他人との違い

 昨年、ドイツのミュンヘンで行われた世界保育大会のテーマは、「幼児教育とインクルージョン」でした。このテーマは、まさに、昨日ブログに書いた運動会での出来事です。それは、インクルージョンとは、障害児教育に使われることが多いのですが、障害児がいない状況でも常に多様な教育形態が行なわれているという方法なのです。インクルージョンは各々の個性を考慮しながら、協力・協調する教育方法であるとされています。ですから、障害児のみを対象としているわけではなく、困難を感じている全ての子どもに対して行われることになります。これによって、国連が提唱している「万人のための教育」が実現するわけです。普通学校の学級に、「障害児」と言われる児童がいなくても、「成績が悪い子」あるいは成績の差があるわけですから、当然、顧みられない子どもがいます。これらの子ども達が常に一緒に授業を受け、各々の目標を実現できる学級経営があって、初めて「万人のための教育」が行われ、だれも見捨てない教育が一箇所でできることになります。この様式がインクルージョンといわれる形態です。外国では、インクルージョンを国の施策としている国があります。ドイツのミュンヘンでも取り組み始めていました。その場では、子どもたちが自分で授業を自己決定し、自分の行動には自分で責任をもつとか、自分が好きな教材を選び、コンピューターを使いながら行うとか、多様な教育形態で授業を行っています。このなかに、独創性どうやって育むのかというヒントがインクルージョンから感じます。教師は複数で、そのなかに巡回してくる特殊教育教師がいたり、保護者や同級生が教師役をしたり、多様な支援が行なわれています。障害児がいる環境の中で人権を尊重し、違いを認めながら教育を進めていく、そこにインクルージョンの目的があると思います。 日本では、いつからかみんな一緒ということが、みんな同じことをする、同じようになるということを目指してきてしまいました。また、みんなバラバラでいい、みんな勝手にやればいいと勘違いされてきました。10月3日の朝日新聞の根本清樹氏のコラムを妻から紹介されました。「日本人は集団主義的で、米国人は個人主義的だという常識がある。確かに、日本には会社人間が多く、出る杭は打たれる。山崎教授の実験は、この常識が間違っていることを示した。人工的な環境の実験室で人がどう行動するかを比較すると、米国人の方が集団に協力的で、日本人の方が一匹狼的に行動する傾向が強かった。つまり、日本人は集団志向な心の性質をもともと持っているわけではない。相互監視、規制、しがらみや圧力といった社会の仕組みに促されて、そう行動しているに過ぎない。監視も圧力もない実験室の環境が、そのことを明るみに出す。」そして、最近多くなったいじめでも同じことが言えるのではないかと、原因を考察しています。思いやりの心が失われたからいじめがはびこるのではないというのです。いじめをやめさせようと立ち上がった子が、返り討ちに合い、いじめがさらに続くという結果から、見て見ぬふりをするか、いっそいじめに加担するほうが合理的な行動となる。人の行動は、他の人たちがどう行動するかに大きく依存しているということであるといいます。多くの子がいじめはよくないと思っていても、いじめが続いています。このような、他人の行動に大きく依存しているのが今の日本の子どもたちの気がします。教師は、インクルージョンという「各々の個性を考慮しながら、協力・協調する教育方法」をとることで、子どもたちに一人一人を認め合う意識を共有させていく必要があるでしょう。