが、そのお金を何に使っているのでしょうか。それは、各家庭だけでなく、国としても、自治体としても、どこにお金を使えばいいのでしょうか。賢いお金の使い方は、どこに、何のために使うのがいいのでしょうか。
 少し前に津和野を訪れたときに、その町並みにマッチするように作られた「安野光雅美術館」に行きました。
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 ここで展示されていた国際アンデルセン賞を1984年に受賞した「ふしぎなたね」の原画を見ました。この話の内容は、「春に1個、地面に埋めれば秋には2個になる」という、ふしぎなたねを仙人から2個もらった男がいました。男は毎年、1個を食べて、1個を地面に埋めていましたが「これではいつまでたっても同じだ」と気がつきます。そこで、男はある年の冬、たねを食べずに2個とも地面に埋めました。するとその1年目の秋には4個のたねがとれました。そこで1個食べて3個埋めました。すると秋には6個のたねがとれました。そこで1個食べて残りの5個を地面にうめました。さて、次の年の秋にはいくつのたねがとれるでしょう。」と、続いていく話は、数の勉強にもなります。しかし、途中で嵐があったりして、今だけを見ないで、将来を見ていくことの大切さも教えています。
 経済協力開発機構(OECD)が加盟30カ国の2003年国内総生産(GDP)に対する教育費の公的支出割合を調査したところ、北欧諸国が高く、デンマーク8.3%、アイスランド7.8%、ノルウェーが7.6%、英米仏3国も5%を超えていますが、日本は3.7%でトルコと並び最低でした。私費負担も含めた教育費全体のGDP比も4.8%(平均6.3%)と最低水準でした。一方、日本は教育費に対する私費負担の割合が25.9%と、韓国、米国、オーストラリアに次いで高く、中でも3歳以上の幼児教育は49.4%(OECD平均18.5%)、大学は60.3%(同23.6%)と韓国に次ぐ高率です。公費が少ない分、国民が私的に賄っている実態が浮き彫りになっています。OECDのアンドレアス・シュライヒャー指標分析課長は「各国の状況を見ると、子どもの個性を伸ばし多様なニーズに応じる努力をしている国の教育水準が急速に高くなっている。そうした取り組みを保障するのに教育費は重要だ」と指摘しています。この指摘を違う角度から読み取ると、「教育水準の高い国では、子どもの個性を伸ばし、多用なニーズに応じる努力をしている」といえます。ということは、「子どもの個性を殺し、一斉に同じようにしようとする教育は教育水準が低い」ともいえます。そして、「教育水準の高い国では、教育費にかけている」ともいえます。どうも、今の日本では、不思議な種を毎年一粒食べて、一粒植えるというより、今、二粒食べてしまって、来年困るというような感じですね。もっと、先を見て、今、どのようなところにお金をかけたらよいか、かつてのバブルの頃、そのあとのつけが回ってきている今から学ぶ必要があると思います。

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2006年12月10日 近頃思うこと

アドベント

 子どもたちにとっての年末の楽しみに「クリスマス」があります。それは、もちろん、プレゼントがもらえる楽しみですが、なんとなく雰囲気だけでも楽しみなイベントです。その楽しみな日が近づいていくのを、なにによって感じるのでしょう。園の周りの家々や、駅の周辺ではさまざまなイルミネーションの飾りがつきます。それぞれ特徴があり、お互いに競っているかのようです。
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また、園には、大きな「もみの木」が飾られ、それぞれの年齢の子が作ったオーナメントがぶら下がっています。また、玄関先には、クリスマスまであと何日かを掲示し、カウントダウンしていきます。11月30日に最も近い日曜日(11月27日 - 12月3日の間の日曜日)からクリスマスイブまでの約四週間をアドベントといいます。この期間を、心清らかに過ごし、1日1日カウントダウンしながら当日を迎えるカレンダーがありますが、それを「アドベントカレンダー」とも「アドベントカード」ともいいます。おもに子どものいる家庭では、アドベントが近づくと12月1日から24日までの日付の1つ1つに小窓を付けたアドベントカレンダーを作ります。カードに作られた窓を1日に1つずつ開けていき、全部の窓を開け終わるとクリスマスを迎えたことを教えてくれる仕掛けになっているのです。北欧では「ユール・カレンダー」と呼び、古代の名称と習慣を踏襲しています。最近は、少し大きな本屋さんなどへいくと洒落たデザインのものを売っています。クリスマスツリーをモチーフにしたものや大きな石造りの家に沢山窓がついているものやサンタクロース乗っているそりに色々仕掛けがしてあるものなどさまざまです。1から24までの数字の書いてある窓を開けると、クリスマスにちなんだ絵が現れたり、中にキャンディやチョコレートなどのプレゼントが入っているものもあります。また、アドベントの期間中、日曜日ごとに1本ずつクランツのろうそくに灯をともしていくこともあります。イブのすぐ前の日曜日には、4本のろうそくすべてに灯がともり、「いよいよクリスマスだね」という期待が高まっていきます。園でも、よく壁面に「誕生表」が貼られていることがよくありますが、この誕生表は、子どもたちが、自分の誕生日が近づいていくことが楽しみに思うためのものでなければならないのに、4月に貼って、1年間ほとんど誰にも見向きもされず、ほこりにまみれ、色あせていくだけのものに、なぜ、4月に多くの労力と時間をかけて作るのでしょうかね。もっと、毎月楽しみに待つようなものを工夫して欲しいものです。
 町や家々を飾るイルミネーションも、宗教改革で知れるマルチン.ルターが礼拝の帰りに、常緑樹の間にきらめく星の美しさに心を打たれ、子どもたちのために再現しようと家の中にもみの木を持ち込み、火のついたろうそくを飾ったことがイルミネーションの由来と言われています。もみの木、またその仲間は葉を落とさない常緑樹(エバーグリーン)です。厳しいヨーロッパの冬は一面真っ白な雪に覆われ、その中でも葉を失わない常緑樹は、永遠の命の象徴とされ、尊ばれました。特にもみの木の枝は十字架のように広がっているので「聖なる緑の木」とされています。ドイツ地方の信仰ではそんなもみの木に花や食べ物を飾って、木に宿る小人がとどまって力を与えてくれるというものがありました。そこに吊り下げられるオーナメントがクリスマスのシンボルとして広く使われていますが、このアイディアを考え出したのは、アンデルセンだといわれています。クリスマスを必ずしも宗教的に行う必要はありませんが、もう少し、ただのお祭りとしてではなく、その意味を考えることで、保育のヒントがある気がします。

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2006年12月09日 記念日

障害者の日

 今日12月9日は、「障害者の日」です。そして、「障害者の日」までの一週間の12月3日~9日が「障害者週間」で、「障害者の日」からの一週間の12月9日~12月15日が「身体障害者福祉週間」です。そして、「障害者の日」をはさんでの一週間の12月5日~12月11日が「社会福祉週間」です。障害者の日は、1975年12月9日国際連合の第30回総会において障害者の権利に関する決議「障害者の権利宣言」が採択された日にちなんで、1980年11月28日に厚生省国際障害者年推進本部が国際障害者年を記念して、障害者問題に対する理解と認識を深めるために定められました。障害者週間が始まる12月3日は、障害者基本法の公布日です。障害者基本法とは、障害者施策に関する基本的理念を定め、国・地方公共団体等の責務、施策の基本的事項を定めること等によって、障害者の自立とあらゆる分野の活動への参加を促進することを目的に、平成5年に策定されました。この法律では、障害者を身体障害者、知的障害者、精神障害者と定義しています。また、基本的理念として、「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する。」としています。そして、「すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられる」ことを宣言するとともに、「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」ことを明らかにしています。
 最近、よく「ノーマライゼーション」とか、「バリアフリー」ということが言われますが、その言葉のもとを知らない人がまだ多い気がします。ノーマライゼーションとは、「障害をもつ人も、もたない人も、社会の一員として、お互いに尊重し支え合いながら、地域の中でともに生活する社会こそがあたりまえの社会である」という考え方ですが、ノーマライゼーションの父と呼ばれるデンマークのミケルセンは、次のように説明しています。「ノーマライズ」というのは、障害がある人を「ノーマルにすること」ではありません。彼らの生活の条件をノーマルにすることです。ノーマルな生活条件とは、その国の人々が生活している通常の生活条件ということです。」しかし、障害者が障害のない人と同じように日常生活や社会生活を営むには、社会には、まだいろいろな障壁(バリア)があります。こうしたバリアを取り除き、障害者が自由に社会参加できるような、平等で、障壁のない社会、すなわち「バリアフリー社会」の実現を目指していく必要があるのです。また、バリアフリーから一歩進んで、高齢者、障害者、子ども、妊産婦、病弱者等、だれもが使いやすいようにはじめから考えて、製品、建物、環境等をつくりだしていくことが提唱されていますが、それを「ユニバーサルデザイン」といいます。たとえば、シャンプー容器本体のギザギザマークにより、手触りでリンスとの区別ができます。ポンプタイプには、ポンプボタンの頭部分にもギザギザがついています。また、利用目的によってテレホンカード、乗り物カード、買い物サービスカードの3種類に分類し、切り欠き形態を変えて、手で触れただけで識別ができるようにしています。このように、何も障害者だけでなく、誰にとっても使いやすいようにした商品を「共用品」といいます。我が国が目指すべき社会として、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う「共生社会」です。人それぞれの価値を認め合うような社会を作ることが必要なのです。

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2006年12月08日 近頃思うこと

ヒット商品

 昨年のヒット商品2位の「ブログ」を含めて、歴代のランキングを眺めて見ると、その時のさまざまな背景を思い出します。それは、懐かしくもあり、今でも現役でヒットしていたり、ますます進化したりしているものもあります。昨年のヒット1位だったものは、日本の音楽市場を揺れ動かした「iPod shuffle(シャッフル)」「iPod nano(ナノ)」、そして「iTunes Music Store(iTMS)」でした。これらは、アップルコンピュータが送り出した商品、サービスでしたが、とりわけ大きな影響を及ぼしたのは、8月に開始した“音楽配信サービスの黒船”iTMSです。それまでトップはMora(レーベルゲート)で、05年夏の月次ダウンロード数は約45万~55万曲でしたが、これに対してiTMSは、開始わずか4日という世界最速のスピードで100万曲ダウンロードを達成したそうです。そのひとつの理由に、それまで210~270円が主流だったダウンロード代金が、楽曲の9割を1曲150円という廉価で販売し、瞬く間に業界地図を塗り替え、音楽配信業界に価格破壊をもたらしました。携帯電話でも、「着うたフル」という機能が、いまや若者にとって中心です。3位だったのは、愛知万博(愛・地球博)です。今の時代に、こんなに万博が評判になるとは思ってもいませんでした。それが、なんと最終公式入場者数は約2205万人で、当初の目標だった1500万人を大きく上回りました。あわせて、期間中は“万博特需”が巻き起こった。民間試算では愛知万博による東海3県の経済効果は1兆2822億円だそうです。ホテルや土産代などの消費関連効果だけでも4511億円に上り、03年の阪神優勝時と比べると約3倍の規模だそうです。意図してはやらせるもの、思いがけずヒットするものとさまざまですが、この万博は、思いがけずの部類かもしれませんが、ずいぶんと工夫や努力をしたようです。今年は、何がヒット商品のベストテンに入るかわかりませんが、ヒットするためには、書籍にしても、そのタイトルの付け方に工夫が見られます。私にとって、商標名で意表をつかれたのは、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」という豆腐です。これについて、テレビ番組の「カンブリア宮殿」で今年の9月25日に放送していました。奇抜なネーミングやパッケージで、これまでの豆腐のイメージを覆し、女性の心を掴んだヒット商品で一躍有名になったのは、社員70名、京都の小さな会社「男前豆腐店」です。商品名だけでなく、会社名もユニークですね。商品の代表作として、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」だけでなく、他にも「喧嘩上等やっこ野郎」「喧嘩上等湯豆腐野郎」「ジョニーブラウン」などがあります。しかし、奇抜な発想の豆腐は、ネーミングだけではなく使う大豆やにがりなど工夫し、味にも高い評価があります。また、値段も、1パックの平均単価が70~100円程度という豆腐の常識の中で、300円前後します。しかし、その豆腐が飛ぶように売れているのです。また、FLASHを多用したウェブサイトなどの宣伝戦略が、まずブログなどで話題になりました。その人気が、やがて全国区へと拡大していったのです。話題だけでなく、本来の味でもきちんと勝負をしています。例えば男前豆腐は、おいしく食べられるよう、豆腐と容器の底の間に仕切りを付け、容器の中で水切りができるようにし、その仕組みを、「水もしたたるいい男=男前」と表現したのです。その若い社長は、テレビでこんなことを言いました。「どんな職業でも一工夫二工夫することはある。何かを生み出すひらめきはどの職種にもある。」

投稿者 fujimori : 23:34 | コメント (2)

2006年12月07日 近頃思うこと

ブログ

 私のこの「ブログ」もよく続いているとわれながら感心しますが、月刊誌「日経トレンディ」で1987年の創刊以来、毎年発表してきた「ヒット商品ベスト30」のなかで、昨年3位になったのが「ブログ」でした。インターネットが普及し始めてほぼ10年になります。昨年は、ブログが一大ブームを巻き起こし、「ブログ元年」と呼べる年になりました。従来の個人サイトとは違い、誰でも開設できる簡単さが起爆剤となり、ブログの開設者が急増したのです。そこから生まれる“個人発”の情報は、さまざまな影響力を持ち始めたのです。私は、全保協で出版されている雑誌に「ホームページコメント」を2004年5月から2005年4月号まで1年間連載していましたが、その2月号に「どんどん進歩するホームページ!」と題してブログについてこんな記事を書いています。(一部)「ブログということが行われるようになりました。これは、ウェブログ(web log)の略で、個人運営で日々更新される日記的なウェブサイトの総称です。一般的には、単なる日記サイト(著者の行動記録)ではなく、ネットで見つけた面白いニュース記事やウェブサイトへのリンクを張り、そこに自分の評論を書き加えた記事が時系列に配置されているものを言いますが、厳密な定義はありません。これが掲載されるようになると、ホームページが、単にしおりのようなものから、内容的には思想信条などの意見のほか、趣味的な見解、身辺雑記、読者からの反応などがあり、個々の記事にはそのオリジナル性が強くなります。そこで、複数者間の意見交換を目的とする掲示板と異なり、情報発信者(通常は個人)が意見表明することが主たる目的となります。」さらに昨年は、タレントの眞鍋かをりなどの「有名人ブログ」が話題を呼び、ブログブームに拍車をかけました。同時に、ブログは多額の個人消費も生み出しています。総務省によると、EC、出版などブログ経由の個人消費市場は、05年度は約335億7000万円に達するそうです。反面、最近、常軌を逸するHP作成をした教員が問題になっていますが、HPやブログにはやはり個人の良識が必要になります。やはり連載記事の中の12月号で、そこに触れています。「町の中の掲示板に連絡事項を貼るように、ホームページは、見る人は不特定多数の人になります。誰が、どこで見るか特定できません。それこそ、地域の掲示板よりも、もっと多くの人(世界中の人)が見る可能性があります。そこで、そこに書き込むときには、注意が必要になり、あるルールが必要になります。それを、「ネチケット」と呼んでいます。ネチケットとは、ネットワークエチケットの略で、インターネットに書き込むときのエチケットです。それは、1対1の通信の場合よりも、はるかに多くの人を傷つける可能性があるからです。たとえば、次のようなことが言われています。1.多くの読者があなたの投稿を読むということを考えましょう。あなたが書く内容に注意しましょう。2.ある人の発言は、その人の個人的な意見であり、(特に明示していない限り)その所属組織の見解ではないものと考えましょう。 3.フレーム戦争(感情的論争)に巻き込まれてはいけません。火のつきやすい記事は、投稿してもいけませんし、返答してもいけません。」この記事を書いたのは、もう一昨年になりますが、普及が進むにつれ、かえって乱れた使い方をする人があらわれるかと思えば、まだ、HPとか、サイトとかも知らない校長がいたりずいぶんと格差がありますね。

投稿者 fujimori : 21:23 | コメント (3)

2006年12月06日 来客

雨水

 今日の来客は、長い間話が盛り上がり、とても楽しいひと時でした。3人で見えたのですが、一人は、日本建築学会水環境運営委員会委員である黒岩哲彦氏で、もう一人は、自然食と自然エネルギーに取り組んでいる神宮司真人氏と、ガーデンフラワーデザイナーの横田みさき氏です。それぞれが、それぞれの分野で面白いのですが、黒岩さんの取り組みは特に興味を持ちます。まず、「水環境」とはどういうことかというと、「『雨』は、私達が自由に取り扱うことのできる身近な資源であると同時に、地球環境を改善していくためのカギとなるものだ。」ということで、雨の循環を捉え直し、地球環境の改善に役立つ技術とその技術の普及をしていこうというものです。私の園でも、黒岩さんといろいろな取り組みをしました。
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  園の雨水タンク
 今朝のラジオで、今、新たに月に人類が行く計画を立てているという話の中で、月には水があるので、人類が住めるということでした。水は、人を救います。しかし、最近の水は、局地的な少雨や多雨、酸性雨、ヒートアイランド化など、被害を及ぼすことが多い気がします。しかし、これらの現象は、私たちに「地球の水循環の現状を、隣に座る優れた家庭教師のように直接的に教えてくれている。」といいます。そして、「私達はこれまで見過ごし、雨を軽視し排除してきた。」ことのつけが回ってきているとも言います。そこで、「雨水利用」を使い捨て感覚で捉えている領域では、もはや解決できないということで、水資源・熱資源・養分伝達資源・エネルギー資源として注目しようというのです。たとえば、東京のような都会では、雨の約7割は河川や道路ではなく、誰かの持ち物である「敷地」に降り注ぎます。それらは速やかに下水に集められ、あるいは鋪装された道路を流れ、地球環境を破壊しながら河川や海へ流されるのです。雨は大地に浸透することも、大気を潤すこともなく、ただ捨てられています。もういちど、私達の暮らしに身近な雨水に着目し、それを通して地球の水循環を捉え、地球環境の改善に役立たせようとするものです。4月に開園する園は、水が豊富に湧いています。この水をどのように使うかで、話が盛り上がりました。水の話は、土の話になり、虫や草の話につながっていきます。それは、「ビオトープ」になっていきます。「ビオトープ」とは、簡単に言うと、ドイツ語で、「生物が生きていくための空間」「住み場所」という意味です。ドイツでは、確かに豊かにはなったけれど、時間のゆとりがなくなり、以前なら身近にあたりまえにあった自然もない暮らしが、果たして人間らしい生活といえるだろうか?という疑問が1970年代に起こってきました。この疑問が子どもたちや親たち、教師たちへ、そして連鎖反応のようにさまざまな市民層に広がり、今までの社会とは違う社会にしようというエネルギーになっていったのです。そして、ついに「これからの子どもたちのためにも、生き物と共存する社会を作ろう!」ということをポイントにしたビオトープ法を含んだ、「ドイツ連邦自然保護法」が、1976年に制定されました。このドイツ連邦自然保護法を踏まえて、各州ごとにそれぞれ自然保護法が独自に制定されています。さらにそれらをもとに、州で「景域構想」を、地域で「景域基本計画」を、そして市町村で「景域計画」を作成し、実行するシステムが完成されています。日本でも、「緑の基本計画」や「都市緑化推進計画」のように似たものはありますが、これらは行政の政策目標にとどまっていて、法的拘束力はありません。なにか、新宿から、保育だけでなく、これらのことも発信できないか、楽しみです。

投稿者 fujimori : 20:53 | コメント (3)

2006年12月05日 近頃思うこと

モーツァルトと映画

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年1月27日に生まれたので、今年は生誕250周年に当たります。また、1791年12月5日に亡くなったので、今日が命日です。モーツァルトというと話題はあまりに溢れているので、少し私なりに絞ってみました。私は、モーツァルト作曲の曲は好きなのですが、その中で、映画音楽に使われ、その映画の内容とそこに使われている曲で印象に深いものを思い出してみました。
まず、印象に残っている作品は、「みじかくも美しく燃え」スェーデン映画で、1967年作品です。これは、1889年に起きた実話の映画化で、妻子ある伯爵の陸軍中尉が、しがない芸人の娘を愛してしまい脱走します。逃走を続けるうちに、愛はますます燃え上がりますが、金が尽き、食べ物が尽き、遂に二人は、森の中で心中します。多感な時期に見たこともあり、次第に追い詰められていく様子が、モーツァルト作曲のピアノ協奏曲第21番第2楽章の曲と同時に思い出します。この曲を、ふたりの愛の喜びのテーマして主として前半で使われており、後半の苦しい逃避行では殆ど流れませんでした。しかし、心中の少し前に、かすかに流れてくるのが印象的で、死の直前は、愛の喜びをわずかながら感じた瞬間だったのでしょう。このピアノコンチェルト第21番は、1785年、彼が29歳の時の作品です。特に第2楽章は、世界中の人々に広く知れ渡り、愛されている作品です。ほかにも「スーパーマン・リターンズ」で使用されていました。
この映画に前後して観た映画「天使の詩」(1966年作品)では、ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488第2楽章 アダージョが効果的に使われていました。この第2楽章は、シチリアーノのリズムに基づいた旋律が歌われていますが、物思いに沈んだように静かで短い曲です。この曲の楽譜を買って、さびの部分を一生懸命に練習し、弾いた思い出があります。この映画は、「鉄道員」や「自転車泥棒」など、子どもを描いたら天下一品だったイタリア映画です。母親を失った幼い兄弟に対して、父親は、兄の方は大丈夫と、厳しく教育し、弟の方には必要以上に気遣います。長男も父親の期待に応えようと一生懸命に明るく気丈に振舞いますが、実は、繊細で、母親を亡くしたことに傷ついているのは兄のほうです。その気持ちを父親にわかってもらえない切ない思いを表現するのは、映画全編に流れるのがモーツアルトの23番でした。私は長男だったせいか、その気持ちにひどく共感をし、この映画を何度も見ています。いまでも、この曲を聴くと、胸が痛くなります。
 そのほかにも、昨日放映されていた映画「アマデウス」では、交響曲第25番ト短調K.183第1楽章が冒頭で使われ、エンディングには、ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466第2楽章が使われていました。この20番もいろいろなところに使われる曲ですね。ピアノ協奏曲のほかにもクラリネット協奏曲がよく使われます。イ長調は、1986年春の最大のヒットの作品となった「愛と哀しみの果て」の最初にシーンに使われ、ゴダール監督の最高傑作といわれる「勝手にしやがれ」にも使われています。フランソワーズ・サガンの小説「熱い恋」の映画化であるフランス映画の「別離」では、フルートとハープのための協奏曲ハ長調が使われています。あと印象に残っているのは、ウィーン少年合唱団の活動を描いた「青きドナウ」のなかで団員が練習していた「オーボエ協奏曲」も好きな曲です。映画音楽の思い出は、その映画を見たときの精神状態が影響しますね。

投稿者 fujimori : 21:24 | コメント (2)

2006年12月04日 新聞記事より

1人1人にふさわしい

 最近、教育の見直しの中で、さまざまな議論をしています。そして、参考に各国の教育が紹介されています。基本的には、それはその国の風土や歴史、文化などから作られてきたものなので、そのまま日本に取り入れることは冒険でしょう。しかし、その良いところ、また、参考になるべきところをきちんと見ていくことは必要だと思います。毎日新聞に、今年の6月28日「1人1人の子供にふさわしい学習を イギリス」という記事が掲載されていました。その記事の内容は、IT教育先進国のイギリスで、生徒1人1人の能力、進度に応じ学習を進行させる取り組みが始まり、テストの結果や自習の記録などの学習履歴をネットワーク上で一元的に管理、その子の学習の進み具合や学習スタイルに合った教材を提供して、成績の向上を目指すというものです。そのやり方が、東京都内で開かれた日本教育工学振興会(JAPET)とイギリスの文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル」の海外教育情報化セミナーで紹介されました。
 イギリス教育技能省のケビン技術局戦略遂行本部長は、「成績下位の学校には、予算を投じ、教員を入れ替えたり、学校を閉鎖したり、大胆な対策を実行してきた結果、成績は向上した」と一定の成果が上がったことを説明しました。しかし「義務教育以降の進学率が低い」「所得の低い家庭の子供の進学率が低い」「保護者が学校の教育に参加した方が子供の成績が伸びるが、協力が得られないことが多い」など課題が残っていることを挙げ、「さらに学力を向上させるためには、教育を学習者中心に考え、生徒1人1人に適した学習を提供する必要がある。それはITで実現できる」と語りました。それは、ITを活用して、個々の学習進度を把握して、生徒1人1人に適した学習を提供しようというものです。まず、学習履歴を管理したり、教材を提供する「個別学習スペース」を2008年までに整備し、個人成績、学習システムを使った自習などの履歴を各個人ごとに提示し、生徒本人や教員、保護者がそのページにアクセスできるようにします。そして、1人1人の学習進度や能力に応じた教材提示をしていきたいようです。さらに、「学力向上には、教員が生徒1人1人に適した学習方針を設計できること、保護者が自分の子供の進度や課題、学校のカリキュラムを理解していることが重要だ」と述べています。ITを活用している学校の方が、成績が良い傾向にあることを紹介し、成果を挙げている学校とそうでない学校の差異は「学習管理システムを活用することで、学習進度を把握する」「教員が教育に集中できるように、技術的なサポートを受けられる」「家庭とのコミュニケーションが円滑で、保護者がカリキュラム、ITの活用について理解している」などにあると説明しています。このような取り組みに関しての問題は、日本と同じようです。「普及には(校長を対象にした)リーダーシップ研修が必要。教員研修を先にすべきと考えていたが、まずリーダーシップ研修をすべきだ」であり、「先進的な取り組みをしている人が孤立することが多い」「模範的な例が共有されない」「家庭と学校のコミュニケーショが、すべての人にとって重要なものになっていない」などの課題もあり、すべての学校、教員に普及するためには「校長がITの効果を理解していることと保護者のプレッシャーが有効だ。イギリスでは、ITを活用しているかどうかが学校選択の理由のひとつになっている」といっています。教育、保育の課題も、ただ情緒的に憂えるのではなく、これからは、具体的なツールが必要かもしれませんね。

投稿者 fujimori : 18:57 | コメント (2)

2006年12月03日 近頃思うこと

口上

 昨日は、「つくば市」で講演がありました。「つくば」といって誰でも思い出すものが「筑波山」と、最近開通した「つくばエクスプレス」です。筑波学園都市まで、今までは行くのにずいぶん不便でした。それが、今は秋葉原駅から45分足らずで行くことができるようになりました。また、1985年3月17日から9月15日まで行われた「EXPO’85」という「つくば博覧会」です。この博覧会も、東京オリンピック、大阪万国博覧会とともに、そのイベントを知っているか知らないかで年齢を判断するのに使われますね。後、忘れてはならないのが、「つくばのガマの油」です。これは、その効き目というよりも、「ガマの油売り」の大道芸の口上が有名です。
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  筑波山にあるガマの奇石
 口上とは、「口頭で伝えること」で、特に、口で言う型にはまった挨拶の言葉をいいます。「前口上」とか「逃げ口上」「使者の口上」などと使います。また、よく聞くのは、歌舞伎・浄瑠璃などの興行で、役者または興行主が出演者の紹介や挨拶などを舞台上から述べる口上です。初舞台・襲名披露・追善興行などの際、よく行われています。あと、口のきき方。ものの言い方のことをいうこともあります。口上手と使います。そして、江戸時代、街頭で口上を述べながら商品を売る商人のことを、「口上商人」(こうじょうあきんど)といいました。ある会社の通信教育の中にこんなコマーシャルがありました。「大道芸といえば、最近ではイベント会場やテレビで見かける「居合抜き」や「ガマの油売り」「南京玉すだれ」などの実演のこと。
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  浜離宮で行っていた大道芸
 大道芸の口上は、啖呵のきいた、ユ-モアを交えた語りの中に、人情の機微に触れた味のある軽妙な話術で、愉快・痛快・抱腹絶倒してしまうほどに、聞く者の心を大きくゆさぶる、芸の極致といえます。日本の伝統芸能の原点ともいわれ、人気上昇中です。内容は、大道芸口上として、ういろう売り・ガマの油売り・渋川の豆腐売り・吉原風景・薬売り・七色唐辛子売り・流しの易者・バイオリン演歌・覗きからくり・バナナの叩き売りを教えてくれるそうです。こんな通信教育があるのですね。また、いろいろな大道芸の口上があるのですね。私は、下町育ちで、10日に1回縁日がありましたので、口上を聞く機会が多くありました。
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 飴細工も江戸の風物詩
 バナナの叩き売りは、主にバナナの価格を高い値段から徐々に値を下げていくもので、対応する客の中にはサクラ (曖昧さ回避)と呼ばれるものも時々混じり、価格をコントロールしたり、口上に相槌を打って笑いを誘うなどの役を行うものもいました。口上の中で有名なところは、「さあ、このバナナ買ってくれるかな。今日はひとつおまけをつけちゃおう。安い高いを言っちゃあいけないよ。売るのは俺だ買うのはそっちだ、いいところに来た、買ったの一声だよ。」ですね。「ガマの油売りの口上の出だしは決まって「サァーサァーお立会い、御用とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで、遠目山越し笠のうち 聞かざる時は物の出方善悪黒白がとんと判らない。」とはじまり、さびは、「己のみにくい姿を見て、びっくり仰天、巨体より油汗をばタラーリ・タラリと流す。これを下の金網・鉄板に漉き取りまして、柳の小枝をもって 三七は二十一日の間、トローリトローリと煮たきしめ」と油の作り方を説明します。これらの口上を小さいころから聞いていて、プレゼンテーション力を養っていたのかもしれませんね。

投稿者 fujimori : 21:59 | コメント (3)

2006年12月02日 近頃思うこと

バスガール

 最近は、ポストマンとか、ファイヤーマンのように「マン」が着く職業名は、男性の職業であるかのような刷り込みを作ってしまうということで、使わなくなりました。昨日のブログの「バスガール」のように「ガール」の着く職業も、同じような意味で使われなくなっています。
 関東大震災で壊滅した東京に初めて市バスが走ったのは、1924年(大正13年)でした。ルートは東京駅~巣鴨、東京駅~中渋谷の2系統です。バスはT型フォードの11人乗りでしたが、おんぼろバスで、乗り心地はイマイチだったそうです。私が子どものころ、田舎に行ってバスに乗ったときに、でこぼこ道を走るために座っていてもぴょこぴょこはねて、とても面白く、やたら兄弟で、はしゃいでいました。そのとき、ある歌が浮かびました。「田舎のバスは、オンボロ車。でこぼこ道を、がたごと走る。それでもお客さん、我慢をしている。それは、私が美人だから。田舎のバスは、オンボロ車。タイヤは継ぎだらけ、窓は閉まらない。 それでもお客さん、我慢をしている。それは、私が美人だから。」という昭和30年に流行った「田舎のバスで」という歌で、中村メイコが歌っていました。まさに、そのとおりだということで、大声で歌いだし、母親に怒られた思い出があります。最初のバスは、そんな感じだったのでしょうね。この市バスを、当時、円太郎という落語家が揶揄したため、「円太郎」と呼ぶことになりました。この年の暮れには「赤襟嬢」という名の女性車掌(つまりバスガール)も登場しました。服装は紺に真紅の襟でとってもハイカラでしたが、まだまだ職業婦人に対しての社会の目は厳しく、希望者は少なかったようです。第1回目の募集人員170人のところ69人のみが採用されましたが、第2回、第3回はともに定員120人のところ、大幅な定員割れをし、あまりの不人気に、市も困惑したようです。それでも、まもなくバスガイドの人気は非常に高まっていき、ついには希望者が殺到となるのです。ちなみに、日本初のバスガールは1920年(大正9年)、東京市街自動車の乗合バスに登場しています。黒のツーピースに白の襟と、これまたハイカラな格好で、しかも初任給は超破格の35円でした。当初の採用はわずか37人でした。このバスガールのように「○○ガール」というような職業が、徐々に女性の社会進出が進むなかで、人気を博し始めます。これが世に言う「ガール時代」です。たとえば、こんな職業がありました。「ハロー・ガール」とは、電話交換手のことです。よく、その写真を見ることがあるように、この職業は、時代を表しています。それから、「マニキュア・ガール」は、最近はまたブームになっていますが、理髪店で爪の掃除をする女性のことを言います。いまでは、さながら「ネイル・アーティスト」でしょうか。今でもたまに見かけますが、「ガソリン・ガール」というガソリン販売をしていた女性です。「マネキン・ガール」とは、モデル兼売り子のことですが、なんだか懐かしいですね。このほか、「ステッキガール」、「麻雀ガール」、「レビューガール」、「円タクガール」、「マリン・ガール」などがあります。少し不良じみた、時代の流行の先端を行く女性のことを「モダンガール」と呼びました。男性の「モダンボーイ」とともに「モガ・モボ」と呼ばれたように、「ガール」には、なんだか昭和モダンの響きがありますね。

投稿者 fujimori : 21:07 | コメント (2)

2006年12月01日 近頃思うこと

合図

 地方都市に行くと、路面電車が走っている町があります。
路面電車とは、主に道路上に敷設された軌道(併用軌道)を走行する電車のことです。
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 日本では、路面電車は軌道法の管轄下にあり、鉄道事業法に基づく一般の鉄道とは明確に区別されています。原則として併用軌道を走行するのが路面電車で、専用軌道を走行するのが鉄道ですが、実際には例外も多いようです。なお、同じく日本の道路交通法では、「レールにより運転する車」と定義しています。私が車の運転免許書を取得するときには、路面電車が走っている道路の走り方を習い、試験にも出ましたが、今でもそうでしょうか。この路面電車の始まりは古く、1881年(明治14年)にドイツで開通したのが最初といわれています。日本では、1895年(明治28年)に京都市で開通した京都電気鉄道(後、京都市電)が最初で、大正から昭和初期にかけて数多くの軌道が整備されました。しかし、1960年代の高度成長時代に自動車の所有率が増加すると、モータリゼーションの流れに押され路面電車は渋滞の元凶だとされ、1970年代にかけて各地で廃止されました。そして、一部の大都市では地下鉄が建設されたのですが、多くの都市ではバスが代替となりました。そのため、日本で走る路面電車は外国に比べて、少なくなっています。ドイツのミュンヘン市でも、2両連結の路面電車が走っていました。その路面電車が、今度は、環境問題から見直されています。排気ガスを出さないからです。
 私は、中学1年生のときには、この路面電車で通学していました。東京では、「都電」といいます。また、通称「チンチン電車」と呼んでいました。それは、車掌が運転士に合図を送るために鳴らしていた鐘の音に由来しています。
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 走行中電車が停留場に近づいたとき、次の停留場で降りる客がいるときには、車掌は、そこに垂れ下がっている紐を1回引っ張ります。すると、その紐が車内の天井をずっと前までつながっていて、前のほうにある鐘が「チン」と1回鳴ります。それは、「降客があるため停車せよ」の意味です。もし、「チンチン」と2回鳴らせば「降客がないので通過しても良い」の意味になります。更に停車中に「チンチン」と2回鳴らした場合は「乗降がすんだので発車しても良い」との合図です。
 先日、たまたま昔の都バスに乗る機会がありました。
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 そのバスの車体の懐かしさはもちろんあるのですが、それよりも懐かしく感じたのは、いっしょに乗り込んだ「バスガール」です。いわゆる、車掌さんです。その名のとおり、バスの車掌さんは、女性です。ワンマンカーになる前は、必ずバスガールが乗っていて、ドアの近くに立っていて、切符を売っていました。そのほかの仕事としては、こんな声が聞こえます。それは、チンチン電車の合図を声でしているのです。「次は、○○です。お降りの方、お知らせ願いま~す。」降りる予定のある人は、手を上げるなど合図を送ります。すると、「次、ねがいま~す。」これが、止まれという合図です。そして、客が降りると、「発車、オーライ!」と言います。もし降りる客がいないときは、「次、オーライ」と言います。路面電車と同じようですね。ただ、子どものころは、合図を送るのが恥ずかしかった思い出があります。また、気がつかないときにはどうしようと心配しました。今は、ブザーを押すだけだと、そういう心配はない分、人とのかかわりを感じませんね。

投稿者 fujimori : 23:54 | コメント (2)