押しくらまんじゅう

 以前、ある取材で、子どもたちの冬の遊びには何があるか聞かれたことがありました。そのときに先方が出した例として、「たとえば、押しくらまんじゅうとか」といわれたと言われたときに、なんだか懐かしい気になりました。そういえば、今の子は、押しくらまんじゅうはしませんね。よく、寒い冬の間、体を温めるために「押しくらまんじゅう!押されて泣くな!」と大きく声を掛け、何人もの子どもたちが体を互いに押し合って、元気よく遊びました。すると、体がほかほかしてきます。この遊びは、何のルールもありません。大勢で,ひとかたまりになって,押し合いへし合い,体のぬくもりを感じ合うだけの遊びです。道具もない、場所も要らない、人がいさえすればよい遊びです。場所も、必ずしも戸外だけでなく、戸外で遊べない時期には、学校の廊下や体育館でもしました。この遊びは、全国各地で見られたものでした。今、そのような冬の子どもの風物詩はあるのでしょうか。水谷・弘田が、この遊びの様子を活写して、歌にしたものがあります。この歌詞を読むと、そのときの遊びがイメージされます。「押しくらまんぢゅう」という題名です。(水谷まさる作詞)「押しくら、まんぢゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう。やれ押せ、そら押せ、  みんな押せ。押したら、寒さが 逃げてくぞ。押しくら、まんぢゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう。押してりゃ、ぽかぽか、あたたかい。出來たてまんぢゆう、けむが出る。押しくら、まんじゆう、ぎゆう、ぎゆう、ぎゆう。苦しい、いたいで、飛び出すな。つぶれた、まんぢゆう、しやうがない。」今、この歌詞を読むと、電車のラッシュを思い出しますね。この歌詞から、なんで「まんじゅう」なのか、なんとなくわかります。まず、一塊になることを「団子状態」というようにまんじゅうにたとえられます。また、湯気が立ち上ります。そして、下手に押すとあんこが飛び出すように、塊から押し出されてしまいます。みんな顔を真赤にして押し出されまいと頑張ります。ギュウギュウ押されて、はみ出された子は、また端の方から押し合うのです。ほかにも、「押つけもっこ こもこ 出たやつ あぶらげ」というような歌もあるようです。おつつけもっここもこ・・・」と声を合わせて叫びながら『おつけもっこ』をはじめます。古くは、「押しくら申そ」と歌っていたものが崩れて「押しくらまんじゅう」や「押つけもっこ」になったともいわれています。
 最近、他人に触られるのを嫌がる子が多くなりました。ちょっと触られただけでも、痛いと泣く子がいます。まして、押されでもしたら大騒ぎになることもあります。最近の脳科学の研究では、乳幼児期に、お互いに体を触れ合うことは、リラックス効果があるとか、脳の人間としての大切な前頭前野を育てるといわれています。これは、昔から言う「スキンシップ」です。ですから、子どもが小さいうちは、やたらとじゃれあって遊ぶとか、一緒に転がりまわるなど自然としているのでしょうね。それが、次第に触りあう遊びが少なくなってきて、一人遊びが多くなってきました。たとえば、鬼ごっこにしても、「手つなぎ鬼」などもあまり見かけません。このルールは、鬼は,つかまえた子と手をつないで追いかけなければなりません。鬼が3人までのときは1組,4人になったら2人ずつの2組に分かれて,追いかけることができます。ですから、鬼が増えるにしたがって、挟み撃ちをするとか、作戦が必要になります。また、チームワークが必要になります。知らないうちに人とふれあい、工夫をし、協力を知るなどまさに、脳の前頭葉が発達しそうですね。

玉川上水

 昨日のブログで、太宰治中期の名作『富嶽百景』のことを書きましたが、その太宰が、愛人、山崎富栄と玉川上水で入水自殺したのは1948年6月13日のことでした。太宰はそれまでに3回心中未遂をしており、これが4回目でした。最近、いじめを受けた青少年の自殺が目立ちます。どうも、自殺は、定期的に伝染していくようです。江戸時代から心中が話題になることがよくありますが、この太宰の自殺も、事件を知らせる16日の朝刊の記事の見出しには「太宰治氏情死行 愛人と玉川上水へ投身か」とあるように心中のように見えます。しかし、その記事の中の「虚無を慕いて…」というところをみると、愛人との自殺はきっかけに過ぎないようです。最近のいじめによる自殺も、確かにいじめられているつらさが原因でしょうが、それを教員への懲罰でやめさせようとするだけでなく、子どもの心に潜み始めている「虚無のこころ」にも目を向ける必要があるでしょう。
 太宰たちをのみこんだ玉川上水は当時、「人恋川」とも呼ばれるほど流れが激しく、溺れると「死体もあがらぬ魔の淵」だったそうです。今は、その流れを覆いつくさんばかりに緑がうっそうと茂り、その脇を川に沿って続く道は散歩にうってつけです。
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 今週の日曜日に、その玉川上水の脇を少し歩きました。夕方でしたので、次第に暮れていく中を、秋の終わりを感じながら歩くのは、季節を感じることができます。この玉川上水は、多摩川を水源とし東京都羽村市から新宿区四谷までを流れる用水路(上水)です。多摩川水系は現在でも東京の水源の1/3ほどを占めていて、かつては、多くが新宿区の淀橋浄水場まで送られ取水されていました。その淀橋浄水場も廃止され、今は都庁を中心とした超高層ビルが立ち並ぶ新宿副都心を構成しています。ですから、今は、大半が羽村第3堰で取水し、鉄管で東村山浄水場に送られています。玉川上水は、このあたりの人にはよく知られていますが、玉川兄弟がその工事を行いました。江戸時代、徳川幕府が永く続き、安定してくると江戸の人口はふえ、水不足が心配になりました。そこで、幕府は玉川兄弟に、多摩川から水道を引くことを命じました。兄弟は、それまでも幕府が行う土木工事などを担当してきましたが、これほどの大きな工事は初めてでした。水道を作るには、川を掘るという土木の知識が必要なことはもちろんですが、水を流すためには、多摩川と江戸の標高がどれほどあるのか、どのくらいの傾斜で川を作ればよいのか、どのような方法で傾斜を測るか、といった測量の知識が必要になります。多摩川の取り入れ口の高さと江戸の高さの差は、わずか100mほどでしたから、100m進んで、25cmほど下がる正確な川を作らなければなりませんでした。玉川兄弟は、このような正確な測量を夜中にちょうちんや火をつけた線香の束をともし、それを見とおして行ったといわれています。そんな難しい工事でしたから、何度も失敗をしています。はじめは、今の国立市の青柳から掘りだしましたが、途中で土地の高いところに掘り進み、水が流れなくなりました。2度目は今の福生市から掘りましたが、JR拝島駅の近くまできたとき、水が地面に吸い込まれ、流れなくなりました。何度もこんなんな目に会いましたが、わずか八か月で玉川上水と、そこから江戸の町々に水を引く水道工事を完成させました。兄弟の墓所は台東区内の聖徳寺にあります。ここも散歩の途中で立ち寄ったことがあります。
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霊山

 私は、新幹線で関西方面に行くときには、できるだけ新幹線の席は進行方向右側の窓側を取ります。その理由のひとつは、午前中に日が当たらないからです。もうひとつの大きな理由に、窓から見える景色があります。左側は、海が見えます。しかし、大阪までの間では、熱海あたりくらいしか見ることができません。それよりも景色として魅力があるのは、窓一面に現れる「富士山」です。しかし、なかなかよい条件で富士山が見えることはできません。ですから、余計に見ようと挑戦したくなるのです。先日、京都の帰りに久しぶりにきれいな「富士山」を見ることができました。新富士の駅の辺りです。
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「富士山」という山は、不思議な山です。私の自宅からも見えるのですが、違う場所で見るとまた感動してしまうのです。時代を超えて、日本文化に大きな影響を与えてきました。それは、多数の神社・仏閣、伝説・伝承、万葉集や江戸時代の絵画・俳句、伝統的芸能・工芸等広い領域にまたがっています。最近見た復元された銭湯の壁画にも富士山が描かれていました。
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日本人であればだれでも、その姿を描くことのできる程の特別なイメージを持つ山です。また、単に美しいものとして憧れるだけでなく、霊的な存在としても感じてきました。富士山は、有史以来、「浅間大神」あるいは「木花開耶姫命」の鎮座する「神の山・信仰の山」として崇敬されてきたのです。これはアニミズムと日本独自の神道が融合した、日本文化の中においてもなお稀な例です。南麓と北麓には国の重要文化財に指定されている富士山本宮浅間大社や北口本宮浅間神社が建っていますが、これらが祀るご神体はなんと富士山そのものです。このように精神的なものを感じるためか、その姿のイメージは、実際の姿と異なる場合があります。たとえば、富士山の姿を写真にとってみると、実際に思っていたよりも小さく、そびえ立っているようには写りません。また、中学生のころ、富士山を等高線により組み立ててみると、やはりあまりそびえ立ちません。私が中学生の勉強を見ていたころ、その中学生たちと高尾山の山頂付近で富士山の写生をしました。すると、そこを通りすがったカメラを抱えた人が、私たちが書いていた絵を見ながら、「富士山の姿は、写真ではなく、絵でないと表せないんだよなあ。」とつぶやいたのを聞いて、絵を描いていた中学生たちは、なんとなく誇らしく思ったものでした。
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私が中学生といっしょに写生した富士の絵
太宰治も「富嶽百景」の書き出しでも、こんなことを言っています。「富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。」やはり、同じことを感じているのですね。そういう意味でも、不思議な山ですね。

ベルギー

 今、国立西洋美術館で、「ベルギー王立美術館展」が開催されています。実は、あまり知られていませんが、ベルギーは、油彩発祥の地なのです。ヨーロッパ絵画といえば油彩画をさすことが多いのですが、これは15世紀のフランドル地方で開発された技法でした。精緻な細部描写と質感を描き分けることのできる油彩画の誕生は、ルネッサンスからバロックにかけて、イタリア絵画と並んでヨーロッパを席巻した「フランドル絵画」の基本的性格を規定することになる大きな出来事でした。その緻密な描写や豊麗な色彩は、当時のヨーロッパ中の貴族を熱中させたのです。ベルギーと絵画というと、「フランダースの犬」を思い出します。この話は、イギリスのウィーダの書いた童話ですが、物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)地方です。しかし、原作者がイギリス人ということで、ベルギーではあまり興味はなかったそうですが、ここを訪れる日本人がやたらとその場所がどこかと問い合わせたために、今は、ネロとパトラッシュの銅像が建てられたり、アントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置されているそうです。この話は、今でもテレビアニメの中で泣ける話としていつもベストワンにあげられるほど、とても悲しい結末で終わりますが、この結末が日本人は好きなようです。フランダース地方の小さな村に住む少年ネロは、ルーベンスのような画家になることを夢見ていました。しかし、火事の放火犯との濡れ衣を着せられ、コンクールで落選し、希望を失ったネロは、大聖堂の中に飾られたルーベンスの絵の前で愛犬パトラッシュと共に天に召されるという結末です。私の子どもは、小さかったころ、この話が嫌いでした。「なんで、お話で、わざわざ泣かなければいけないの!」と、怒っていました。自ら進んで、泣くような、悲しい体験をすることは考えられないと思っていたのでしょうね。実際に、アメリカで出版されている「フランダースの犬」では、内容に救いがなさ過ぎるとして改変が加えられています。この改変されたストーリーでは、ネロとパトラッシュは聖堂で死亡せず、ネロの父親も名乗り出てハッピーエンドを迎えることになっています。
 同じフランダース地方といえば、ここの出身であるメーテルリンクの「青い鳥」があります。この話もさまざまな解釈をされるストーリーです。よく知られているストーリーは、子ども向けなので、青い鳥を探した結果、最後には、青い鳥が身近なところで見つかったというハッピーエンドで終わっています。そこで、「幸せは身近なところにある。だから、その身近にある日々の幸せを大切にしよう」というメッセージとして解釈するのが一般的です。しかし、原作では続きがあります。もともとの原作は童話として書かれたものではなく、戯曲、つまり舞台用に書かれたものなのです。ですから、原作では違うメッセージを出しています。家にいた青い鳥も結局逃げてどこかへ行ってしまうところで話が終わります。そしてチルチルが、こんなせりふを観客に投げかけて終わります。「どなたか、もし鳥を見つけたら、ぼくたちに返していただけませんか?…いずれしあわせになるには、ぼくたちには青い鳥が必要なんですよ…」どことなく謎めいた終わりになっています。この結末は、皆さんは、どう解釈するでしょうか。

塔とタワー

先日、テレビで、リリー・フランキーの小説を原作にしたテレビドラマ「東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン? 」が放映されました。また、まもなくテレビ放送される映画に「ALWAYS 三丁目の夕日」があります。これは、建設中の東京タワーが劇中に登場します。私は、この映画を見ましたが(ブログに書きました)徐々に高くなっていく様子が正確に描かれています。今、ちょっとした東京タワーブームです。この東京タワーは、よく映画に登場します。そして、何度でも破壊されます。モスラの幼虫は、成虫になるためにここに繭を作り、怪獣ギャオスは巣を作りました。大怪獣ガメラやゴジラに破壊され、キングコングとメカニコングの決戦場となります。京都では、24日に市域全域で建築物の高さやデザインを規制する「新たな景観政策」案を発表しました。そこでは、建造物の高さ規制が強化されます。古い建造物が残っている京都では、ぜひ制限して欲しいと思っていますが、実は、人間というものは、昔から高いものにあこがれてきました。それは、バベルの塔に代表されるように、より天に近くなるからでしょうか。日本でも、この高さ制限をより強化しようとしている京都でも、五重塔に代表されるように、高い塔を作ってきました。そして、現代になると、天に近くなるというよりは、町を見渡す場所として、あるいはそれ自体がランドマークとして、その町の個性を浮かび上がらせるための建築になりました。東京、名古屋、大阪のそれぞれの都市には、その町のシンボルとして、東京タワー、名古屋テレビ塔、通天閣というそれぞれに個性豊かなタワーが立っています。しかし、高いものを立てるとなると、その構造が問題になります。高いと、倒れやすいからです。この三つの塔は今から約50年前に、一人の人物によって設計されました。NHKのプロジェクトXでも取り上げられたことがありましたが、設計者の名は内藤多仲というひとです。地震の多い日本の耐震構造理論を躍進させた人物で、建築の中でも構造が主役となる鉄塔を数多く設計した「塔博士」です。その中で、東京タワーは、正式名称は日本電波塔といいます。設計は、この内藤多仲と日建設計株式会社が共同でしました。およそ4000トンの鋼材と鳶職人の手作業により、1957年に起工し、わずか15か月で完成したのです。この途中が映画の中で描かれているのです。24日に、東武鉄道は、東京都墨田区の本社隣接地に2011年度の開業を予定している「新東京タワー」のデザインを発表しました。
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建築家の安藤忠雄・東京大学名誉教授と彫刻家の澄川喜一・元東京芸術大学学長がデザインを監修、日建設計が設計を担当したのですが、五重塔の中心部を貫く「心柱(しんばしら)」を鉄筋コンクリートで再現し、編みかご状の鉄骨が曲線状に周囲を取り巻く構造になっています。五重塔の構造を取り入れて耐震性・耐風性を高めるとともに、緩やかな曲線の外観で日本の伝統建築をイメージしたそうです。聖徳宗の総本山である法隆寺は、金堂や五重塔をはじめ現存する木造建築では世界最古といわれる建造物がいらかを並べています。その中で、五重塔は、木造塔として日本最古のもので、1300年以上もの間 幾多に及ぶ風雪、震災に耐え抜いて今もなお厳然と建つその姿は、工匠達の知恵と技術そして日本仏教の信念と情熱の結晶です。心柱は塔の構造とは独立していて、相輪を支えるためにのみ存在しています。結局は、昔の人の知恵に戻るのかもしれません。

幼児教育

1872年に「学制」が定められて、それまで寺子屋などで勉強していた子どもたちは、その前後から、学校で学ぶようになりました。その学校は「幼稚園」、「小学校」、「中学校」と分かれていきます。学制には、幼稚小学の規定というものがもりこまれましたが、最初はどこも開校しませんでした。それが、明治8(1875)年12月に、京都府立第三十区柳池小学校の片隅を借りて開設した幼稚遊嬉場が、日本における初めての幼児教育です。以前のブログで、小学校発祥の地を書きましたが、そこと同じ場所にあり、その場所に昨日行っていました。
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しかし,この幼稚遊嬉場は、その時代としては幼児教育についての一般認識がまだ浅い段階であったために,約1年半で閉園されてしまいました。それが、昭和4(1929)年5月には改めて開園され,平成8年3月に閉園となり、ここにある石標は、その柳池幼稚園の跡を示すものです。しかし、では、それまでは幼児教育というものはなかったかというと、たぶん寺子屋の中に、幼児にたいしても教育を行っていたのでしょう。寺子屋は、造りにしても、今の時代の先端を行くようなものだったようですが、幼少一貫という点でも行われていたようです。それが明治に入って、京都の鴨東幼稚園、柳池幼穉遊戯場のような「子守学校」となり、さらに中村正直や関信三の肝入りで、東京女子市販学校(お茶の水女子大)の付属施設として本格化していったのです。当然、明治初期の幼稚園は、エリートの幼稚園でした。しかし、保育内容は、日本ではそれまでは、きちんと構築されていなかったために、たとえば「おなはし」「おゆうぎ」などをフレーベル譲りのもの、あるいはアメリカ幼児教育家譲りのものというように、また、「口演童話家」が活躍したような“桃太郎主義”ともいうべき独特の幼児教育精神が育まれていき、社会の動き同様に幼稚園の方針までもが「和魂洋才」だったのです。それを少しずつ日本の子どもたちの実情にあったものに変えていく努力がなされていったのです。そのようにいつの時代でも、子どもたちのために、その時代にあった、日本独特の形に変えていっています。しかし、安定してくると、なかなか変えようとしなくなります。しかも、子どもの情緒の安定のためというより、経営者の安定、保護者の安定を求めてしまい、かえって、子どもたちが不安になってしまっていくことが多い気がします。昨日のブログではありませんが、私は、もう少し、大人が子どもとの共生を考え、子どもが自然との共生の中で生活がしていけるような社会を作りたいと思います。橋詰せみ郎という不思議な名をもつジャーナリストを経験した人物がつくりあげた大阪の「家なき幼稚園」の園歌は、橋詰が作詞して山田耕筰が作曲したのですが、こんな歌詞です。「天地のあいだが おへやです 山と川とが お庭です みなみな愉快に 遊びましょう 大きな声で うたいましょう わたしがへやは 大きいな わたしが庭は ひィろいな 町の子どもは 気のどくな お籠のなかの 鳥のよう」自然との共生が感じられますね。私が作詞した園の「園歌」の歌詞は、やはり、そんな気持ちを歌っています。今歌っているのは、歌詞の「町」の部分を「園の名前」に変えていますが、もとは、このような歌詞です。「風と走ろう ぼくらの町で 光と踊ろう 私の町で みんなで声を掛け合えば、風と光が飛び交うよ 空を仰ごう ぼくらの町で 虹を渡ろう 私の町で みんなでいっしょに駆け出せば 空の虹も笑ってる 夢を探そう ぼくらの町で 愛を語ろう 私の町で みんなの夢を集めれば 愛のあふれる町になる」自然の中で、町の中で育つ子どもたちであって欲しいと思います。

一葉

 紅葉がきれいだと眺めているうちに、葉が少しずつ散り始め、園に向かう街路樹の「ユリノキ」はもうすっかり葉を落としてしまっています。園庭にも、1本の大きなユリノキがあるのですが、私の部屋の窓から眺めてみると、なんと小さな葉っぱが揺らいでいます。
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今日はとても風が強いので、いつ吹き飛ばされるか、冷や冷やしながら見ていました。もちろん、いつかは散ってしまうのでしょうが、なんだか、1枚だけが必死で頑張っていると、気になり、何度でも「まだあるか」と見てしまいます。幸いと、今日は出かけるまでは散らないで頑張っていました。9月に職員みんなで訪れた神戸の「阪神淡路震災記念館 人と防災未来センター」には、「防災未来館」と「ひと未来館」があり、その「ひと未来館」では、「こころのシアター」といって、「いのち」へのいつくしみや生きる勇気を、葉っぱの「フレディ」を通して臨場感たっぷりに描き出していました。このフレディは、ユリノキの葉っぱです。「葉っぱのフレディ」という絵本は、1999年のころ、新聞などに紹介され、ブームになり、森繁久彌の朗読で、CDが発売されたり、劇やミュージカルとして上演されたりしているものです。「葉っぱのフレディいのちの旅」と題される絵本は、アメリカの著名な哲学者レオ・バスカーリア博士が「いのち」について子どもたちに書いた生涯でただ一冊の絵本です。内容は、「大きな木の太い枝で春に生まれたフレディは、数えきれないほどの葉っぱにとりまかれていました。はじめは、葉っぱはどれも自分と同じ形をしていると思っていましたが、やがてひとつとして同じ葉っぱはないことに気がつきます。フレディは親友で物知りのダニエルから、いろいろなことを教わります。自分達が木の葉っぱだということ、めぐりめぐる季節のこと...フレディは夏の間、気持ちよく、楽しく過ごしました。遅くまで遊んだり、人間のために涼しい木陰をつくってあげたり。秋が来ると、緑色の葉っぱたちは一気に紅葉しました。みなそれぞれ違う色に色づいていきます。そして冬。とうとう葉っぱが死ぬときがきます。死ぬとはどういうことなのか...ダニエルはフレディに、いのちについて説きます。「いつかは死ぬさ。でも”いのち”は永遠に生きているのだよ。」フレディは自分が生きてきた意味について考えます。「ねえダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」そして最後の葉っぱとなったフレディは、地面に降り、ねむりにつきます。」というものです。
同じように、1枚の葉から、生きるということを書いた小説に、オー・ヘンリー作の「最後の一枚の葉」(The Last Leaf)があります。この葉は、つたの葉ですが、ストーリーは、誰でも学校で習ったと思いますし、今は、著作権が切れたので、ネットでも読むことができます。「患う女性主人公が窓から見える落葉に死を重ねます。しかし、窓から見える一枚の葉が冬の嵐に耐え、主人公は生への勇気を得ます。が、葉は知人の老画家が描いた絵で、それを描いた老人は死んでしまいます。」というものです。そのなかで、自殺が多い今、心に響く言葉がいくつかあります。「その見込みはあの子が『生きたい』と思うかどうかにかかっている。こんな風に葬儀屋の側につこうとしてたら、どんな薬でもばかばかしいものになってしまう。」「わたしが何て悪いことを思っていたか教えてくれたのね。死にたいと願うのは、罪なんだわ。」自殺をしようとする子が、「冬にはどんな外套の袖が流行るのか、なんて質問をさせることができるなら、望みは十に一つから五に一つになるって請け合うんだがね」とあるように、どんな些細なことにでも希望とか、夢を持ってくれたらと思います。

自然との共生

 昨日は、来年4月に開園する園の建物の引渡しが行われました。先日、この園を見に来たときに、思いがけない生き物と出会いました。園のベランダに出て、隣の家の庭を見ていたら、なんとその裏の公園から狸が2匹顔を出しました。たぶんつがいでしょう。じっとこちらを見ています。私が見ていることに気がつかないで出てきたのではなく、私を見に出てきた様子で、私がじっと見ていても逃げもせず、じっとこちらを見ているのです。挨拶に来たのでしょう。ここは、新宿です。新宿で園を開園するというと、「大変ですね。夜の仕事の人が多くて。」というように歌舞伎町を思い出す人が多いのですが、まだ、狸が出るところもあるのです。どうも、私の園は、狸と縁があるようです。今の園は、多摩ニュータウンにあるのですが、ここは、先日テレビで放送していましたが、「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台となっているところです。これは、スタジオジブリ制作の劇場アニメ作品です。開発が進む多摩ニュータウンを舞台に、その一帯の狸が化学(ばけがく)を駆使して人間に対し抵抗を試みる様子を描いた作品です。「スタジオジブリ」の名称は、サハラ砂漠に吹く熱風(ghibli)に由来しており、宮崎駿監督が命名したそうです。この映画のテーマは、ジブリの共通テーマである「自然との共生」です。私が、今の園を開園してまもなく講演依頼が徳島県小松島市から来ました。この市は、有名な金長狸の故郷であり、市内には、金長神社が祀られるほか、たぬき広場に、狸小路、市内を走るたぬきバスなどありました。この金長狸が、「平成狸合戦ぽんぽこ」のアニメの中で、開発を阻止するために、小松島から多磨ニュータウンに助っ人に来るのです。しかし、人間による開発は阻止することはできませんでした。そこで、昼間は人間の姿をして働き、夜にもとの狸の姿に戻り、広場でみんな集まって狸踊りをするところでこのアニメは終わりになります。しかし、現実は続きがあります。そのときに立てられたマンション群が、最近、耐震構造ではないことがわかり取り壊されるということで大騒ぎになっています。自然を征服しようとしても、結局は人間の知恵では無理のようです。かつての里山のように自然との共生を考えていかなければいけないのでしょう。最近、人里に熊が出没して問題になっています。先日、テレビで、どうしてかを解説していました。熊が住んでいる林を開墾して、人間が住み始めたとき、その家の周りに田畑を作りました。すると、林と人家の間に田畑が広がります。すると、熊は、この田畑を横切ると姿が丸見えになるので、そこから先の人家のところまでは出てこないのです。しかし、最近、田畑では作物を作らなくなり、そのまま放ったかされるところが多くなりました。すると、草が伸び放題になり、熊は姿をさらすことなく人家のところに出てくることができます。人家のあたりは美味しい食べ物があるので、そこまで出てくるようになったといいます。熊が出てきて困るといっても、結局は人間が出てくるような環境にしてしまい、共生する里山を壊してきている結果なのです。先日、新宿の園の保護者との懇談会の中で、「新しい園では、小動物はどんなものを飼うつもりですか?」と聞かれたときに、「裏山に住んでいる狸を保護するつもりです。」と答えました。子どもたちには、生き物を飼うよりも、自然との共生を教えていきたいと思っています。それが、都心の新宿でもやれるとは、うれしいですね。

やめてほしいもの

 人には、それがよくないことだと頭の中ではわかっていても、なかなかやめられないものがあります。それが、本当によくないことであり、人に大きな危害を加える恐れがある場合には、法律によって規制します。そうなったら、なにがなんでもそれを破るのはいけないことですし、それをやることに対してどんな理由もつけることはできません。たとえば、最近の「飲酒運転」などはそうですね。これは、どうしてもやめられないと言っている場合ではありません。しかし、法律で規制するほどでもないけれど、やめて欲しいことがあります。また、本人も本当はやめたほうがいいと思っているのですが、やめられないものがあります。これは、世界で共通なようです。大人にとって、その代表的なものに「喫煙」があります。これは、健康を害するとか、家族や周りの人を危険にさらしているということを何度言ってもなかなか吸う人が減りません。いっそ、法律で規制すればいいと思いますが、今の段階では、難しいようです。各国でさまざまな警告を出していますが、効果が上がらないので、こんな手を考えた国があります。ニュージーランでの学者グループが、タバコによる健康被害を防ぐため、タバコの販売価格の段階的引き上げなどを盛り込んだ対策提案を発表しました。政府もこの提案を評価しており、有効性の検討が行われる可能性が強いようです。提案によると、タバコの外装は、健康被害を盛り込んだ警告文だけのシンプルなものとし、価格の引き上げによる増収分を、子どもの喫煙防止やタバコによる健康被害の削減などに充てるようです。ニュージーランドでは毎年、タバコによる健康被害が原因で約5000人が死亡しているとされ、がん死の4分の1を占めています。これまでもタバコ税の引き上げや禁煙エリアの拡大、禁煙セラピーへの補助などの対策がとられてきましたが、対策を強化するということで今回の提案になったのです。現在、ニュージーランドのタバコの値段はダンヒルスーパーマイルド1箱(20本入り)が約815円しています。日本と比べると、かなり高いですね。それを、更なる値上げでタバコ離れを狙っています。どうでしょうか。
 また、子どもの世界でなかなかやめられないもののひとつに「夜更かし」があります。睡眠時間の減少です。イギリスでは、子どもの肥満原因は、寝不足との研究結果を報告しました。イギリスのブリストル大学での研究結果は、子どもたちがゲーム機などに熱中するあまりに寝不足に陥り、それがこうして肥満の原因になっているといっています。その結果が、最近専門雑誌に発表され、イギリスの若い親たちに衝撃を与えています。それによると、子どもたちの睡眠時間が短くなると身体を動かすことが億劫になるので、運動量が減り身体の新陳代謝も急速に低下します。しかもそこにテレビゲームに熱中して間食したりすると肥満になりやすい、そればかりか子どもでも糖尿病や心臓疾患も出てくるといっています。同大学のタヘリ博士は、子どもの寝不足は学校のいじめやストレスなどで眠れないのではなく、子ども部屋でのテレビやコンピューターでのゲームへの熱中などが原因で、親がゲーム機などを取り上げるべきだと忠告しています。
どの国でも、やめて欲しいものに対してやめてもらうには、脅しなどの手を使おうとしますが、これらは、決して本人のためだけではありません。喫煙や夜更かしは、将来の医療費の増加や、労働人口の減少など、ほかの人の生活を脅かす可能性があるのやめてほしいものです。

主張

 何年か前に、念願だった「ボローニャ児童図書展」に行ったことがありました。(何度かブログに書きました)このボローニャは、イタリアの都市です。私は、ある出版社の編集委員として参加させてもらったので、4日間の開催日は出入り自由でしたが、4日間もいても仕方ないので、その期間中、1日はフィレンツェに、もう1日はベニスに行きました。私は英語も満足に話せないのですが、ましてイタリア語などまったくわかりません。それなのに、イタリアの人はほとんど英語を話しませんので、この小旅行は、冒険でした。しかし、かろうじて、そのころよく歌っていた「ひとりとひとりが うでくめば…」という歌の最後の掛け声に「ウノ ドス!」というのがあったので、なんとか「ピッツァ、オニオン、ウノ!」と言って、食事は頼むことができました。しかし、ベニスに向かう列車の中で、事件が起こりました。外国の列車は、よく映画にも出てきますが、座席は数人ずつの個室になっています。私が座っていた個室には、社会科見学に行くらしい小学生が乗り合わせていました。そのうちの何人かが私に話しかけてきました。もちろん、ほとんどなにを言っているかわかりませんでしたが、そのうちの一人の子が片言の英語を話せたので、何とか会話をしました。すると、私が日本人だということを知って、とても興味を持っていろいろと聞いてきました。そして、他の個室にいる子たちもそれを聞いて私の個室に集まってきました。もう部屋ははちきれそうです。すると、そのうちの一人が網棚の荷物を取ろうとして、誤ってその脇にある非常レバーを引いてしまったのです。突然、列車内に大きなサイレンが鳴り響きわたりました。列車は急停車します。列車が止まったかと思ったら、車掌さんや生徒の先生たちが急いで駆け込んできました。私は困りました。その部屋には大人は私しかいないようでしたから、私が説明をしなければいけないだろうとと考えたからです。しかし、私には、事の事情は説明できません。ですから、申し訳ないのですが、自分は関係ないという顔をしていました。どうなるかとハラハラしていたのですが、なんと、その部屋にいた小学生たちが、一斉に大声で事情を説明し始めました。自分たちは、何も悪気でレバーを引いたのではなく、間違って引いたのだということを、ぺらぺらと、とめどもなく説明しているのです。先生や車掌さんになにを言われようが、負けずにきちんと主張しているようです。イタリア語だったので、余計そう思ったのかもしれませんが、どの子も、われ先にと説明をしています。そのうちに、先生は、「事情はわかった。しかし、この部屋にこんな大勢が集まることは良くないことだ。みんなは、それぞれの部屋に戻りなさい。」というようなことを言って、その場は収まりました。この光景を見ていて、日本の子どもたちは、このように説明できるだろうか。先生は、突然と怒鳴らないで、子どもたちの説明を聞くであろうか。車掌をはじめ、大人の人たちは、子どもが説明をし終わるまで、待っていてくれるだろうか。今、日本の子どもたちにコミュニケーション力が欠けてきているといわれますが、それを育てる大人の見守りが足りない気がします。どうも、最近の子どもたちに「話す力」が足りないというのは、大人たちの「聞く力」が足りないからかもしれませんね。