道徳心

 おととい、ある小学校で話をしましたが、またあさって違う小学校で話をします。それは、「道徳地区公開講座」で、学校公開のあとで意見交換会の講師として参加するのです。「いじめ」が問題になっているこの時期に、道徳の話をするのはなんだか憂鬱です。学校公開では、全学年、道徳の授業をします。資料を使って授業を進めるのですが、先生方は大変だなあという実感がします。友情とか、勇気とか、郷土愛などを授業で教えなければならないのですから。そして、それを子どもたちの力になったかを評価しなければならないのですから。たとえば、2年生に授業には、このような資料を使います。「おれた ものさし」という文です。
「何かが パシーンとわれる音がした。ぼくが見ると、ゆかの上に おれたものさしがおちていた。(たいへんだ。先生のものさしだ。)おれたものさしをもった のぼるが、じろっとあたりを見まわした。のぼるは、そばにいる ひろしのところへ行った。「おまえがおったんだろ、これ。」のぼるは ひろしにものさしをもたせた。「そうだ、そうだ。ひろしがおったんだ。」「ひろしが ものさしをおった。」のぼるのなかまたちが、つぎつぎとはやしたてた。ひろしは、おれたものさしをもたされて、今にもなき出しそうにしている。ぼくは むねがどきっとした。(あの時と同じだ……。)あの時も、ちょうど今みたいに、のぼるは われた下じきをぼくにおしつけた。みえちゃんの下じきをわったのは のぼるだったのに。あの時 ぼくは のぼるに何も言うことができなかった。(ひろし、きみは何もやっていないぞ。)と、ぼくは心の中で 何ども何どもつぶやきながら、ものさしをじっと見つめた。ぼくは ひろしのところにかけよって おれたものさしをうけとり、何も言わずにのぼるにさし出した。のぼるは しらんかおをして ものさしをうけとろうとしなかった。こんどは思い切って、「ものさしを おったのはきみだろ。ぼくは見ていたんだぞ。」と言って、ものさしを のぼるのかおの前につき出した。のぼるは、てれくさそうに おれたものさしをうけとった。」この文章を使って授業を進めたあとで、評価をします。「正しいと思ったことを進んで行おうとする気持ちを持つことができたか。」というものですが、それを、誰が、どのように評価するのでしょうね。もしかしたら、「みなさ?ん、今度、正しいと思ったことを進んでやりましょうね。」「は?い。」と全員が手を上げて、終わりになるのでしょうか。こんな授業をしなければならない教師に同情をします。
 生後6週のころになると、乳児は、泣いているとき親とか保育者から優しく話しかけられると、泣きやむようになります。泣きたい気持ちを、怒られたり、言い含められたりして我慢するのではなく、優しくされることによって我慢をします。生後10ヶ月ころになると、「いけません」と言うと、ちょっと手を引っ込めて親の顔をじっと見ます。このころになると、すでに大人の顔をじっと見て、親がどんな気持ちで制止しているのかを見て、やりたいことを我慢するかを判断します。このように、乳児の社会的行動の発達は、まず親とか保育者といった養育者との関係によって出現します。そして、自分が充分に容認されているといった確信が、次第に我慢をすることにつながり、自分の行動を保障される確信が、次第に自己の勝手な行動を抑えて集団に適応するようになるのです。我慢をすることを教えようとするならば、まず、教師が子どもを容認し、子どもたちが、自己を尊重されているという確信を持つことが大切ですよね。

ノジギク

「お魚らいふコーディネーター」として活躍している「さかなクン」が、今日の朝日新聞の「人」の欄で紹介されていました。彼は、さかな大好きということで、東京海洋大学客員助教授に就任したということです。4000種以上の魚やその料理法についての知識があり、子どもの頃から魚が大好きで、本人曰く、初恋の相手は魚だそうです。魚のことばかり思っていたので、たぶんからかわれたり、馬鹿にされたりしたことがあったかもしれませんが、このくらい徹底するとたいしたものですね。逸話として、中学生時代、吹奏楽を水槽学だと勘違いして始めたそうですし、浜崎あゆみの存在を知らず「あゆ」と言われても「鮎」の事と思っていたといいます。
 好きなことで大成するというと、先ほど訪れた高知市牧野植物園の「牧野富太郎」氏です。彼は、10歳より寺子屋、さらに塾で学びその後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退、好きな植物採集に明け暮れる生活を送るようになります。そして、後に「日本の植物学の父」と言われ、多数の新種を発見し命名も行い、近代植物分類学の権威者となります。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして「牧野日本植物図鑑」に代表される多数の著作として残っていますが、いわゆる小学校中退でありながら理学博士の学位も得たということです。しかも、生まれた日が「植物学の日」と制定されるくらいになりました。牧野氏が、明治17年に故郷の高知県仁淀川付近の路傍で発見し、その発見場所にちなんで彼が名づけた花に、「のじぎく(野路菊)」という花があります。
nojigiku1.JPG
 この花は、ちょうど今頃、10?11月に咲き 、野菊の代表で、一つひとつの花弁は小さく清楚ですが、香り高く気品があり、群生する姿はとても華やかです。のじぎくは我が国固有の植物です。また、9月30日から10月10日まで開かれていた「のじぎく兵庫国体」の「のじぎく」のことです。この「のじぎく」を、兵庫県は、昭和30年に県花に指定しました。兵庫県内では、明治40年に六甲山で最初に発見され、その後、大正14年に牧野博士が姫路市大塩町で大群落を発見し、学会等で日本一の大群落と報告したことから、これを契機に兵庫県がのじぎくの自生地として有名になったのです。秋は、そのほかにもいろいろな菊の花が咲きます。牧野植物園にも、そのほかにもいろいろと咲いていました。通路の両脇に咲いていたのは、「つわぶき」です。
tuwabuki.JPG
 この花もきれいな黄色の花で、キク科の花です。花を見ると菊ですが、葉は蕗(ふき)に似ています。そして、その葉は「つや」があるので、「つやぶき」になり、それが変化して「つわぶき」になりました。
 以前のブログでも書いたように秋に華やかに咲いている「コスモス」をはじめ、キク科の植物は多いのですが、漢字「菊」の下部は、手の中に米をまるめて握ったさまを表し、それに草冠を加えて多くの花をまとめて丸く握ったような形をした花(球状花序)を示しています。そして、キクの葉や花には良い香りがあります。吸い込むと頭がすっとして、気持が落ち着くような香りです。アロマテラピーです。それは、キク科の植物にはヨモギや春菊などに代表されるように「テルペン」という物質がふくまれていて、キクの香りはこの物質のためです。ハーブなどにもテルペンが含まれていて、フェノール類とともに植物の芳香の成分として知られています。ハーブにも、キク科の植物は多いですね。

右利き

 今日の朝日新聞の日曜版に「左に回りたがるヒト」という記事が掲載されていました。秋が深まった今、ほとんどの園や学校では運動会が終わったと思いますが、そのメインイベントとしてリレーがあります。私の園でも年長児はリレーを行いました。トラックをバトンを渡しながら回る姿は、とても感動し、熱が入り、盛り上がります。そのときのトラックは、右回りか、左回りかどちらでしょうか。今日の記事によると、1912年に創設された国際陸上競技連盟が、「走る方向は左手を内側に」と定めて以来、左回りのルールに決めたそうです。その記事は、なかなか興味深いことが書いてあります。1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会は右回りだったそうです。どうして途中で変わったかはよく分からないそうです。この記事に、実験をして、どちらのほうが有利か調べた結果が書いてありましたが、あまり関係なかったようです。しかし、どうも、右利きでは、左に曲がるほうが走りやすいようです。人は、右利きと、左利きの人がいます。しかし、世界の国々を見渡してもほとんどが右利きで、左利きの人は、全体の約10%しかいないと言われています。しかも、右利きが圧倒的に多いのは、生き物の中でも人類だけに見られる顕著な特徴だそうです。利き手と脳は、よく知られているように右手は左脳と、左手は右脳と繋がっています。人類は二足歩行をはじめ、道具を使い、言葉を操るようになる進化の過程で脳が大きく発達し、それとともに右利きが増えたと言われています。それは、子どもたちを見ていると、その発達の過程でもわかります。0?2歳くらいの子どもたちは、右手で物をつかんだり、左手でつかんだり、左右どちらの手もあまり偏らずに使っています。その子どもたちの利き手が、3歳から4歳児になるころに、次第に決まってきます。そのときに、なぜ右利きになる子どもが多いかは、よく分かっていません。左利きになる理由にはいろいろな説があります。ひとつは遺伝説です。しかし、これは一卵性双生児でも一人は右利き、もう一人が左利きになる子どもがいることで、あまり確かではないようです。もうひとつは、利き手が決まる3?4歳くらいまでに左手を使うことが多かった子は左利きになるという環境説。ですから、そのころになるべく右手に物を渡したほうがいいといわれています。または、胎内での成長過程もしくは出産時に何らかの原因で左脳を圧迫する事態が発生し、その左脳のはたらきを補うために右脳が活発になって左利きになるという説もあります。それにしても、現在のところは、どの説が有力か、決め手がありません。昔、とても感動した本に、住井すゑさんの「橋のない川」があります。これは、映画化されましたので、すぐに見に行ったのですが、あまり内容が原作ほど深くなく少しがっかりした思い出があります。その本を電車に中で読んでいて、大勢の人がいる中で、あまりに感動をして涙を流してしまったことがあります。ずいぶんと昔のことなので、はっきりと、正確には覚えていませんが、その中で、左利きの子に説明する場面がありました。昔は、左利きの子は、他の子と違うことで、みんなにいじめられたり、先生から注意をされました。それを切なく思っている子に、「昔は、人間は左利きだった。それは、人同士がとても平和で幸福な時代であった。それが、人と人が戦いをするようになったときに、大事な心臓を手で覆いながら剣を持って戦った。そこで、心臓がある左側を押さえるために左手を使い、あいたほうの右手で剣を持ったのだ。だから、人を殺し合いはじめて、右利きの人が増えてきた。左利きを誇りに思いなさい。」というような趣旨だったような気がします。もう一度、読んでみたい本のひとつです。

やる気

 日本の教育界を最近揺るがしているものの一つに、OECDが行った、ピサの学力調査結果があります。特に日本の子どもたちが、読解力が下がったということで、言語の力をつけようとしています。しかし、私がよく言うことですが、この結果で、最優先に取り組まなければならない課題があると思います。それは、この調査の中で、日本の子どもたちの「学ぶ意欲」が、最低であったということです。それが、働く意欲のなさにつながり、生きていく意欲のなさにつながっているのです。しかし今はただ、O157という菌対策に明け暮れ、身の回りから菌を排除だけしようとしています。本当は、排除と同時に、菌に対する抵抗力もあわせてつけていかなければならないのです。そのような抵抗力は、意外にも、意欲が関係していることがあるのです。なんとなく、実感はあると思います。気がめいったり、なんだか気力がないときにからだもだるい気がしますし、病気にもなりやすいような気がします。また、「病は気から」というように、気持ちの持ちようから病気になることもあるような気もします。私も、忙しいときにはあまり風邪を引きませんが、年末になって休みが長く続くときは決まって熱を出していました。少し前に熱を出したときも、連休のときでした。がんばって何かに打ち込んでいるときは、あまり病気をしないようです。気持ちの問題かもしれませんが、東洋医学では、体を巡る目で見ることのできないエネルギーを「気」と呼びます。その「気」が少なくなったり、体のどこかに停滞してしまったときに、「気」が「病む」ということで「病気」になると考えられています。こうした考えは、経験的には認められても科学的な根拠のないものとして片づけられてきました。しかし、最近では疫学的な調査や「やる気」の仕組みが解明され始めたことで、やる気と免疫系に深い関係があることが少しずつわかってきています。やる気は、脳の中の論理的な思考や抽象的なイメージなどの人間らしい高次情報と、食欲や性欲などの動物的な生存本能にかかわる情報が行き交う場所である側坐核に関係があるといわれています。また、脳内物質が、脳の働きを活性化して意欲を高め、体の機能を活発にする働きがあるといいます。この物質は、恐怖や驚きといったストレスを感じたときに分泌されます。ある場面で実力以上の能力を発揮することを「火事場の馬鹿力」といいますが、危機に直面する(ストレスがかかる)と、これらの物質が分泌されてやる気がつくり出され、脳や体が活性化し、何事も今以上にという発展性のある意欲をかきたたせるといわれています。このようにストレスや生存の危機から心と体を守る本能にかかわる情報と、よりよい自分を実現するための人間としての高次の情報が行き交うそばにある側坐核が、それらの情報をもとにやる気を生み出していると考えられています。私たちの体には、病原体に立ち向かう免疫機能が備わっています。うつの人は健康な人に比べて脳内物質の量が少ないことがわかっています。また、うつ状態になると免疫機能が低下するという研究報告も数多く発表されています。つまり、この2つの事実を結びつけると、やる気にかかわる脳内物質の量が減るとうつ状態に陥る可能性があり、免疫力が低下するということになります。ですから、絶望や悲しみなど後ろ向きの心理状態では免疫力は低下し、物事を前向きに捉えて意欲的に生きようとするプラスの心理状態、つまりやる気に満ちているときには免疫力が上昇するのです。自分の人生を積極的に生きていこうとするやる気が免疫力を高め、病気から体を守ることにつながっているのです。

鉛筆

 昨日のブログでは、石盤に石筆で字を書きながら勉強をしたということを書きましたが、「二宮翁逸話」を読むと、貧しい金次郎がどうやって手習いしたのかが書いてあります。金次郎は、「手習は酒匂川のごく細かい砂を盆に入れて平らにし杉の箸で、祖父が書いてくれた手本を一生懸命に習った。」ようです。この、箸で書くということは、鉛筆で書くということに関係があります。なぜかというと、正しい箸の持ち方を分解してみると、手前の1本(固定箸)をそのまま引き抜いて残った動箸は、鉛筆を持ったときと全く同じ形なのです。ですから、鉛筆とお箸の持ち方は一心同体なのです。逆を言えば、鉛筆を持つときに、手に持っている鉛筆が動箸になり、そこに1本差し入れると、箸の持ち方になります。ですから、鉛筆を持つよりも、箸を持つほうがよほど高度であるのに、どうも、箸の持ち方は早く教えて、鉛筆のほうが遅く持たせることが多いようです。また、鉛筆を持つときに、1本だけの指先に力がかからないのがよい持ち方といわれています。爪の色が白くなるのは指先に血が廻ってない証拠です。どの指先にも血が通うような持ち方が頭のよくなる持ち方になります。正しい持ち方は、「しつけ」として教えるとか、そう持つことで字がきれいに書けるというだけでなく、脳がよく働くのです。勉強すると、頭がよくなるというのは、鉛筆を持つために頭がよくなるのかもしれませんね。ですから、鉛筆で絵を描いても、頭がよくなるのかもしれません。
1560年代、イギリスのボロウデール鉱山で良質の黒鉛が発見され、その黒くなめらかな性質が注目されて、細かく切ったり、握りの部分をヒモで巻いたりして筆記具として使われるようになったのが、世界最初の鉛筆だといわれています。鉛筆は「Pencil」といいます。これは、英語を習い始めた中学1年生で、初めて長いスペルを覚えた単語として覚えています。この語の由来はラテン語で「筆」又は「書くための小さい尻尾」という意味のペニキラス(penicillus)か、あるいは元々の原料であった鉛(plumbum;プルンブム)のどちらかに由来すると考えられています。中学で最初に習う「Pen」が、頭についていますが、ペンとは語源は関係ないといわれています。日本では明治初期には木筆などと呼ばれましたが、のちにプルンブム由来説をとって、鉛の筆ということで、鉛筆と呼ばれるようになりました。徳川家康の遺品として1本の鉛筆があったり、伊達政宗も鉛筆を使っていたと考えられますが、日本で本格的に鉛筆が使われるようになったのは明治維新後のことです。
 今は、鉛筆は、世界の合作です。たとえば三菱鉛筆の芯の黒鉛は中国・ブラジル・スリランカから、粘土はドイツ・イギリスから、軸木にはアメリカの木が使われています。日本では、9Hから6Bまでの17種類ありますが、このH、B、Fといった記号は、芯の濃さと硬さを表すものであることはみんな知っていますが、HはHARD(ハード:硬い)、BはBLACK(ブラック:黒い)の略字、FはFIRM(ファーム:しっかりした)という意味で、HとHBの中間の濃さと硬さを持った芯のことであることはあまり知られていません。形は、握った場合、必ず3点(親指、人差し指、中指)で押さえるので3の倍数である必要があり、多くは6角形です。色鉛筆では、文字を書くだけでなく、絵を描くために使ったり色々な持ち方をして使いますので、指あたりのよい丸軸になっています。そろそろ、期待を胸に、ランドセルや学習机といっしょに、鉛筆を準備する年長児を見かけるようになります。

筆記具

 昨日のセミナーでは、説明をするときとか、講義をするときにもパソコンで作った資料、文章などをプロジェクターで投影しました。
setumei.jpg
 最近の講演にも、プロジェクターで投影して話しをする人が多くなりました。いわゆるプレゼンテーションをするときに便利です。また、パソコンで資料を作るときも、「パワーポイント」というソフトを使うと比較的に簡単に出来、画面の出し方や消し方にも工夫が出来、説明の最中にも線を引いたり、手書きで書き足したりも出来ます。いまや、世界中の 2 億 5000 万台ものコンピュータで使われているそうです。視覚的補助手段として、まず、オーバーヘッド・プロジェクタがつかわれました。このOHP は、ボウリング場や学校などでも広く利用されました。会議でも、これを使って説明すると、なんだかかっこよく見えました。それが、いつの間にパソコンからパワーポイントを使って、会議だけでなく、授業や講演、説明に使うようになりました。私も、写真などを使って説明するときは使いますが、あまり好きではありません。ひとつには、最近かなりよくなったのですが、少し薄暗くしないと見えにくいからです。 また、いくらいろいろなことが出来るようになったからといっても、聴衆の反応によって話の内容を変えたり、話す順番を変えたりできないからです。もちろん、開発などのプレゼンテーションにはいいのでしょうが、講演などには、私は使いにくい気がします。高校時代、地理の先生が有名な先生で、NHK講座に出ていました。そこで、授業は、その講座をカセットで流し、音声の中で「カチッ、カチッ」という黒板にチョークで何か書いている音がすると、急いでその文字を黒板に書きます。そのほかの時間は、自分で座って本を読んでいます。聞き手の反応は、何も関係なしに計画通りに進めていくだけです。なんだか、それを思い出してしまいます。私は、ある教授から、講演は、ホワイトボードに何か書きながら話したほうがいいという助言をもらったことがありますが、それは、自由にその場に応じて書けることと、書くために動き回るので、腰を痛めないのでいいということです。確かに、じっとして、少し腰をかがめながら2時間話をすると、終わってからかなり腰が痛くなります。そんなわけで、あまり人数が多くないところで話すときは、ホワイトボードを使うことにしています。ただ、本当は、黒板の方が使いやすいです。教師をしていたこともあるのかもしれませんが、あの筆圧がちょうどよく、マーカーだと滑りすぎる気がします。そういえば、黒板も、講演会場では減ってきましたね。使っているのは、学校くらいでしょうね。私が子どもの頃は、もちろん学校は黒板とチョークでしたが、道に書くときは、「ロウ石」を使いました。駄菓子屋で売っていて、アスファルトの道に線を引いて、いろいろな遊びをしました。めんこをやるときの丸、Sの字をやるときの線、ケンパをやるときの輪、石蹴りの線、野球のベース、そんなものをロウ石で書きました。ロウ石は、宝物でした。このロウ石は、明治から昭和初期にかけて使われた小学生用の学用品として使われていました。ノートの代わりに、スレート(珪酸質粘板岩)製の石盤に、鉛筆の代わりの滑石またはロウ石を棒状にした石筆というもので字や絵を書いていました。
sekiban.JPG
 そんな時代からすると、パソコンのキーボードに文字を打ちながら先生の話を書き取るとは、不思議な時代です。

ままごと

 昔の子どもの遊びには、大人になるための訓練の要素がありました。特に大人の模倣をする「ままごと」は、その意味合いが強いものでした。しかし、子どもの世界は、そんなことに関係なく、大人のまねをすることの楽しみとして「ままごと」が長くつづいてきました。1歳児くらいから、園でも「ままごと」のゾーンがとても人気があります。しかし、その様子を見ていると、それぞれの年齢によって遊び方が違います。1歳児では、みんなそろって、頭にナプキンを巻いてもらって、なんとなく大人の雰囲気を楽しんでいます。そして、それぞれ一人ひとりがキッチンに向かい何かを見立てて遊んでいます。たまに、大人の顔を見て、確認するために振り返ります。それが、2歳児くらいになると、用意されたハンバーグとか目玉焼きなどをさらに乗せて、他の子に「どうぞ」と差し出します。もらった子は、食べるまねをします。お母さん役をしたり、子どもの役をしたり役割を分担し始めています。それが、3歳以上になり始めると、調理の真似を始めます。野菜を刻んだり、フライパンでいためたり、なべで煮込んだりします。
mamagoto.JPG
 そのころから、子どもたちは、園では本当のクッキングをします。クッキーを作ったり、うどんをこねたりします。子どもたちは、料理の時間になると目を輝かせます。なぜかというと、大人と同じことをしているという喜びだけでなく、水で洗ったり、ちぎったり、こねたり、丸めたり、切ったりといった、料理の作業の一つ一つには、遊びと同じ作業が入っているからです。子どもにとって料理は、最高の遊びでもあるのです。しかも、これほど目的がはっきりしていて、結果が明確に表れる体験は、ほかにありません。また、料理をすることによって、生活上必要な技術が身につきますし、手や脳など、身体的な発育にもよい影響があります。これは、小学校の「総合教育」といわれているものと同じです。幼児期においても、子どもの発達に関する領域といわれているものが含まれているのです。家でも、子どものお手伝いは、かえって親にとっては面倒くさいことも多いのですが、とても重要な意味があるのです。
 しかし、最近、さまざまな事情から、子どもたちに手伝ってもらうことが少なくなりました。たとえば、私がよく親の手伝いをしたものに「障子貼り」とか「玄関の掃除」などありましたが、今は、ほとんどしないと思います。その中で、食育の面でもとても大切な「買い物」も、昔は子どもの役目でした。「のびちゃん、おつかいに行ってきてちょうだい!」とアニメ「ドラえもん」の中で、お母さんはすぐ買い物かごを、のび太にわたします。同じように、ジャイアンの家庭でも、サザエさんの家庭でも子どもにお使いを頼みます。いまは、「初めてのお買い物」という番組の中だけになりつつあります。この番組を見ているとわかりますが、「お買い物」には、買うものを覚えていくこと、お店でその素材のよしあしを見分けること、買うものを注文すること、時には値段の交渉をすること、お金のやりとりをすること、などその中には、生活に必要な様々なことが含まれていました。今は、残念ながら、車や不審者の危険が町にあふれ、宅配を頼んで買い物に行かない家庭が増えたりして、なかなかそんな環境はありません。そこで、園ではできるだけそんな体験をするようにしています。子どもクッキングを計画する時、できるだけその材料の買い物からするようにしています。毎月の誕生会では、その月の4,5歳児の誕生児が、みんなのおやつを「クッキング」して振舞うのですが、前日にその材料を買いに行っています。鬼ごっこにしても、ドッジボールにしても、子どもたちが遊びや体験から学ぶ場は減ってきていますね。

アナログとデジタル

今日から、携帯電話が番号ポータビリティといって、携帯電話の加入者が別の事業者(キャリア)に契約を切り替えても、元の番号がそのまま使える制度が始まりました。今、携帯電話は事業者によってデザインの違いはもちろん、それぞれ特徴があり、機能やサービスもさまざまです。ですから、そのときの使う状態によって、機種を選びます。しかし、今までは、携帯電話の番号は事業者ごとにブロックを割り当てる方式を取っていることもあり、事業者を切り替えると電話番号も変わってしまい、なかなか一度買うと、買い換えることをためらいました。それが、今日から契約している携帯電話会社を変更しても、電話番号が変わらないので、新たに電話番号を普段やり取りしている人に周知する必要がありません。また、携帯電話会社同士の競争が促進され、番号ポータビリティを利用しない人にとってもサービス向上が期待できます。早速、昨日、ソフトバンクが価格破壊を打ち出しました。それにつれて、他社も、それに代わるサービスを検討するといっています。今後携帯電話は、どこまで進化するのでしょうね。ここまで進んでくると、その構造がよく分からなくなります。目の前で、顔を見て話しかけると赤ちゃんの前頭葉という脳は活動するのですが、携帯電話で赤ちゃんに話しかけても脳は動きませんでした。話を聞くということは、音声だけを聞くことでなく、顔の表情とか、口ぶりとか、手振りなどから総合的に相手の気持ちを図りながら聞くことだからです。複雑になればなるほど、その営みは、ケースの中に隠れて、そのシステムはわかりにくくなるのです。たとえば、時計にしても、太陽や月や星で時を計っていたときは、目で見えるその姿で、時刻を実感します。しかも、そのめぐる姿から、ゆったりした時の流れを実感することができます。砂時計にしても、少しずつ減ってくることから時の経過が目に見えます。今日のワークショップでも、一人が話す時間を3分と決めると同時に、3分砂時計が終わるまでというと、時の経過が目に見えるので、先を見ながら話すようになります。それに比べて、時計では、わかりにくくなります。それでも、針があるとその動きでわかりますが、デジタル時計では、今、何時かはわかりやすいのですが、あとどのくらいあるとか、そのくらい経ったかはわかりにくいものです。私の子どもが小さかったころ、アナログの目覚まし時計を買うために走り回った経験があります。デジタルの語源は、指を表すラテン語のdigitusです。ひとつひとつを指さし数えられる、区切られた状態のことです。反対語はアナログ。比例を表すギリシャ語analogosが語源で、もとの形を変えずに移すことです。パソコンは、データを電気信号にしないと計算とか処理ができません。この信号は0と1です。電圧が高いか低いかという違いだけで表されていて、それを繰り返し組み合わせることで、たくさんの複雑な処理をしています。このひとつの単位をビット、8ビットをひとまとまりにして1バイトといいます。この0と1の数字で、どうやって文字や画像を表示するのかというと、文字は、文字コードというのが決まっていて、この数字はこの文字という具合に、文字とコードを対応させることで表示できるようになっています。絵や写真は、光を赤・緑・青(RGB)の3つの色の成分に分解して、それぞれの明るさなども指定して、画面に表示しています。ですから、デジタルの画像というのは、光の点の集合です。それに比べて、アナログの絵は、となりの色と交じり合ってつながっているのです。保育や子育ては、そのときの瞬間の姿ではなく、時の経過が大事であり、隣と交じり合うことで次第に色が作られてくる(成長してくる)というように、アナログの世界ですね。

教室

プレジデントファミリーの12月号の特集に「頭のいい子の勉強部屋」というものがあります。どんな部屋なのか興味はありますが、ほかの記事はあまり興味のないものばかりなので、この部分だけのために本を買う気にならないので見ていませんが、間取りが問題なのでしょうか。動線が問題なのでしょうか。それよりも、気が散らないとか、音が聞こえないとかいう「視覚」とか「聴覚」を遮断する部屋作りかもしれません。同じように、学校の教室は、どんなつくりが教育効果が上がるのでしょう。リヒテルズ直子さんの「イエナプラン教育に学ぶ」には一例にこう書かれています。
iena.jpg
「教室の一隅には、グループリーダー(担任)が記録をしたり事務的な仕事をしたりする机が置かれています。そのほかに二つ、大きなテーブルが置かれているのが普通です。一つは、教室のほぼ中央に置かれていて、子どもたちが、糊やハサミ、また、絵の具などを使って作業をする時に使うテーブルです。そして、子どもたちのテーブルは、5?6人分ずつ、壁や窓に沿って配置されています。教室の後方には、読書コーナーやコンピューターコーナーが設けられ、子どもたちが自由に本を読んだりコンピューターで仕事をしたりすることができるようになっています。また、廊下にも机が置かれ、子どもたちが一人で静かに自習することができます。黒板の後ろや下、窓際の窓の下、廊下側の壁など、ありとあらゆるところに棚が設けられ、さまざまな教材が備品として備えてあります。子どもが何かについて調べるための資料や遊びながら学ぶことのできるゲームなどが、廊下や踊り場などのコーナーに置かれています。また、廊下側や教室後方の壁には、生徒の学習の成果を展示するスペースが広く設けられています。また、イエナプラン教育では、いろいろな機会を捉えて、グループリーダーと子どもたちが輪を作って話し合う時間を設けるので、グループ全員ですぐに輪を作ることができるように、机や椅子は、できるだけ軽く移動しやすいものが選ばれています。教室の床は、清掃が簡単な、明るい色のリノリウムがよく使われています。」今までのオランダの教室をこのように表現しています。「大勢の子どもに対して画一的な授業を行ってきた旧来の学校では、子どもの注意を、いかにして授業をしている教員に向けさせるか、ということを基準にデザインされてきたものです。黒板の前には、教員が立つ教壇があり、それに向かって机や椅子が整然と並べられたものでした。」これを聞くと、今の日本の教室そのものですね。以前のブログでも書きましたが、このような変化は、アメリカの教室にも見られます。どの国も、少なからず、幼児における保育室も学校の教室に影響されています。それは、もちろん教育によってどんな力を子どもにつけるかという課題は、幼児期から共通だからです。実際に、ドイツなどでも、保育室も、ここで表現されているようなオランダの教室にとても近いものがあります。今年の2月に訪れた幼児施設でも、給食は、廊下に机を並べてみんなで食べていました。しかも、その廊下の幅は、それほど広くないのにです。もちろん、ランチルームのような食事専門の部屋があればいいのですが、それほど贅沢は言えません。そこで、廊下を含めてフレキシブルに部屋を利用しているのです。しかし、この部屋の利用の仕方は、日曜日に訪れた牧野記念館にあった、江戸時代の郷校の模型にそっくりでした。
goukou.JPG

22日の日記

 今日、朝起きてあせりました。「今日は、なにを話そうか。」と。しかし、よく考えてみると、今日は、日曜日です。昨日は、夕方まで講演があって、夜、市内の若手の園長3人で夕食を食べたので、もう1泊したのです。私は、基本的には、どんなに忙しくても、できる限り日曜日は仕事しないようにしています。そして、日曜日には、妻とあちらこちら歩き回ることにしています。それは、いろいろなことを知りたいと同時に、普段の運動不足を解消するためと、下半身の運動をすることによって、前頭葉の働きを衰えさせないようにして、認知症にならないようということこと、つまりぼけ防止です。こんなことを言うのは、どうも最近、講演の中で、脳に関しての話が多くなったからかもしれません。というわけで、今日は高知で目ざめましたが、飛行機の出発時刻まで、いろいろなところに連れて行ってもらいました。
まず、宿泊したホテルの前の通りは、朝からたいそうな賑わいです。それは、日曜市が開かれているからです。
nitiyouichi.JPG
高知市の街路市は、遠く藩政時代の元禄3年(約300年前)には既にあったといわれ、月曜日以外は年中市内のあちらこちらで市が開かれているそうです。その中で、特に高知城追手門から続く追手筋で開かれる日曜市は街路の両側にその延長1Kmに及び、野菜、日用品はもとより古着、骨とう、植木、庭石などが並んでいます。たぶん、本来はそこで土佐弁のやりとりでにぎわっていたのでしょうが、最近は、観光客もたくさん訪れています。昔ながらのショッピングに人気が高い。全国で朝市が開かれているところがありますが、ここ高知のように終日市が立つというのは珍しいそうです。店が並ぶ場所も工夫されていて、普段は、ヤシ並木の木陰が続く分離帯の両側に2車線道路が走っている道を、当日は、片側だけにして、片方の2車線道路に約650店並びます。
そのあと、市内が一望できる五台山に登りました。(車で)
godaisan.JPG
そこには、行基が開基し、文殊菩薩をまつった竹林寺(第31番霊場)があります。
tikurinji.JPG
幕末のころ、この竹林寺の僧「純信」が規律を破り、はりまや橋の小間物屋で、思いをよせていた「お馬」にかんざしを買ったことがうわさとなり、他国へ駆け落ちしましたが、すぐ土佐へ連れ戻されました。その後二人は引き裂かれ、悲しい運命をたどります。現在土佐で唄われている「よさこい節」は、昔から歌い継がれてきた土佐の民謡よさこい節にこの恋物語を組み込んだものです。
 また、この五台山には、高知県出身の牧野富太郎博士の功績を記念してつくられた自然公園のような「牧野植物園」があります。
makino.JPG
 私は、たぶん、子ども用に書かれた図鑑だと思いますが、愛用していた図鑑に「牧野植物図鑑」があり、私の園に近くの首都大学(以前の都立大)に牧野標本館があると知って、見に行ったことがあります。とても尊敬している人なので、園内に平成11年にオープンした「牧野富太郎記念館」は、とても興味を持ってみることができました。記念館の建物は、建築家・内藤廣氏の設計によるだそうで、木の温もりを生かした内部は、入園者を優しく包み込み、自らを「草木の精」と呼んだ牧野富太郎に相応しい空間を作りだしています。さらに、景観に配慮した環境保全型建築の方向性を示す優れた建築物として全国的な評価を受けました。あわただしい講演のあとの、ほっとしたひと時でした。