ベルギー

 今、国立西洋美術館で、「ベルギー王立美術館展」が開催されています。実は、あまり知られていませんが、ベルギーは、油彩発祥の地なのです。ヨーロッパ絵画といえば油彩画をさすことが多いのですが、これは15世紀のフランドル地方で開発された技法でした。精緻な細部描写と質感を描き分けることのできる油彩画の誕生は、ルネッサンスからバロックにかけて、イタリア絵画と並んでヨーロッパを席巻した「フランドル絵画」の基本的性格を規定することになる大きな出来事でした。その緻密な描写や豊麗な色彩は、当時のヨーロッパ中の貴族を熱中させたのです。ベルギーと絵画というと、「フランダースの犬」を思い出します。この話は、イギリスのウィーダの書いた童話ですが、物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)地方です。しかし、原作者がイギリス人ということで、ベルギーではあまり興味はなかったそうですが、ここを訪れる日本人がやたらとその場所がどこかと問い合わせたために、今は、ネロとパトラッシュの銅像が建てられたり、アントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置されているそうです。この話は、今でもテレビアニメの中で泣ける話としていつもベストワンにあげられるほど、とても悲しい結末で終わりますが、この結末が日本人は好きなようです。フランダース地方の小さな村に住む少年ネロは、ルーベンスのような画家になることを夢見ていました。しかし、火事の放火犯との濡れ衣を着せられ、コンクールで落選し、希望を失ったネロは、大聖堂の中に飾られたルーベンスの絵の前で愛犬パトラッシュと共に天に召されるという結末です。私の子どもは、小さかったころ、この話が嫌いでした。「なんで、お話で、わざわざ泣かなければいけないの!」と、怒っていました。自ら進んで、泣くような、悲しい体験をすることは考えられないと思っていたのでしょうね。実際に、アメリカで出版されている「フランダースの犬」では、内容に救いがなさ過ぎるとして改変が加えられています。この改変されたストーリーでは、ネロとパトラッシュは聖堂で死亡せず、ネロの父親も名乗り出てハッピーエンドを迎えることになっています。
 同じフランダース地方といえば、ここの出身であるメーテルリンクの「青い鳥」があります。この話もさまざまな解釈をされるストーリーです。よく知られているストーリーは、子ども向けなので、青い鳥を探した結果、最後には、青い鳥が身近なところで見つかったというハッピーエンドで終わっています。そこで、「幸せは身近なところにある。だから、その身近にある日々の幸せを大切にしよう」というメッセージとして解釈するのが一般的です。しかし、原作では続きがあります。もともとの原作は童話として書かれたものではなく、戯曲、つまり舞台用に書かれたものなのです。ですから、原作では違うメッセージを出しています。家にいた青い鳥も結局逃げてどこかへ行ってしまうところで話が終わります。そしてチルチルが、こんなせりふを観客に投げかけて終わります。「どなたか、もし鳥を見つけたら、ぼくたちに返していただけませんか?…いずれしあわせになるには、ぼくたちには青い鳥が必要なんですよ…」どことなく謎めいた終わりになっています。この結末は、皆さんは、どう解釈するでしょうか。

ベルギー” への5件のコメント

  1. 国立西洋美術館の「ベルギー王立美術館展」を観ました。油彩発祥の地がベルギーフランドル地方だとは気づきませんでした。今回の美術館展にもルーベンスの絵が4点ありました。絵画の前に立っては、思わず、フッーと大きく息を吐きます。少年ネロもこうした絵を描きたかったのだろう、と勝手に想像を膨らませ絵画のもつ素晴らしさと少年の熱き思いにこみ上げてくるものを感じます。ところで、新宿の損保ジャパン東郷美術館「ウィーン美術アカデミー名品展」にもルーベンスの作品が2つ展示されていました。うち「三美神」と題された絵画には本当に魅了されました。話は戻りますが「王立美術展」のルネ・マルグリットの「光の帝国」。シュールレアリスムの絵画的表現。ルーベンスの絵より実はコチラの絵に私は釘付けになりました。ワッフル、チョコレート、ビール、EU本部のある国ベルギー、隣国オランダとともにいつかはたずねてみたいと思っています。ところで、メーテルリンク「青い鳥」のチルチルの最後のセリフ、自分たちは不幸なのですよ、助けて下さいよ、と聴こえてきます。イギリス人ウィーダ「フランダースの犬」の結末、少年ネロと愛犬パトラッシュが天に召される。この二つから、私は、キリスト教徒の信仰、神への叫びを感じます。みなさんは如何でしょうか?

  2. 青い鳥の話をこんなに考えたのは初めてです。結末のことをいろいろ考えて、身近なものに幸せを感じ続けることの難しさ、人間の弱さを訴えているんじゃないかと解釈しました。
    身近にある幸せを大切にしようと思っても、次第にその幸せにも満足がいかなくなり更なる幸せを求めます。幸せを手に入れるために何かにすがりたくもなります。難しいことかも知れないけど全ては自分次第、自分が変わらなければいけないということを言われているような気がします。

  3. 「フランダースの犬」に別のエンディングがあることは知っていましたが、幸せの青い鳥にも、あったんですね?。
    ひねくれものの私は、チルチルの最後のセリフは、「自分が不幸なのは他人のせいにしたがる人間の悪い癖」を訴えていると解釈しました。
    人間の欲は限りないですね。
    もっともっと、と常に多くを求めます。
    幸せの価値基準も人それぞれですしね。
    付加価値ばかりに頼った幸せよりも、自分自身そのものを見つめた上での幸せを感じられるような人間になりたいです。
    これが難しいんですよね?。
    人間である以上、煩悩とは切っても切れない関係ですからね?。
    せめて自分を省みることだけは忘れずにいたいです。

  4. フランダースの犬はそのようなお話だったのですね。最後のシーンは有名で、登場人物も有名ですが、内容はほとんど知りません。あ、それとフランスの犬とアルプスの少女ハイジが私の中ではごちゃまぜになっています。どちらも内容はほとんど知らないのですが、注意しないとどちらも同一のお話に出てくる登場人物というイメージが先行してしまいます。今思えば全く似てはいないのですが、小さい頃は徳光さんと草野さんと板東英二さんが同じ人に見えましたし、清原選手と後藤選手(巨人)も見分けがつきませんでした…ってあまり関係ない話になってしまいました。チルチルのセリフのこと考えてみました。自分たちで青い鳥を探しにいったのに、最後には誰かに頼っている言葉に聞こえました。どこを探しても見つからずに、どうしようもならなくなり、誰かに救いをもとめたのかもしれません。誰かを頼るのは必ずしも悪いことではないと思うのですが、幸せになるためには本当に青い鳥は必要なのでしょうか。そう思っていても、案外いなくても、いないなりになんとかなっていくのかもしれませんが、一旦思い込むとなかなかその思い込みを振り払うことができないものですよね。そういうものを私も振り払えるようになれればなと思います。

  5. 「幸せは身近なところにある。だから、その身近にある日々の幸せを大切にしよう」というメッセージの続きが、その鳥にも結局逃げられるというストーリーであると考えると、身近な幸せも決して“永遠ではない”ことを伝えようとしているのではと考えました。そして、人の最大の目標でもある「幸せ」が永遠ではないということが、人を傷つけ合わせたり、多くの困難を振りかけてくる、そんなことが世の中のには存在しているといったメッセージが感じられます。しかし、同時に「いずれしあわせになるには、ぼくたちには青い鳥が必要なんです」という言葉から、「幸せ」になるために必要なものを探し続けることが、人間の使命でもあるのだと感じさせられます。

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