喧嘩

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 今日、小松空港から羽田に帰ってきました。空港の駐車場に、一対のブロンズ像が目につきます。それは、弁慶・義経の像です。勧進帳で有名な「安宅の関」が、ここ加賀国(石川県小松市)にあるからです。勧進帳とは、寺院、仏像等の建立などに必要な費用の寄付を求める際に使用した趣意書のことです。もともと「勧進」とは仏教用語で「人に善根功徳を勧誘し、策進する」という意味です。 仏寺建立や修繕などに、その資金を集めるために使われる言葉で、『勧進能』というものが戦国時代からありました。寺社・仏閣に修繕費を寄進させるために能を開催したのです。同様に、勧進相撲も、江戸時代になり、勧進のひとつの手段として興行されました。つまり客から木戸銭を取り、その一部を神社などの修繕費にあてたのです。相撲のルーツは、奈良末期頃であると言われています。相撲とは、「争う、抵抗する」という意味で使われていた「すまう(争ふ、拒ふ)」という言葉が、その由来です。この「勧進」と、先日の日曜日に行っただらだら祭りの芝大明神が結びついています。それは、火消しのめ組と、相撲取りが大喧嘩した有名な「め組の喧嘩」です。この事件を題材にした歌舞伎が、「神明恵和合取組」というもので、今も、役者さんたちは、この演目を上演するときには、この芝大明神に参拝するそうです。
 事件は、文化2年(1805)、芝大明神の境内で勧進相撲が行われていた時に起こりました。相撲見物に、火消しの鳶職人たちがやってきました。彼らは 木戸銭を払わなくてよい特権を持っていましたが、中に火消しじゃない者が混じっていました。「部外者は払え!」「いや、そのくらいいいじゃないか」と、小競り合いが始まりました。ぐっとこらえて、その場はなんとかおさまったものの、芝居小屋で再び鉢合わせしてしまいました。どうもお互いにどうもすっきりしない所に、だらしないと、けしかける輩もいたりして、くすぶっていた火種が再燃してしまいます。さらに、事態に驚いた火消しの長治郎が半鐘を鳴らしたものでしたから、火事だと勘違いして、あっちこっちから火消しが集まって大喧嘩になってしまったという話です。力の強い相撲とりと、気の荒い鳶との喧嘩ですから、大騒ぎになりました。最後は与力、同心が出動し、「め組」の鳶の辰五郎が江戸払いになるなど、お咎めを受けました。しかし、そこでイキな裁きをしたのが、南町奉行所の根岸肥前守鎮衛です。「事の起こりは、半鐘が鳴ったことである」として、半鐘を三宅島に遠島(島流し)にしました。この半鐘が、芝大明神の境内の本殿の脇のほうに置かれていました。
 子どもたちの喧嘩を仲裁しなければならないときがあります。そんなときに、こんなイキなはからいができたらと思います。園に来ていた見学者が、こんな場面を報告してくれました。5歳児の男の子同士が大喧嘩をして、大声で泣いたときに、そばにいる女の子が、気が動転して「誰か、早く先生を呼んできて!」と叫んだのを聞いたほかの子が、「なんで、先生なんか呼ぶの!自分たちで解決してみようよ!」と言い、両方の言い分を聞いたそうです。すると、両方とも言い分がもっともだと思った仲裁に入った子は、どちらが悪いと決め付けずに、「こんなことよして、あっちへ行って遊ぼうよ!」と言って、遊びに誘い、喧嘩など忘れて楽しそうにしていたそうです。大人だったら、片方に不満を残しながら、最後まで決着をつけそうですね。私としては、この子は、粋な決着のつけ方をしたと思います。