アナログとデジタル

今日から、携帯電話が番号ポータビリティといって、携帯電話の加入者が別の事業者(キャリア)に契約を切り替えても、元の番号がそのまま使える制度が始まりました。今、携帯電話は事業者によってデザインの違いはもちろん、それぞれ特徴があり、機能やサービスもさまざまです。ですから、そのときの使う状態によって、機種を選びます。しかし、今までは、携帯電話の番号は事業者ごとにブロックを割り当てる方式を取っていることもあり、事業者を切り替えると電話番号も変わってしまい、なかなか一度買うと、買い換えることをためらいました。それが、今日から契約している携帯電話会社を変更しても、電話番号が変わらないので、新たに電話番号を普段やり取りしている人に周知する必要がありません。また、携帯電話会社同士の競争が促進され、番号ポータビリティを利用しない人にとってもサービス向上が期待できます。早速、昨日、ソフトバンクが価格破壊を打ち出しました。それにつれて、他社も、それに代わるサービスを検討するといっています。今後携帯電話は、どこまで進化するのでしょうね。ここまで進んでくると、その構造がよく分からなくなります。目の前で、顔を見て話しかけると赤ちゃんの前頭葉という脳は活動するのですが、携帯電話で赤ちゃんに話しかけても脳は動きませんでした。話を聞くということは、音声だけを聞くことでなく、顔の表情とか、口ぶりとか、手振りなどから総合的に相手の気持ちを図りながら聞くことだからです。複雑になればなるほど、その営みは、ケースの中に隠れて、そのシステムはわかりにくくなるのです。たとえば、時計にしても、太陽や月や星で時を計っていたときは、目で見えるその姿で、時刻を実感します。しかも、そのめぐる姿から、ゆったりした時の流れを実感することができます。砂時計にしても、少しずつ減ってくることから時の経過が目に見えます。今日のワークショップでも、一人が話す時間を3分と決めると同時に、3分砂時計が終わるまでというと、時の経過が目に見えるので、先を見ながら話すようになります。それに比べて、時計では、わかりにくくなります。それでも、針があるとその動きでわかりますが、デジタル時計では、今、何時かはわかりやすいのですが、あとどのくらいあるとか、そのくらい経ったかはわかりにくいものです。私の子どもが小さかったころ、アナログの目覚まし時計を買うために走り回った経験があります。デジタルの語源は、指を表すラテン語のdigitusです。ひとつひとつを指さし数えられる、区切られた状態のことです。反対語はアナログ。比例を表すギリシャ語analogosが語源で、もとの形を変えずに移すことです。パソコンは、データを電気信号にしないと計算とか処理ができません。この信号は0と1です。電圧が高いか低いかという違いだけで表されていて、それを繰り返し組み合わせることで、たくさんの複雑な処理をしています。このひとつの単位をビット、8ビットをひとまとまりにして1バイトといいます。この0と1の数字で、どうやって文字や画像を表示するのかというと、文字は、文字コードというのが決まっていて、この数字はこの文字という具合に、文字とコードを対応させることで表示できるようになっています。絵や写真は、光を赤・緑・青(RGB)の3つの色の成分に分解して、それぞれの明るさなども指定して、画面に表示しています。ですから、デジタルの画像というのは、光の点の集合です。それに比べて、アナログの絵は、となりの色と交じり合ってつながっているのです。保育や子育ては、そのときの瞬間の姿ではなく、時の経過が大事であり、隣と交じり合うことで次第に色が作られてくる(成長してくる)というように、アナログの世界ですね。

アナログとデジタル” への4件のコメント

  1. 以前のブログに、「言葉を交わしている間も、言葉以外の手段がコミュニケーションの底流を支え続ける」と書いてありました。携帯電話で話すのと直接顔を見て話すのとでは確かに伝わり方が違います。総合的に相手の気持ちをはかりながら話を聞く大切さがよく分かりました。
    デジタルの世界の良さはたくさんありますが、アナログの世界の良さも変わらずに大切にし続けたいと思います。

  2. 保育や子育ての世界はアナログだと私も思います。ところが、アナログがもつ連続性や関係融合性などを意に介さず、「ひとつひとつを指さし数えられる、区切られた」デジタル的方法で保育をしたり、子育てしているのじゃないかな、と思われることが横行しています。どうしてそういう行動を子どもがとるのだろう、と考えずに、瞬間を切り取って危険な様子もないのに「列から出ちゃダメ!」とか「早くしなさい!」というデジタル声がけがあちこちから聞こえてきます。年齢を重視した区切り(デジタル)こそがいろいろな弊害を生み出していることにこの国のひとたちはなかなか気づこうをしません。残念なことです。気づいたら、子どもたちの自殺が減るのに・・・・。

  3. デジタルとアナログの違いを語源から知ると自分が思っていた違いとはまた異なるように見えてきます。デジタルの仕組みは分かったような分からないようなという具合ですが、一つひとつが区切られたものではない、時間の経過を大切にし、周囲と混じり合うアナログの説明と保育、子育てがリンクしている説明にはそんな考え方もできるのかと発見がありました。アナログ、デジタルとなんとなくのイメージで理解しているだけでは見えてこない世界が本来の意味を知ることで見えてくるのはとてもおもしろいです!2014年、携帯電話は当時私が想像もしていなかった高機能な物になっています。手にとる時間も圧倒的に増えたと思います。例えばですが、そんなに親しくない人と時間を共にすることがあるとします。今ではそのお互いの時間を埋めるものが携帯電話になっていることも少なくないように思います。その気まずい時間を埋めるために自然と携帯電話をかまっている自分に気がついた時に、少しまずいなという思いを抱きました。ですので、なるべくそのような場面の時には携帯電話に向わずに、その人、その場面に向き合うように意識はしています(かといってやたらと話しかけるのも迷惑なので、気をつけないといけませんね)。高機能のデジタル物は好きですが、人と人との関わりが少なくなるような使い方には気をつけたいなと思います。

  4. デジタルのように、その場だけを切り取るような保育にならないようにということは意識しています。その根底には「子どもの行動には必ず意味がある」という考えがあるからだと思います。その行動に意味があるなら、その前後には必ずストーリーがあるはずです。そのストーリーという「過程」を大切にすることが保育のひとつであると学びました。時代とともに“デジタル”な物を目にする機会が増えてきましたが、人間関係やコミュニケーションといった、人と人が直接関わる“アナログ”な部分によって得られる能力の重要性を十分理解し、これからの時代との関わり方を決めていくことが保育でもあるのですね。

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