教師の名札

 先日、小学校の授業参観をして、どうも腑に落ちなかったのは、授業の進め方だけではありませんでした。いろいろあるのですが、「へんだなあ」と思ったひとつに、「名札」があります。いつの頃かわかりませんが、今、教職員はみんな首から名札を下げて授業をしています。見ていて、とても奇妙です。子どものほうにかがむと、名札が「ブラ?ン」と子どものほうに振れますし、女性教員は、そうしないためにたすきがけをしていますが、後ろから見ると、ポシェットを提げて授業をしているように見えます。何で、名札を首から下げて授業をしなければいけないのでしょう。こんな例が報告されていました。「一番の成功要因は、今回の名札の着用が事務職員に限られていることが挙げられると思います。今なら学内で名札を下げていれば、その人は大学の事務職員であるとすぐに分かります。これまでは学内で出会っても学生なのか、教員なのか知っている人にしか分からなかったのが、今は違います。」これは、名札のひとつの役割かもしれません。しかし、学校内で生徒が教員と出会ってときに、名札を見ないと先生だということがわからないのでしょうか。しかも、事業中であれば、出会う人は、クラスの子どもだけなのに、わからないのでしょうかね。ある市の通達にこんなことが書かれていました。「来校者に名札を着用させるなど、受付を通過した者であるか否かが判別できるようにすること。(できれば、バッジなどよりも、首から提げる名札のようなものの方が、後ろから見てもひもで着用の有無を識別できることから、好ましい。)」確かに、これまでの、学校施設は「学校が活動している昼間の時間帯に、不審者が侵入してくることを防ぐ」という観点では作られてきませんでした。しかし、今の学校は、地域開放や地域の人材活用など必然的に利用形態が複雑となり、様々な目的を持った多くの人々が訪れるようになりました。ですから、来校者に名札を付けてもらうことはわかります。また、これを読んで、何で首からぶら下げるタイプが多いかもわかります。しかし、最近は、役所の人や会社の人でもぶら下げている人が多くなりましたので、下げているかどうかの確認だけで、不審者対策にはならない気がします。しかも、教職員が付ける理由はわかりません。それなのに、教職員が付けることを義務付けている市は多くみられます。何で、教職員が付けるかを記述した報告がありました。それは、「現実的な不審者対策を考える」と題して、大阪教育大附属池田小学校への視察から考察をした、ある助教授の報告書です。「(2)施設面での対応」の中の「?死角が少ない」という部分です。「附属池田小学校では仮校舎といえども、廊下が整然としている。余計な荷物も置いていない。防災にも必要な手立てである。もちろん死角が少なく、例え、教師といえども、学校指定の名札をつけないといけない。ここでは子どもの荷物は廊下に吊り下げてあり、整理整頓の指導にも適していることも付け加えたい。」この文を読んで、面白くありませんか?申し訳ありませんが、この文脈は、とても奇妙です。他の文献を読んでも、結局のところ、不審者の侵入を防ぐ対策として保護者に、校内に入るときに名札や腕章をつけることをお願いしているので、「保護者にお願いするのだから教師もつけるべきだ」という考え方のようです。やっぱり変です。中には、「担任以外の教師の顔と名前がなかなか一致しない」といった保護者の声があることもあるようですが、それでしたら、普段、つける必要はないような気がします。

教師の名札” への8件のコメント

  1. 流石、都会ですね。小学校の先生が首から名札をぶら下げている。田舎暮らしなので、近所の小学校の先生が名札をぶら下げているのを見たことがありません。おそらく、その必要もないのでしょう。しかし、田舎の町役場の職員は数年前から名札をぶら下げるようになりました。何故なんでしょう。200数十人足らずの役所なのですが。そう言えば、私が勤める保育所の職員は名札をつける習慣がありません。私が園長をやり始めた時、保護者の1人から誰が何先生かわからないから名札があればありがたい、ということを言われ、年度当初は名札をつけるように職員さんたちに言ったことがありました。そもそも先生が名札をつける習慣がなかったことと、名札をつける意味を十分りかいしてもらわなかった結果、誰も名札をつけなくなりました。園長の私だけがつけています。それは、ひらがなを読めるようになった子どもたちが私の名札をよむからです。自閉症と診断された子どもも私のネイムプレートを一生懸命読みます。ところで、この名札。私はつけなくてもいいと思っています。大人だって子どもだって、もしその人の名前が知りたいと思ったら聞けばいい、と思います。聞きたい、知りたい、という気持ちがなければ名前も覚えられません。名札は、知ったつもり、にさせます。名前を知っただけで、その人がわかったような錯覚を持たせます。学校や保育所の先生たちの名札・・・やはりヘンだと思います。少なくとも、学びの場で、知りたい、という欲求の一端を削ぐことになっている、という事実があることにはやく気付いてほしいものです。

  2. 小学校について本日、フジテレビの番組(現役教師1000人大告白SP これが今どきの学校だ!!)の中で、隠しカメラによる青森県のある小学校クラスを給食時間までの姿をダイジェスト版にして放送していました。俗に言う学級崩壊の状態だそうですが、出演していた現役小学校の先生達は極端な例ではないといってました。授業中に紙飛行機を作って遊んでいる児童を叱って5分間授業はストップ。勝手に外に出て遊んでいる子は気持ちが落ち着いたら戻ってくるという約束ができているらしいのですが、出て行った理由が「二人の先生に怒られたから」です。とにかく集中できる時間が短い。その為に、先生が行いたい授業や生活を皆同じく過ごす事ができない。 … 底上げが基本になっているが、結果的に行動の遅い子に基準を置くことになっているように思えました。名札にしても本末転倒しているように思えます。
    討議の中で、先生側は現状を解決のためには人手が足りないと言う。教育再生会議のメンバーでワタミの社長・渡邊美樹さんは100%教師が悪いと言い、言い訳は幾らでもできると言う。そして、一度死んだ教育は再生する為にはバウチャーの導入提案をしていくと言う。 … バウチャーで「家計の為に公

  3. 続けてのコメントで申し訳ございません。やはり、どう考えても引用された助教授先生の文章は理解できません。「死角が少なく、例え、教師といえども、学校指定の名札をつけないといけない」という箇所は、死角=教師と部分的には解釈できます。名札のない教師を「死角」と捉えているのです。廊下は整然としていて「余計な荷物も置いていない。」から、イメージとしては、窓や教室の戸があってもいいですが、全体として何もない直方体の内部空間を横から眺めることができるような廊下が浮かび上がります。しかし、この文章は「ここでは子どもの荷物は廊下に吊り下げてあり、」と続き、イメージがさらに一転して、「整理整頓」はされているのだろうが、全体の構図としては鞄やコート、その他子どもの「荷物」がデコボコ空間を形成しているようで、先の文章との間に違和感があります。しかも、あの悲惨な事件のあった大阪教育大学付属池田小学校の「仮校舎」のことです。なぜ、仮校舎ができたのか、そこのところを考慮すると、「死角の少ない」仮校舎は死角の多かった「本校舎」に比べて、あのような痛ましい事件が起こる可能性が比較的低い、と言わんばかりです。助教授さんは、そんなことは言っていな

  4. 私も保護者に名札をお願いするから教員も名札をつけるというのはおかしいと思います。なぜ名札をつけるのかという基本的なところをきちんと考える必要があると思います。
    ただ自分が当事者の教員だとして名札をつけることになったとき、おかしいと思えるか、おかしいと思ってもきちんと理由を述べて意見が言えるかと考えるとちょっと自信がありません。自分の軸の曖昧さを感じます。しっかりとした自分の判断の軸をつくりあげたいです。

  5. 教師に名札ですか!?
    びっくりですね?。
    来訪者にわかるように、という意味からは理解できますが、そんなに名前が気になるなら、自分から聞けばいいことだし、聞かれるほうも、前もって、挨拶がてら自分の名前を伝えればいいことですし・・・。
    こんなところにもコミュニケーション力不足が垣間見られますね?。
    職場の人間にしても、保護者にしても、最近のおとなはコミュニケーション取れない人が多いですね?。
    こちらは田舎なので、名札着用している教職員の方は見られませんが、そのうち、こちらの方でも見られるようになる光景かもしれませんね・・・。
    なんだか、名札着用に関しての理由やらメリットやらは、ただの後付けで、企業やらの真似事から始まったものかもしれませんね?。
    日本人、流行に乗り遅れまいとしますからね。

  6. 先生方が外部の施設に訪問する際に名札をつけるというのは分かる気がします。実際にそうしておられる方を見て、どういった方が今、園に来ておられるのかが分かったことがありました。ですが自分が担任するクラスや学校でしている意味は確かに気になります。私もどうして名札があるのだろうかということを名刺を持っている教師の方を見た時に合わせて思いました。名刺を持っていることが変だなとは思わなかったのですが、名刺た名札は自分という存在、自分という人間が何者であるのかということの証明書のようなものなのかなとその時は思いました。それがあることで安心ではありませんが、立場をはっきりさせることでちょっと違った自分になろうとする感覚があったりするのですかね。藤森先生の名札をどうしてつけているのだろうかという疑問を解決しようとされる姿勢は勉強になります!

  7. 個人的に、「名札=聞かなくてもその人の名前が分かる物」という認識がありましたが、書かれている名前を見るという行為をしなくても、それを付けているという雰囲気だけで、一種の所属感を与える効果もあることを知りました。研修会など、初対面同士でグループディスカッションなどをする時には、自分の名札を付けることはありますが、日常から同じ空間にいる人同士が名札を付けているというのは違和感がありますね。また、不審者対策としても、それを付けていれば安心という油断が、危機管理を散漫にしてしまう危険性もあるのではと思いました。このような時代だからこそ、保育園を閉鎖的にするのではなく、逆に「知っている人を増やす」という方法が望ましいのですね。

  8. 子供は顔を見ればわかるから。企業の真似事だ。ぶらぶらする。名前が分からなければ聞けばいい…。
    そんなに名札をしたくないですか?世間からずれていることに気付いて下さい。
    全校で9クラスの中学校でボランティアをしていますが、先生の名前は覚えきれません。新任の方が入ってすぐは外部の方と区別できません。
    名札を付けないことは行動への責任感が下がるように感じます。大きな声で理不尽に怒鳴っている先生もいます。そんな時は名前を聞けばいいんですか?

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