今日は、道徳の授業参観に行ってきました。あまり、その感想は書きたくなかったのですが、今の教育の問題点がいくつか見えたので、ちょっと書いてみます。
先日のブログで書いた2年生の授業を含めて、1年生から6年生までの13学級の道徳の授業を参観しました。どのクラスも先生は、参観日ということもあって、とても熱心に、一生懸命に授業をしていました。また、事前に、黒板に貼り付ける文や絵、子どもが書き込むプリントなどの教材も用意され、いかにも研究授業のような、私からすると、絵に描いたような授業展開がどのクラスも行われていました。また、それぞれのクラスは、そのクラスの担任のカラーがそれなりに出ていて、授業の進め方にその担任の特徴が良く出ていました。ですから、その授業そのものは、別に問題はないので、それをとやかく言うつもりはありません。どの先生も、今日はご苦労様でした。準備が、大変だったでしょう。とねぎらいの言葉を送ります。しかし、気になる点がいくつかありました。まず、13学級すべてのクラスが、一斉授業でした。どのクラスもすべて、先生が前に立ち、生徒が全員前を向いて座っていました。そして、授業中、声が聞こえるのは、どのクラスも、声の90%は先生の声です。生徒は、30人はいるのに対して、先生は一人しかいないのに、ほとんど話しているのは先生だけです。また、時折聞こえてくる生徒の声は、先生の問いかけに対して、答える声です。友達同士で話し合うとか、相談しあうとか、議論しあう声はどのクラスからも聞こえてきません。たとえば、5年生の授業では、こんな調子です。
自分の気持ちよりも、相手の気持ちを考えてしまう「ねずみ」と、自分のことばかり考えて、相手の気持ちを考えない「かいじゅう」と、自分を大事にし、相手の気持ちも大事にする「さわやかさん」がいました。「A君と遊ぶ約束をしました。そこへB君が来て、A君とは遊ぶのをやめて、僕と遊ぼうよといいました。さあ、どうしますか?」というときに、「次のせりふは、誰が言ったでしょう。」というプリントを子どもたちにやらせていました。
①いいよ、B君の方が面白いから。②困ったな、……(もじ、もじ、もじ)③だめだよ、今日はA君と遊ぶんだから。④今日は用ができて、A君とも遊べなくなったから、君とも遊べない。⑤いいよ、A君も一緒に遊んだほうが楽しいよ。一緒に遊ぼう。⑥今日はA君と約束守るよ。B君とは、明日はどう?面白いゲームが明日来るんだ。
子どもたちが思い思いに書いた頃、先生は「①をねずみだと思う人?」と、順に生徒に手を挙げさせました。答えが、かなりバラバラです。全部かいじゅうと答えた子どももたくさんいました。こんなに違った答えをする子に、どうするのだろうと思って、みていると、聞き終わった後で、「先生は、こう思うよ」と言って、その設問は終わって、次にいってしまいました。「あれ?」と、拍子抜けしました。たしかに、そうやって進めなければ、時間内に終わりそうもないのです。先日の「おれた ものさし」の授業でも、最後の「おまえがおったんだろ。これ」というせりふをみんなで大きな声で、そろえて言わせていました。そして、ベルがなる手前で、「これから勇気を持てる人?」と聞いて手を上げさせました。やはり思って通りだと思ったのですが、少し違っていました。手を上げたのは二人しかいなかったのです。こんな授業をしている先生が少しかわいそうになりました。
一方的に教師の話すことを聞いて、じっとしていなければならない小学生は、かわいそうですね・・・。
先生の授業の進め方や、話す内容によって、ただじっと時間が過ぎ去るのを待つか、面白く聞けるかは差があるでしょうが・・・。
道徳の時間といえども、一斉に全員に同じことをさせるのではなく、グループごとに違う課題を与えるとか、日によってそのグループのリーダーを変えるとか、全員が参加できる方法というものは、できないものなんでしょうか?
私は教師ではないので、システムがよくわかりませんが、あまりにも、マニュアル通りというか、遊び心もなく、形式どおりというか・・・、教育要領に沿いながらも、幅のあるやり方って出来ると思うのですが・・・。
どーなんでしょうかねえ?
あー、やっぱり、道徳の授業、でしたか。お・つ・か・れ・さまでした。私たち保育関係者は、小中高の先生方とさまざまな意見交換を行いながら保育教育一体となった子どもたちの明日づくりのお手伝いをしていかなければならないと思いました。21世紀という時代にありながら「先生はこう思うよ」で終わってしまう現実。先日学習発表会を終えた小学校5年生の、何ともシラケタ感想を聞いて、こりゃ、学校教育、ほぼ失敗だべぇ、と思ってしまいました。そして、何とも無駄なことをやっていると気付いているのは、授業を受けている生徒たちなのかもしれません。そして、その事実に本当は気付いているのに、こんな授業をしなければならない教諭の皆さんに心から御同情申し上げます。保育園幼稚園が変わる道筋ができたら今度は小中高が変わる道筋の提案ですね。藤森先生にはもう一肌、二肌ぬいて頂いてご尽力頂かないと、保育園で折角できるようになったのが、また振り出しに戻れ、となります。藤森先生、ますますスケジュールがタイトになりますね。何卒、ご自愛下さいませ。
先日のブログを読んで、道徳の授業の結果が気になっていました。「ねずみ」と「かいじゅう」と「さわやかさん」の授業の話はなんだかがっかりしてしまいました。子どもたちはこの授業をどのように感じたのでしょうか。
今日のブログは特にあれこれ考えてしまいました。子どものこと、先生のこと、学校のこと、教育のこと。考えていたら頭が痛くなってきました。すっきりしないことばかりです。
道徳の授業ですか・・・そうだとはなんとなく思ってはいましたが、なんだか子どもに受けさせたくないです。
本音と建前が世の中ありますよ、と公の場で教えているようで、ここでは学校では道徳ではこう、答えるべき、という発想になってしまいそうです。
もっともっと、子ども達の声を聞いて欲しいです。
このまえ家の園の芋ほり遠足の日に、朝泣いて嫌がる(お母さんと離れるのが嫌だったらしい)年長さんがいました。
いろいろ押したり引いたりしたのですが、私もお手上げ。お母さんもこちらにまるなげ、でもやっぱり連れて行きたいな~と思い、困り果てて‘そうだ!困った時は子ども達に聞けばいい’と
「○ちゃん、どうしようか?」と尋ねるといろんな意見がでました。
聞いてよかったです。大人が考えつかないような案をだしてくれました。
なんでも大人が判断、決断、するだけでなく、子どもにもどう思うか考えてもらうこと。
考えに間違いや正解なんてないのだから。
人との向き合い方はまずそこにあるように思います。
●「う~ん」ですね。“根は深い”という感想です(5月頃、本園の先生に1年生の授業参観にいってもらったことがあります。良い授業と、先生のペースだけで進める授業かあった、との報告でした)●いま、世の中こぞって、学校を外から数字で現わされる部分(学力、外部評価など)に競争原理を導入して“改革だ”と言っている感があるのではないでしょうか。しかし、教育の大切なところは、数字では表せない、今日のブログのような、先生が行なっている日々の「授業の内容」だということがわかりました●“授業内容の改革”が教育改革の目指すべき本当の“改革”なのかもしれませんね●まずは、本園でも先生方が“子どもたちが興味関心をもって活動するような教育方法をしているか”の検証ではありますが…。(自戒をこめて)