今市

 様々なところに出かけると、思いがけずいろいろなことにぶつかります。それは、そこにある自然であったり、歴史であったり、建物であったり、人物であったりします。そんなときに、いろいろな連想が頭の中を駆け巡りまわります。別々に見えていたものがきれいにつながった時は、なんともいえない快感を覚えます。その時に、いろいろな趣味を持っていることに感謝します。また、いろいろなことに好奇心をもてることをありがたく思います。それは、意外と、小・中学校受験とか、私のころの都立高校受験が9教科だったことに関係がある気がします。最近、あまり古事記などの神話や偉人伝などは教科書では取り上げられません。もちろん、それが、ある時代に、国のある意図を持って教えられた歴史があるので仕方ないかもしれませんが、それらは、その土地と深くかかわっていることが多いので、それらを知ってその地を歩くとまた違ったものが見えてくるような気がします。
 その代表的なものに「二宮金次郎」像があります。薪を背負って本を読みながら歩いている像を、ひとつの象徴のようにどこの学校の校庭でも置いておいたのはおかしいと思いますが、その業績や、生き方すべてを学ばなくなったのはどうしてでしょうね。そんなことで、以前、二宮尊徳の生家を小田原に訪ねました。その時のことは、ブログに書きました。彼は、相模国足柄上郡栢山村(小田原市栢山)に生まれ、14歳で父が死去、2年後には母も亡くなり、伯父の家に預けられます。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功します。生家の再興に成功すると尊徳は地主経営を行いながら自身は小田原に出て、奉公先の小田原藩家老服部家でその才を買われて服部家の財政建て直しを頼まれ、見事に成功させます。そして、その才能を見込まれて、下野国桜町領(現在の栃木県芳賀郡二宮町周辺)の仕法を任せられます。後に東郷陣屋(栃木県真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い、成果を上げ、その方法は報徳仕法として他の範となります。その後、日光山領の仕法を行い、栃木県今市村(現在の日光市)にて没します。その日光市今市が今日の講演場所でした。今市にそびえ立つ日光杉並木は、我が国で唯一、国の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を 受けた貴重な文化財でもあり、世界一長い並木道としてギネスブックにも掲載されているそうです。
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 さて、また、尊徳の話に戻りますが、彼と、弟子たちが提唱した経済学説・農村復興運動「報徳思想」が、遠州地方に説かれました。遠州地方から起業家が多く輩出される理由として、一説には浜松を中心とした「やらまいか精神」と、掛川を中心とした報徳思想が起業家に大きな影響を与えたためとされています。そこで、掛川駅北口には、明治天皇愛蔵の二宮金次郎立像(2005年現在、明治神宮蔵)を模した二宮金次郎像が建立されているのです。
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 今年、山内一豊つながりで掛川城に行ったときに、それを見つけてびっくりしました。現在では全国団体である社団法人大日本報徳社が掛川に置かれ、各地、各事業所の報徳社(社団法人)を統括しています。
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明治の建物である本社と報徳の精神を表している正門に掲げた「道徳門」「経済門」
 報徳思想は、あくまで経済学説であり、報徳運動は困窮した村の救済法、経済と道徳を一体とした教えを広める運動で、関係者は、「バブル崩壊で、企業のモラルが問われているこの時代こそ報徳精神が必要」と訴えていて、宗教宗派などとは一切関係が無いのに、なんだか誤解されてしまうことが多いようです。これで、尊徳の生まれたところからなくなったところへ、そして、今に受け継がれているところへとつながりました。

今市” への4件のコメント

  1. 二宮尊徳翁については、藤森先生の本ブログで何度か取り上げられ、その影響で大いに関心を持つに及びました。そして、世界が混沌とした方向に進むとき、翁の報徳思想は私たちが今後生きていく上での指針になることもわかりました。二宮翁というと、やはり薪を背負って本を読んで刻苦勉励する「二宮金次郎像」として有名ですが、滅私奉公的精神が求められる戦前の軍国日本のイメージを髣髴させられたことと、「報徳」の二文字が右翼の街宣車に結びついてしまい、生理的抵抗感を抱いておりました。しかし、二宮尊徳その人の事績及び思想に触れ、そうした思い込みが誤りであったことに気づきました。これから、この世界で生きていくにあたり、二宮尊徳翁の導きは実にありがたいもの、と近頃思うようになりました。子どもたちを導いていく場合にも大いに参考になると確信しております。二宮尊徳翁の報徳思想は仕組みの提示です。私たちが慣れ親しんでいる概念を用いるなら「環境」提案に他なりません。

  2. 二宮尊徳という人物はとにかく勤勉の人だと思っていましたが、以前のブログでそれだけではないと知り、あらためてその凄さを学びました。本当に知らないことが多いです。いろんな事を知っていてもそれを生かせなければ意味がないので、やることはまだまだたくさんあります。
    藤森先生が言われているように、別々に見えていたものがつながったときの快感はなんともいえません。そういう経験がこれからも多くできるよう、心のアンテナの感度を高めて、いろんなものに興味をもち、いろんな気づきを得たいと思っています。

  3. 二宮尊徳について詳しくは知らないままただそこにある銅像を眺めていました。子どもの頃に確か地域の交流場で何度も見ていた記憶があるのですが、私が住んでいた地が二宮町だったので、それに関連した人なのかなと思っていたくらいです。少しずつ成長していくうちにそうではないということは分かってきたのですが、詳しく知ったのはこのブログからでした。社団法人大日本報徳社と聞くと確かに受け取るイメージが自然に出来上がってしまいますが、そうではないのですね。最初に受け取るイメージで決めつけていてはいけませんね。まさに心を曇らさずに保っておくことが大切なのかもしれません。

  4. あるイベントがを目的に出かけると、それしか目に入らなくなります。例え、その隣りに昔経験したことに関連するものがあったとしても、それと結び付けられたことがありません。そこの柔軟性を、これからは磨いていきたいです。また、二宮尊徳氏らが説いた「報徳思想」の中であった「経済と道徳を一体とした教え」には、“養護と教育が一体に”という考えとも似ているように思いました。そして、“私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元される”という提唱が、現代で受け入れられている背景として、ただ私利私欲に走る人々が多すぎるということではなく、自分が社会の一員である意識を持とうとすることに共感がいく気がします。

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