押しくらまんじゅう

 以前、ある取材で、子どもたちの冬の遊びには何があるか聞かれたことがありました。そのときに先方が出した例として、「たとえば、押しくらまんじゅうとか」といわれたと言われたときに、なんだか懐かしい気になりました。そういえば、今の子は、押しくらまんじゅうはしませんね。よく、寒い冬の間、体を温めるために「押しくらまんじゅう!押されて泣くな!」と大きく声を掛け、何人もの子どもたちが体を互いに押し合って、元気よく遊びました。すると、体がほかほかしてきます。この遊びは、何のルールもありません。大勢で,ひとかたまりになって,押し合いへし合い,体のぬくもりを感じ合うだけの遊びです。道具もない、場所も要らない、人がいさえすればよい遊びです。場所も、必ずしも戸外だけでなく、戸外で遊べない時期には、学校の廊下や体育館でもしました。この遊びは、全国各地で見られたものでした。今、そのような冬の子どもの風物詩はあるのでしょうか。水谷・弘田が、この遊びの様子を活写して、歌にしたものがあります。この歌詞を読むと、そのときの遊びがイメージされます。「押しくらまんぢゅう」という題名です。(水谷まさる作詞)「押しくら、まんぢゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう。やれ押せ、そら押せ、  みんな押せ。押したら、寒さが 逃げてくぞ。押しくら、まんぢゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう。押してりゃ、ぽかぽか、あたたかい。出來たてまんぢゆう、けむが出る。押しくら、まんじゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう。苦しい、いたいで、飛び出すな。つぶれた、まんぢゆう、しやうがない。」今、この歌詞を読むと、電車のラッシュを思い出しますね。この歌詞から、なんで「まんじゅう」なのか、なんとなくわかります。まず、一塊になることを「団子状態」というようにまんじゅうにたとえられます。また、湯気が立ち上ります。そして、下手に押すとあんこが飛び出すように、塊から押し出されてしまいます。みんな顔を真赤にして押し出されまいと頑張ります。ギュウギュウ押されて、はみ出された子は、また端の方から押し合うのです。ほかにも、「押つけもっこ こもこ 出たやつ あぶらげ」というような歌もあるようです。おつつけもっここもこ・・・」と声を合わせて叫びながら『おつけもっこ』をはじめます。古くは、「押しくら申そ」と歌っていたものが崩れて「押しくらまんじゅう」や「押つけもっこ」になったともいわれています。
 最近、他人に触られるのを嫌がる子が多くなりました。ちょっと触られただけでも、痛いと泣く子がいます。まして、押されでもしたら大騒ぎになることもあります。最近の脳科学の研究では、乳幼児期に、お互いに体を触れ合うことは、リラックス効果があるとか、脳の人間としての大切な前頭前野を育てるといわれています。これは、昔から言う「スキンシップ」です。ですから、子どもが小さいうちは、やたらとじゃれあって遊ぶとか、一緒に転がりまわるなど自然としているのでしょうね。それが、次第に触りあう遊びが少なくなってきて、一人遊びが多くなってきました。たとえば、鬼ごっこにしても、「手つなぎ鬼」などもあまり見かけません。このルールは、鬼は,つかまえた子と手をつないで追いかけなければなりません。鬼が3人までのときは1組,4人になったら2人ずつの2組に分かれて,追いかけることができます。ですから、鬼が増えるにしたがって、挟み撃ちをするとか、作戦が必要になります。また、チームワークが必要になります。知らないうちに人とふれあい、工夫をし、協力を知るなどまさに、脳の前頭葉が発達しそうですね。

押しくらまんじゅう” への7件のコメント

  1. 懐かしい遊びが紹介されました。小さいときはこんなことばかりやっていたように思います。触れ合いがあり、工夫が必要になり、協力も必要になる。「押しくらまんじゅう」も「手つなぎ鬼」もすばらしい遊びですね。「子どもの遊びが変わってしまった」とか「最近の子はゲームばかりしている」と嘆く前に、すばらしい遊びを子どもたちに伝える努力をしないといけませんね。

  2. 確かに最近、押しくらまんじゅう、やっているところをみたことがありません。私が子どもの頃は、押しくらまんじゅう、すもう、だるまさんころんだ、などなど手を中心に体のどこかが触れ合う遊びを結構よくしていたような気がします。そして、友達の暖かさや力強さというものを感じ取っていました。今では、触っただけで怒る子どもたちがいます。そうした子どもたちの関係作りとは、互いに干渉しあわないという関係作りになってしまう可能性が大です。手を触れ合う遊び、そして体ごと触れ合う遊びを子どもたちにやらせるよう仕向ける必要はあると思います。脳の発達のためにも必要なことのようです。今日のブログからまた一つ教えられました。

  3. おしくらまんじゅう!やっています!もちろん、私も参加して思いっきりおしてあげます。負けずに押し返す子ども達は本当にうれしそうです。
    子ども達とさよならをするときに、握手やジャンケンをして勝ったほうが相手をくすぐること、頭をなでること・・・なバリエーションをつけてやっています。たまたま遊びでやった時の子ども達のうれしそうな顔に、’もっとさわってあげなきゃ?’と思ったからです。
    お散歩の時に手をつなぎますが、私の手を握って「あ、つめた?い」からはじまり、みんなが私の手を触ろうとしたり、誰が一番あったかいか、道端でわいわい始まったりします。
    そして、「先生の手あっためてあげる・・」なんていってくれる子も。子ども達は好きな子と、二人組になるのですが、朝から一日の一大事のように相手を探したり、想いがかなわず時には泣いたりする子もいます。それだけ手をつなぐこと、触れ合うこと、は重要なことなのでしょうね。これはご飯を食べる席でも同じです。本能的なこともあるのでしょう。
    触れ合うことで仲良くなる、仲良くなってまたさらに触れ合う・・・心と体の当たり前のつながりをまた思い出しました。
    ありがとうございました。

  4. 私自身が現代の子なのかなって思うことがたびたび・・・触られただけで泣くことはありませんが、手を握られたりすることはあまりすきではありません。
    こんな親が増えているから、スキンシップをとれないのでしょうかねっ。けして潔癖症というわけではないのですが・・・
    ちょっとしたあそびにも色々な意味があるんですねっ。

  5. 僕は人に触られるのが幼稚園児のころから好きではありませんでした、むしろ嫌いでした。
    おしくらまんじゅうで痛い痛いと泣き出したこともあります。
    小学生のころ修学旅行でおばあさん先生に可愛いといわれ抱きつかれ気持ち悪くて泣き出して服を全部着替えた事もあります。
    中学のころおばあさん先生にベタベタ触られて
    「気持ちいいでしょ?」って言われ気持ち悪さの余り顔面にグーパンを
    入れたこともあります。
    なので、この意見は否定させてもらいます

  6. 「冬の遊び」と聞いて、何があるだろうと迷ってしまいました。季節による自然の変化から生まれる遊びは思い出されますが、子ども同士が関わる遊びはあまり見かけないように思います。いや、それは私がそんな遊びをうまく子どもの遊びの中に紹介できいない部分もあるように思います。押しくらまんじゅうは確かに体と体が触れ合いますね。あまり知らないような人と体の一部が触れ合うと「おお」とちょっとドキドキしたりします。そんな体験からはその人がどんなことを思っているのか肌を通して微妙に感じるような気もします。変な意味ではなく、大げさかもしれませんが、体の触れ合いは自分以外の存在を受け入れるというそんな感覚でもあるように思います。実体験を通してそんな感覚が生まれることもあるように思います。そんな意味でも大切な体験なのかもしれませんね。

  7. スキンシップや、手つなぎ鬼などをする子どもがいなくなってきたことと、子どもたちを取り巻く現代の社会問題とが関連しているとなれば、手つなぎ鬼などの復活を遂げる必要があったり、それが難しいのであれば、その遊びの変わりになるものを造り上げる必要がありそうですね。小学生の時、よく手つなぎ鬼や高鬼、色鬼などの遊びを校庭でしていましたが、おしくらまんじゅうはしていなかったと思います。また、「最近、他人に触られるのを嫌がる子が多い」というのも気になりますね。幼い頃から触れられる経験がない子どもが、そう感じてしまうのでしょうか。遊びを通して、人の感触や加減などを学んでいたのですね。

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