アンパン

 今日の新聞広告のページで、こんなタイトルがありました。「子どもの危機を食から見直す!」というものです。サブタイトルには、ショッキングな言葉が並びます。「味噌汁を知らない子どもがいた!」「遠足のお弁当が菓子パンだけ?」「乳幼児までが朝食抜きで登園…」など、太文字で書かれています。こんな例は、現場ではいくらでもあります。本当に困ったものです。しかし、このタイトルを見たときに思い出したことがありました。
 私は、大学は、建築科を卒業しました。そして、卒業制作のテーマに「学校建築」を選びました。そこで、卒業後、どうしても学校に実際に勤めてみたくなり、他大学で小学校の教諭の資格を取り、実際に勤めてみることにしたのです。しかし、教師になろうと思っていたわけではありませんでしたので、いろいろな形式の学校、そして、本とかに紹介されているような学校で教えてみたいと思ったために、育休産休代替職員で勤めました。初めて受けもった1年生に、A君がいました。とても目がキラキラ輝いて、真剣に人の目を見ます。その子が、遠足の参加申し込みをしませんでした。どうしてだろうと思って、その子から理由を聞く前に、その子の環境を調べてみました。すると、近所では、その子は毎日家では夕食を食べさせてもらっていないので、学校の給食だけで生活をしているということでした。ですから、土、日はほとんど何も食べないので、近所では、かわいそうに思い、食事を食べさせてあげたり、お風呂に入れてあげたりしているということです。どうも、遠足の参加費が払えないようです。そこで、まず、子どもに遠足に参加したいのか確かめてみました。子どもは、本当は行きたいといいます。私は、校長のところに行って、何とか、学校で遠足の参加費を負担してもらえないか交渉しました。校長は、何とかしてくれると約束してくれました。次に、母子家庭でしたので、母親を説得するために、その子の自宅を訪ねました。家について、何度、声をかけても返事がありません。家の中には、誰かいるようです。あまり何度も大声で呼びますので、やっと出てきました。私は、遠足の費用は学校で出すので、ぜひ参加させてほしいと頼んでみました。あまり熱心に話すものですから、その母親は、玄関先に立っている私に向かって、「先生、どうぞ座ってください。」と言いながら、ほこりだらけの玄関先をそこにあった広告の紙でさっと拭きました。そして、こんな愚痴を言い始めました。「私は、いま、家で男に体を売って生計を立てているのです。ですから、子どもを家の中に入れるわけには行かないのですよ。そして、私には男の子と女の子がいたのが、別れた旦那は女の子を連れて行ってしまったのです。女の子だったら、早く稼げるのに、私は、男の子なんか引き取ったので、まったく嫌になってしまう。」私にとっては、ずいぶんと刺激的な話でしたが、産休代替ということもあって、あまり深入りは出来ないと思って、とりあえず遠足への参加だけを承知してもらいました。当日、喜んで参加したA君と一緒にお昼を食べました。すると、お弁当は、アンパン2個だったのです。私は、つい、「先生のと交換しようか?」と言ってしまいました。すると、その子は、私の言葉から哀れみを感じてしまったのでしょうか、「僕は、アンパンが好きなんだ。だから、お母さんがアンパンを入れてくれたんだ!」とつき返されてしまいました。その子は、今は、40歳位になっているでしょう。今でも、あの時の誇りを忘れないでいてくれたらと思います。

アンパン” への6件のコメント

  1. 藤森先生の教員時代の話は、子どもたちへの思いが伝わってきてあたたかい気持ちになります。藤森先生の教員時代の様子を見てみたくもなります。
    そして読んでいて、いつも高校のときの担任の先生を思い出します。国語の先生でしたが、授業では「こんなことを大切にして生きて欲しい」ということをいつも話してくれていたように思います。この先生に出会えてよかったと思います。
    話には関係がありませんが、今日もその先生のことを思い出しました。

  2. ●お弁当としての“アンパン”に見られる世相の変化●確かに、私の周りにも修学旅行に行くのに苦労した友だちものいました(もう40数年も前になるんですね)。あの頃は、まだみんな生活に余裕がなくて、世の中が「貧しい」という理由で説明できることも多かった様に思います●しかし、現在の生活の中で、子どもの食事の事情が“昔の貧しい状態”と同じことが見られる、ということはどういうことなのか?●これを責任論や精神論で批判して終わってはならないと思います。少なくとも、幼児に関わる私たちとしては●私にもまだ分からないけど、これからも少しずつでも考えていきたいと思っています。

  3. 事実は小説より奇なり、ですね・・・。
    生計のたて方は家庭によってマチマチですが、どんな仕事であっても、子どもを思って仕事をする保護者が増えることを祈っています。
    お酒を飲んだりギャンブルしたりするお金はあっても、子どもにご飯を食べさせたり、絵本を買ってあげたりするお金はない、というような親が沢山います。
    そういった話を見たり聞いたりするたびに胸が痛くなります。
    そういう経験をした子どもたちが、親になったとき、自分の子どもたちに同じことをしないものかと不安になりますね。

  4. 「Aくんだけを特別扱いする訳にはいかない」、「あそこの親は何を考えているのか」という捉え方をするのではなく、Aくんの遠足に行きたいという思いを実際の行動に移された藤森先生の姿に勝手にAくんの気持ちになってしまいなんだか嬉しくなってしまいます。きっと、Aくんは自分のために動いてくれた藤森先生のことをいつまでも覚えているのではないかなと思います。また、どんな家庭にも事情があるということを忘れ、ただただ批判してしまうのはよくないですね。相手の立場、なぜそうしなければならなかったのかを想像せずに批判だけをしていては何にもならないように思います。

  5. 遠足に参加しないと聞いたら、まず子どもに「どうして行かないのか?」を聞いてしまいそうですね。子どもは「行きたくないから、行かないんだ!」と返してきそうですが、まずはその子を理解するため、その子の環境を調べるといった前段階が重要であることを感じました。環境を踏まえた上で子どもの本心を聞き、その為にできる限りのことをする。そんな先生が担任であった子どもたちは、幸せであったでしょうね。周囲の人が何と言おうと、自分が信じているものを信じきることができる人に“誇り”が生まれる気がします。そんな誇りを持ちながら、自分の人生を歩んでいきたいと思っています。

  6. 今回のブログの内容には、正直、胸の熱くなる思いをしてしまいました。うるっと、してしまいました。藤森先生が受け持たれた1年生たちの中で、やがて東大に進学したり医者になったり蕎麦屋を経営したり、そうした大人になっている人たちのことを知っていますが、このブログで紹介された子は今どうしているのでしょう?楽しい家族に囲まれて、楽しく幸せに暮らしていればいいな、と思いました。藤森先生の門下生だ、きっと、そうした暮らしをしているに違いない。それにしても、最後のくだりには感動します。『「僕は、アンパンが好きなんだ。だから、お母さんがアンパンを入れてくれたんだ!」とつき返されてしまいました。』鳥肌を立てながら数度この部分を読んでみました。我が国の相対的貧困家庭数が急増しています。ブログで紹介された生徒さんと同じような境遇の子が今もあちこちにいるだろうなと思う時、せめて藤森先生のような先生と出会ってくれれば、と心の底からそう願わざるを得ません。

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