病気

 日本の総理が決まり、閣僚が決まりました。そんな政治家たちを見ていると、政治家って、すごいなあと感心することがあります。ひとつは、体が丈夫なことです。今回、入院をした政治家もいましたが、概して丈夫です。生活が不規則だったり、よく飲んだり、精力的に動きます。私から見るとあんなにストレスも溜まりそうなのに、からだを壊さないとは、よほど神経が太いのだろうと思ってしまいます。また、もうひとつ感心することがあります。以前、市議会を傍聴したことがありました。そのとき、ある若い議員が、何か教育基本法のことを質問しました。それを周りで聞いていた他の議員が、というより、暑い暑いと言いながら、横を向いたり、後ろを向いたりして、ほとんど誰も聞いていません。思わず、注意したくなりました。「きちんと聞いてください!」しかし、話しているほうも、気に留めていないように、淡々と話を進めます。そのうちに、聞いていないのに、「なにを若造がえらそうに!」と野次を入れたのです。また、思わず「きちんと、意見を言ってください!」と言いそうになりました。その野次を聞いたほかの議員も「そうだ!そうだ!」とか、「早くやめろ!」とか野次を入れ、発言がまともに聞こえません。それでも、発言している若い議員は、淡々と割り当てられた発言時間を終えました。こんな世界では、絶対に私は生きられないなあと思いました。必ずしもこんな議員ばかりではないでしょうが、こんなことに耐えられないと無理なようです。この神経の太さには、感心するばかりです。この神経の太さに感心するのは、ほかの場面でもあります。ある議員と話をしていたときに、以前に言っていることと違うことを言った時に、まったく動ぜず、前からそう言っていたのだというのです。私だったら、どぎまぎしてしまうでしょう。こんな強い?精神の持ち主なので、あまり病気もしないのでしょうか。
 私のブログで、何回か夏バテをテーマにしましたが、それは、ちょっと最近、体調を崩してしまって、熱が出たり、とてもだるい日を送っているからです。(まだ、すぐれません)そんなときには、いろいろなことに自信がなくなります。何でこんなに体が弱いのだろうとつい、弱気になってしまいます。そんなときにこんな文章に出会いました。これは、今、生死をさまよっている河合隼雄氏の「子どもと学校」に書かれている文章です。
「病いには意味がある。もちろん、病より健康のほうがいい。しかし、病によって深い意味のある体験ができることがある。人間が成長していくためには、外的な世界とのかかわりをもち、そこで活躍するとともに、内的な世界をも豊かにしてゆかねばならない。病は、外的な活動をとめさせる代わりに、内的な世界の存在に気をつかわせてくれたり、内的な成熟を促進してくれたし、するのである。子どもたちも、時に立ち止まって内面を見たり、あるいは内的成熟の進行中は、じっと立ち止まっていたりすることが必要である。このようなことは成長の節目に起こることが多く、案外そのようなときに病気になって、「よかった」と思ったりする。子どもの場合は、心と体との境界が大人ほど明確ではないので、そのような意味での休息が、体、心、心身症などの、どの病として現れるかわからないほどである。」子どもだけでなく、人は、休息のためだけでなく、振り返りのためにも病気が必要なのかもしれません。少し、政治家も病気をしたほうがいいかもしれませんね。