利用と収集

 ある小冊子に池谷裕二氏という気鋭の脳研究家がこんな記事を書いていました。「私たちは、情報の“利用”と“収集”という背反する二つの選択の中で生きている。スーパーマーケットでサラダ用にレタスを買っている女性を例に考えてみよう。彼女は、レタスが大好物である。逆にキャベツやきゅうりは好きでないので、あまり買うことはない。そんなある日、いつものように買い物に出かけると、レタスの隣に“甘さたっぷり”とかかれた新種のキャベツが並んでいた。いつも通りレタスを買えば、美味しいサラダが食べられることは約束されている。しかし、新しいキャベツはどうだろう。もしかしたらこの新種キャベツはレタス以上に自分の嗜好にあっているかもしれない。もちろん、この新野菜に挑戦したところで、やはりニガテな味だったということもありえるだろう。この例では、“いつも通りレタスを買う”という選択が、過去の情報を“利用”することに相当し、“新種キャベツを買ってみる”ことが新しい情報を“収集“するという冒険に相当する。安全の確保かリスクに賭けるか―彼女は、この背反する選択肢から意思決定しなければならない。この時、脳はどのようにして判断を下すのだろうか。」このときの脳を、今年の6月にロンドン大学のドウ教授という人が報告したそうです。私は、性格だと思いますが、どうも新しいことを多少リスクがあってもやろうとしてしまうところがあります。分かれ道にくると、つい、今まで行ったことのないほうの道を選んでしまいます。また、以前、ある人とイタリアに行って、レストランに入ったときのことです。メニューに何が書いてあるかわからなかったので、何でもいいと思い、上から適当に何品か頼んでみました。そして、食べ終わった後で、最後のもう一皿頼もうとしたとき、仲間たちは、「頼んだ中で一番美味しかったものを最後に頼もうか。」と言ったのに対して、私は、「どうせ、あと一皿頼むのだったら、まだ食べていないものを頼んでみようよ。」と言ったのです。どうも、私は、「安全」よりも「冒険」を好むようです。この冊子の最後には、「日常生活でも、当初最もよい選択であったからといって、安全パイばかりを選んでいると、知らぬ間に世界が変わっていて、浦島太郎よろしく、気づけば大損をしていることもありうる。だからといって、根拠のない賭けばかりでは、これもまた問題である。つまりは、“情報利用と情報収集のバランスを保て”ということになるのだが、不思議なことに、年を重ねると、私たちは情報収集型人間から情報利用型人間へと変化していく傾向がある。身近な人との会話だけで1日が終わっていないだろうか。新しいレストランが開店しても、行きつけの店ばかりに通っていないだろうか。改めて生活習慣を見直してみれば思い当たる方もいるだろう。たまには思い切って冒険脳“前頭極皮質”を開放すれば、普段とは違ったワクワクするような道が開けるかもしれない。」
 子どもを相手にする仕事や、人を相手にする仕事は特に時代によっての情報をきちんと得ていかなければなりません。子どもの育つ環境、文化をきちんと理解しないと、適切な援助が行えないからです。古い情報からだけの「利用」は、安全パイどころか、危険パイに変わっていることがあるからです。新しいものへの改革とか、変化とかは、とかく「向こう見ずな冒険」と勘違いされることがあります。しかし、きちんとした「情報収集」があれば、「冒険」は、長い目で見た安全パイを見つけることになるのです。