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2006年10月31日 [近頃思うこと]
道徳心
おととい、ある小学校で話をしましたが、またあさって違う小学校で話をします。それは、「道徳地区公開講座」で、学校公開のあとで意見交換会の講師として参加するのです。「いじめ」が問題になっているこの時期に、道徳の話をするのはなんだか憂鬱です。学校公開では、全学年、道徳の授業をします。資料を使って授業を進めるのですが、先生方は大変だなあという実感がします。友情とか、勇気とか、郷土愛などを授業で教えなければならないのですから。そして、それを子どもたちの力になったかを評価しなければならないのですから。たとえば、2年生に授業には、このような資料を使います。「おれた ものさし」という文です。
「何かが パシーンとわれる音がした。ぼくが見ると、ゆかの上に おれたものさしがおちていた。(たいへんだ。先生のものさしだ。)おれたものさしをもった のぼるが、じろっとあたりを見まわした。のぼるは、そばにいる ひろしのところへ行った。「おまえがおったんだろ、これ。」のぼるは ひろしにものさしをもたせた。「そうだ、そうだ。ひろしがおったんだ。」「ひろしが ものさしをおった。」のぼるのなかまたちが、つぎつぎとはやしたてた。ひろしは、おれたものさしをもたされて、今にもなき出しそうにしている。ぼくは むねがどきっとした。(あの時と同じだ……。)あの時も、ちょうど今みたいに、のぼるは われた下じきをぼくにおしつけた。みえちゃんの下じきをわったのは のぼるだったのに。あの時 ぼくは のぼるに何も言うことができなかった。(ひろし、きみは何もやっていないぞ。)と、ぼくは心の中で 何ども何どもつぶやきながら、ものさしをじっと見つめた。ぼくは ひろしのところにかけよって おれたものさしをうけとり、何も言わずにのぼるにさし出した。のぼるは しらんかおをして ものさしをうけとろうとしなかった。こんどは思い切って、「ものさしを おったのはきみだろ。ぼくは見ていたんだぞ。」と言って、ものさしを のぼるのかおの前につき出した。のぼるは、てれくさそうに おれたものさしをうけとった。」この文章を使って授業を進めたあとで、評価をします。「正しいと思ったことを進んで行おうとする気持ちを持つことができたか。」というものですが、それを、誰が、どのように評価するのでしょうね。もしかしたら、「みなさ~ん、今度、正しいと思ったことを進んでやりましょうね。」「は~い。」と全員が手を上げて、終わりになるのでしょうか。こんな授業をしなければならない教師に同情をします。
生後6週のころになると、乳児は、泣いているとき親とか保育者から優しく話しかけられると、泣きやむようになります。泣きたい気持ちを、怒られたり、言い含められたりして我慢するのではなく、優しくされることによって我慢をします。生後10ヶ月ころになると、「いけません」と言うと、ちょっと手を引っ込めて親の顔をじっと見ます。このころになると、すでに大人の顔をじっと見て、親がどんな気持ちで制止しているのかを見て、やりたいことを我慢するかを判断します。このように、乳児の社会的行動の発達は、まず親とか保育者といった養育者との関係によって出現します。そして、自分が充分に容認されているといった確信が、次第に我慢をすることにつながり、自分の行動を保障される確信が、次第に自己の勝手な行動を抑えて集団に適応するようになるのです。我慢をすることを教えようとするならば、まず、教師が子どもを容認し、子どもたちが、自己を尊重されているという確信を持つことが大切ですよね。
投稿者 fujimori : 21:42 | コメント (3)
2006年10月30日 [近頃思うこと]
ノジギク
「お魚らいふコーディネーター」として活躍している「さかなクン」が、今日の朝日新聞の「人」の欄で紹介されていました。彼は、さかな大好きということで、東京海洋大学客員助教授に就任したということです。4000種以上の魚やその料理法についての知識があり、子どもの頃から魚が大好きで、本人曰く、初恋の相手は魚だそうです。魚のことばかり思っていたので、たぶんからかわれたり、馬鹿にされたりしたことがあったかもしれませんが、このくらい徹底するとたいしたものですね。逸話として、中学生時代、吹奏楽を水槽学だと勘違いして始めたそうですし、浜崎あゆみの存在を知らず「あゆ」と言われても「鮎」の事と思っていたといいます。
好きなことで大成するというと、先ほど訪れた高知市牧野植物園の「牧野富太郎」氏です。彼は、10歳より寺子屋、さらに塾で学びその後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退、好きな植物採集に明け暮れる生活を送るようになります。そして、後に「日本の植物学の父」と言われ、多数の新種を発見し命名も行い、近代植物分類学の権威者となります。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして「牧野日本植物図鑑」に代表される多数の著作として残っていますが、いわゆる小学校中退でありながら理学博士の学位も得たということです。しかも、生まれた日が「植物学の日」と制定されるくらいになりました。牧野氏が、明治17年に故郷の高知県仁淀川付近の路傍で発見し、その発見場所にちなんで彼が名づけた花に、「のじぎく(野路菊)」という花があります。
この花は、ちょうど今頃、10~11月に咲き 、野菊の代表で、一つひとつの花弁は小さく清楚ですが、香り高く気品があり、群生する姿はとても華やかです。のじぎくは我が国固有の植物です。また、9月30日から10月10日まで開かれていた「のじぎく兵庫国体」の「のじぎく」のことです。この「のじぎく」を、兵庫県は、昭和30年に県花に指定しました。兵庫県内では、明治40年に六甲山で最初に発見され、その後、大正14年に牧野博士が姫路市大塩町で大群落を発見し、学会等で日本一の大群落と報告したことから、これを契機に兵庫県がのじぎくの自生地として有名になったのです。秋は、そのほかにもいろいろな菊の花が咲きます。牧野植物園にも、そのほかにもいろいろと咲いていました。通路の両脇に咲いていたのは、「つわぶき」です。
この花もきれいな黄色の花で、キク科の花です。花を見ると菊ですが、葉は蕗(ふき)に似ています。そして、その葉は「つや」があるので、「つやぶき」になり、それが変化して「つわぶき」になりました。
以前のブログでも書いたように秋に華やかに咲いている「コスモス」をはじめ、キク科の植物は多いのですが、漢字「菊」の下部は、手の中に米をまるめて握ったさまを表し、それに草冠を加えて多くの花をまとめて丸く握ったような形をした花(球状花序)を示しています。そして、キクの葉や花には良い香りがあります。吸い込むと頭がすっとして、気持が落ち着くような香りです。アロマテラピーです。それは、キク科の植物にはヨモギや春菊などに代表されるように「テルペン」という物質がふくまれていて、キクの香りはこの物質のためです。ハーブなどにもテルペンが含まれていて、フェノール類とともに植物の芳香の成分として知られています。ハーブにも、キク科の植物は多いですね。
投稿者 fujimori : 17:58 | コメント (2)
2006年10月29日 [近頃思うこと]
右利き
今日の朝日新聞の日曜版に「左に回りたがるヒト」という記事が掲載されていました。秋が深まった今、ほとんどの園や学校では運動会が終わったと思いますが、そのメインイベントとしてリレーがあります。私の園でも年長児はリレーを行いました。トラックをバトンを渡しながら回る姿は、とても感動し、熱が入り、盛り上がります。そのときのトラックは、右回りか、左回りかどちらでしょうか。今日の記事によると、1912年に創設された国際陸上競技連盟が、「走る方向は左手を内側に」と定めて以来、左回りのルールに決めたそうです。その記事は、なかなか興味深いことが書いてあります。1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会は右回りだったそうです。どうして途中で変わったかはよく分からないそうです。この記事に、実験をして、どちらのほうが有利か調べた結果が書いてありましたが、あまり関係なかったようです。しかし、どうも、右利きでは、左に曲がるほうが走りやすいようです。人は、右利きと、左利きの人がいます。しかし、世界の国々を見渡してもほとんどが右利きで、左利きの人は、全体の約10%しかいないと言われています。しかも、右利きが圧倒的に多いのは、生き物の中でも人類だけに見られる顕著な特徴だそうです。利き手と脳は、よく知られているように右手は左脳と、左手は右脳と繋がっています。人類は二足歩行をはじめ、道具を使い、言葉を操るようになる進化の過程で脳が大きく発達し、それとともに右利きが増えたと言われています。それは、子どもたちを見ていると、その発達の過程でもわかります。0~2歳くらいの子どもたちは、右手で物をつかんだり、左手でつかんだり、左右どちらの手もあまり偏らずに使っています。その子どもたちの利き手が、3歳から4歳児になるころに、次第に決まってきます。そのときに、なぜ右利きになる子どもが多いかは、よく分かっていません。左利きになる理由にはいろいろな説があります。ひとつは遺伝説です。しかし、これは一卵性双生児でも一人は右利き、もう一人が左利きになる子どもがいることで、あまり確かではないようです。もうひとつは、利き手が決まる3~4歳くらいまでに左手を使うことが多かった子は左利きになるという環境説。ですから、そのころになるべく右手に物を渡したほうがいいといわれています。または、胎内での成長過程もしくは出産時に何らかの原因で左脳を圧迫する事態が発生し、その左脳のはたらきを補うために右脳が活発になって左利きになるという説もあります。それにしても、現在のところは、どの説が有力か、決め手がありません。昔、とても感動した本に、住井すゑさんの「橋のない川」があります。これは、映画化されましたので、すぐに見に行ったのですが、あまり内容が原作ほど深くなく少しがっかりした思い出があります。その本を電車に中で読んでいて、大勢の人がいる中で、あまりに感動をして涙を流してしまったことがあります。ずいぶんと昔のことなので、はっきりと、正確には覚えていませんが、その中で、左利きの子に説明する場面がありました。昔は、左利きの子は、他の子と違うことで、みんなにいじめられたり、先生から注意をされました。それを切なく思っている子に、「昔は、人間は左利きだった。それは、人同士がとても平和で幸福な時代であった。それが、人と人が戦いをするようになったときに、大事な心臓を手で覆いながら剣を持って戦った。そこで、心臓がある左側を押さえるために左手を使い、あいたほうの右手で剣を持ったのだ。だから、人を殺し合いはじめて、右利きの人が増えてきた。左利きを誇りに思いなさい。」というような趣旨だったような気がします。もう一度、読んでみたい本のひとつです。
投稿者 fujimori : 21:41 | コメント (2)
2006年10月28日 [近頃思うこと]
やる気
日本の教育界を最近揺るがしているものの一つに、OECDが行った、ピサの学力調査結果があります。特に日本の子どもたちが、読解力が下がったということで、言語の力をつけようとしています。しかし、私がよく言うことですが、この結果で、最優先に取り組まなければならない課題があると思います。それは、この調査の中で、日本の子どもたちの「学ぶ意欲」が、最低であったということです。それが、働く意欲のなさにつながり、生きていく意欲のなさにつながっているのです。しかし今はただ、O157という菌対策に明け暮れ、身の回りから菌を排除だけしようとしています。本当は、排除と同時に、菌に対する抵抗力もあわせてつけていかなければならないのです。そのような抵抗力は、意外にも、意欲が関係していることがあるのです。なんとなく、実感はあると思います。気がめいったり、なんだか気力がないときにからだもだるい気がしますし、病気にもなりやすいような気がします。また、「病は気から」というように、気持ちの持ちようから病気になることもあるような気もします。私も、忙しいときにはあまり風邪を引きませんが、年末になって休みが長く続くときは決まって熱を出していました。少し前に熱を出したときも、連休のときでした。がんばって何かに打ち込んでいるときは、あまり病気をしないようです。気持ちの問題かもしれませんが、東洋医学では、体を巡る目で見ることのできないエネルギーを「気」と呼びます。その「気」が少なくなったり、体のどこかに停滞してしまったときに、「気」が「病む」ということで「病気」になると考えられています。こうした考えは、経験的には認められても科学的な根拠のないものとして片づけられてきました。しかし、最近では疫学的な調査や「やる気」の仕組みが解明され始めたことで、やる気と免疫系に深い関係があることが少しずつわかってきています。やる気は、脳の中の論理的な思考や抽象的なイメージなどの人間らしい高次情報と、食欲や性欲などの動物的な生存本能にかかわる情報が行き交う場所である側坐核に関係があるといわれています。また、脳内物質が、脳の働きを活性化して意欲を高め、体の機能を活発にする働きがあるといいます。この物質は、恐怖や驚きといったストレスを感じたときに分泌されます。ある場面で実力以上の能力を発揮することを「火事場の馬鹿力」といいますが、危機に直面する(ストレスがかかる)と、これらの物質が分泌されてやる気がつくり出され、脳や体が活性化し、何事も今以上にという発展性のある意欲をかきたたせるといわれています。このようにストレスや生存の危機から心と体を守る本能にかかわる情報と、よりよい自分を実現するための人間としての高次の情報が行き交うそばにある側坐核が、それらの情報をもとにやる気を生み出していると考えられています。私たちの体には、病原体に立ち向かう免疫機能が備わっています。うつの人は健康な人に比べて脳内物質の量が少ないことがわかっています。また、うつ状態になると免疫機能が低下するという研究報告も数多く発表されています。つまり、この2つの事実を結びつけると、やる気にかかわる脳内物質の量が減るとうつ状態に陥る可能性があり、免疫力が低下するということになります。ですから、絶望や悲しみなど後ろ向きの心理状態では免疫力は低下し、物事を前向きに捉えて意欲的に生きようとするプラスの心理状態、つまりやる気に満ちているときには免疫力が上昇するのです。自分の人生を積極的に生きていこうとするやる気が免疫力を高め、病気から体を守ることにつながっているのです。
投稿者 fujimori : 21:19 | コメント (4)
2006年10月27日 [近頃思うこと]
鉛筆
昨日のブログでは、石盤に石筆で字を書きながら勉強をしたということを書きましたが、「二宮翁逸話」を読むと、貧しい金次郎がどうやって手習いしたのかが書いてあります。金次郎は、「手習は酒匂川のごく細かい砂を盆に入れて平らにし杉の箸で、祖父が書いてくれた手本を一生懸命に習った。」ようです。この、箸で書くということは、鉛筆で書くということに関係があります。なぜかというと、正しい箸の持ち方を分解してみると、手前の1本(固定箸)をそのまま引き抜いて残った動箸は、鉛筆を持ったときと全く同じ形なのです。ですから、鉛筆とお箸の持ち方は一心同体なのです。逆を言えば、鉛筆を持つときに、手に持っている鉛筆が動箸になり、そこに1本差し入れると、箸の持ち方になります。ですから、鉛筆を持つよりも、箸を持つほうがよほど高度であるのに、どうも、箸の持ち方は早く教えて、鉛筆のほうが遅く持たせることが多いようです。また、鉛筆を持つときに、1本だけの指先に力がかからないのがよい持ち方といわれています。爪の色が白くなるのは指先に血が廻ってない証拠です。どの指先にも血が通うような持ち方が頭のよくなる持ち方になります。正しい持ち方は、「しつけ」として教えるとか、そう持つことで字がきれいに書けるというだけでなく、脳がよく働くのです。勉強すると、頭がよくなるというのは、鉛筆を持つために頭がよくなるのかもしれませんね。ですから、鉛筆で絵を描いても、頭がよくなるのかもしれません。
1560年代、イギリスのボロウデール鉱山で良質の黒鉛が発見され、その黒くなめらかな性質が注目されて、細かく切ったり、握りの部分をヒモで巻いたりして筆記具として使われるようになったのが、世界最初の鉛筆だといわれています。鉛筆は「Pencil」といいます。これは、英語を習い始めた中学1年生で、初めて長いスペルを覚えた単語として覚えています。この語の由来はラテン語で「筆」又は「書くための小さい尻尾」という意味のペニキラス(penicillus)か、あるいは元々の原料であった鉛(plumbum;プルンブム)のどちらかに由来すると考えられています。中学で最初に習う「Pen」が、頭についていますが、ペンとは語源は関係ないといわれています。日本では明治初期には木筆などと呼ばれましたが、のちにプルンブム由来説をとって、鉛の筆ということで、鉛筆と呼ばれるようになりました。徳川家康の遺品として1本の鉛筆があったり、伊達政宗も鉛筆を使っていたと考えられますが、日本で本格的に鉛筆が使われるようになったのは明治維新後のことです。
今は、鉛筆は、世界の合作です。たとえば三菱鉛筆の芯の黒鉛は中国・ブラジル・スリランカから、粘土はドイツ・イギリスから、軸木にはアメリカの木が使われています。日本では、9Hから6Bまでの17種類ありますが、このH、B、Fといった記号は、芯の濃さと硬さを表すものであることはみんな知っていますが、HはHARD(ハード:硬い)、BはBLACK(ブラック:黒い)の略字、FはFIRM(ファーム:しっかりした)という意味で、HとHBの中間の濃さと硬さを持った芯のことであることはあまり知られていません。形は、握った場合、必ず3点(親指、人差し指、中指)で押さえるので3の倍数である必要があり、多くは6角形です。色鉛筆では、文字を書くだけでなく、絵を描くために使ったり色々な持ち方をして使いますので、指あたりのよい丸軸になっています。そろそろ、期待を胸に、ランドセルや学習机といっしょに、鉛筆を準備する年長児を見かけるようになります。
投稿者 fujimori : 23:38 | コメント (3)
2006年10月26日 [近頃思うこと]
筆記具
昨日のセミナーでは、説明をするときとか、講義をするときにもパソコンで作った資料、文章などをプロジェクターで投影しました。

最近の講演にも、プロジェクターで投影して話しをする人が多くなりました。いわゆるプレゼンテーションをするときに便利です。また、パソコンで資料を作るときも、「パワーポイント」というソフトを使うと比較的に簡単に出来、画面の出し方や消し方にも工夫が出来、説明の最中にも線を引いたり、手書きで書き足したりも出来ます。いまや、世界中の 2 億 5000 万台ものコンピュータで使われているそうです。視覚的補助手段として、まず、オーバーヘッド・プロジェクタがつかわれました。このOHP は、ボウリング場や学校などでも広く利用されました。会議でも、これを使って説明すると、なんだかかっこよく見えました。それが、いつの間にパソコンからパワーポイントを使って、会議だけでなく、授業や講演、説明に使うようになりました。私も、写真などを使って説明するときは使いますが、あまり好きではありません。ひとつには、最近かなりよくなったのですが、少し薄暗くしないと見えにくいからです。 また、いくらいろいろなことが出来るようになったからといっても、聴衆の反応によって話の内容を変えたり、話す順番を変えたりできないからです。もちろん、開発などのプレゼンテーションにはいいのでしょうが、講演などには、私は使いにくい気がします。高校時代、地理の先生が有名な先生で、NHK講座に出ていました。そこで、授業は、その講座をカセットで流し、音声の中で「カチッ、カチッ」という黒板にチョークで何か書いている音がすると、急いでその文字を黒板に書きます。そのほかの時間は、自分で座って本を読んでいます。聞き手の反応は、何も関係なしに計画通りに進めていくだけです。なんだか、それを思い出してしまいます。私は、ある教授から、講演は、ホワイトボードに何か書きながら話したほうがいいという助言をもらったことがありますが、それは、自由にその場に応じて書けることと、書くために動き回るので、腰を痛めないのでいいということです。確かに、じっとして、少し腰をかがめながら2時間話をすると、終わってからかなり腰が痛くなります。そんなわけで、あまり人数が多くないところで話すときは、ホワイトボードを使うことにしています。ただ、本当は、黒板の方が使いやすいです。教師をしていたこともあるのかもしれませんが、あの筆圧がちょうどよく、マーカーだと滑りすぎる気がします。そういえば、黒板も、講演会場では減ってきましたね。使っているのは、学校くらいでしょうね。私が子どもの頃は、もちろん学校は黒板とチョークでしたが、道に書くときは、「ロウ石」を使いました。駄菓子屋で売っていて、アスファルトの道に線を引いて、いろいろな遊びをしました。めんこをやるときの丸、Sの字をやるときの線、ケンパをやるときの輪、石蹴りの線、野球のベース、そんなものをロウ石で書きました。ロウ石は、宝物でした。このロウ石は、明治から昭和初期にかけて使われた小学生用の学用品として使われていました。ノートの代わりに、スレート(珪酸質粘板岩)製の石盤に、鉛筆の代わりの滑石またはロウ石を棒状にした石筆というもので字や絵を書いていました。
そんな時代からすると、パソコンのキーボードに文字を打ちながら先生の話を書き取るとは、不思議な時代です。
投稿者 fujimori : 20:08 | コメント (2)
2006年10月25日 [近頃思うこと]
ままごと
昔の子どもの遊びには、大人になるための訓練の要素がありました。特に大人の模倣をする「ままごと」は、その意味合いが強いものでした。しかし、子どもの世界は、そんなことに関係なく、大人のまねをすることの楽しみとして「ままごと」が長くつづいてきました。1歳児くらいから、園でも「ままごと」のゾーンがとても人気があります。しかし、その様子を見ていると、それぞれの年齢によって遊び方が違います。1歳児では、みんなそろって、頭にナプキンを巻いてもらって、なんとなく大人の雰囲気を楽しんでいます。そして、それぞれ一人ひとりがキッチンに向かい何かを見立てて遊んでいます。たまに、大人の顔を見て、確認するために振り返ります。それが、2歳児くらいになると、用意されたハンバーグとか目玉焼きなどをさらに乗せて、他の子に「どうぞ」と差し出します。もらった子は、食べるまねをします。お母さん役をしたり、子どもの役をしたり役割を分担し始めています。それが、3歳以上になり始めると、調理の真似を始めます。野菜を刻んだり、フライパンでいためたり、なべで煮込んだりします。
そのころから、子どもたちは、園では本当のクッキングをします。クッキーを作ったり、うどんをこねたりします。子どもたちは、料理の時間になると目を輝かせます。なぜかというと、大人と同じことをしているという喜びだけでなく、水で洗ったり、ちぎったり、こねたり、丸めたり、切ったりといった、料理の作業の一つ一つには、遊びと同じ作業が入っているからです。子どもにとって料理は、最高の遊びでもあるのです。しかも、これほど目的がはっきりしていて、結果が明確に表れる体験は、ほかにありません。また、料理をすることによって、生活上必要な技術が身につきますし、手や脳など、身体的な発育にもよい影響があります。これは、小学校の「総合教育」といわれているものと同じです。幼児期においても、子どもの発達に関する領域といわれているものが含まれているのです。家でも、子どものお手伝いは、かえって親にとっては面倒くさいことも多いのですが、とても重要な意味があるのです。
しかし、最近、さまざまな事情から、子どもたちに手伝ってもらうことが少なくなりました。たとえば、私がよく親の手伝いをしたものに「障子貼り」とか「玄関の掃除」などありましたが、今は、ほとんどしないと思います。その中で、食育の面でもとても大切な「買い物」も、昔は子どもの役目でした。「のびちゃん、おつかいに行ってきてちょうだい!」とアニメ「ドラえもん」の中で、お母さんはすぐ買い物かごを、のび太にわたします。同じように、ジャイアンの家庭でも、サザエさんの家庭でも子どもにお使いを頼みます。いまは、「初めてのお買い物」という番組の中だけになりつつあります。この番組を見ているとわかりますが、「お買い物」には、買うものを覚えていくこと、お店でその素材のよしあしを見分けること、買うものを注文すること、時には値段の交渉をすること、お金のやりとりをすること、などその中には、生活に必要な様々なことが含まれていました。今は、残念ながら、車や不審者の危険が町にあふれ、宅配を頼んで買い物に行かない家庭が増えたりして、なかなかそんな環境はありません。そこで、園ではできるだけそんな体験をするようにしています。子どもクッキングを計画する時、できるだけその材料の買い物からするようにしています。毎月の誕生会では、その月の4,5歳児の誕生児が、みんなのおやつを「クッキング」して振舞うのですが、前日にその材料を買いに行っています。鬼ごっこにしても、ドッジボールにしても、子どもたちが遊びや体験から学ぶ場は減ってきていますね。
投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (4)
2006年10月24日 [近頃思うこと]
アナログとデジタル
今日から、携帯電話が番号ポータビリティといって、携帯電話の加入者が別の事業者(キャリア)に契約を切り替えても、元の番号がそのまま使える制度が始まりました。今、携帯電話は事業者によってデザインの違いはもちろん、それぞれ特徴があり、機能やサービスもさまざまです。ですから、そのときの使う状態によって、機種を選びます。しかし、今までは、携帯電話の番号は事業者ごとにブロックを割り当てる方式を取っていることもあり、事業者を切り替えると電話番号も変わってしまい、なかなか一度買うと、買い換えることをためらいました。それが、今日から契約している携帯電話会社を変更しても、電話番号が変わらないので、新たに電話番号を普段やり取りしている人に周知する必要がありません。また、携帯電話会社同士の競争が促進され、番号ポータビリティを利用しない人にとってもサービス向上が期待できます。早速、昨日、ソフトバンクが価格破壊を打ち出しました。それにつれて、他社も、それに代わるサービスを検討するといっています。今後携帯電話は、どこまで進化するのでしょうね。ここまで進んでくると、その構造がよく分からなくなります。目の前で、顔を見て話しかけると赤ちゃんの前頭葉という脳は活動するのですが、携帯電話で赤ちゃんに話しかけても脳は動きませんでした。話を聞くということは、音声だけを聞くことでなく、顔の表情とか、口ぶりとか、手振りなどから総合的に相手の気持ちを図りながら聞くことだからです。複雑になればなるほど、その営みは、ケースの中に隠れて、そのシステムはわかりにくくなるのです。たとえば、時計にしても、太陽や月や星で時を計っていたときは、目で見えるその姿で、時刻を実感します。しかも、そのめぐる姿から、ゆったりした時の流れを実感することができます。砂時計にしても、少しずつ減ってくることから時の経過が目に見えます。今日のワークショップでも、一人が話す時間を3分と決めると同時に、3分砂時計が終わるまでというと、時の経過が目に見えるので、先を見ながら話すようになります。それに比べて、時計では、わかりにくくなります。それでも、針があるとその動きでわかりますが、デジタル時計では、今、何時かはわかりやすいのですが、あとどのくらいあるとか、そのくらい経ったかはわかりにくいものです。私の子どもが小さかったころ、アナログの目覚まし時計を買うために走り回った経験があります。デジタルの語源は、指を表すラテン語のdigitusです。ひとつひとつを指さし数えられる、区切られた状態のことです。反対語はアナログ。比例を表すギリシャ語analogosが語源で、もとの形を変えずに移すことです。パソコンは、データを電気信号にしないと計算とか処理ができません。この信号は0と1です。電圧が高いか低いかという違いだけで表されていて、それを繰り返し組み合わせることで、たくさんの複雑な処理をしています。このひとつの単位をビット、8ビットをひとまとまりにして1バイトといいます。この0と1の数字で、どうやって文字や画像を表示するのかというと、文字は、文字コードというのが決まっていて、この数字はこの文字という具合に、文字とコードを対応させることで表示できるようになっています。絵や写真は、光を赤・緑・青(RGB)の3つの色の成分に分解して、それぞれの明るさなども指定して、画面に表示しています。ですから、デジタルの画像というのは、光の点の集合です。それに比べて、アナログの絵は、となりの色と交じり合ってつながっているのです。保育や子育ては、そのときの瞬間の姿ではなく、時の経過が大事であり、隣と交じり合うことで次第に色が作られてくる(成長してくる)というように、アナログの世界ですね。
投稿者 fujimori : 22:59 | コメント (2)
2006年10月23日 [読書]
教室
プレジデントファミリーの12月号の特集に「頭のいい子の勉強部屋」というものがあります。どんな部屋なのか興味はありますが、ほかの記事はあまり興味のないものばかりなので、この部分だけのために本を買う気にならないので見ていませんが、間取りが問題なのでしょうか。動線が問題なのでしょうか。それよりも、気が散らないとか、音が聞こえないとかいう「視覚」とか「聴覚」を遮断する部屋作りかもしれません。同じように、学校の教室は、どんなつくりが教育効果が上がるのでしょう。リヒテルズ直子さんの「イエナプラン教育に学ぶ」には一例にこう書かれています。

「教室の一隅には、グループリーダー(担任)が記録をしたり事務的な仕事をしたりする机が置かれています。そのほかに二つ、大きなテーブルが置かれているのが普通です。一つは、教室のほぼ中央に置かれていて、子どもたちが、糊やハサミ、また、絵の具などを使って作業をする時に使うテーブルです。そして、子どもたちのテーブルは、5~6人分ずつ、壁や窓に沿って配置されています。教室の後方には、読書コーナーやコンピューターコーナーが設けられ、子どもたちが自由に本を読んだりコンピューターで仕事をしたりすることができるようになっています。また、廊下にも机が置かれ、子どもたちが一人で静かに自習することができます。黒板の後ろや下、窓際の窓の下、廊下側の壁など、ありとあらゆるところに棚が設けられ、さまざまな教材が備品として備えてあります。子どもが何かについて調べるための資料や遊びながら学ぶことのできるゲームなどが、廊下や踊り場などのコーナーに置かれています。また、廊下側や教室後方の壁には、生徒の学習の成果を展示するスペースが広く設けられています。また、イエナプラン教育では、いろいろな機会を捉えて、グループリーダーと子どもたちが輪を作って話し合う時間を設けるので、グループ全員ですぐに輪を作ることができるように、机や椅子は、できるだけ軽く移動しやすいものが選ばれています。教室の床は、清掃が簡単な、明るい色のリノリウムがよく使われています。」今までのオランダの教室をこのように表現しています。「大勢の子どもに対して画一的な授業を行ってきた旧来の学校では、子どもの注意を、いかにして授業をしている教員に向けさせるか、ということを基準にデザインされてきたものです。黒板の前には、教員が立つ教壇があり、それに向かって机や椅子が整然と並べられたものでした。」これを聞くと、今の日本の教室そのものですね。以前のブログでも書きましたが、このような変化は、アメリカの教室にも見られます。どの国も、少なからず、幼児における保育室も学校の教室に影響されています。それは、もちろん教育によってどんな力を子どもにつけるかという課題は、幼児期から共通だからです。実際に、ドイツなどでも、保育室も、ここで表現されているようなオランダの教室にとても近いものがあります。今年の2月に訪れた幼児施設でも、給食は、廊下に机を並べてみんなで食べていました。しかも、その廊下の幅は、それほど広くないのにです。もちろん、ランチルームのような食事専門の部屋があればいいのですが、それほど贅沢は言えません。そこで、廊下を含めてフレキシブルに部屋を利用しているのです。しかし、この部屋の利用の仕方は、日曜日に訪れた牧野記念館にあった、江戸時代の郷校の模型にそっくりでした。
投稿者 fujimori : 23:46 | コメント (2)
2006年10月22日 [講演先にて]
22日の日記
今日、朝起きてあせりました。「今日は、なにを話そうか。」と。しかし、よく考えてみると、今日は、日曜日です。昨日は、夕方まで講演があって、夜、市内の若手の園長3人で夕食を食べたので、もう1泊したのです。私は、基本的には、どんなに忙しくても、できる限り日曜日は仕事しないようにしています。そして、日曜日には、妻とあちらこちら歩き回ることにしています。それは、いろいろなことを知りたいと同時に、普段の運動不足を解消するためと、下半身の運動をすることによって、前頭葉の働きを衰えさせないようにして、認知症にならないようということこと、つまりぼけ防止です。こんなことを言うのは、どうも最近、講演の中で、脳に関しての話が多くなったからかもしれません。というわけで、今日は高知で目ざめましたが、飛行機の出発時刻まで、いろいろなところに連れて行ってもらいました。
まず、宿泊したホテルの前の通りは、朝からたいそうな賑わいです。それは、日曜市が開かれているからです。
高知市の街路市は、遠く藩政時代の元禄3年(約300年前)には既にあったといわれ、月曜日以外は年中市内のあちらこちらで市が開かれているそうです。その中で、特に高知城追手門から続く追手筋で開かれる日曜市は街路の両側にその延長1Kmに及び、野菜、日用品はもとより古着、骨とう、植木、庭石などが並んでいます。たぶん、本来はそこで土佐弁のやりとりでにぎわっていたのでしょうが、最近は、観光客もたくさん訪れています。昔ながらのショッピングに人気が高い。全国で朝市が開かれているところがありますが、ここ高知のように終日市が立つというのは珍しいそうです。店が並ぶ場所も工夫されていて、普段は、ヤシ並木の木陰が続く分離帯の両側に2車線道路が走っている道を、当日は、片側だけにして、片方の2車線道路に約650店並びます。
そのあと、市内が一望できる五台山に登りました。(車で)
そこには、行基が開基し、文殊菩薩をまつった竹林寺(第31番霊場)があります。
幕末のころ、この竹林寺の僧「純信」が規律を破り、はりまや橋の小間物屋で、思いをよせていた「お馬」にかんざしを買ったことがうわさとなり、他国へ駆け落ちしましたが、すぐ土佐へ連れ戻されました。その後二人は引き裂かれ、悲しい運命をたどります。現在土佐で唄われている「よさこい節」は、昔から歌い継がれてきた土佐の民謡よさこい節にこの恋物語を組み込んだものです。
また、この五台山には、高知県出身の牧野富太郎博士の功績を記念してつくられた自然公園のような「牧野植物園」があります。
私は、たぶん、子ども用に書かれた図鑑だと思いますが、愛用していた図鑑に「牧野植物図鑑」があり、私の園に近くの首都大学(以前の都立大)に牧野標本館があると知って、見に行ったことがあります。とても尊敬している人なので、園内に平成11年にオープンした「牧野富太郎記念館」は、とても興味を持ってみることができました。記念館の建物は、建築家・内藤廣氏の設計によるだそうで、木の温もりを生かした内部は、入園者を優しく包み込み、自らを「草木の精」と呼んだ牧野富太郎に相応しい空間を作りだしています。さらに、景観に配慮した環境保全型建築の方向性を示す優れた建築物として全国的な評価を受けました。あわただしい講演のあとの、ほっとしたひと時でした。
投稿者 fujimori : 16:59 | コメント (3)
2006年10月21日 [講演先にて]
21日の日記
昨日、夜ホテルで見ていたニュースでこんなことを放送していました。「アメリカの一部の州で鬼ごっこが禁止になった」というものです。これは、以前 USATODAY の記事でも取り上げられていましたが、なぜ禁止するかと言えば、鬼ごっこは、簡単に、平手での打ち合いや、殴り合いに進展するからというらしいです。けんかになるから禁止する、という考え方は、今のアメリカの銃社会と、裁判にすぐ訴える国らしいと思いますが、日本でもなんとなく、そうなってきそうな気がします。その番組でも言っていましたが、「アメリカの一部学校区でドッジボール禁止」と報じる新聞記事が2001年6月の朝日新聞に出ていました。禁止の理由は、「人間を標的にするのが好ましくない」「攻撃的な子どもが増える」などの指摘が父母や教育学者から相次いだからのようです。また、コネティカット州の大学のニール・ウィリアムス教授は、「運動神経の鈍い子どもがまっ先に狙われ、いじめや仕返しを誘発しやすい」といっています。皆さんは、どう思いますか?子どもを取り巻く大人の思いやり?が、もっと子どもを変にしてしまいそうです。これは、いろいろなところに見られます。こんなことを考えながら床についたホテルは、起きてみると、あの有名な「はりまや橋」の近くでした。また、今日も夜は遅くなるかもしれないので、朝、近くを散歩して来ました。よさこい節に歌われ、高知といえばはりまや橋と言われるほど有名な橋です。昔は高知城の堀川にかかった本当の橋だったようです。以前に来たときは、はりまや橋といっても、なんとなく道の脇に欄干らしきものがあるだけで、「日本3大がっかり」の一つと言われたりしていました。
今は、きちんと橋が架かっています。それでも、最近は、ほとんど見学者はないそうです。朝食後、今日の講演は、高知市保育士会主催で、14時から16時までですので、午前中はのんびりです。3人の園長と、「龍馬の生まれたまち記念館」と、「高知県立美術館」で所蔵のシャガールの作品を見ました。これは、地方講演のありがたいところです。
ところで、昨日の保護者向け講演会では、保護者たちはどう考えたでしょうか。まだ、はっきりと反響は聞いていませんが、先日、富山県私立幼稚園保護者会研修会で話したことの下記のような感想を、メールで戴きました。ありがたいですね。
「とても興味深いお話をありがとうございました。メモ用紙10枚も書いてしまいました。「おやつを分ける」については、我が家ではプリン1個でも家族4人で分けていました。よそのご家族と昼食をする事が多いのですが、「いつもデザートは子供に取られる。ちょうだいといってもくれない」と嘆くお母さん方が多いのに気づきます。うちはなにかおいしいものをみつけると上の娘(4歳)は「半分おとうさんにとっておこうね」などと可愛いことを申します。先生のおっしゃる通り、「分ける」はいろいろなスキルにつながる大切な生活習慣だとおもいます。ちゃっかり上の子は0.5秒で一番大きそうな唐揚げをそ知らぬ顔でササッと持っていき、大小の区別がよくわかってます(^^ゞ「自己主張のできる人間にする」祖父の口癖が「自分というものをしっかりもたんといかん。で、何食べに行きたい?」でした。世界に通用する人間に、ひいては世界を牽引する人間に、と、考えた時、日本人の「相手の気持ちを察して動く能力」に、欧米の「自分の意思をはっきり言える勇気」が加われば、力強いリーダーになりえるのではないだろうか、と思いました。異年齢交流(縦割り保育)が日常的になればなるほど、「おもいやり」や「協力すること」や「待つこと」や「反論する力」「仲裁する力」などなど いろいろなスキルが身につくとおもいます。是非その現場を見学してみたいものです。とってもエキサイティングな光景なんだろうと想像しています。」
投稿者 fujimori : 22:34 | コメント (4)
2006年10月20日 [講演先にて]
20日の日記
昨日のあわただしさに引き換え、今朝はとてものんびりでした。せせらぎの音で目覚め、朝食後、石畳を歩いてみました。ここ湯平は、寅さんシリーズ30作の舞台になったところで、その作品は、マドンナは田中裕子、その相手役が沢田研二で、結婚するきっかけになったことでも有名です。そのあと、「ゆふいんの森」号に乗るために湯布院に向かいました。湯布院は、最近NHKの朝の連ドラでも有名になりましたが、とても人気のある場所です。私は、以前泊まったことがありますが、熊本の黒川温泉とともに、町おこしが成功した例です。旅行雑誌で「日本で一番行きたい温泉」として紹介されている熊本県の黒川温泉を、名も知れない場所から全国の温泉ファンが殺到する人気の場所に変えた新明館の後藤哲也社長の取り組みが、先日NHK「経済羅針盤」で放送されていました。入湯手形を買えば、29の宿すべての露天風呂に入れる仕組みを取り入れたことや自然の風景を大切にした佇まい、それにきめ細やかなおもてなしを徹底することなどで、現在の黒川温泉の人気を作り出しました。また、後藤さんだけでなくそれぞれの旅館の経営者の人たちも、温泉街全体を活性化させようと共に協力して「人気のある温泉」を保つ努力を続けています。その成功を見て改めて思ったことは、競争するより、協力するほうが、質が向上するのだというを実感しました。そんなことを考えながら湯布院の町を歩いていて、どこかの町が、町全体の幼稚園、保育園が協力して、保育の質を高め、それによって町おこしをしないかなあと思いました。イタリア 北部 にあるレッジォ・エミリア市では、保育によって町おこしをして、世界中からの見学者を、住民みんなで支えることで有名になりました。など考えながら、天井桟敷でコーヒーを飲んでいるうちに列車の発車時刻が近づいてきました。ゆふいんの森号に乗って、まずは、博多まで移動です。由布院駅からまっすぐ伸びた道の突き当りには、由布岳がそびえています。

別府から博多に行く「白いソニック号」も、その車体の外観と車内はすばらしいですが、このゆふいんの森の車体もなかなかしゃれています。座席の肘掛も木でできていたり、狭い、ガラス張り(なんだか、さらし者のような雰囲気)の喫煙室があったり、昼食として食べた車内販売の「あんかけ焼きそば」も、パリパリの細麺に、熱々の具沢山のあんがかかっています。乗客は、お年寄りが多いのですが、次々に売りに来るアイスクリームや、プリンなどを買って食べているのを見ていると、果たして私たちの年齢は、こんなに元気でいられるかなあと思ってしまいます。途中、速度をゆるめたかと思うと、すばらしい滝が車窓から眺められたり、連なる山々の説明をしたり、飴を持ってきてくれたりと、ずいぶんとサービスがよかったのですが、湯布院の町おこしが、こんなところにまで影響していると思うと、よい循環になるとこういうことですが、逆に悪循環になると、何でもよくならなくなるのですね。誰かが、頑張って、一度よい方向に引っ張る力が必要だと思います。博多に着くと休むまもなく空港まで行き、今度は、九州から四国へと移動です。高知空港に着くと、早速仲間の園に行き、職員研修を1時間半くらいやります。そのあと、その園の保護者向け講演会を1時間半しました。終わると、もう、9時近いです。そのあと、その園職員みんなで夕食を食べに行きました。保育に日々取り組んでいる職員たちは、食べているときでも相談したいことがたくさんあるようです。しかし、その悩みは、どう子どもを動かしたらよいか、なかなか言うとおりに子どもが動かないという悩みから、子どもがなにを考えているか、子どもがなにをしたいのかという悩みに変わってきていることを実感します。ホテルに入ると、もう11時近くなっていました。
投稿者 fujimori : 23:20 | コメント (3)
2006年10月19日 [講演先にて]
19日の日記
今日は、朝、別府で目覚めました。講演会場と宿泊会場が同じなので、朝はゆっくりです。朝のテレビでは、昨日の教育再生会議について取り上げられていました。今回の委員は、現場からは有名な人が入っています。朝のテレビには、その委員の中で、百ます計算で有名な陰山先生が生出演していました。蔭山先生の最近の主張は、「早寝、早起き、朝ごはん」です。私は、百ます計算のような基礎的学習や、家庭での生活の見直しについては、異議はありませんが、全体的には、少し違和感を感じます。それは、もともと「教育再生」というところから感じていました。再生しなければならないほど、昔がよかったのだろうかと思ってしまうからです。しかも、いつごろの教育を再生しようとしているのかと考えてしまいます。最近の話題の中心の「いじめ」について、司会の「みのさん」に質問しました。「昔はいじめがありましたか?」と。みのさんは、「ありました。」と答えたところ、蔭山先生は、「ですから、いじめがいけないのではなく、最近の子どもは、それに耐えられなくなったことが問題です。」ということも、確かにそう思います。では、耐える子にするために、我慢を教えるとか、やり返すことを教えるとか、昔に戻すことではないと思います。新しい生き方、自尊感情をどう育てるのか、個を大切にする教育はどうすればよいかというような、今の時代に沿った新しい教育を新生していかなければならない時代になっています。そういう意味で、世界では、オールタナティブ教育(過去のものに取って代わる)が構築されています。などを考えていて、講演時間に遅れそうになりました。今日の講演は、とてもありがたい計画です。というのも、私に与えられている時間は、午前9時半から12時までの2時間半と、午後1時から3時までの2時間あり、合わせて5時間半、たっぷりです。これでいろいろなことが話せると思っていたのですが、終わりのほうは言い足りないことが多く、急ぐ形になってしまいました。もう少し、時間が欲しかった気がしますが、聞いている方たちは、疲れたでしょうね。終わってから、会場の皆さんからいろいろと挨拶されました。ずいぶんと、いろいろな場所に知り合いが増えたなあという感じです。しかし、私は、どうも人の名前を覚えたり、顔を覚えるのがニガテというか、あまりに多すぎるというか、ほとんど親しげに挨拶されますが、申し訳ないのですが誰だっただろうかと考えてしまうことが多くあります。皆さん、ごめんなさい。そして、急いで、迎えの車で次の会場に移動です。サル山で有名な高崎山をぐるりと回り、まず、今日の宿泊所である「湯平温泉」に向かいます。着くと5時近くなっていました。急いで、役員さんと夕食を戴き、講演会場である由布市廻挟間町に向かいます。最近の町村合併で、湯布院で有名な由布市になった町です。そこで、講演が「由布市保育士研修会」19時から21時です。ちょっとバタバタして、終わったのが21時半。そして、また30分くらいかけて宿泊先に戻りました。
ここ湯平温泉は、戦前までは、とてもにぎわったそうですが、今は、とても落ち着いた温泉町です。漂白の俳人の「山頭火」がこよなく愛した温泉地として有名です。花合野川のせせらぎを聞きながら、石畳の道を歩き、深い緑に囲まれた山あいの湯治場でゆっくりというのは夢のまた夢で、あわただしい時間を過ごします。宿に着くともう10時過ぎで、温泉は11時で終わるというので、急いで、3箇所に分かれている露天風呂のはしごです。そして、PHSの入らない部屋で、急いでブログ書きで1日が終わりました。
投稿者 fujimori : 23:19 | コメント (2)
2006年10月18日 [講演先にて]
18日の日記
今、さまざまなブログが書かれています。その中で、よく読むものは、お気に入りに入れてほぼ毎日読みます。若い人は、平均、お気に入りに5つ入っているそうです。また、ブログはとても人気があるものがあって、ずいぶんと読まれ、かなりの影響を与えているようです。また、逆に配慮のない発言をすることによって、非難が集中し、「炎上」(閉鎖せざるを得ないような盛り上がり方をして、取りやめること)してしまうものもあるようです。また、コメントへの書き込みによってかき回されることもあるようです。そして、ブログを開いた件数によってお金がもらえるシステムもあるようです。それは、そこにある広告の価値に影響するからです。ですから、開いてもらえるような、題名をつけることによって、検索されやすくなります。ですから、怪しげな題名とか、話題になっているような題名をつけることもあるようです。私のブログは、なるべく同じような考え方の人たちが、考える上で参考にしてもらったり、コメントのやり取りで心地よい関係を作りたいという意図があるので、なるべく、不特定多数の人には検索されないような題名をつけています。また、問題のあるような内容は、きちんと調べて一般の人にどのような評価を得ているかを参考にしています。また、子どものことは、さまざまな観点から、さまざまな職種の人にも考えてもらいたい為、また、教育とか、子どものことに直接かかわっている人は、とかく世界が狭くなりがちですので、なるべくいろいろな分野から考えるきっかけを作るようにしています。それでも、どうしても硬くなってしまい、読む人はつまらないだろうなと思うことがありますが、無理をしても続かないので、自然にしています。そんな中で、ブログの多くは、日記的なものが多いようです。私は、日記というものは今まで続いたことがありません。仕方なく夏休みの絵日記は小学生のころ書きましたが、日記は、かつて書こうと思い立ったことがありません。しかし、ここ数日、講演旅行を書いてみようと思います。
今日は、昼から大分に講演に出かけるので、園では芋ほり遠足でしたが、私は園に残りました。朝、園に着いて、まず、各部屋を見て歩きました。子どもたちの顔を見ると落ち着きます。子どもたちは、芋ほりの出発前でしたが、朝の自由な時間、それぞれが自分のやりたい遊びに熱中していました。最近、3,4,5歳児の子どもたちは、集団でなければできない遊びをする子が増えたと担任が話していましたが、本当に、楽しそうです。そして、部屋に戻りメールと、郵便物をチェックします。最近、とてもうれしいメールが入ります。仲間でやり取りするMLの中での会話も、暖かさがあふれています。10時半ころ園を出て羽田に向かいます。羽田には、正味2時間弱で着くのですが、事故などのトラブルを考えて、フライト時刻の3時間くらい前に出ることにしています。飛行機は、日本中どこに行くにも、羽田を出発して着くまでの時間よりも、羽田まで行くほうが、時間がかかります。あっという間に大分空港です。不思議な気分ですね。大分空港は、市内と国東半島の湾を挟んだ反対側にあるので、車で移動すると1時間くらいかかります。ですから、かつて長崎空港まで漁船で行ったときのように、ホーバークラフトで行くと20分はかからないでいけます。
別府市内と別府湾
明日は、大分県保育連合会主催の「保育所主任保育士研修会」で、その会場の別府市で、着いてから夜の懇親会に参加しました。保育者は芸達者な人が多いですね。
投稿者 fujimori : 21:54 | コメント (5)
2006年10月17日 [散歩]
星空
少し前まで放映されていたテレビCMで、こんな場面を覚えているでしょうか。2005年は、ネスカフェゴールドブレンド「違いを楽しむ人・満天のプラネタリウム」篇で、2006年は、ネスカフェゴールドブレンド「星振る大地」篇というもので、美しい星空のもとで、二人でコーヒーを飲んでいる場面です。この二人のうち一人は唐沢寿明ですが、もう一人彼と共演しているのは、大平貴之という人です。彼は、1970年神奈川県川崎市に生まれます。小学校の頃からプラネタリウム作りを始め、学生時代の1991年にアマチュアとしては前代未聞であるレンズ投影式プラネタリウム「アストロライナー」を完成させ話題となります。大手電機メーカーSONYに就職してもその情熱は冷めることがなく、仕事が終わってはプラネタリウム作りを続け、そして1998年に、当時世界最高の170万個の恒星を投影することができ、重量わずか30キログラムの移動式プラネタリウム「メガスター」を個人で完成させたのです。その後SONYを退社しフリーとなり、2003年、星の数を410万個に増やすなど機能を強化した新型プラネタリウム『メガスターII』を完成させ、渋谷東急文化会館の閉館イベントで初公開されるなど話題となりました。2004年4月、メガスターII-1号機『Phoenix(フェニックス)』が川崎市青少年科学館で通年公開開始されることになりました。この映写がテレビでのCMに使われることになったのです。これを見に、日曜日に行ってきました。
プラネタリウムには、一時はよく行きましたが、今回、久しぶりでした。この科学館は、多摩丘陵のゆるやかな起伏に富んだ生田緑地の中にあります。ほかに、枡形山展望台、噴水広場、かおりの園、岡本太郎美術館、全国の古民家を集めた日本民家園、藍染め体験のできる伝統工芸館等があります。メガスターを作り上げた大平さんが初めて見たプラネタリウムも、この青少年科学館のGM II-16-Tだそうです。メガスターIIは、本当の星空と同じように、目に見えない明るさの星まで映し出します。そこには、本当の空では望遠鏡でなくては見られないような星雲・星団まで映し出す星の数は、410万個に上ります。ここの青少年科学館では本格的な双眼鏡を入り口で貸してくれます。これで覗くと、肉眼ではうすい雲のように見える天の川も、実際は微細な星の集まりであることがわかります。まるで本当に無限の宇宙を見上げているような、星空の奥行きが感じられます。アンドロメダ銀河も、円盤型をしているのがわかります。2004年12月には『メガスターII-Cosmos』が「世界で最も先進的なプラネタリウム」であるとギネスの認定を受けています。
プラネタリウムは、さまざまな時間や場所の、星空や宇宙の光景を再現するシミュレーターです。1923年にドイツ博物館とカール・ツアイス社が、 部屋の中にドーム型のスクリーンをもうけ、そこに投影機で好きな季節や時刻の星空を計算機で投影して再現するタイプのプラネタリウムを発明しました。そこには、動きが複雑な惑星や太陽、月もふくまれていました。いま、プラネタリウムというとこのタイプを指します。最近はコンピュータグラフィックスで全ての星を映し出し、オリオン座の星から見た星空や数百万年後の星空もうつすことができるデジタルプラネタリウムも普及しはじめました。現在プラネタリウムを最も多く保有している国はアメリカで、その次に日本の約300基です。ドーム直径の大きさは世界5位までが全て日本のものです。国の大きさから考えて、日本は、星空に関しては先進国ですね。
投稿者 fujimori : 23:37 | コメント (2)
2006年10月16日 [近頃思うこと]
他人との違い
昨年、ドイツのミュンヘンで行われた世界保育大会のテーマは、「幼児教育とインクルージョン」でした。このテーマは、まさに、昨日ブログに書いた運動会での出来事です。それは、インクルージョンとは、障害児教育に使われることが多いのですが、障害児がいない状況でも常に多様な教育形態が行なわれているという方法なのです。インクルージョンは各々の個性を考慮しながら、協力・協調する教育方法であるとされています。ですから、障害児のみを対象としているわけではなく、困難を感じている全ての子どもに対して行われることになります。これによって、国連が提唱している「万人のための教育」が実現するわけです。普通学校の学級に、「障害児」と言われる児童がいなくても、「成績が悪い子」あるいは成績の差があるわけですから、当然、顧みられない子どもがいます。これらの子ども達が常に一緒に授業を受け、各々の目標を実現できる学級経営があって、初めて「万人のための教育」が行われ、だれも見捨てない教育が一箇所でできることになります。この様式がインクルージョンといわれる形態です。外国では、インクルージョンを国の施策としている国があります。ドイツのミュンヘンでも取り組み始めていました。その場では、子どもたちが自分で授業を自己決定し、自分の行動には自分で責任をもつとか、自分が好きな教材を選び、コンピューターを使いながら行うとか、多様な教育形態で授業を行っています。このなかに、独創性どうやって育むのかというヒントがインクルージョンから感じます。教師は複数で、そのなかに巡回してくる特殊教育教師がいたり、保護者や同級生が教師役をしたり、多様な支援が行なわれています。障害児がいる環境の中で人権を尊重し、違いを認めながら教育を進めていく、そこにインクルージョンの目的があると思います。 日本では、いつからかみんな一緒ということが、みんな同じことをする、同じようになるということを目指してきてしまいました。また、みんなバラバラでいい、みんな勝手にやればいいと勘違いされてきました。10月3日の朝日新聞の根本清樹氏のコラムを妻から紹介されました。「日本人は集団主義的で、米国人は個人主義的だという常識がある。確かに、日本には会社人間が多く、出る杭は打たれる。山崎教授の実験は、この常識が間違っていることを示した。人工的な環境の実験室で人がどう行動するかを比較すると、米国人の方が集団に協力的で、日本人の方が一匹狼的に行動する傾向が強かった。つまり、日本人は集団志向な心の性質をもともと持っているわけではない。相互監視、規制、しがらみや圧力といった社会の仕組みに促されて、そう行動しているに過ぎない。監視も圧力もない実験室の環境が、そのことを明るみに出す。」そして、最近多くなったいじめでも同じことが言えるのではないかと、原因を考察しています。思いやりの心が失われたからいじめがはびこるのではないというのです。いじめをやめさせようと立ち上がった子が、返り討ちに合い、いじめがさらに続くという結果から、見て見ぬふりをするか、いっそいじめに加担するほうが合理的な行動となる。人の行動は、他の人たちがどう行動するかに大きく依存しているということであるといいます。多くの子がいじめはよくないと思っていても、いじめが続いています。このような、他人の行動に大きく依存しているのが今の日本の子どもたちの気がします。教師は、インクルージョンという「各々の個性を考慮しながら、協力・協調する教育方法」をとることで、子どもたちに一人一人を認め合う意識を共有させていく必要があるでしょう。
投稿者 fujimori : 19:26 | コメント (4)
2006年10月15日 [近頃思うこと]
自分
昨日は、園で運動会がありました。その中で、とても感心したことがありました。私の園の運動会では、年齢ごとに障害物越えがあります。障害物を越えるためには、跳ぶ力、乗り越える力、歩く力など必要です。それは、競争するためではないので、一人ずつスタートして、ひとつずつ障害を越えていきます。その障害は、二通り用意されています。子どもたちは、どちらを越えていくか決めるのです。たとえば、2歳児では、渡る橋は、その幅が2種類あります。幅の広いのと、狭いのとがあります。また、登ってその上からジャンプする台も、高さが違います。見ていると、2歳児でも、その前に来た子に先生が「どちらにする?」と聞くと、迷ってから、どの子も自分で挑戦するほうを指差します。最近の子どもたちは、意思決定する力が不足しているといわれています。何かを聞いても、「よく、わかんない!」「どっちでも、いい!」と答える子が多い中、園の子どもたちは、きちんと自分のやりたいことを言うようにしています。普段から遊ぶときでも、2歳児に先生は、「好きな遊びをしてもいいよ!」とは言わずに、「なにをして遊ぶ?」と聞くようにしています。そして、そう聞くだけでなく、子どもが答えたことを実現できるように、できるだけしてあげています。そんなことが、運動会にも現れます。きちんと、全員が自分のやりたいほうを選択しました。3,4,5歳児も同じような選択をするのですが、5歳児では、もっと感心したことがありました。運動棒を飛び越える場所は、片方は、順に1段、1段、2段か、2段、3段かを選ぶようになっています。すると、ある女の子が、2段の前に立って、しばらく考えていました。どちらかを選んでいいのか考えているのかと思っていたら、そのうちの1段を取り上げ、3段の上に乗せ、4段にしました。そして、数を数え、また考えてから、もう1段を上に乗せ、5段にしました。そして、それを飛び越えたのです。5歳児になると、用意されただけでなく、自分のできるものに自分で変えたり、変えることを要求したりする子が何人もいました。きちんと、自分で主張しているのです。最近、OECDの学力調査で好成績であったフィンランドの教育方法が注目されていますが、フィンランドの子どもの特徴として、「自己主張」が強いといわれています。きちんと自分を主張するということは、自分の行動にきちんと責任を持つこととつながっていくようです。日本では、自己主張は、わがままにつながるといわれていました。自分で、これに挑戦する、自分はこれがしたいと主張することがどうしてわがままなのでしょう。
もうひとつ感心したことがありました。5歳児の種目に、自由演技というものがあって、自分でやりたいもの、自信があることを披露するというものがあります。サッカーでシュートする、ボールを投げる、縄跳びをするなどですが、その中で、フラフープをするというのがあります。これはとても人気がありますので、それを選んだ子は半数近くいました。しかし、それは、女の子が選びます。すると、その中に一人だけ、男の子が混じって一生懸命やっていました。その子は、女の子の中でたった一人の男の子とは気が付いていないようですし、それを見ているほかの子もそんなことはなんとも思っていないようです。自分がやりたいことをやっているとしか思っていないのです。なにができるとか、なにを知っているかということより、こんなことが人生の中では大切なことだと思いました。
投稿者 fujimori : 20:47 | コメント (3)
2006年10月14日 [近頃思うこと]
カレー
最近、都内では本場のカレー屋さんがはやっているそうです。以前のブログでも書きましたが、私は辛いのがニガテなので、本場のカレーはニガテです。やはりカレーは、日本味が一番ですね。カレーといってもさまざまな味がありますね。やはり私たちのカレーの味といえば、大きく2種類思い出します。ひとつは、給食のカレーです。子どもの好きなメニューのひとつですね。明治22年に始まった日本の学校給食は、食うや食わずの時代、子どもたちの食の一翼を担っていました。現在でも、年間に一人あたり約180食、子ともたちの年間食事回数のおよそ1/6を占めます。鯨肉の竜田揚げ、あげパンなどのメニューなどの思い出の味のなかで、必ず語られる懐かしいメニューのナンバーワンは、なんといっても「脱脂粉乳」でしょうね。私が、その話題についていけないのは、クラスで唯一脱脂粉乳が好きだったからです。もちろん、牛乳も好きですが、脱脂粉乳は脱脂粉乳の味がしました。こんな話題にこと欠かない給食も、メニューによって時代の移り変わりを表すことがあります。1889年(明治22年)のころの代表は、「おにぎり、塩鮭、菜の漬け物」です。1947年(昭和22年)になると、いよいよ「脱脂粉乳、トマトシチュー」が登場します。1965年(昭和40年)では、「ソフトめんのカレーあんかけ、牛乳、チーズ、白菜甘酢あえ、黄桃の缶詰」です。いよいよ、人気のカレーが出てきます。このメニューについての話題は、その食べ方です。ソフトめんをカレーの中に一気に入れると、カレーが溢れてしまうので、半分ずつ入れるのがコツでした。1976年(昭和51年)は、私が教員をしていたころですが、「カレーライス、牛乳、キャベツの塩もみ、バナナ、スープ」というメニューです。このころから、カレーが給食の定番になるのです。1982年には、全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることが決定され、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されました。
もうひとつのカレーの味で思い出すのは、戦後から次々に各社から発売された固形や粉末の即席カレーです。まず、1945年にオリエンタルから発売された「オリエンタル即席カレー」は、炒めた小麦粉にカレー粉を加えたものでした。そして、1950年、キンケイから発売された固形ルーが、「キンケイミルクカレー」で、石鹸に似た形でした。当時、石鹸と間違えて使った人もいたそうです。形も溶けやすいようにと、いろいろと工夫されました。板状の固形ルーは、同年にベルから発売された「ベルカレールウ」です。粉末タイプは、1954年発売の「ヱスビーモナカカレー」で、最中の中に入っていました。その後、即席カレーは固形タイプが一般的になりました。また、カレーは、子どもがすきということもあって、テレビコマーシャルに盛んに登場しました。そのコマーシャルは、今でも耳についています。「リンゴとハチミツ、ハウスバーモントカレー」とか「インド人もびっくり!」という「特製ヱスビーカレー」などがありますが、「3分間待つのだぞ」という「ボンカレー」は、大塚食品から世界初のレトルトカレーとして発売されました。「ボン」はフランス語のBON(良い、おいしい)です。ボンカレーのコマーシャルといえば、松山容子さんの看板を思い出します。

「おせちも いいけどカレーもね♪」はキャンディーズのククレカレーの「ククレ」は、「調理いらず」のcook lessからとったものです。カレーは、ずいぶんと生活に密着していますね。
投稿者 fujimori : 20:36 | コメント (3)
2006年10月13日 [近頃思うこと]
聴導犬
このブログを書き始めて気が付いたのは、機内誌が情報の宝庫だということです。昨日の帰りの機内誌に面白いことが書かれていました。それは、「聴導犬」の記事です。盲導犬や介助犬は「ユーザーの命令に従って働く犬」といわれています。しかし、聴導犬のユーザーとなる人は耳が不自由なので、「今、音が鳴っているから私に教えなさい」とは命令できません。ですから、聴導犬は、犬自身が自分で音を聞き分け、ユーザーに必要な音と判断したときに、教えるように訓練されています。「自分で考える」能力を生かすように訓練されているのです。これは、今年の1月に、日本で初めて、国際アシスタンスドッグ協会が実施する補助犬育成団体の国際認定試験に、世界で22番目に合格した「厚生労働大臣指定法人 社会福祉法人日本聴導犬協会」のホームページに書かれている説明です。機内誌を読んで、興味を持ったのは、聴導犬の役割です。「日常生活に必要な音を知らせる:ドアチャイムやブザーの音、FAX受信音、料理タイマーや目覚まし時計の音など」「家族間のコミュニケーションのための音:家族同士で呼び合う、赤ちゃんや幼児の鳴き声など」「保安のための音を知らせる:笛吹きケトル、煙感知器や火災報知機の音、ホテルのドアノックの音など」「自宅外の音を知らせる:銀行などの順番待ちの呼び出し、公衆トイレでのドアノック、踏み切りの警報機など」こう整理してみると、ずいぶんと知らないうちに、音によっていろいろなことをしているのですね。しかも、それらの音の種類によって、とるべき行動が違います。たとえば、ホテルのドアノックの音が保安のためというのは、「有事の際の避難確認のドアノック」を知らせるからです。また、家族同士で呼び合うということは、家の中で、事故が起きたときに、助けを求めに家族を呼びに行くときに特に必要になります。また、赤ちゃんの泣き声をすぐにしらせることから、ひきつけや泣くことによる嘔吐などを防ぎます。他の音の場合も、音を知らせるだけでは意味がなく、音のなっている場所まで連れて行く必要があるのです。目覚まし時計の音を知らせようと思ったら、寝床まで起こしに行かなければなりません。タイマーの音がなったら、タイマーの場所まで導く必要があります。それは、タイマーは、電子レンジや調理時間のほか、洗濯機や風呂の水がいっぱいになった時などにも使うからです。そして、機内誌には、さらにこう書かれています。「音がなったからといって、その場所に連れて行くだけでなく、逆に、危険を知らせる音の場合は、そこに連れて行くと危険です。そのときは、その音を聞き分け、身体にタッチしたあとで足元に伏せをするように訓練されています。そして、ユーザーがそれを見て安全な場所に避難するべきか判断するのを待ちます。」すごいですね。そんなことができるのですね。また、意味のない雑音には動じない訓練もします。たとえば、ドラムを叩いたり、缶のふたを投げて大きい音を立てて、それにはまったく動じないように訓練します。そのような聴導犬が、今、日本で働いているのは11頭で、イギリスでは、1000頭いるそうです。犬の種類は問わないそうですが、健康で、攻撃性がなく、人が大好きで、どんな場所でもリラックスできるような自信のある犬の子が向いているそうです。自信のあるというのは、デパートとかで万が一火事になったとしても、落ち着いてユーザーに警報機の音を危険と教え、一緒に避難するために、どんな状況でも平常心でいられないといけません。そのためには、訓練士やユーザーからほめてもらって「ボクはやればできる」というように、犬自身が自信を持つようにすることが大切だそうです。
投稿者 fujimori : 22:37 | コメント (2)
2006年10月12日 [講演先にて]
海洋深層水
今日泊まったホテルのバスには、「海洋深層水」の入浴剤が置いてありました。場所は、富山です。なぜここにあるかというと、富山湾は、広さが約2,120平方キロメートル、最深部が1,000m以上あり、駿河湾や相模湾と並んで我が国で最も深い湾の一つですであり、深層水を育んでいるのです。最近、海洋深層水がさまざまなところで話題になっており、化粧品や飲み物などいろいろな商品の材料にも使われています。それは、海の底を、はるかな年月をかけて循環してきた深海水には、健康に役立つさまざまなパワーがあると、言われているからです。しかし、この「階層深層水」とは、いったい何なのでしょう。簡単に言うと、深層水とは、大陸棚より沖合で太陽光が届かない水深にある海水のことで、現時点で確立された定義はなく、一般的に「水深200m以深の海水」という意味で使用されているようです。そうすると、実は、地球上の水のほとんどである93%が深層水なのです。ですから、よく「母なる水」というのは、海洋深層水のコトをさしていることなのです。「深海」は、光の届かない(無光層)大陸棚外縁より沖合で、植物が光合成することもほとんどできない、ごくわずかな太陽光線しか届かないところです。この水は、北極グリーンランド周辺で、塩分濃度差によって生じる「プルーム」と呼ばれる垂直に沈む海流が始まり、そこから、水深2,000m以上、深いところでは4,000mの深海にもぐりこむ海流となります。その水は、なんと約2000年間、一度も大気と接することなく深海を循環し続け、北太平洋にまでたどり着くのです。それが、ここ富山湾や高知県室戸市沖あたりで上昇して、わき上がってくるのです。富山湾は、大きく分けて三つの層で構成されており、海岸に近いところには河川などの影響を受けた塩分濃度の低い「沿岸表層水」、その下層から200~300メートル付近には「対馬暖流系水」、そして300メートル以深には低温の「日本海固有水」が無尽蔵に存在し、この日本海固有水が「深層水」と呼ばれ、富山湾の容積の約6割を占めています。アサヒビールは、富山湾の深層水を使った発泡酒「アサヒ本生」を発売しました。しかし、以前、高知県はアサヒビールに開発のためのデータなどをあげたりしたので、高知県の橋本大二郎知事が、アサヒビールに対し、「商品開発に協力したのに、富山の水で製造するのは問題」とおこったそうです。深層水は、富山、高知以外にも沖縄、静岡でも取水されており、これから石川や北海道でも取水する計画があるそうですが、どうして、そんなにも必死になるのでしょうか。それは、海洋深層水には、必須微量元素や、さまざまなミネラル成分がバランス良く約60種類含まれているからです。特に摂取しにくいマグネシウムは、深層水コップ2杯程度で、1日の分が補えてしまうほどです。そこで、健康飲料や食品、医薬品などの分野でも注目されています。例えば、化粧品や食品です。化粧水に深層水を入れると、ミネラルが豊富になり、肌にいいとして、全国的なヒット商品も生まれています。ジュースやお酒などの飲み物や、とうふ、かまぽこ、つけ物、パンなど、深層水入りの商品がどんどん開発されています。また、2000年もの間、海の奥底を循環し、表層の海水と混じり合うことがないため、キレイな水を保っています。表層の海水と違い、産業廃水や生活廃水、大気からの化学物質による汚染がほとんどありませんし、陸水から来る大腸菌や一般細菌にも、ほとんど汚染されていません。また、光が届かないので、光合成も行われず、海洋性細菌そのものの数も表層に比べて非常に少ないそうです。まだまだ解明はされていないようですが、やはり、自然の中には、さまざまな力があるのですね。
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2006年10月11日 [新聞記事より]
オセロ
新聞の記事を読んでいると、「へえ、そうだったんだ」と思う事がよくあります。先日の10月7日の 読売新聞の夕刊にこんな記事が出ていました。「オセロゲーム発祥地の水戸市で6日、第30回世界選手権大会が開幕した。」という記事です。「へえ、オセロの発祥の地は、水戸なんだ!」と思いました。この記事には、「終戦の1945年、旧制水戸中(現県立水戸一高)1年だった長谷川五郎・日本オセロ連盟会長が、碁石で相手の石を挟む遊びを考えたのが原型。黒人の将軍と白人の妻が登場するシェークスピアの「オセロ」から名前を取った。」と書かれています。日本で考えられたゲームが、いまや世界選手権が行われ、今年で、30回大会だそうです。最初に発売されたオセロの石のサイズは牛乳瓶の紙蓋とほぼ同じ大きさでした。これは第二次世界大戦が終わって間もない頃、当時中学生だった長谷川五郎が初めてオセロを製作した際、牛乳瓶の蓋を使っていたので、現在も公式試合ではこのサイズを用いているそうです。名称を「オセロ」からとったのは、このストーリーが黒人と白人の関係がめまぐるしく変わる様からだといいます。
園児の中でも「オセロ」は人気のある遊びです。朝の自由遊びの時間では、オセロをしている子どもがいることがあります。その3歳児から6歳児までいっしょに遊んでいる様子を見ていると、とても面白いことに気が付きます。一人でオセロを出してきて遊ぼうとするときは、色と黒を並べて、模様を作ることをしています。また、ルールに沿って対戦をしようとするときは、たいていは同年齢児と対戦しています。しかし、子どもたちは、同じ年齢の子を対戦相手に選んでいるのではなく、同じ強さの子を対戦相手に選んでいるのです。というのも、とても強い3歳児は、5歳児を相手にしています。子どもたちは、ゲームが一番面白い相手を選んでいるのです。そこでは、お互いの生年月日など関係ありません。また、5歳児が、まったくルールを知らない3歳児と遊ぶときは、オセロのルールで遊ばないで、順番にただ並べていって、盤を白黒でいっぱいにしていきます。そのほかにも、5歳児は、3歳児でも楽しめるようなルールを作っていきます。この朝の場面では、子どもたちは、なにで遊ぶかを自発的に始めるだけでなく、その遊びが最も面白いであろう相手を誘います。また、その相手をしてもらえない場合は、相手によって、さまざまな遊び方の工夫や、ルールを改定しながら楽しんでいます。オセロを考案した長谷川さんも、こんな状況の中に置かれていたのでしょう。また、昔は、こんな状況が家庭でも、地域の中でも満ち溢れていたのでしょうね。今の時代は、工夫をしなくても、楽しく遊ぶことができますし、一人でも楽しく遊べますし、調査によると、幼児での家での遊び相手が、8割は母親だという結果が出ています。そんな中で、自己表現力が次第に乏しくなってきています。「その背景に、気の合う友人としかコミュニケーションしない生活環境があると見る。仲間内なら「あれ、むかつくよねー」と言うだけで話が通じてしまうからだ。助けが必要な時、どんな風に、なぜ困っているか説明できないと、仲間以外からの支援は得られない。論理的に伝える能力は、学力調査で他国に勝つ以前に、一人ひとりが幸せに生きるために必要なのです。」と国立情報学研究所の新井紀子助教授(数理論理学)は強調しています。
投稿者 fujimori : 23:10 | コメント (2)
2006年10月10日 [新聞記事より]
ラッキー
昨日ブログで書いたイルカについて、今年7月に毎日新聞で連載されていました。それらのイルカについてのコメントを、記事の中から抜き出してみます。子育てにずいぶんと参考になる部分が多くあります。「ラッキーはゆっくりで、タイミングもずれているけれど、最後まで何度でも繰り返す。時間の流れがほかのイルカと違うけど、一番粘り強いんです。ラッキーを教えることで、待つことや、相手の生き方に合わせることを学んだ気がします。」と言っています。リーダー格のロロは、ラッキーのショーの相棒で、ジャンプも空中技も一番きれいで、高く、つり下げられたボールに口先でタッチする「ハイジャンプ」は、7メートルをこなします。何を教えてもすぐできるロロですが、そんなロロの欠点は、頭が良すぎることだそうです。口先を上げ下げする「水吹き」の芸は、自分で加減してしまうので迫力に欠け、プライドが高いのか、ジャンプでたまに失敗すると、なかなか飼育員のもとに戻ってこないそうです。手抜きができず、自分を追い詰めがちなロロなので、飼育員がラッキーの水準に合わせて練習させると、やる気をなくすこともあるといいます。序列2位のナタリーは、衆目一致する「普通の子」で、技も普通に出来ますが、時々サインを間違うおっちょこちょいな面や、怖がって隣のプールに行かない小心なところがあります。「おてんばさん」はリップです。好奇心旺盛で、新しい遊具にはすぐ飛びつき、観客席にも自分から近寄っていきます。時々、ロロの位置に割り込もうとして、飼育員に怒られます。ちなみにリップは、ラッキーが大嫌いで、ラッキーが近づくと、首を振ったり、おなかを口先で押したりします。あんまり嫌われるので、ラッキーも遠慮がちになっているそうです。ラッキーのトレーナー土屋祐さんは、ラッキーとの交流について、ブログにこう書いています。「僕たちトレーナーはイルカを人間として扱ってはいけないと常々教えられてきています。しかし、人間でもイルカでも、付き合っていく上で同じように一つだけ大事な事があります。それは、信頼です。イルカとのふれあいでいうと、まずは触れること。これが大事な部分を担ってきます。まず怖いものには触れない、これはどんな動物でも同じですが、特に怖がりなラッキーは怖いもの、見たことないものなどには特別警戒を強めます。エプソン品川アクアスタジアムに着たばかりの頃なんかは、水槽のアクリル板を怖がり、アクリル板の近くまで来なかったほどでした。そんなラッキーが以前お伝えしたとおり、最近はアクリル板を怖がらなくなっているのです。というより今では、僕がアクリル板越しにイルカ達を見ていると僕の方に近づいてこようとします。だから僕は喜んでさわってやります。また、僕がショー中水にはいって、サーフィンのように乗るバンドウイルカ達には、ショーが終わってから水の中で抱きしめてあげたりもするんですよ。でも、そんな事をしていると時々「それも訓練の一つですか?」なんて聞かれたりするんですけどね。ただ単に好きでやってます。(笑)でもこういう風に抱きしめる事が出来たり、触ってあげられるって事はそのイルカに信頼してもらっているってことなんです。そして、笑顔でもっと触ってあげることによって、より信頼も深まります。最近ニュースなどでは抱きしめてあげることさえ出来ない親御さんが増加している、と聞きますが、何に対して接するにも一番大切なのはこういうノンバーバルコミュニケーションなのではないかなと私は思うのです。」まずは、抱きしめることです。
投稿者 fujimori : 22:25 | コメント (2)
2006年10月09日 [散歩]
イルカ
動物園といえば、さまざまな企画をして入場者数を増やして有名になった「旭山動物園」がありますね。それに刺激を受けて各地の動物園は、いろいろな工夫を凝らした企画を行っています。同様に、各地にある「水族館」もいろいろな工夫をしています。その中で、昨年の4月に開館した「エプソン品川アクアスタジアム」は、広さも、魚の数もたいしたことがないわりには高い入場料というハンデを負いながら、人気があります。それは、都心の真ん中の、品川プリンスホテルとの一体になった室内の水族館ということがあるのですが、そのほかにも、都心ならではの企画があります。ここに、今日行ってみました。水族館の入り口には、「銀河鉄道999(スリーナイン)」をモチーフにした「ギャラクシーエクスプレス999」などのアトラクションや、松任谷由美さん命名のライブホール「ステラ ボール」が併設されています。また、色とりどりの熱帯魚が泳ぐ水槽を眺めながら食事ができるレストランやカフェなどもあります。しかし、なんといっても人気があるのが、「あしかショー」と「イルカショー」でしょう。これは、どこの水族館でも人気があるものですが、ここのショーは、あることから有名になりました。それは、ここで演技するイルカの性格付けをしたことです。この水族館のオフィシャルサイトでは、それぞれのイルカについての紹介がされています。人間にもどこかにいそうなタイプで、自分はどのイルカのタイプだろうと思ってしまいます。アンクは物覚えが良く、得意な種目は、「バックフリップ」です。ネイルは人なつっこい性格で、得意な種目は、「スピンジャンプ」で、ファインはまじめで、「ライド」が得意です。レイニイは飽きっぽく、「スライダー」が得意、スノーウィは無邪気で甘えん坊、得意な種目は「リフト」、ナタリーは気分屋で「テイルウォーク」が得意、ロロの性格は、優等生で「水吹き」が得意、リップは、好奇心旺盛で、「フロントフリップ」が得意です。その中で、「ラッキー」が有名になりました。ラッキーは、ここには、性格は頑固だがガンバリとあります。得意な種目は、他のイルカと違って、さまざまな芸ではなく、「バイバイ」をすることとあります。よく、子どもでも、人見知りが激しく、恥ずかしがりやの子は、すぐ「バイバイ」をしますね。それと同じように、ラッキーの性格は人見知りで怖がりらしいのです。それよりも有名になったのは、「跳べないイルカ」として新聞・雑誌で紹介されたからです。アクアスタジアムのカマイルカの「ラッキー」は唯一のオスのイルカですが、一番の恐がりでしかも極端な運動音痴なのです。ほかのイルカと比べてもパフォーマンスをなかなか覚えられないそうです。何頭かがそろってジャンプをするときでも、ラッキーだけ低い位置でジャンプをします。また、7メートルも高いところにあるボールをほかのイルカたちはタッチしますが、ラッキーだけは3メートルがやっとです。
それでもがんばって努力をして、少しずつ少しずつ、あゆみは遅いかも知れないけれど、できるようになっているのです。このがんばる「ラッキー」が、子どもたちに人気があるそうです。そんなラッキーですが、横浜・八景島シーパラダイスからここに越してきたとき、イルカは普通、環境が変わると餌を食べなくなるのですが、他の3頭と違って、ラッキーだけは、食べたそうで、怖がりなのに図太いという評判です。イルカは、とても知恵が高いだけに、人間のようにそれぞれの性格があるのですね。その性格も、どれがいいというわけではなく、それぞれの性格を生かすことが大切なことがわかります。
投稿者 fujimori : 21:03 | コメント (3)
2006年10月08日 [映画]
ライオン
今日の名月と東京タワー
劇団四季のよるミュージカル「ライオン・キング」を見に行きました。これは、もちろん、1994年に公開されたディズニーによる長編アニメーション映画がもとになっています。この映画は、シェイクスピアのハムレットが題材となっているといわれ、 公開当時、アニメ映画としては過去最高の興行成績をあげた作品です。そのアニメを、ディズニー自らミュージカルとして、1997年、ニューヨークのニューアムステルダム劇場にて初演されました。 演出を担当した女性芸術家のジュリー・テイモアは、影絵や文楽など、アジアの伝統芸能を取り入れ、またパペットやマスクを駆使した舞台美術を生み出したことで、1998年のトニー賞では、最優秀演出賞、最優秀衣裳デザイン賞を受賞しています。この栄誉ある賞を獲得したことは、この作品、また彼女自身の成功を意味することはもちろん、初めて女性に賞が与えられるというアメリカ演劇の歴史にも非常に重要な意味を示唆するものでした。このミュージカルの演出のすばらしさは、マスクをつけた俳優たちの顔も見えていて、マスクと俳優両方の演技をぶつからせている点です。また、大掛かりな舞台装置を使うことでも有名で、高さ4メートルを誇る「プライドロック」があります。それが、奈落から迫り出してくるのです。日本では、劇団四季が1998年から東京都港区の劇団四季専用劇場「JR東日本アートセンター四季劇場[春]」で上演をしています。連続8年目という前人未到のロングランを樹立しています。このライオン・キングが発表された当時、手塚治虫の『ジャングル大帝』とプロット・キャラクターが酷似していることから、ディズニーによる盗作ではないかという議論がなされ、全米でもニュースで話題になり、非難活動の運動まで起きました。しかし、手塚サイドは、手塚治虫自身がディズニーのファンであり、もし故人が生きていたら「手塚治虫がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ」と語っただろうと言うことで不問としたため、騒ぎは収束しました。
「ジャングル大帝」は、手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾った作品です。学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年11月号から1954年4月号にかけて全43回を連載しました。1952年に「鉄腕アトム」を「少年」で連載を始めるまで、少年誌での手塚の代表的な仕事が本作でした。「白いライオン」というアイディアは、手塚がかつてライオンの水彩画を依頼された際に白熱灯の下で彩色したところ、電灯の光のために、できあがってみたら色がきわめて薄くて没になった失敗談が発端といいます。このアニメが、フジテレビ系列で1965年から全52話を放送されました。このテレビ番組は、スポンサーであった三洋電機の「サンヨーカラーテレビ劇場」というタイトルとともに印象に残っています。そして、サンヨー製品であるカラーテレビ購買需要を喚起するソフトとして活用しました。視聴率は20%以上を獲得し、レオの理想主義は教育者の支持を得たりして、各賞を受賞する好評に、続編として主人公レオが大人となり、家族を持った設定で、原作の後半部分もアニメ化されました。私は、レオの理想主義と現実とのギャップに悩むところに興味がありました。たとえば、レオのようなライオンは、肉食動物なので、どうしても仲間である動物を食べないと生きていけません。それをどう解決していくかが面白かったです。
今日の舞台で印象に残ったせりふは、シンバが、王である父親に聞きます。「お父さんは、怖いものはないの?」「いいや。あるよ。」「それは、なに?」「それは、お前を失うことだよ。」
投稿者 fujimori : 22:23 | コメント (3)
2006年10月07日 [行事]
運動会の思い出
今日は、姉妹園の運動会でした。来週が、私の園の運動会です。両園とも、会場は小学校の体育館です。私は都心の小中学校出身でしたし、しかも団塊の世代ですから子どもが多く、自校の校庭で運動会をしたことがありませんでした。小学校のときは、近くの高校のグランドを借り、中学校のときは、さまざまなグランドやサッカー場を借りて行っていました。ですから、その場所でやる練習は、小学校のときは、1回の予行練習だけで、中学生のときは、予行練習はしませんでした。小中学校の運動会の思い出は、余りありません。楽しかったはずですが、印象に残らないのでしょうか。その中で思い出すのは、小学校のときは、確か1年生のときでしたが、リレーの選手に選ばれ、放課後、先輩の子にバトンの受け渡しを教わったことです。そして、特に、ある先輩にとても世話になりました。その先輩は、足が速く、とてもかっこよくて、当時は私と顔が似ているので、兄弟のようだと言われていました。今は、まったく違う顔ですが、その先輩は、最近あまりでなくなったので、若い人は知らないと思いますが、俳優の「柴俊夫」さんです。当時、近くに住んでいました。異学年の子との付き合いは、印象に残るのですね。あと、運動会というと、やはりお弁当です。私のころは、昼になると親の席に行っていっしょに食べたのですが、私が教員をしていたころは、親がいない子はかわいそうだということで、子どもたちは教室にいすを持っていったん戻り、子どもたちだけで給食を食べました。私のときは、会場が自校ではないので、当然給食は無理なのでお弁当でしたが、いつごろ給食だったのでしょうか。わが子のときは、親子がいっしょに観覧席で食べたのですが、今はどうでしょうね。私が子どものときの運動会のお弁当といえば、我が家では、必ず「栗ご飯」でした。前の晩に、私たちも手伝って、栗の皮をむきました。今、給食で栗ご飯が出ることもありますが、薬品で皮を剥いた栗を使います。本当は、よくないのでしょうが、仕方ないですね。そして、デザートは、お初の「みかん」です。このころのみかんは、まだ緑が多く、すっぱかったのですが、その味は、これから冬が来ることを予感させました。教員のころの運動会の日の給食には、冷凍みかんが出ました。私の冷凍みかんのイメージは、夏に汽車でどこかに出かけるときの車内販売で買うイメージで、秋のイメージではありません。もうひとつ、運動会といって思い出すのは、必ず前に日に洋品店に行って、運動会のときにはく「足袋」を買ったことです。1日が終わるころ、この足袋の裏に穴が開くことが、ひとつの誇りでした。充分と運動をしたという実感が持てたからです。そして、種目として思い出すものが二つあります。ひとつは、高学年で行った騎馬戦です。私は、体が大きいほうだったので、いつも下で馬をすることが多かったのですが、一度どうしても上に乗りたくて乗ったところ、すぐにつぶれてしまったことを思い出します。もうひとつ種目で覚えているのが、「フォークダンス」です。「コロブチカ」とか「セブンステップス」などは、なぜかわかりませんが、よく覚えています。時代的にも、女の子と手をつなぐことが普段ない中で、女の子と手をつないだことといっしょに強く思い出すのでしょう。そういえば、よくフォークダンスを踊りました。いつころから踊らなくなったのでしょうね。それとも、今でも、学園祭などで踊っているのでしょうか。あとになって、なにが思い出になるかは、そのときはわかりませんが、意外なことをよく覚えているものです。
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2006年10月06日 [近頃思うこと]
ビッグバンとゆらぎ
昨日は、月の話でしたが、今日は、もっと遠くの話をします。今月3日、 2006 年のノーベル物理学賞が、宇宙のあらゆる方向から届くマイクロ波の宇宙背景放射を人工衛星で詳細に観測した米カリフォルニア大のジョージ・スムート教授と、米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙飛行センターのジョン・マザー博士の2氏に授与されました。文学賞や平和賞に比べて、年々、物理学や化学など科学分野は、より専門的になっているために、私たちでは、どんなことかよくわかりませんが、簡単に言うと、宇宙背景放射とは、宇宙誕生の大爆発ビッグバンから約38万年後に放出された光の名残りだというのです。したがって、「ビッグバンの化石」と呼ばれ、誕生38万年後の宇宙の姿をとどめているとされているのです。この、「ビッグバン」ということを聞いたときのショックは、いまだ忘れません。今までよくわからなかった「宇宙」というものが、もっとわからなくなったという感覚でした。私たちの銀河系の直径は、およそ10万光年で、地球と太陽との距離の、ざっと30億倍という長さです。宇宙には、このような銀河が、少なくとも数千億という単位で存在しています。これらの銀河を地球から観測した結果、遠い銀河ほど速いスピードで遠ざかっていることが確かめられました。つまり「宇宙が膨張している」ということです。宇宙が現在も大きくなり続けているということは、最初の始まりは、ごく小さな一点ということです。その宇宙誕生の瞬間が、「ビッグバン」という大爆発だったといわれ、時間と空間が誕生したとされています。そして、爆発後100分の1秒後に光の海が出来、3分46秒後に原子核の結合が行われ、30万年後に宇宙が晴れ上がり、100万年~10億年後に原始宇宙が誕生し、50億年後くらいに星が誕生し始め、100億年後に太陽系が誕生したといわれています。気が遠くなりますね。つまり最初は非常に高温かつ高密度の状態で、星も生命も存在しない素粒子が飛び交う状態であったのが、膨張とともに温度が冷え密度も下がり、現在、私たちが目にする様々な物質や天体が形成されてきたのです。このようなビッグバン理論を、宇宙全体から届くマイクロ波(宇宙背景放射)を観測し、裏付けたことなどが評価されての授賞です。また、放射が全天から均一に来るのではなく、10万分の1レベルの温度の違い(ゆらぎ)があることを発見しています。このゆらぎが基になって、現在の銀河や星の分布が生まれたと考えられています。
この「ゆらぎ」は、物理学だけでなく、音楽でよく使われる言葉です。自然界には様々な音がありますが、これを分析すると、ピアノの鍵盤をでたらめに叩いているような音を「1/f0ゆらぎ」といいます。また、一定の間隔で鍵盤を叩いているような状態を「1/f2ゆらぎ」といいます。そして、ランダムでも単調でもないパターンを「1/fゆらぎ(エフ分の1ゆらぎ)」といいます。このゆらぎが、ろうそくの炎、そよ風、小川のせせらぎなどの様々な自然現象の中でも発見されました。また、人の心拍の間隔なども「1/fゆらぎ」になっていることが発見されています。この「1/fゆらぎ」が人に快適感を与えると考えられています。それが、昔ながらの手作りのものにはあり、きれいに整っていない分、暖かさがあるのです。ストレスの多い現代社会に安らぎを与えることができるのです。保育の世界にも、この「ゆらぎ」が使われることが最近あります。今後、青少年期に若者たちが迎えるさまざまな危機にゆらぎながら歩を進めていく現代の若者「ゆらぎ人間」の心理を考えていかなければならないでしょう。
投稿者 fujimori : 19:03 | コメント (3)
2006年10月05日 [記念日]
中秋
ちょうど昨年の10月20日のブログに、父親だけが役員の「子ども会」について立ち上げの経緯を書きました。役員が父親だけとあって、計画は、とてもわくわくするものが多かった反面、ハラハラするものも多くありました。ずいぶんと、母親たちから心配されました。そのひとつが、この時期に行われた「お月見ナイトハイク」です。子どもたちは、暗くなってから地元の高尾山に登り始め、夕飯を山頂で食べる計画です。夜の山は、とても暗く、しかも高尾山は野生動物が多く、熊とかはいませんが、夜行性動物であるムササビとか、仏法僧は有名です。ブッポウソウといっても、本当は「コノハズク」というきわめて小さなミミズクのことです。夕暮れから活動を始め、「ブッポウソウ」と鳴くので、古くからブッポウソウ(仏法僧)の鳴き声と思われていました。この声が、登っている最中に聞こえてきます。また、林でガサコソ音がするので、懐中電灯を当ててみると、木の幹をムササビが登っていくところで、木の上まで行くと、空中飛行をします。こんなわくわくする体験が出来るのですが、やはり、真っ暗な道を懐中電灯で照らしながら登るのは、母親たちはきがきでなかったかも知れません。それにしても山頂で頭上に輝く月を見るのは、なんとも言えず気持ちが澄む気がします。しかし、この決行する日にちが、ちょうど中秋の名月というわけには行きません。それは、年によって変わるのと、それがナイトハイクをする土曜日とは限らないからです。
今年の中秋の名月は、明日の10月6日です。同じ日に、同じように満ち欠みかけした形の月を見ようと思えば、ちょうど19年後のことになります。例えば自分の生まれた日に出ていた月と同じ形のつきを誕生日に見るためには、成人式を控えた前の年まで待たねばなりません。これは月の満ち欠けの周期(29.5306 日)の235 回分、と1年の周期(365.2422 日)の19年分がほぼ一致するからです。この周期のことを「メトン周期」または「章」と呼んでいます。「今月今夜のこの月」は19年後でないと見られないということのようです。今の暦は太陽暦ですので、天球上での太陽の一年間の動きをもとにして1年の長さを365日と決めています。しかし旧暦では月の動き、それも月の満ち欠けの周期を一ヶ月としていました。ですから、新月の日を一日として、月が半月から満月になり、また新月にもどってくるまでの29.53日が一ヶ月なのです。月の満ち欠けの様子を日づけにできるだけ正しくあわせるため、ひと月は30日と29日を交互にくりかえしていました。だから月の満ち欠けの形を見ればその日が何日かがわかりました。満月の日はほぼ15日(十五夜の月)になります。そして涼しくなった秋のすみきった、秋のまん中の8月の夜の月を、中秋の名月と呼んだのです。したがって、中秋の名月が満月とは限りません。実際に、今年の満月は、次の日の7日です。しかし、満月でなくとも、この時期の月は、空気が乾燥して鮮やかに見え、かつ、秋は湿度も低く夜でもそれほど寒くないため、とてもきれいで、昔から鑑賞したのでしょうね。名月とよく言ったものです。しかし、秋の虫の声が日本ではとても心地よく聞こえるのに、外国の人には雑音にしか聞こえないという話をよく聞きますが、満月も、ヨーロッパでは人の心をかき乱し、狂わせるものであったり、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て狼に変身して凶暴になったりするのは、感じ方の違いで、面白いですね。
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2006年10月04日 [近頃思うこと]
過疎と異年齢
先日の教育新聞の見出しに「育ち合う環境づくり」ということで、「3-5歳で混合保育」の実践が掲載されていました。ここは、島根県出雲町立の幼稚園です。異年齢混合保育を通して共に育ちあう幼児の育成を図って、さまざまな教育活動を工夫しているそうです。その工夫のひとつが、異年齢集団の教育力を生かそうと3歳児から5歳児まで混合保育を行っているほか、教育熱心な地域の人々に支えられて、人の輪の中で育ち合う環境づくりを模索してきたそうです。今は、少子社会になっており、家庭の中だけでなく、地域の中にも子ども集団が少なくなってきています。この記事を読んだときに、確かにそんな時代の中では、共に育ちあう幼児の育成を図るためにも、異年齢で保育することは当然と思ったのですが、読み進めて、ちょっとびっくりしました。それは、この幼稚園は、園児が全部で6名だというのです。この6名の年齢別人数がどのくらいかわかりませんが、異年齢集団の教育力を生かすために混合保育を行っているというほど、選択肢がない気がするのですが。そこには、どんなに園児が少なくても、同年齢で保育することが当然の意識があるのでしょう。同じような話が、私の住んでいる市内の小学校でもありました。全校生徒が49名のこの小学校は、歴史は古く、明治6年に創立されています。そして、自然公園内にある山麓の自然豊かな環境の中にあり、街道に沿って流れる川があり、周囲は小さな山に囲まれています。そんな大自然の中で、子どもたちはのびのびと生活しています。と言いたいところですが、私の園のスクールカウンセラーの人からこんな話を聞きました。この小学校のあるクラスに、落ち着きのない多動の子がいるので、どうしたらよいかの相談があったそうです。行ってみると、回りは大自然ですし、そのクラスは全員で7人だったそうです。その中で、少しくらい多動であっても、どうということはないと思うのですが、担任は悩んでいるそうです。授業を見ていると、7人で授業をしているのに、先生は、みんなに質問をして、一人が答えると一斉に他の子が、「いいです!」と答えるそうです。少ない人数でも、あくまでも、一斉授業の形態は崩そうとしません。全体が30人であろうが、40人であろうが、7人であろうが変わらないやり方です。ですから、その中に一人でも多動の子がいると、どうしてよいか悩むのでしょう。長い間、子どもが多かった多子社会でした。今、教員をしている世代は、私と同じような団塊の世代が多いでしょう。子どもが多い中で受けていた教育方法は、身に染み付いてなかなか変えられないのかもしれません。
アメリカの小学校では、普段でも2学年合同、3学年合同といったティームティーチングがよく見られます。オランダでも、学級編成については、異なる年齢の子どもたちを一緒の教室で教えたり、年齢にかかわらず能力に応じてグループ活動をしたり、といったことを積極的にやっています。学校教育でさえ、異年齢で学習することは、何も過疎で子どもが少ないから仕方なくではなく、学習効果をよりあげるためであり、まして、子どものきちんとした発達を遂げなければならない幼児教育の場では、異年齢児での保育が当たり前なのに、なかなか日本では、子どものためというよりも、補助金の出し方に子ども集団をあわせることが当たり前のように思っているようです。
投稿者 fujimori : 18:22 | コメント (3)
2006年10月03日 [近頃思うこと]
飲酒
全国で、飲酒運転が問題になっていますね。その中でも、警察官をはじめとする公務員の飲酒運転が問題化しています。もちろん、公務員に限らず、人として飲酒運転はすべきではないでしょうが、まずは、見本を示すべきなのでしょう。よく、週休二日制度も、育休制度にしても率先して条件を整備します。そこで、飲酒運転というのは、どのくらいよくないことかを示すことも必要でしょう。そのような動きがあります。たとえば、懲戒処分の指針の見直しを検討していた神戸市は、先月21日に、飲酒運転を行った職員は事故の有無にかかわらず、原則免職とする方針を固めました。今年4月にも指針を改定しましたが、引き起こした事故の程度や、酒酔い、酒気帯び運転が区別され、処分は免職から停職まで幅がありました。それを、今回の見直しでは、飲酒運転を一律にとらえ、処分をより明確にしたのです。職員が飲酒運転で死亡事故を起こした姫路市でも、既に同様の方針を明らかにしています。ところが、兵庫県の井戸敏三知事は26日の定例記者会見で、職員の飲酒運転を厳罰化する自治体が相次いでいることについて「飲酒運転をしたから直ちに免職というのは、行き過ぎているのではないか」と述べています。たぶん、知事自身もよく飲酒をしているのでしょうね。タバコにしても、お酒にしても、それをたしなむ人は、いろいろな理由を付けて、それを弁護するようです。「タバコさえ吸わなければ、酒さえ飲まなければあの人はいい人なのに!」という言葉をよく耳にしますね。すばらしい人柄なのに、こと依存物質(タバコ、アルコール)については常識的な判断力が欠乏してしまうようです。なぜなら、ある程度の長期間に依存物質が脳に作用すると、止めても引き続き体内に取り込もうとする力が潜在意識に働くからです。ですから、飲酒運転についても、良心に訴えてもなかなか効果はないようです。ですから、処分が厳しいようでも、外発的動機付け(賞罰を与えて意欲に訴える)しか無理かもしれません。それとも、ボルボで開発したような飲酒運転や交通死亡事故を防ぐシステム「マルチ・ロック・システム」というものが必要かもしれません。このシステムでは、シートベルトにアルコール検知器を装着し、エンジンを始動させるためには、このアルコール検知器に息を吹き込んだ上でシートベルトを締めなければならないようになっています。また、特別なイグニッションキーに最高速度を設定できる機能を付け無謀運転ができないようにもしています。飲酒運転による事故は日本国内だけでなく海外でも多発しているようで、万国共通の問題ともいえます。EUによればヨーロッパでは毎年約1万人がアルコール関連の事故で命を落としているそうです。
ビールは大びん1本、日本酒は1合、ウイスキーはダブル1杯、焼酎0.6合をアルコールの摂取量の基準としてお酒の1単位としています。お酒の1単位を純アルコールに換算するとほぼ23g前後となります。体重約60kgの人で30分以内に飲んだ場合、1単位のアルコールは約3時間体内にとどまります。2単位の場合ではアルコールが体内から消失するまで約6時間かかります。「数式で時間の目安を示すことはできるが、絶対ではない。深酒すれば24時間後でも残る可能性はある」といわれ、航空業界の内規では、出発時刻の12時間前からの飲酒を禁じています。JRバス関東では、「乗務の前日は飲酒を禁じている。基本的に24時間前からと考えている」といっています。もっと、真剣に、具体的な方策を採るしかないでしょうね。
投稿者 fujimori : 19:10 | コメント (2)
2006年10月02日 [近頃思うこと]
競馬
今朝早く、パリのブローニュの森にあるロンシャン競馬場で行われた、欧州最高峰のレースである凱旋門賞で、日本競馬界の至宝、「五冠馬」ディープインパクトが出場し、3位でした。残念でしたね。といっても、私は特に「競馬」に興味があるわけでも、関心があるわけでもありませんが、「ロンシャン競馬場」とか、「ディープインパクト」くらいは知っています。私が、競馬といって思い出すのは、ミュージカル映画でみた、マイフェアレディーでの競馬シーンに登場する「ロイヤル・アスコット」です。英国では競馬のことを「王族のスポーツ」と呼ぶそうで、この映画にも出てきましたが、英国王室が主催するレースに、毎年女性たちのかぶる工夫をこらした華麗な帽子に注目が集まります。ですから、外国の競馬は「帽子」と結びつくように、昨日の競馬レースの中継でも、女性がみんな帽子をかぶって入場する姿が映し出されていました。この映画では、オードリーが扮するイライザが、上流家庭婦人として教育され、その成果を試すためにそこに行きますが、レースにあまりにも興奮したあまりに、汚い言葉を使ってしまい、そばで聞いていた婦人が卒倒するという場面がありました。これがこっけいな場面として描かれているということは、競馬は、上流社会の人が行き、ていねいな言葉を交わしているということです。日本の競馬場のイメージと違いますね。もちろん、観覧席によって差があり、それぞれ入場料が違うのはもちろんですが、ドレスコード(服装規定)も異なりますが、公式プログラムには「メンバー席では、男性はワイシャツにネクタイ、またはポロネックセーターにジャケットが必須です。ジーパン、半ズボン、運動靴では入場できません。」と書かれており、英国の競馬がただ賭事のためだけではなく、大切な社交の場であることがわかります。また、映画のメリーポピンズにも、競馬の場面が出てきます。子どもたちとメリーが、木馬に乗って野山をかけめぐり、漫画の競馬と競走をして優勝し、インタビュをうけます。子どもの映画にもそんな場面が出てくるのですね。私が飛行機の中で見た最近の映画「夢駆ける馬ドリーマー」でも、 奇跡の復活を遂げた競走馬を巡る実話をヒントに、骨折した競走馬と少女の友情と、馬の再起に壊れかけた家族の再生を託す調教師の姿を描いています。このように、競馬は、社交場と同様に、子どもにとっても、夢の場でもあるのですね。
今回行われたのは、ロンシャン競馬場で、フランス、パリ西のセーヌ川沿い、ブローニュの森の中にある世界で1番美しいと言われる競馬場だそうです。ここで行われた凱旋門賞は、毎年10月の第1日曜日に行われ、1920年に第一次世界大戦後に衰退したフランス競馬再興を掲げ、かつての大レースであるパリ大賞典に匹敵する大レース創設を目指しパン・ヨーロッパ(欧州一)、パン・ワールド(世界一)を目標として誕生した国際レースです。ここに、日本からも過去に6頭の日本調教馬が遠征を行っています。私が知っているのは、1969年(第48回)に野平祐二騎手で「スピードシンボリ」がでて、着外でした。また、第51回には、やはり野平騎手で「メジロムサシ」が出て、18着。今までの最高は、第78回1999年に「エルコンドルパサー」が2着です。今回の騎手は、「武豊」でした。特に競馬に興味がない人でも興味を持つような「ハイセイコー」「ハルウララ」や、今回のディープインパクトのように、定期的に有名馬が出てきますね。
投稿者 fujimori : 19:17 | コメント (2)
2006年10月01日 [近頃思うこと]
秋の神話
昨日は、夜、車で六甲山に登って、夜景を眺めました。晴れていて、とてもきれいでしたが、空の星は、あまり出ていませんでした。星は、それぞれの季節には、それぞれの特徴があります。その中で、星にまつわる神話の面白さにかけては、秋の星に勝るものはありません。これほど、神話の壮大さを感じる星たちが、その光は地味ながら空に広がっているのです。
ギリシャの南、エチオピア王国の王ケフェウス(ケフェウス座として北天の星座になっている。)にはアンドロメダ(アンドロメダ座)という美しい娘がいました。ところが母のカシオペア(カシオペア座)は、娘アンドロメダの美しさを自慢し、「海の神ネレウスの50人の娘たちの誰よりもずっと美しい。アンドロメダの前には彼女たちの美しさも輝きを失ってしまう」と豪語していました。それを聞いたネレウスの娘たちは、悔しがって海の大神ポセイドンに言いつけ、何とかし返しをして欲しいとたのみました。ポセイドンはそれを聞き入れ、化けくじら(くじら座)に命じてエチオピアの沿岸に大津波をおこさせ続けました。王国が化けくじらのために破壊されるのを危惧したケフェウスが、神々の意志を聞いたところ、「娘のアンドロメダ姫を化けくじらのいけにえに捧げれば、災いはなくなるであろう」というお告げが下りました。王は国のため泣く泣く娘を海岸の岩につないだのです。この時ケフェウスが流した涙がケフェウス座のμ星で、美しい赤色の星です。岩壁につながれたアンドロメダを化けくじらが狙ったその時、エチオピアの海岸の上空を一人の勇者ペルセウス(ペルセウス座)が、魔女メドゥーサの首を切り落とした時に吹き出した血しぶきが岩にしみ込み、そこから現れたとされている天馬ペガサス(ペガサス座)にまたがり颯爽と通りかかりました。彼は、英雄ヘルクレスの孫にあたります。彼は、ちょうどメドゥーサ(変光星アルゴルは、このメドゥーサの額に輝いています)退治の帰りでした。この退治物語も子ども達は、大好きです。ペルセウスは悪魔ゴルゴンを倒すためにいくつかの道具を持っていました。「空を飛べる翼のあるサンダル」「なんでも隠せる袋」「かぶると姿が消える帽子」「何でも切れる金剛剣」「青銅の楯」(この楯は女神アテナにもらったものですが、その忠告にしたがってぴかぴかにみがいておきました)メドゥーサは、悪魔ゴルゴンの三姉妹の一人で、髪の毛は蛇になっていて、見るものを石にしてしまう魔力を持っていました。ですから、ペルセウスは戦うときには、後ろ向きにメドゥーサに近づき、青銅の楯に写った姿を見ながら金剛剣でその首を切り落としてしまい、何でも隠せる袋にその首を入れて持ち帰る途中だったのです。さて、アンドロメダをひと目見たペルセウスは彼女にひかれ、助け出そうとしました。化けくじらを、空飛ぶサンダルをはいてペルセウスは空中から身をかわしながら攻撃します。しかし戦いの最中サンダルが海水に濡れ威力をなくしてしまい彼は海中へと転落してしまいます。海中では化けくじらが絶対有利である。絶体絶命のペルセウスはとっさにふくろに隠したメドゥーサの首を取り出し化けくじらにその眼をむけました。すると、たちまち化けくじらは一瞬にして石と化し海底深く沈んでいったのです。そして、アンドロメダを助けたペルセウスは彼女を妻にし、いつまでも仲良く暮らしたということです。このアンドロメダ座にはアンドロメダ銀河という有名な銀河があります。この銀河は、銀河系の外側にある別の銀河ですが、たいへん近いところにあります。(といってもその距離は230万光年あまりです)秋の澄んだ夜空で、双眼鏡があれば、ぼぅーっとかすんだ小さな円盤状の天体が見つかります。それが、アンドロメダ銀河です。視力のいい人なら肉眼でも見えるそうです。見つけてください。