コスモス

 電車の中吊り広告で、こんなものを見ました。「初秋の庭園、花と音めぐり音めぐりコンサート」というもので、9月1日から一月間、浜離宮で「コスモスが咲くお花畑を背景に、懐かしのフォークサウンドや琴の演奏、津軽三味線などの音楽をお楽しみいただけます。」というものでした。懐かしのフォークサウンドというメッセージに引かれて行ってみました。しかし、今日は、花てまりという姉妹で、「琴とフルート」演奏でした。最初の曲は、あの「淡紅の秋桜(コスモス)が秋の日の 何気ない陽溜りに揺れている」と始まる「さだまさし」作詞作曲で、山口百恵さんが歌った「秋桜(コスモス)」です。この歌は、嫁ぐ娘が、母の優しさを感じる歌で、1番の最後のフレーズの「こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る」というところが印象に残ります。でも、今日は、小春日和というよりも、残暑厳しい日和でしたが。そして、この歌う姿の後ろには、一面のコスモスが咲き乱れていました。
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 コスモスといっても、イメージするあのピンク色の花ではなく、今咲いているのは、「キバナコスモス」という品種で、大正時代に日本に渡来し、コスモスに比べて暑さに強いためにこの暑いころから咲き始めます。花は黄色やオレンジが中心です。コスモスの原産地はメキシコの高原地帯で、18世紀末にスペインマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられ、日本には明治20年頃に渡来したと言われています。渡来当時は、「あきざくら」と呼ばれていました。「秋桜」の字は、主に秋に咲き、花弁の形が桜に似ているところからの和名です。また、大春車菊(オオハルシャギク)とも呼ばれます。コスモス(cosmos)の語源は、ギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の「Kosmos, Cosmos」の言葉に由来することから、星がきれいにそろう宇宙のことを、cosmosと呼び、また、花びらが整然と並ぶこの花もcosmosと呼ぶようになったのです。
 また、ここ「浜離宮」は、潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園です。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。この地は、寛永年間(1624?1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子どもの綱豊(家宣)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、11代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。
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 将軍や大名たちは、贅沢で、権力を行使し、こんないい場を自分の別邸にしたり、遊び場(狩場とか鴨場など)にしたりしてと腹も立ちますが、今となっては、都心にこんなに緑を残してもらえるとは、何が幸いするか分かりませんね。東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園である「井の頭恩賜公園」も、三鷹の地名に残るように、この一帯の武蔵野は徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場であり、3代将軍家光が鷹狩りに訪れた際の休息のため、井の頭池を見渡す場所に御殿を造営したことから御殿山の地名が起こったといわれていますし、井の頭池の名も家光によって名づけられたと言われています。これからは、都内の公園めぐりによい季節になります。