晩秋

 日本という国は、季節の変わり目ごとにつくづくいい国だと思いますね。あまり広くない国土の中でも、それぞれの地方独特の気候があり、季節ごとの変化があるのです。私が、大学のときに、卒論でなぜ「学校建築」をテーマにしたかというと、列車に乗って窓から外を眺めていても、飛行機から下界を見ても、すぐにわかる建物が、学校だったので、それはおかしいと思ったことがひとつの理由でした。しかも、小、中、高校の区別もわかりやすいです。建物もわかりやすいのですが、その建物に付属している施設(体育館、校庭、プールなど)や設置されている遊具(鉄棒、サッカーゴールポストなど)は、日本中どこに行っても、ほぼ同じです。外国に行くと、どれが学校かわからないほど町に溶け込んでいます。それは、設計の意図だけでなく、町なかでは、たぶんセキュリティーの問題から、なるべく目立たないようにしているか、地方に行くと、校庭が芝生になっていて、その周りには柵がめぐらされていないため、公園のように見えるからです。日本では、こんなに地域による季節感も違うのに、どこでも同じというのはおかしいですね。確か、明治時代に文部省が学校建築の統一モデルを出したときに、北側廊下、南側教室としたら、宮崎県から南に教室なんか置いたら、暑くて授業などできないのではないかという苦情が来たのですが、いや、全国は統一するものだということで押し切られたと聞いています。この考え方が、もしかしたら、今の「いじめ」につながっているのかもしれませんね。
今頃の季節、晩秋の十一月は、冬の訪れを感じさせる冷たい雨が降り、弱い木枯らしが吹きはじめます。しかし、それもすぐにおさまり、また、柔らかい日ざしがさしこむ暖かい日が二、三日続きます。このような日を昔から私たちは「小春日和(こはるびより)」と呼んでいます。なんとなく、ほんのりと暖かなイメージがあり、心が癒され、日本語の表現力のすばらしさを感じますね。最近、テレビコマーシャルでも「小春日和は、春の日のことではありません!」というのをやっていますが、「小春」とは旧暦十月の呼び名です。今の暦で言えば十一月から十二月のはじめごろにあたります。明日は、冷たい雨が降るようですが、今日のような天気のことを言うのでしょう。(東京では)小春日和の天気をもたらしているのは移動性高気圧といって、大陸の気団(揚子江気団)が日本の上空を吹く西風にのって、日本列島をおおうことが原因です。ただ、このよい天気は長続きせず、そのあとに続く低気圧のために冬の前ぶれの冷たい雨が降り、弱い木枯らしが吹きます。このくりかえしで季節はだんだんと冬に向かうのです。実はこれと同じ移動性高気圧におおわれる天気は、春にもあります。春の場合はお花見日和の天気や五月晴れの天気をもたらします。この小春日和というなんだかあいまいのような気候は、いかにも日本らしいのですが、実は、日本だけでなく中緯度の国や地方にも同じようにあるそうです。それぞれの地方でも、やはり、このような天気には、独特の名前がついています。アメリカでは「インディアンの夏」、ドイツでは「おばあちゃんの夏」とか呼んでいて、春ではなく必ず夏ということばがつきます。日本は海で囲まれていて湿度が高い日が多いのにたいして、アメリカやドイツでは乾燥した、からっとした天気になるので春よりは夏というイメージがあるようです。なんといっても、小さい春という表現がやはり好きです。

晩秋” への3件のコメント

  1. 私の祖父の妹、大おばさまの名前が「小春」でした。小春さま、と地域のひとが呼んでいるのを聞いて、子どもながらに、なんていい名前なんだろう、と思っていました。晩秋の暖かい1日の小春日和、そうした日の夕刻、冷たい風がそよそよと吹きながら、しかし昼のぬくもりがそこここにある風景。この風景にはグレゴリオチャントが似合います。遠くに日本アルプスや八ヶ岳が見えるともう最高です。
    私が住む地域は東京を中心とすると春から夏はひと月遅れ、秋から冬はひと月早め、で季節が推移するように思われます。小学生の時、入学式の頃桜が咲いて・・・と教科書などに書かれていましたが、私が住む地域では桜の開花は4月の下旬でした。従って、4月初旬の入学式の頃は桜の開花どころかまだまだ寒く、旧暦をみるとなるほど寒いわけだ、と納得したものでした。
    今の学校のスタイルを継続している限り、いじめ問題は決して解消されることがない、と確信しています。なぜなら、戦前も戦後もいじめがありました、しかも今の学校スタイルと基本的には同じです。教育者の資質を問うても詮無きこと、です。環境が変わらなければ、そこから派生するものも変わりません。以上。

  2. 季節だけでなく、その土地によって人の気質も違います。その気質の違いに触れるたびに違いがあることはおもしろいなあと思います。その違いをもっと生かす方が自然な気がしますが、教育界は何かと統一したがるんですね。いろんな違いをしっかり表現してその違いをみんなが当たり前のことだと思えるようになった方が楽しいと思います。

  3. ●「何かと統一したがる」のは日本だけではなく、東アジア地域の民族がもつ特性だという仮説があります(私だけの説ですが)●そんな遺伝子を持っている、日本を含む東アジアの民族に「自主性」とか「自由・自律」とかいっても、果たして根づくのでしょうか…。私たちの心の中にある形(だけ)の統一志向性を壊して、つぎに何を目標とするのか…、ということが私のテーマの一つでもあります。

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