裾模様

広島県廿日市市吉和のウッドワン美術館に行きました。この美術館は、平成8年に木質建材メーカーである株式会社ウッドワン(旧 住建産業)の所蔵する美術品約800点が展示されています。場所は、標高600mの高地の広島県北西部の西中国山地に位置し、原生林の残る自然豊かな好環境にあります。森林・小川・澄んだ空気の中で、周りを見渡すと、その所蔵品である絵画よりも美しいかと思われるほどの山々が見えます。このあたりの山は、広葉樹が多いことと、その種類がさまざまなので、紅葉の濃淡があり、それが夕日に映えてとても美しい姿を見せています。麓のほうは色の濃いかえでの木があり、それが山の裾の模様に見えます。近くに流れる川には、その赤いもみじの葉や、黄色く色づいた葉が浮かんでいます。という情景は、まさに4年音楽の歌唱教材にある「もみじ」(文部省唱歌・高野辰之 作詞)の歌詞そのものです。
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(1)秋の夕日に 照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に 松をいろどる 楓や蔦は 山のふもとの 裾模様
(2) 渓の流れに 散り浮く紅葉 波に揺られて 離れて寄って 赤や黄色の 色さまざまに 水の上にも 織る錦
この歌は、1911年、『尋常小学校唱歌(ニ)』に発表された歌ですが、歌詞は、高野さんは、今は廃線になってしまった信越本線の碓氷峠の熊ノ平駅から眺めた紅葉の美しさをきっかけに作ったそうです。1番は、遠くから紅葉の山を見た様子が詠われていますが、2番では、もっと、もみじに近寄って、渓流にもみじが散って、それが流れている様子を詠っています。山の景色を裾模様に見立て、川に浮かぶもみじを錦に織られた模様と見立てています。昨日は、昨年のブログにも書きましたが、八王子市で「いちょう祭り」が行われていました。もみじと違って、いちょうは、美しい黄色い色を見せてくれます。先日行った「昭和記念公園」にも、ちょっとまだ緑の葉が多かったのですが、銀杏並木が続いていました。
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万葉集の歌に詠まれる「もみじ」は、漢字で書くと「黄葉」と書かれているものが圧倒的で、「紅葉」はごくわずかです。その理由として、「奈良時代には黄色く色づくものが注目されたためだ」、という説がありますが、否定的な説もあります。黄葉(もみち)を詠んだ歌は100首を越え、「万葉集」には76首あるなかで、紅葉を詠んだものは6首だけです。つまり、この時代は、黄色の葉の方が好まれていたようですが、赤い色はとてもいきれいだと思うのですが。先日、津和野で、「にしきぎ」という木を見つけました。
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今の時期、この木は、真っ赤に紅葉しています。この木は、秋の紅葉が美しいことから漢字で書くと、「錦木」と書きます。また、晩秋に赤い実をつけた姿は風情があり、野鳥たちも好んでこの実をついばみにやって来ますが、やはり、なんと言っても葉の赤くなった様子が好まれるようです。また、山錦木(やまにしきぎ)は、真弓(まゆみ)壇とも書きます。樹質は硬いが柔軟性があるので、昔この木で弓を作った事から「真弓」になったそうです。赤や黄色の美しい秋ですが、こんな小宇宙を表現したものに、「盆栽」の世界があります。やはり、昭和記念公園で、秋の盆栽展が開催されていました。ここは、1年中盆栽が展示されている場所ですが、その季節ごとに展示が変わり、今は、見事に日本の秋の風景を表現しています。
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プロキオン

 先日、羽田空港で滑走路を眺めていると、そこに待機している飛行機の前の方に小さな犬の絵と「Procyon」という文字が書かれていました。
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 「B777」シリーズという、ボーイング社の最新鋭機があります。JALでは、このB777シリーズに「スタージェット」という別名がつけられており、1機ずつに星の名前が付けられています。例えば、「シリウス」「べガ」「アルタイル」「ぺテルギウス」「プロキオン」などあるそうです。これらの名前は「STAR JET」と共に航空機材の横にプリントされています。ですから、もちろん「Procyon」は、そばの絵にあるように、こいぬ座α星の「プロキオン」のことです。この星は、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウスとともに冬の大三角形を形成しており、冬の代表的な星です。この星は、太陽との距離が11.4光年しかなく、1等星としてはシリウスに次いで近い恒星です。その大きさは、太陽の1.86倍もあります。この星の名前の「プロキオン」とは、「プロ」という「前に」という言葉に、ギリシャ語で「犬」という意味の「キオン」がついたものです。ということで、プロキオンとは「犬の前」という意味で、おおいぬ座のシリウスに先駆けて東の空から昇ってくるということです。おうし座のある恒星のアルデバランという名前は、アラビア語のアル・ダバランに由来していますが、これは、「後に続くもの」という意味であり、アルデバランが東の地平線から昇ってくるときに、プレアデス星団の後に続いて昇ってくることからその名前がつけられています。日本でも、後星(あとぼし)、統星の後星(すばるのあとぼし)と呼ばれています。プロキオンとは、その逆の意味ですね。このプロキオンに続いて上ってくるのが、おおいぬ座の「シリウス」です。シリウスは白色でギラギラと輝いて見えますが、全天で最も明るい-1.4等星の恒星です。普通の1等星よりも2ランク以上等級が明るいので、他の1等星と比べてみてもすぐにシリウスだとわかります。シリウスは、ギリシャ語で「焼き焦がすもの」という意味です。この星が明るいのは、質量が太陽の2倍、直径が1.7倍、明るさが40倍というだけでなく、シリウスまでの距離は8.6光年しかなく、非常に地球に近い恒星だからです。しかし、誕生してから数億年しか経っていない若い星ですが、今後5億年以内に燃え尽きてしまうのだそうです。(太陽の寿命はあと50億年といわれています)
 この「おおいぬ座」「こいぬ座」の二つの星の神話はいろいろありますが、最も一般的には、おおいぬ座はオリオンの猟犬で、オリオンがこの犬を連れてウサギ(うさぎ座)を追いかけているところとか、あるいは、雄牛(おうし座)を追いかけているといわれています。ローマ神話では、おおいぬ座はエウロパの番犬でしたが、大神ユピテルがエウロパ(ギリシア神話ではエウロペ)を誘拐するのを防がなかった功績を称えて、ユピテルにより星座にされたといわれています。「こいぬ座」のほうは、残酷な話です。アクタイオンが、猟犬メランボスを連れて狩りをしていたところ、泉で狩りの女神アルテミスが水浴びをしているのを目にしました。自分の裸を見られて怒ったアルテミスは、アクタイオンをシカの姿に変えてしまったのです。それが自分の主人の姿だとは知らない猟犬メランボスは、アクタイオンをかみ殺してしまいました。この猟犬メランボスの姿が「こいぬ座」です。冬は、星座が見つけやすいので、子どもに星の世界を教えるのにはよい季節かもしれません。

鹿

 昨日の夜は、六日市町のログキャビンを貸切りにして、園長ほか有志で、懇親会を開いてもらいました。そのログでは、囲炉裏を囲んで、「鹿肉」の焼肉をご馳走になりました。他にも猪の肉や鴨肉を食べたのですが、特に鹿肉はとても肉が柔らかく、美味しい肉でした。そういえば、ここ六日市町は、「島根県鹿足郡(かのあしぐん)」です。「鹿の足」と書くのです。どうしてそんな名前がついたか、地元の人に聞けばよかったのですが、たぶん、鹿が多く住んでいたのでしょう。そういえば、車で走っていると、近くには、「鹿野町」という町もありました。ここは、都濃郡にありますが、やはりこのあたりは鹿が多いのだと思いました。そういえば、鹿児島の名の由来は、野生の鹿の子が多く生息していたからと説があります。しかし、意外なことがわかりました。この鹿足郡は、島根県の西の端に位置し、日原町、津和野町、六日市町、柿木村の3町1村からなる山間地です。鹿足郡というのは聞いたことがなかったのですが、あの有名な、「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれる津和野があるのです。
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今日の午前中に案内してもらった津和野には、時期的には終わってしまっていますが、つわぶきの黄色い花がその名残をとどめていました。鯉のいる堀のあるこの町を歩いていると、なんとなくあることを思い出します。戦国時代末期、亀井武蔵守茲矩が鳥取県の鹿野城主となり、戦乱を乗り越えながら築き上げた小さな城下町が、鳥取県鹿野なのです。しかし、その町づくりはすぐに終わってしまいます。それは、2代目である政矩が、この津和野へお国替えとなったのです。なんだか、この島根県にある鹿野町に関連がありそうです。それをさかのぼると、さらに「鹿」つながりが見えてきます。島根県の月山の麓に、尼子氏の重臣の子として「山中鹿之助」という人が生まれます。尼子氏は、そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いの毛利軍によって次々に支城を攻略され、ついに、白鹿城(島根県松江市)に落ちますが、ついに落城してしまいます。この城にも「鹿」がついていますね。そのとき何とか生き延びた鹿之助が、尼子氏の再興を三日月祈ったのが、講談などでよく知られている逸話で、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」というものです。この尼子氏の家臣の娘の子が、鹿野城主であった亀井茲矩なのです。話は少しずれますが、この亀井茲矩の子孫が衆議院議員亀井久興で、兄・吉助の子孫が衆議院議員亀井静香だそうです。というのは、どうでもいいのですが、なんと、島根県生まれの「山中鹿之助」の仕えていた尼子氏が滅びたのが「白鹿城」で、そのあとその家臣の娘の子が鳥取県「鹿野城」城主になり、その子が津和野城に移り、そこが、「鹿足郡」であり、近くに同じ「鹿野町」という名前の町がある、となると、ただ、鹿が多いからとはいえない気がしますね。これらは、まったく関係がないかもしれませんが、鹿の肉を食べたことから、このように次々に妄想を膨らませていくことが歴史の面白さかもしれません。世界史の未履修で問題になっていますが、もし、歴史をこのように次々に関係付けていくというロマンを学ぶことだとすれば、未履修のほうが損をすると思いますが、今の議論は、しかたなく世界史を学んだ学生のほうが損をしたと思われています。学問は、損得だけですることではないと思うのですが。

晩秋

 日本という国は、季節の変わり目ごとにつくづくいい国だと思いますね。あまり広くない国土の中でも、それぞれの地方独特の気候があり、季節ごとの変化があるのです。私が、大学のときに、卒論でなぜ「学校建築」をテーマにしたかというと、列車に乗って窓から外を眺めていても、飛行機から下界を見ても、すぐにわかる建物が、学校だったので、それはおかしいと思ったことがひとつの理由でした。しかも、小、中、高校の区別もわかりやすいです。建物もわかりやすいのですが、その建物に付属している施設(体育館、校庭、プールなど)や設置されている遊具(鉄棒、サッカーゴールポストなど)は、日本中どこに行っても、ほぼ同じです。外国に行くと、どれが学校かわからないほど町に溶け込んでいます。それは、設計の意図だけでなく、町なかでは、たぶんセキュリティーの問題から、なるべく目立たないようにしているか、地方に行くと、校庭が芝生になっていて、その周りには柵がめぐらされていないため、公園のように見えるからです。日本では、こんなに地域による季節感も違うのに、どこでも同じというのはおかしいですね。確か、明治時代に文部省が学校建築の統一モデルを出したときに、北側廊下、南側教室としたら、宮崎県から南に教室なんか置いたら、暑くて授業などできないのではないかという苦情が来たのですが、いや、全国は統一するものだということで押し切られたと聞いています。この考え方が、もしかしたら、今の「いじめ」につながっているのかもしれませんね。
今頃の季節、晩秋の十一月は、冬の訪れを感じさせる冷たい雨が降り、弱い木枯らしが吹きはじめます。しかし、それもすぐにおさまり、また、柔らかい日ざしがさしこむ暖かい日が二、三日続きます。このような日を昔から私たちは「小春日和(こはるびより)」と呼んでいます。なんとなく、ほんのりと暖かなイメージがあり、心が癒され、日本語の表現力のすばらしさを感じますね。最近、テレビコマーシャルでも「小春日和は、春の日のことではありません!」というのをやっていますが、「小春」とは旧暦十月の呼び名です。今の暦で言えば十一月から十二月のはじめごろにあたります。明日は、冷たい雨が降るようですが、今日のような天気のことを言うのでしょう。(東京では)小春日和の天気をもたらしているのは移動性高気圧といって、大陸の気団(揚子江気団)が日本の上空を吹く西風にのって、日本列島をおおうことが原因です。ただ、このよい天気は長続きせず、そのあとに続く低気圧のために冬の前ぶれの冷たい雨が降り、弱い木枯らしが吹きます。このくりかえしで季節はだんだんと冬に向かうのです。実はこれと同じ移動性高気圧におおわれる天気は、春にもあります。春の場合はお花見日和の天気や五月晴れの天気をもたらします。この小春日和というなんだかあいまいのような気候は、いかにも日本らしいのですが、実は、日本だけでなく中緯度の国や地方にも同じようにあるそうです。それぞれの地方でも、やはり、このような天気には、独特の名前がついています。アメリカでは「インディアンの夏」、ドイツでは「おばあちゃんの夏」とか呼んでいて、春ではなく必ず夏ということばがつきます。日本は海で囲まれていて湿度が高い日が多いのにたいして、アメリカやドイツでは乾燥した、からっとした天気になるので春よりは夏というイメージがあるようです。なんといっても、小さい春という表現がやはり好きです。

便利

 昨日、新宿から高田馬場まではJRの山手線で行ったのですが、新宿までは、京王線です。東京には、さまざまな電鉄会社があります。そして、それぞれの路線には、速さの違うさまざまな種類の電車が走っています。しかし、速さが違うというのは、スピードが違うということではなく、止まる駅が違うので、よく知らないと、乗るときに厄介です。おなじJRでも、路線によって違います。たとえば、東京駅から高尾駅まで走っている「中央線」だけでも、いろいろな種類があります。「中央ライナー」は、東京・新宿~高尾間、「青梅ライナー」は、東京~青梅間を結ぶホームライナーで、ライナー券が必要です。「通勤特快」は、平日朝のみの運転で東京行のみの設定です。料金不要の列車では最も停車駅が少ない電車です。略称「通特」と呼びます。そして、「中央特快・青梅特快」は、いわゆる特別快速であり、略称「特快」といいます。「通勤快速」は、平日夕方から夜間下りのみ、特快に代わって運転されています。「快速」は、中央快速線の基本列車です。そして、「各駅停車」と呼ばれているものは、早朝と深夜は、三鷹から御茶ノ水まで並行して走っている総武線との直通運転がないため、快速線の電車が各駅停車として運行されます。この路線で走っている中央本線の定期列車として、特急「スーパーあずさ」「あずさ」「かいじ」があります。特急は、特急券が要ります。これらの電車が、どの駅でどの電車に接続し、どの電車に抜かれ、どの電車が一番早く着くかを考えます。当然、私は、よく乗るので、一番早く行くのには、なにに乗って、どこでなにに乗り換えて、どれに乗っていけばよいかわかります。また、少し時間があるときは、なにに乗ればよいか、楽に行くには、座っていくには、乗換えが少ない場合はといろいろと行くときに考えます。しかし、昨日は、全国から園に見学者が50名くらい来たのですが、地方から来ると、きっと、どの電車に乗ったらいいか迷うでしょうね。それは、JRにこれだけの種類の電車があるだけでなく、ほかの会社の路線では、呼び方も、乗る列車によって料金が違う場合があるからです。私も、地方に行くと、特急などに乗るときに、別に料金がいるのか迷います。また、その列車は、行き先の駅に止まるのか心配になります。たとえば、いつも乗る「京王線」では、「特急」「準特急」「急行」「通勤快速」「快速」「各駅停車」があり、すべて、特別料金はありません。そして、下り電車は、途中から、行き先が3路線に分かれますし、上り電車は、都営地下鉄に乗り入れているのです。普段は、何気なく乗っていますが、いろいろな選択肢がありますね。ほかの会社の路線でも、さまざまな呼び方があります。小田急では、「特急ロマンスカー」は特急券がいりますが、ほかにも「快速急行」「急行」「多磨急行」「準急」「区間準急」「各駅停車」があります。羽田空港に行くときに乗る京浜急行では、「快特」「特急」「急行」「普通」とあり、いつも乗っている京王線のイメージで、一番早いのは特急かと思ってしまいます。また、西武線は、乗りなれていないとややこしいです。というのは、西武新宿と西武池袋線があり、その路線が途中でクロスするのです。また、種類も、西武新宿線では、「特急レッドアロー号」「快速急行」「急行」「通勤急行」「準急」「各駅停車」ですが、西武池袋線では、そのほかに、「快速」「通勤急行」「通勤準急」があり、有楽町線直通もあります。たぶん、これらがあると早く目的地に着くことができたり、混雑が緩和したりするのでしょうが、皆さんのコメントではありませんが、便利になることが、ゆとりを生むのではなく、ゆとりをなくしている気がします。

山手線

 今日、園から高田馬場駅まで行きました。そのときに乗っていく交通路線は、南大沢駅から京王線で新宿まで行き、新宿からJRの山手線に乗り換えて高田馬場駅まで行きます。山手線は、列車の速さによる区別はありません。みんな、各駅停車です。ただ、山手線に乗るときにややこしいのは、山手線では環状運転のために、上りとか下りとかは言いません。その代わりに「外回り」「内回り」といいます。複線のうち、環状線の外側の線路を時計回りに運行するものが外回りと呼びます。たとえば、新宿から池袋に行き、上野から東京、品川、渋谷と回って新宿に戻るルートです。逆に、内側の線路を反時計回りに運行するものを内回りと呼びます。なれないとややこしいかもしれません。あと、よく間違えるのが、山手線内の田端駅から品川駅までの間は、京浜東北線と並行して走っており、その間は、複々線として機能しています。このうち田端から田町間では、方向別配線となっており、同じホームで、反対側(京浜東北線が外側で、山手線が内側)に行くことでお互いの路線に乗り換えることができます。呼び方も、元来は「やまのてせん」だったのですが、私が子どものころは、山手線を「やまてせん」と言っていました。それは、戦後GHQの命令に従い、各路線名にローマ字を併記した際に、山手線に「YAMATE」とローマ字を振ってしまったため、「やまてせん」という読み方が一般に定着し、「やまのてせん」という読み方は死語となっていました。しかし、群馬県内の吾妻線(あがつません)が開通するときに、この吾妻線を「あづません」と読まれないようにするため、国鉄では全路線の線路名称にふりがなを付することを決定し、山手線には「やまのてせん」というふりがなを振ったのです。それは、国鉄当局が、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいこと、もう一つの理由として、根岸線に山手駅(やまてえき)が存在しており、混同を避けるために「やまのてせん」にしたのです。今日、この山手線に乗るときに、ホームにあがるとちょうど止まっていたのですが、急いで飛び乗ると危険だと思って次の電車まで待つことにしたのですが、何人も飛び乗っていきました。先日、乗るときに手を挟まれた人がいました。その人の悲鳴で、みんな息を飲みました。そばにいる人が急いで、ドアをこじ開けて手を抜いてあげようとしたら、なんと、手を抜き取らないで、こじ開けたドアから、体を差し入れてきました。そして、無理やり入れたために、車掌がもう一度ドアを開けました。すると、開けた瞬間にホームにいた友達を呼んで、中に招き入れました。そして、乗り込んだ車内で、しゃあしゃあと、「うまくいったね!」と言うではありませんか。呆れてしまいました。この山手線は、平日の朝の東京駅の発着本数は、なんと、7時台で、内回りが21本、外回りが19本、8時台では、内回りが23本、外回りが23本もあるのです。ほぼ3分おきに来るのです。1台乗り過ごしても3分待てば来るのに、なにをそんなに急ぐのでしょうね。もしかしたら、急いで、どうしても乗り込みたい人は、2,3時間に列車が1本しか来ないような場所に住んでいた人なのでしょうね。東京の人は、そんなに、その電車に乗れるかどうかは、問題ではないと思うですが?? 駅に着いたときに、あせって乗り込む人を見るたびに、そう思ってしまいます。

年代による名前

昨日は、ズックという言葉を使いましたが、今は、その言葉は死語になりつつありますね。「68年のメキシコ五輪」で、デザイン性の高い運動靴が登場し、スニーカーという呼び名が広まりました。さまざまなものの呼び方で、出身地が推測できるということを以前のブログで書きましたが、今年の9月の毎日新聞に、呼び名で、その人の年代がわかるという記事が掲載されていました。よく例に出されますが、「今日はパンツをはいてくれば良かった」と聞いて、あせるのは、大体1970年以前の生まれだそうです。そのころは、パンツと言えば下着のことだったからです。今は表着(うわぎ)の意味でも使われます。それは、60年代に登場したジーパンすなわちジーンズパンツの影響だといわれています。本当に英語でそういうか、外国ではそう言うかに関係なく、移り変わりが激しいアパレル(衣料・既製服業界)では、ファッション的な意味からでも新しい言葉を使うようです。特に、アパレル言葉の転換期は、60年代だといわれています。スニーカーもそうですが、このほか、衣類系では「チョッキ」と「ベスト」、「バンド」と「ベルト」、「チャック」と「ファスナー」、「ジャンパー」と「ブルゾン」、「トレーナー」と「スエット」などがあります。それぞれ、どのようないきさつから変わってきたのかわかりませんが、新しいほうの言葉を使わないと、なんだか年寄りくさく、若い人に馬鹿にされそうなので、新しぶりながら使っているうちに、その言葉に変わっていくという要素が強い気がします。たとえば、「トレーナー」という言葉にしても、それは英語ではなく、はVANの創業者の石津謙介さんの造語です。同様に、「チャック」は、「巾着」から来ている和製語だということは知られていますね。このように流行に敏感な業界では、常に新しい言葉が生み出されています。
この言葉の変化は、使い慣れた商品名にも影響しています。暑い季節に汗やあせも予防に使う白い粉のことを、かつては「天花粉」と呼び、年代を経るにつれて「シッカロール」と呼んでいましたが、今は「ベビーパウダー」が主流です。天花粉と呼ぶのは、主原料はウリ科のキカラスウリの根で、本来は、シッカロールとは成分から違い、1703年に書かれた「小児必用養育草」という書物に記載があるように歴史はとても古いようです。それに比べて、シッカロールという言葉は、ベビー用品メーカー、和光堂の商標で、1906年に発売されたものです。鉱物のタルクなどが原料で、ラテン語で「乾かす」という意の「シッカチオ」から名付けられています。製品名に一般名詞の「ベビーパウダー」を使っているジョンソン・エンド・ジョンソンによると、ベビーパウダーは1890年に同社が世界で初めて発売し、日本に入ってきたのは戦後の1958年だったので、60年以降に生まれた人が多く使うそうです。
 また、料理の呼び方も、時代で変わってきました。「スパゲティ」といえば、ナポリタンとミートソースというイメージですが、最近はさまざまな種類が現れ、練った小麦粉製品の総称であるパスタが一般的になりつつありまする。また、「いり卵」も「スクランブルエッグ」、「ビフテキ」も「ステーキ」が一般的になりました。これらの変化は、名前だけでなく、その食品の持つイメージも変えます。名前を時代によって変えるだけでなく、本来そのものの持っている機能も大切にしてほしいですね。

いなかっぺい

 皆さんは、「いなかっぺい」といって、何を思い浮かべるでしょうか。普通に使う言葉としては、今は、差別用語として使わなくなりました。私は、東京生まれですので、みんなは、よく子ども同士でけんかをするときなど、相手をけなす言葉として使っていました。ですから、今でも心が痛む思い出があります。中学の修学旅行で京都・奈良に行ったとき、修学旅行列車「ひので号」には、2校が乗り込みました。私たちの中学校は、千代田区立でしたが、外を歩くときには、革靴でなければいけませんでした。(ひとつには、構内履きと区別するために)その列車に乗っていたもう1校は、やはり都内の公立校だったのですが、靴はいわゆるズック(今で言うスニーカー)だったのです。ですから、列車の境目に乗っていた同級生たちは、相手の中学生に向かって、「いなかっぺ、いなかっぺ!」とはやし立てていました。私が言っていたわけでもありませんでしたが、それを聞いていて特別に悪いことだとは思っていなかったので、申し訳なく思っています。それは、言った相手に対してではなく、なんだか、田舎の子のことをけなしているように感じるからです。子どもは、特別に差別的な意味を持っているわけではありませんが、「おまえの母ちゃん、でべそ!」と言ったりしたものでした。今でも、子どもたちは、けんかをしたときなど、相手をけなす言葉を言うことがあります。そのなかで、人格を否定したり、本人のせいではないものであったり、他の人を差別的にあつかうような言葉は、大人として使わないようにしたいものです。子どもたちは、始めはそんなに悪気ではなく使うことも多いのですが、大人の言葉を真似し、それが次第に刷り込みになっていくからです。
 また、少し硬くなりましたが、この「いなかっぺ」という言葉を思い出したのは、先日八戸に行ったからです。地元の人たちは一緒にされるのを嫌がりますが、私は、八戸も青森県なので、どうして津軽地方も一緒に考えてしまいます。ということで、思い出すものに青森出身の柔道少年『いなかっぺ大将』があります。これは、川崎のぼる原作の少年漫画作品で、通称「大ちゃん」が、赤い越中褌に、風呂敷で作った袴をトレードマークにして、修行に励むつもりが、いつもずっこけてばかりの日々を続けているというはなしです。もうひとつ、伊奈かっぺい(いな かっぺい)という、青森県弘前市生まれの、津軽弁を愛する根っからの津軽衆であるタレントがいます。「いなかっぺい」というと、そんなイメージですが、越川禮子さんの「江戸の繁盛しぐさ」には、こう書かれています。「井戸の中の蛙は世間知らずで何でも自分が一番と思い勝ち。そういうことでは世間は渡れないよ、と戒めて呼んだのが『井蛙っぺい(せいあっぺい)』だ。『いなかっぺい』は、この井の中の蛙がもとだという。つまり、学歴、職業、地位などで差をつけたがる根性の人をさしている。」そうだったのです。「いなかっぺい」は、田舎の人のことではなく、井の中の人のことを言うのだったのです。もし、そうであったら、その言葉をけなし言葉として使ってもよいかもしれませんね。ですから、今は、差別用語なので使わないのではなく、誤解されやすいので使わないのだそうです。人の人格を否定するようなけなし言葉がいけないというと同時に、人の人格を見ないで、外側の姿を見て人を判断するのもいけないことだということも子どもたちに伝えていきたいですね。

猪苗代と磐梯山

 昨日の講演が遅くなったので、会津に泊まることにしました。しかし、会津若松の宿は、土曜日ということもあって、なかなかいい宿がありませんでした。そこで、猪苗代に泊まることにしました。駅からのタクシーで数分のところでしたが、数メートル先も見えない濃霧の中を走ったので、ずいぶんと山の中まで来たという感じでした。濃霧だけでなく、雷も鳴っていました。タクシーの運転手さんは、「最近、どうも、変な天気ですね。」と、声をかけてきました。着いた宿の部屋はとてもこぎれいで、なんと、部屋の中に囲炉裏がありました。もちろん、今日は使えないのですが、囲炉裏のある部屋に泊まったのははじめてです。そんな部屋で今朝目覚めて、部屋の窓の障子を開けて見ると、空は青空で、目の前に猪苗代湖が広がっています。
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写真を撮ろうと思ったのですが、少し雲があったので、もう少し晴れてからにしようと思っていたら、みるみる雲が広がり、薄暗くなってきました。そのうちに雪が降り始め、吹雪のような降りです。宿の人たちが、雪だ雪だと騒いでいるうちに、頭の上が明るくなり、今度は、また霧が広がり始めました。それほど山の中ではないのに、次々に変わる天気に驚いていると、テレビでは、竜巻のニュースをやっています。昨日の食の問題ではありませんが、もう一度、いろいろな生活を見直していく時代かもしれません。いじめにしても、校長が謝ったからといって、文科省が調べさせてみたところで、連鎖的に起きてきています。「裕福」になった代償を払わされ始めているのでしょうね。
猪苗代という名は、その字を見ても面白いですが、そのいわれははっきりしていません。字のとおり、磐椅明神が昔、野猪に苗代を耕作させたのでそう呼ぶようになったという説や、イナワシロはアイヌ語だという説などがあります。しかし、稲作農業と深い関わりがあったことだけは確かなようです。いまから1万年前頃にはすでに湖畔には先住民が住んでいたと想像されています。猪苗代湖での魚介類や山奥の渓流にも魚影が多く、狩猟は広大な山麓を中心にして行われ、谷間に追い落とす巻狩りや湖沼に追い込むなどの方法で動物を捕獲し、食肉や衣服に利用したものと思われます。自然豊かな原始時代にあっても磐梯山周辺は格別に食料獲得が容易だったのでしょう。広い山麓を提供している磐梯山は、天高くそびえ立つ岩(磐)のはしご(橋)にたとえられ「いわはし山」と呼ばれていました。
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また、宝の山という別名もあります。この山を歌った民謡の、このフレーズを思い出します。「小原庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした もっともだ もっともだ」この庄助さんは、どんな人かはっきりしませんが、朝湯はともかく、朝寝と朝酒で身上つぶしたのではなく、体を壊した気がします。今の子どもにたとえるならば、土、日、ハッピーマンデーは、「朝寝、朝ファストフード」で、体を壊したということになるでしょう。土、日に、学校が休みになって、ゆとりがなくなっただけでなく、子どもたちの生活が壊れた気がします。理想のように、休みの日に家族で博物館などに出かけるどころか、前日は遅くまで起きていて、休みの日は、遅くまで寝ているような生活リズムが乱れていることが多い気がします。日曜礼拝がある欧米と同様、休みの日に、子どもを受け入れる社会システムが必要でしょうね。

食育

 今日は、珍しく「食育」についての講演をしました。食育基本法が、平成16年の第159国会に提出され、平成17年6月10日に成立したので、最近は、その研修が多くなりました。しかし、もともと「食育」とは、消費者に対し、「食」の安全に関する知識、「食」の選び方や組み合わせ方などを教えることです。ですから、園や学校での取り組みだけではなく、国民運動のひとつです。しかし、「食育」という言葉は、我が国では明治時代以降、体育や知育とならぶものとして用いられてきました。また、出版物などでは、1898年に石塚左玄が、「通俗食物養生法」の中で「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべき」といっています。また、1903年の報知新聞連載の人気小説「食道楽」の中で「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも、食育が先き。体育、徳育の根元も食育にある。」と、「食育」について記述しています。ということから、食育なしでは健全な心身を育むことができず、他の教育も身につけることはできないという考え方があるので、学校とか園での取り組みが中心になっているのです。もちろん、食べることは重要なのはわかりますが、「食育」となると、ただ食べることが大切というだけではないはずなので、何をすることなのでしょうか。食育基本法では、食育を「知育」「体育」「徳育」という三つの教育の基礎と位置付けています。そのうえで、食に関する知識と、選択する力を身につけ、健全な食生活を実践することができる人間を育てると規定しています。こうした基本理念を踏まえ、(1)国民の心身の健康の増進と豊かな人間性の形成(2)食に関する感謝の念と理解(3)食育推進運動の展開(4)子どもの食育における保護者、教育関係者の役割(5)食に関する体験活動と食育推進活動の実践(6)伝統的な食文化、環境と調和した生産などへの配意および農山漁村の活性化と食料自給率の向上への貢献(7)食品の安全性確保などにおける食育の役割――の七つの観点から、家庭、学校、保育所、地域などの役割を明記しています。はっきりいって、よくわかりません。まず、前提の「食に関する知識」と「選択する力」とどう関係するのでしょう。選択するために知識が必要だというのであればわかるのですが。「力」となるとわからなくなります。結局は、本文の中の第二十五条の「国及び地方公共団体は、すべての世代の国民の適切な食生活の選択に資するよう、」ということのようで、「食に関して根拠のない情報が多過ぎて「何を選択したらいいか分からない」といった悩みや、牛海綿状脳症(BSE)やO―157、鳥インフルエンザの発生などによる食品の安全性に対する不安もあります。」しかし、何を選択したらいいかをわからなくしているのは政府で、私たちにその力を付けろというのは、なんだかへんです。など、どうも屁理屈を言うことが多くなりました。ただ、確かに最近の「食」文化は変になってきています。そのひとつに、五つの「こ食」があります。(1)孤食(一人で食べる)(2)小食(食べる量が少ない)(3)個食(自分が好きなものをおのおのが食べる)(4)粉食(スパゲティやパンなど粉を使った主食を好んで食べる)(5)固食(固定された自分の好きなものしか食べない)です。こ食も、ずいぶんと幅広くなったのですね。また、十代女性の七〇%がダイエット願望をもち、朝食を食べない子どもは二〇%もいます。確かに問題ですが、この問題は、食育の問題というよりは、生活の持ち方であったり、人としての生き方の問題でしょうね。