ライオン

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 今日の名月と東京タワー
 劇団四季のよるミュージカル「ライオン・キング」を見に行きました。これは、もちろん、1994年に公開されたディズニーによる長編アニメーション映画がもとになっています。この映画は、シェイクスピアのハムレットが題材となっているといわれ、 公開当時、アニメ映画としては過去最高の興行成績をあげた作品です。そのアニメを、ディズニー自らミュージカルとして、1997年、ニューヨークのニューアムステルダム劇場にて初演されました。 演出を担当した女性芸術家のジュリー・テイモアは、影絵や文楽など、アジアの伝統芸能を取り入れ、またパペットやマスクを駆使した舞台美術を生み出したことで、1998年のトニー賞では、最優秀演出賞、最優秀衣裳デザイン賞を受賞しています。この栄誉ある賞を獲得したことは、この作品、また彼女自身の成功を意味することはもちろん、初めて女性に賞が与えられるというアメリカ演劇の歴史にも非常に重要な意味を示唆するものでした。このミュージカルの演出のすばらしさは、マスクをつけた俳優たちの顔も見えていて、マスクと俳優両方の演技をぶつからせている点です。また、大掛かりな舞台装置を使うことでも有名で、高さ4メートルを誇る「プライドロック」があります。それが、奈落から迫り出してくるのです。日本では、劇団四季が1998年から東京都港区の劇団四季専用劇場「JR東日本アートセンター四季劇場[春]」で上演をしています。連続8年目という前人未到のロングランを樹立しています。このライオン・キングが発表された当時、手塚治虫の『ジャングル大帝』とプロット・キャラクターが酷似していることから、ディズニーによる盗作ではないかという議論がなされ、全米でもニュースで話題になり、非難活動の運動まで起きました。しかし、手塚サイドは、手塚治虫自身がディズニーのファンであり、もし故人が生きていたら「手塚治虫がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ」と語っただろうと言うことで不問としたため、騒ぎは収束しました。
 「ジャングル大帝」は、手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾った作品です。学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年11月号から1954年4月号にかけて全43回を連載しました。1952年に「鉄腕アトム」を「少年」で連載を始めるまで、少年誌での手塚の代表的な仕事が本作でした。「白いライオン」というアイディアは、手塚がかつてライオンの水彩画を依頼された際に白熱灯の下で彩色したところ、電灯の光のために、できあがってみたら色がきわめて薄くて没になった失敗談が発端といいます。このアニメが、フジテレビ系列で1965年から全52話を放送されました。このテレビ番組は、スポンサーであった三洋電機の「サンヨーカラーテレビ劇場」というタイトルとともに印象に残っています。そして、サンヨー製品であるカラーテレビ購買需要を喚起するソフトとして活用しました。視聴率は20%以上を獲得し、レオの理想主義は教育者の支持を得たりして、各賞を受賞する好評に、続編として主人公レオが大人となり、家族を持った設定で、原作の後半部分もアニメ化されました。私は、レオの理想主義と現実とのギャップに悩むところに興味がありました。たとえば、レオのようなライオンは、肉食動物なので、どうしても仲間である動物を食べないと生きていけません。それをどう解決していくかが面白かったです。
 今日の舞台で印象に残ったせりふは、シンバが、王である父親に聞きます。「お父さんは、怖いものはないの?」「いいや。あるよ。」「それは、なに?」「それは、お前を失うことだよ。」