筆記具

 昨日のセミナーでは、説明をするときとか、講義をするときにもパソコンで作った資料、文章などをプロジェクターで投影しました。
setumei.jpg
 最近の講演にも、プロジェクターで投影して話しをする人が多くなりました。いわゆるプレゼンテーションをするときに便利です。また、パソコンで資料を作るときも、「パワーポイント」というソフトを使うと比較的に簡単に出来、画面の出し方や消し方にも工夫が出来、説明の最中にも線を引いたり、手書きで書き足したりも出来ます。いまや、世界中の 2 億 5000 万台ものコンピュータで使われているそうです。視覚的補助手段として、まず、オーバーヘッド・プロジェクタがつかわれました。このOHP は、ボウリング場や学校などでも広く利用されました。会議でも、これを使って説明すると、なんだかかっこよく見えました。それが、いつの間にパソコンからパワーポイントを使って、会議だけでなく、授業や講演、説明に使うようになりました。私も、写真などを使って説明するときは使いますが、あまり好きではありません。ひとつには、最近かなりよくなったのですが、少し薄暗くしないと見えにくいからです。 また、いくらいろいろなことが出来るようになったからといっても、聴衆の反応によって話の内容を変えたり、話す順番を変えたりできないからです。もちろん、開発などのプレゼンテーションにはいいのでしょうが、講演などには、私は使いにくい気がします。高校時代、地理の先生が有名な先生で、NHK講座に出ていました。そこで、授業は、その講座をカセットで流し、音声の中で「カチッ、カチッ」という黒板にチョークで何か書いている音がすると、急いでその文字を黒板に書きます。そのほかの時間は、自分で座って本を読んでいます。聞き手の反応は、何も関係なしに計画通りに進めていくだけです。なんだか、それを思い出してしまいます。私は、ある教授から、講演は、ホワイトボードに何か書きながら話したほうがいいという助言をもらったことがありますが、それは、自由にその場に応じて書けることと、書くために動き回るので、腰を痛めないのでいいということです。確かに、じっとして、少し腰をかがめながら2時間話をすると、終わってからかなり腰が痛くなります。そんなわけで、あまり人数が多くないところで話すときは、ホワイトボードを使うことにしています。ただ、本当は、黒板の方が使いやすいです。教師をしていたこともあるのかもしれませんが、あの筆圧がちょうどよく、マーカーだと滑りすぎる気がします。そういえば、黒板も、講演会場では減ってきましたね。使っているのは、学校くらいでしょうね。私が子どもの頃は、もちろん学校は黒板とチョークでしたが、道に書くときは、「ロウ石」を使いました。駄菓子屋で売っていて、アスファルトの道に線を引いて、いろいろな遊びをしました。めんこをやるときの丸、Sの字をやるときの線、ケンパをやるときの輪、石蹴りの線、野球のベース、そんなものをロウ石で書きました。ロウ石は、宝物でした。このロウ石は、明治から昭和初期にかけて使われた小学生用の学用品として使われていました。ノートの代わりに、スレート(珪酸質粘板岩)製の石盤に、鉛筆の代わりの滑石またはロウ石を棒状にした石筆というもので字や絵を書いていました。
sekiban.JPG
 そんな時代からすると、パソコンのキーボードに文字を打ちながら先生の話を書き取るとは、不思議な時代です。

筆記具” への4件のコメント

  1. 地理の先生の話はすごいですね。今でもそんな授業をする先生がいるんでしょうか。いるとしたら生徒がかわいそうです。
    最近鉛筆と万年筆を買って、意識して字を書くようにしています。パソコンばかり使っているので、筆記用具を使って字を書くことが新鮮に感じられます。書いてるうちに思いがけず考えがまとまったりすることもあります。
    これからはもっともっとパソコンが普及してきて、今の子どもが大人になった頃には想像できないようなことになっているような気がします。確かにパソコンは便利ですが、場面ごとに使い分けることが今より大切になってくるように思います。

  2. ITがそれほど得意ではないので、最近、自分の今後に危機感・焦燥感・挫折感を感じています。人に何かを説明するのに、パワーポイントなどを用いると何か聴いてくれる人に親切かな、と思うのですが、藤森先生の今日のブログを読んでそのことに疑問符がつきます。とはいえ、パワーポイントぐらいは使いこなせないといけないのかもしれません。
    藤森先生の講演を聴くたびに原稿も用意せず、ましてやパワーポイントも使わずに2時間流れる如くお話しをなさることに驚いております。そのように講演をなさる理由のようなものの一端を今日のブログから知ることができます。
    田舎に生まれ育ったので「ロウ石」の存在も知りませんでした。チョークのようなものでアスファルトの上に絵を描いたり字を書いたりすることを東京に出てから知りました。それも仕方がないことです。田舎であっても今現在は路地裏までアスファルト舗装ですが、私が子どもだった頃は、国道がアスファルト道路で、その国道に繋がる道がアスファルト舗装だったくらいです。昔のこととは言え、もう車やバイクが走っていましたからそうした道路に絵や字は書けません。それから道路に字や絵を書くという遊びはなかったと思います。ですから、「ロウ石」で道路に絵や字を書くということを知った時はカルチャーショックでした。ショックを受けるたびに、知りたい、学びたい、意欲が頭をもたげてきており、いまだにその傾向があって、どうしてよいか時々困ることもあります。

  3. レジメがしっかり用意されていて、それに沿って行なわれる授業や始めから言いたいことを用紙にまとめられ、それを読んでいくような形態のものなどは確かになんだか退屈してしまいます。かっこよく言えばライブ感がないからでしょうか。藤森先生が講演を行なう際に大切にされていることを知ると、そこには柔軟な姿勢があることを感じます。それは講演だけではなく、人への関わり、保育とあらゆることに繋がるようでもあります。柔軟な姿勢はその人やその日の様子に合わせて対応ができることにもなりそうで、優しさや思いやりのようなものも感じました。講演や授業なども受ける人のことを考えおられる人にはそのような柔軟な姿があるのかもしれません。そんなことを感じました。

  4. 近所にあるおもちゃ屋さんに足を運んだ際、その「ロウ石」が売っていました。「これは何ですか?」と店員のおばちゃんに聞いてみて、初めてロウ石を知りました。そのロウ石も、今は製造も終わって、今ここにあるだけなんですよと言っていたので、記念にひとつ買って園に置いてあります。チョークとの違いを聞いてみると、雨が降っても線が消えにくいそうで、次の日も同じ遊びができる魅力があるのかなと、その時思いました。また、釘やカッターで削ったり、水で濡らして細かいサンドペーパーで磨くとツルツルになるようで、彫刻遊びもできるとのことで、ロウ石ひとつでこんなにも遊びの幅が広がるのは、まさに「ロウ石は、宝物」ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です