昨日の夜は、六日市町のログキャビンを貸切りにして、園長ほか有志で、懇親会を開いてもらいました。そのログでは、囲炉裏を囲んで、「鹿肉」の焼肉をご馳走になりました。他にも猪の肉や鴨肉を食べたのですが、特に鹿肉はとても肉が柔らかく、美味しい肉でした。そういえば、ここ六日市町は、「島根県鹿足郡(かのあしぐん)」です。「鹿の足」と書くのです。どうしてそんな名前がついたか、地元の人に聞けばよかったのですが、たぶん、鹿が多く住んでいたのでしょう。そういえば、車で走っていると、近くには、「鹿野町」という町もありました。ここは、都濃郡にありますが、やはりこのあたりは鹿が多いのだと思いました。そういえば、鹿児島の名の由来は、野生の鹿の子が多く生息していたからと説があります。しかし、意外なことがわかりました。この鹿足郡は、島根県の西の端に位置し、日原町、津和野町、六日市町、柿木村の3町1村からなる山間地です。鹿足郡というのは聞いたことがなかったのですが、あの有名な、「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれる津和野があるのです。

今日の午前中に案内してもらった津和野には、時期的には終わってしまっていますが、つわぶきの黄色い花がその名残をとどめていました。鯉のいる堀のあるこの町を歩いていると、なんとなくあることを思い出します。戦国時代末期、亀井武蔵守茲矩が鳥取県の鹿野城主となり、戦乱を乗り越えながら築き上げた小さな城下町が、鳥取県鹿野なのです。しかし、その町づくりはすぐに終わってしまいます。それは、2代目である政矩が、この津和野へお国替えとなったのです。なんだか、この島根県にある鹿野町に関連がありそうです。それをさかのぼると、さらに「鹿」つながりが見えてきます。島根県の月山の麓に、尼子氏の重臣の子として「山中鹿之助」という人が生まれます。尼子氏は、そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いの毛利軍によって次々に支城を攻略され、ついに、白鹿城(島根県松江市)に落ちますが、ついに落城してしまいます。この城にも「鹿」がついていますね。そのとき何とか生き延びた鹿之助が、尼子氏の再興を三日月祈ったのが、講談などでよく知られている逸話で、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」というものです。この尼子氏の家臣の娘の子が、鹿野城主であった亀井茲矩なのです。話は少しずれますが、この亀井茲矩の子孫が衆議院議員亀井久興で、兄・吉助の子孫が衆議院議員亀井静香だそうです。というのは、どうでもいいのですが、なんと、島根県生まれの「山中鹿之助」の仕えていた尼子氏が滅びたのが「白鹿城」で、そのあとその家臣の娘の子が鳥取県「鹿野城」城主になり、その子が津和野城に移り、そこが、「鹿足郡」であり、近くに同じ「鹿野町」という名前の町がある、となると、ただ、鹿が多いからとはいえない気がしますね。これらは、まったく関係がないかもしれませんが、鹿の肉を食べたことから、このように次々に妄想を膨らませていくことが歴史の面白さかもしれません。世界史の未履修で問題になっていますが、もし、歴史をこのように次々に関係付けていくというロマンを学ぶことだとすれば、未履修のほうが損をすると思いますが、今の議論は、しかたなく世界史を学んだ学生のほうが損をしたと思われています。学問は、損得だけですることではないと思うのですが。
懇親会での焼肉パーティー、定番の牛・豚ではなく、鹿・鶏・猪と日本のヘルシーなお肉を頂きながら会が盛り上がっている様子が伺えます。そして、鹿肉をほうばりながら「鹿」に関する「妄想」あれこれが膨らんだ末の今日のブログ。亀井静香衆院議員の先祖まで明らかになり、その「どうでもいい」情報に今日も「得」した気分になって読み進めると最後に「学問は、損得だけですることではない」と我が下賎な心奥を一刀両断。こりゃ、恐れ入谷の鬼子母神、浅草のほうずき市・・・。「鹿肉」といえば、ミュンヘンでグレシュ博士にご馳走になった昼食のお肉、確か「鹿肉」だったような・・・。いや待てよ、「兎肉」だったか・・・。おとといの夕食メニューもすぐには思い出せない今日この頃。1年半以上前にドイツで食べた1昼食のお肉が何だったか覚えていないのも無理ないか。それにしても噛み応えのあるお肉でした。津和野は一度行ってみたい町の一つです。西周、森鴎外、安野光雅の出身地です。記念館や美術館もあるようです。「小京都」の代表格です。津和野でつわぶきの花を愛でられたら格別でしょう。
●亀井静香議員の「亀井氏の子孫の云々(うんぬん)…」については初めて聞きました●妻の実家が亀井静香議員の地元の庄原市なので、氏のうわさはよく聞くのですが…●まぁ、家系というものは“勝者の権威づけ”に利用されることもよくあることですし●氏は地元では、山奥の小さな町から立身出世した“勝者”ではあります。
昨日の講演会ではいろんなことを気づかせてもらいました。ありがとうございます。また前日の懇親会でも楽しい時間を過ごさせてもらいました。とても有意義な2日間でした。
山陰地方の歴史が鹿で関連付けられるとは驚きです。新鮮な感じがします。教員にもいろんな人がいると思うので、藤森先生のように、その人の見方でいろんな角度から授業をすすめてくれたら学問も楽しくなるでしょうね。実際にそういう教え方をしてくれた先生の授業はよく覚えていますし、かなり影響を受けました。いろんなことが目先の損得だけで動いていくとおかしくなっていくような気がします。
先生の引き出しの凄まじい量と質は相変わらず鳥肌がたちます・・・
いつもですと講演会場ブース担当の準備・撤収でお話が出来ないことが多かったのですが、ログキャビンや津和野のご案内でたくさんお話が聞けて嬉しかったです。
ちなみに小生の家系のルーツは鳥取県淀江町でして尼子氏の陪臣だったようです。
数代前は8月においでいただいた島根県大森町に居住しておりました。現在親戚が温泉津に多いです。
はたまた、先生のご来県を聞き駆けつけました同業者のT君は、庄原市からまいりました・・・・
藤森先生恐るべし・・・・