過疎と異年齢

 先日の教育新聞の見出しに「育ち合う環境づくり」ということで、「3?5歳で混合保育」の実践が掲載されていました。ここは、島根県出雲町立の幼稚園です。異年齢混合保育を通して共に育ちあう幼児の育成を図って、さまざまな教育活動を工夫しているそうです。その工夫のひとつが、異年齢集団の教育力を生かそうと3歳児から5歳児まで混合保育を行っているほか、教育熱心な地域の人々に支えられて、人の輪の中で育ち合う環境づくりを模索してきたそうです。今は、少子社会になっており、家庭の中だけでなく、地域の中にも子ども集団が少なくなってきています。この記事を読んだときに、確かにそんな時代の中では、共に育ちあう幼児の育成を図るためにも、異年齢で保育することは当然と思ったのですが、読み進めて、ちょっとびっくりしました。それは、この幼稚園は、園児が全部で6名だというのです。この6名の年齢別人数がどのくらいかわかりませんが、異年齢集団の教育力を生かすために混合保育を行っているというほど、選択肢がない気がするのですが。そこには、どんなに園児が少なくても、同年齢で保育することが当然の意識があるのでしょう。同じような話が、私の住んでいる市内の小学校でもありました。全校生徒が49名のこの小学校は、歴史は古く、明治6年に創立されています。そして、自然公園内にある山麓の自然豊かな環境の中にあり、街道に沿って流れる川があり、周囲は小さな山に囲まれています。そんな大自然の中で、子どもたちはのびのびと生活しています。と言いたいところですが、私の園のスクールカウンセラーの人からこんな話を聞きました。この小学校のあるクラスに、落ち着きのない多動の子がいるので、どうしたらよいかの相談があったそうです。行ってみると、回りは大自然ですし、そのクラスは全員で7人だったそうです。その中で、少しくらい多動であっても、どうということはないと思うのですが、担任は悩んでいるそうです。授業を見ていると、7人で授業をしているのに、先生は、みんなに質問をして、一人が答えると一斉に他の子が、「いいです!」と答えるそうです。少ない人数でも、あくまでも、一斉授業の形態は崩そうとしません。全体が30人であろうが、40人であろうが、7人であろうが変わらないやり方です。ですから、その中に一人でも多動の子がいると、どうしてよいか悩むのでしょう。長い間、子どもが多かった多子社会でした。今、教員をしている世代は、私と同じような団塊の世代が多いでしょう。子どもが多い中で受けていた教育方法は、身に染み付いてなかなか変えられないのかもしれません。
アメリカの小学校では、普段でも2学年合同、3学年合同といったティームティーチングがよく見られます。オランダでも、学級編成については、異なる年齢の子どもたちを一緒の教室で教えたり、年齢にかかわらず能力に応じてグループ活動をしたり、といったことを積極的にやっています。学校教育でさえ、異年齢で学習することは、何も過疎で子どもが少ないから仕方なくではなく、学習効果をよりあげるためであり、まして、子どものきちんとした発達を遂げなければならない幼児教育の場では、異年齢児での保育が当たり前なのに、なかなか日本では、子どものためというよりも、補助金の出し方に子ども集団をあわせることが当たり前のように思っているようです。